『……』
迫ってくるあの人形を前に、私達はただ固まっている事しか出来なかった。部屋の隅まで追い詰められて、隠れる場所も無い状況で姿を見られて、もう駄目だって諦めそうになって……だけど、そんな私達を守る為に一歩前に出たのは久遠ちゃんで。
『久遠ちゃん!』
『美桜、奈々、梓……逃げて』
刃物を手にした人形を前に、久遠ちゃんは部屋の隅に転がっていた棒を拾って私達に言う。何をしようとしているのか、私達は全員分かった。だけどそれを止める事も出来なくて、久遠ちゃんは一人で人形に立ち向かって、必死になって私達はその場から逃げた。
『ちょ、ちょっと! 久遠を犠牲にして、あたし達だけで逃げるつもり!』
『それで良いなんて思ってない! でも、久遠は命懸けで私達を逃がそうとしてくれたんだ!』
『久遠ちゃん……っ!』
このまま逃げるのが間違ってるって思っても、戻ったところで私達にはどうしようも無くて……ただ恐怖と苦しさで胸が一杯だった。後ろで聞こえる物音が遠ざかるにつれて小さくなって、最終的には何も聞こえなくなる。どうなったのか、なんて想像したくなかった。久遠ちゃんが無事でいて欲しい……そう願う事しか出来なくて、私達はその後も探索を続けるしかなかった。
「っ!? ……また、あの夢……」
過去の出来事を思い出す様に、偶に見る夢。あの悪夢の様な出来事を乗り越えた私達はあそこで起きた出来事について話をする事はもう殆ど無かった。あんな怖い出来事、思い出したいとも思わない。
「大丈夫、だよね?」
あの夢を見ると必ず、心配になる。私達にとって妹みたいな子が、私達の為に命を懸けてしまった事。時間はもう朝で、電話をするには迷惑な時間じゃないと思う。確認、確認するだけだから……。
「……お願い」
電話を掛ける。コールの音が何度か続いて、遂に繋がった。向こう側では何も話さなくて、私は少しだけ声を震わせながら口を開いた。
「久遠、ちゃん?」
『ん。どうしたの?』
彼女の声を聞けただけで、胸いっぱいに広がっていた不安が安心に変わる。大丈夫、今日も普通の一日が始まっただけ。久遠ちゃんも無事に。
あの出来事の後、私達は色々な怪奇現象に遭遇した。その原因を突き止めて、何とか収める事にも成功した。きっともう大丈夫という安心感と、久遠ちゃんが犠牲になった損失感で何も考えられなくなっていた私達。だけど、奇跡が起きた。
『ぇ……久遠ちゃん!』
『無事だったのね!』
『良かった、良かったよっ!』
片腕から血を流しながら、弱々しい足取りで歩く久遠ちゃんの姿を私達は見つけた。あんな事のあった後だから、恐怖もあったと思う。だけど私達を見て、ほんの僅かだけど安心した様な表情を浮かべてから倒れ始めた久遠ちゃん。咄嗟に梓ちゃんが抱えて、私達は急いで彼女を病院に連れて行く事にした。
取り敢えずは遊んでで転んで、転がっていた鉄板の様な物で切ってしまったと説明して治療してもらって……久遠ちゃんにあの後、どうなったのかを聞いた。
私達を逃がそうと人形に飛び掛かって、斬られはしたけれど、何とか叩く事で一度首を落とす事が出来たらしい。だけど身体だけで動いていて、久遠ちゃんを襲うよりも身体が首を付ける事を優先した事で、その隙に逃げたらしい。その後は私達で人形を止めたけど、その間は怪我もしていたから基本的に隠れていたみたい。
恐怖から解放されて、久遠ちゃんが無事だった事もあって、私達は涙を抑えられなかった。それからはあの出来事を忘れられない中でも何時もの日常が戻って来て……少しだけ変わった事もある。
『ん……奈々に、変わる』
『ちょっと美桜。もしかして、また夢でも見たの?』
「あ、奈々ちゃん。今日は奈々ちゃんが居たんだ。……うん、あの時の夢を見ちゃって」
『はぁ……まぁ、分かるわよ。あたしだってたまに見るんだから』
「梓ちゃんもそう言ってたよね」
『それだけ、大事だったのよ。あたし達にとって久遠は』
久遠ちゃんがしたあの行動をまた夢で見るのは、私だけじゃない。私達にとって命の恩人で、妹の様な可愛い存在の久遠ちゃんが居なくなるかもしれないって一度でも思った事で、私達は定期的に久遠ちゃんと一緒に過ごす様になっていた。勿論、皆で集まっての時間もあるけど……そうじゃなくて、お泊りまでがセット。久遠ちゃんは違う場所に家族が居るけど1人暮らしみたいだから、家に転がり込んだり、逆に家へ招いたり。私の場合は招く事の方が多いかな。奈々ちゃんは転がり込んでるみたいだけど。
『今日は美桜の家に集合するわよ!』
