一ノ瀬 志希は天才である。海外へ留学して飛び級をする事が出来る程の才能を持ちながらも、当の本人は暇を持て余していた。その才能故に周りから一目置かれ、持て囃される事もあった。だが彼女は何時だって孤独。天才の悩みは理解されず、悩んでいる事にすらも気付かれない。
海外での時間は志希にとって退屈なもの。そこで得られるモノは無いと日本へ帰って来た彼女は何をする予定もなく、外を出歩いていた。彼女の世界は常にモノクロで、街の喧騒も行き交う人々も全てが有象無象でしかない。この世界に面白いモノはなく、自分を満たすモノは存在しない。それはそれは退屈で、絶望する様な世界だった。
「ん~? ……んんっ!?」
そんなモノクロな視界の中で、色の付いた何かが漂っているのに志希は気づいた。それは煙やオーロラの様にフワフワと浮かび漂い、何処かへ流れているのが分かった志希はその先を探す。
「美味しいね~!」
『にゃぁ~』
頭に乗せた白猫と会話をする様に話しながら、猫は自分用に用意されたおやつを。少女は何処かで買ったのであろうクレープを頬張る。未だに志希の視界に映る殆どが色を失っているが、その少女だけが不思議と色を持っていた。漂うそれも少女が過去に歩いた道程を辿る様に続いており、志希は笑みを浮かべる。自分の退屈を晴らしてくれる可能性を、その少女は秘めているのかもしれないと期待して。
「クンクンっ! 君、良い匂いがするね~!」
「むぐぅ?」
『フシャー!』
突然声を掛けられて頬にクリームを付けながら驚く少女と、警戒する白猫。それが一ノ瀬 志希と奏の出会いだった。
「ねぇ、プロデューサー。まだ~?」
「もう少しで着きますから」
アイドルとなり、自身をプロデュースする大事な存在が運転する車に揺られながら、志希は楽しみを我慢できない子供の様に声を掛ける。やがて車がとある家の前に泊まると、志希はプロデューサーへ軽くお礼を言って別れてから扉の前へ。手には車を降りる前から持っていた鍵があり、それで鍵を開けて中へ入ると、待ち望んだ匂いが彼女を包む。
「っ! たっだいま~!」
少し大きめの声で自分が帰って来た事を知らせる様に声を出すと、遠くから近づいてくる足音に口元の形を猫の様にして、持っていた荷物を足元に降ろす。靴を脱ぎ、姿勢を下げて……その姿が見えた瞬間、志希は容赦なく飛び掛かった。
「おかえりゃぁー!?」
「あぁ~、これこれ! クンクンクンクンっ!」
自分よりも小さな少女、奏を抱きしめると共にその姿勢を翻して自分が下になる様に変える。廊下を滑る様にしながら自らの身体に奏を抱き抱え、後は思う存分にその匂いを堪能し始めた。驚きながらされるがままになる奏を志希は満足するまで解放しない。
志希と奏は公園で出会ってから、即座に友達となった。人を疑う事も警戒もしない奏の代わりに猫が威嚇していたが、そんな事は志希に対してなんの脅威にもならない。そもそも奏以外がモノクロな世界で、彼女には猫の存在も眼中に無かったのだから。
一緒のベンチに座り、その匂いを気に入った志希は常に嗅げる位置で話をする。どうして奏には色が付いて見えるのか知るために、志希は数多くの質問や話を振った。その結果、得た答えは『分からない』。だがそれは志希にとって喜ばしい事でもあった。分からないから分かりたいと、奏の存在を強く意識した志希。帰って来たばかりでしたい事も何も無かった彼女はそれから奏と積極的に過ごそうとした。
それからしばらく経ったある日、志希はアイドル事務所のプロデューサーからスカウトを受ける。その人物もまた、奏の様にモノクロの世界で確かな色を持った存在であり、志希は興味を抱くには十分だった。
二人の存在は志希の世界を退屈から解放するには十分だった。別々の匂いを持ち、どうして二人が周りと違うのかを知りたいと思いながらもそれ以上に接している中で違う感情を抱いて行く。年上であり、自分を導き支えるプロデューサー。年下であり、とにかく愛でて撫でて癒される奏。
「えへへ、くすぐったいっ! あ、ちゃんと手洗いうがいしなきゃ駄目だよ!」
「はいはーい。でも、もう少しだけ~!」
アイドルになった時、自宅から通うか寮で生活するかを決める場面があった。そこで志希は迷わず自分の家を出る事を選択。家族にすら色を感じなかった彼女は、違う場所へ行く事を望んだのだ。
引っ越すと決まれば一日でも早くと荷物を纏めたが、当然寮へ入るにも手続き等で時間が掛かる。家を早々に出てしまった志希はそれが終わるまで他の場所で過ごさなければいけなくなり、そこで何の偶然か奏の家が事務所とそこまで遠い距離に無い事で志希は転がり込む様に数日居候する事となった。だが、そこは志希が想像する以上に居心地が良過ぎた。
『やだー! あたし、これからもここに住むー!』
『いや、あの……えぇ。えっと、一ノ瀬さんはこう言ってるのですが』
『志希、家に来るの? 良いよ!』
『…………はぁ』
志希の我儘に困り、奏が悩む素振りも見せずに即答した事でプロデューサーは頭を抱える事になった。そんなこんなで奏の家に住んでいる志希。基本的に居る時は四六時中奏に引っ付いており、呼吸する時は奏の香りを絶対に吸い込もうとする意志を感じさせていた。
志希に解放された奏はキッチンへ。やがて手洗いうがいを済ませた志希は再び奏に後ろから抱き付き始めるが、既に慣れた様子の奏は少し恥ずかしそうにしながらも振り解こうとはしない。
「志希、晩ご飯は食べて来たの?」
「ううん。君が作って待ってると思ったから、プロデューサーに頼んで真っ直ぐ帰ってきたよ」
「そっか! それじゃあ、すぐにご飯にする?」
「むふふ~。その前に、君が良い~! うりゃりゃ!」
「やぷっ! もぉ~! えへへ!」
最初に何かをしようとする度、志希に邪魔された時はもう少し怒っていた奏。といっても志希からすれば怒っている様には見えず、本人も嫌とは感じていないために喧嘩の様なものには発展しなかった。それが日を重ねる毎に当たり前と化していき、今では志希が前後左右何処からか自分を抱きしめている状況は奏にとって普通となっている。
料理の準備をしようとしても、頭に鼻を埋めて匂いを嗅ぎながらリビングへ奏の身体を抱き上げて移動し始めてしまう志希に、奏は抵抗しない。そのままソファに座って志希が満足するまで、二人は一緒の時間を過ごす。
「すぅー。はぁ~、決まるぅ~!」
「? 何が決まるの?」
夕食を食べ終わり、お風呂にも入った後は就寝の時間。家主である奏は勿論、居候として住んでいる志希にも自分の部屋は存在する。だが二人は寝る時、どちらかの部屋で一つの布団を二人で使いながら眠る様にしていた。提案者は志希であり、『一緒に寝たい』と言うだけで奏は嫌がる事も無くそれを受け入れた。
「ふぁ~、おやすみー」
「おやすみ~。むふふっ」
電気を消して布団に入った瞬間、奏は先に入っていた志希に身体を引き寄せられる。そのまま自分よりも大きな身体に包まれて、温かさと安心感で容易く眠りについてしまう。一方、志希は眠った奏の安らかな寝顔を眺めながら笑みを浮かべ続けていた。
「ふぅ~。良い感じ良い感じ♪」
志希は奏が純真すぎる余り、他人に対して無防備で警戒心の持たない事を日々の中で理解した。それは奏の良いところでもあるが、危ないところでもあるのだろう。そんな彼女に疑う事を教えるつもりはなく、志希は寧ろそれを利用するつもりでいた。
何事にも『最初』は大きい。例えプロデューサーという色のある存在と親しくなったところで、志希の中での最初は奏だった。どうして色があるのかが気になり、一緒に居ると癒される様になり、その匂いに病みつきになってしまった志希。その上で生活まで支えられる様になれば、本当の特別になるのも時間の問題だった。
既に抱き着く事も匂いを嗅ぐ事も奏は受け入れている。それが普通なのだと。なら同じようにしてもっと進んだ行為も普通と思わせてしまえば、奏は受け入れるだろう。現時点で一緒にお風呂へ入る事や、身体を洗い合う行為は始めている。
「明日も楽しみだね~」
今一度強く奏の身体を抱きながら、志希はその喉元に一度キスをして眠りにつく。色の付いた存在と過ごす事で、志希は自分の見る世界に色を取り戻した。