「うん、待ってるね」
『また、後で』
奈々ちゃんと久遠ちゃんの声を聞けた事で、起きて抱えてしまった不安も無くなった。息を吐いて落ち着いた心を更に静めて、私は汗で着ていたパジャマが冷たくなってるのに気づいた。多分、あの夢で寝汗を掻いちゃったんだ。皆が来る前にシャワーを浴びよう。
お昼近くになると、私の家は凄く賑やかになる。何時もの皆で、好きな様に話をするこの平和な時間を私達は全員前以上に大事だと感じていると思う。奈々ちゃんは次の動画に関して常に考えていて、その内容を聞いては梓ちゃんがちょっと呆れながら返して。
「っと、あんまり暴れないでよ」
「くっ付き過ぎ……離れて」
「嫌だよ。何なら、もっとくっ付くからね」
「あ、あはは……」
梓ちゃんは久遠ちゃんが居ると、何時も抱き締めようとする。前よりもずっと、その頻度は多くなっていて、久遠ちゃんを膝に乗せていないと満足出来ないみたい。私も奈々ちゃんも久遠ちゃんの事は前から可愛いと思っていたけど、梓ちゃんは特に久遠ちゃんを気に入っていたから……あの事があって、離れたくないみたい。正直、気持ちは凄く分かるんだ。解散の時なんて、そのまま連れて帰りたくてしょうがなくなるくらい。久遠ちゃんも鬱陶しく思ってはいても、理由があると分かっているから逃げようとしない。だから私達は余計にくっ付きたくなっちゃう。
「いやぁ、撮れ高撮れ高♪」
「2人を撮ってるの?」
「うん。梓だけでも女性視聴者の人気は有るんだけど、久遠が一緒になるともっと上がるんだよね。しかも男女共に」
「可愛いは正義って事かもね」
何となく雰囲気だけど、梓ちゃんは同性の年下の子から人気があると思う。やっぱり頼れるお姉さんって感じがあるから。だけど久遠ちゃんの場合は反対で、年上のお姉さん達に好かれそう。私達がその代表なんじゃないかな? 男の子に人気なのは私達には居ないタイプだからで、後は……女の子同士が好きって人もいるから、なのかな?
「うーん。もうちょっと、こう……サービスがあると良いんだけどね~」
「サービスって」
「例えば、こんな感じ?」
「っ!?」
「ちょ、ちょっと奈々ちゃん!?」
奈々ちゃんが突然、梓ちゃんに両腕ごと抱き締められている久遠ちゃんのスカートを少しだけ捲る。ビックリする久遠ちゃんだけど、それを直そうにも抱き締められている状態だとどうしようも無くて、梓ちゃんは良い顔をしてないのに直そうとしなくて……白いのが少し見えちゃってるよ。
私は急いで久遠ちゃんのスカートを元に戻す。それでも僅かの時間撮られたそれはきっと奈々ちゃんの持ってるカメラの中にバッチリ収められちゃってると思う。ほら、久遠ちゃんの目が奈々ちゃんを冷たく見てるよ。こんな事したら、一緒に居てくれなくなっちゃうかもなのに。
「奈々」
「な、なによ梓」
「さっきの映像、後で私にも頂戴。どうせ、アップする時にはカットするんでしょ?」
「そうなの? 奈々ちゃん」
「はぁ~。本当の年齢がどうあっても、久遠みたいな小っちゃい子でお色気を狙うのは炎上しかねないからね。あくまでも私達だけの記録ってわけ」
「そうなんだ。良かった」
「…………」
「久遠?」
「しばらく、家に来ちゃ駄目」
「えぇ! そんなぁ!」
「自業自得だよ」
「むぅ、そんな事言う梓にはさっきのシーンはあげないから!」
「ちょ、それはずるいって」
「梓」
「あ、うん。やっぱ要らないかな」
久遠ちゃんに名前を呼ばれて即座に諦める梓ちゃん。さっき奈々ちゃんが言われた後だから、機嫌を損ねたくは無いよね。
梓ちゃんが抱き締める手を緩めていたみたいで、そこから立ち上がって脱出した久遠ちゃんが私の隣に座る。梓ちゃんみたいに抱きしめたくは思うけど、我慢我慢。隣に座って、肩が触れるか触れないかの距離で一緒に居られるだけで十分に嬉しいから。
「美桜」
「?」
「今日、泊まって良い?」
「うん、良いよ」
昨日は奈々ちゃんの家。今日は私か梓ちゃんの家。久遠ちゃんが居なくなるかもしれないと思ったあの日から、確かに私達は久遠ちゃんと一緒に居る様になった。だけどそれは私達だけじゃなくて、久遠ちゃんも同じ。多分、1人で居るのが怖く感じているのかも。だから私は喜んで久遠ちゃんのお願いを受け入れる。……今日の夜は、久遠ちゃんを一人占め出来るんだ。
久遠ちゃんは奈々ちゃんと梓ちゃんに比べて、私に安心して近づいて来てくれている……気がする。奈々ちゃんは近づけば絡んで来るし、梓ちゃんも抱き着いてくるから、そういう意味でも何もしない私に安心してくれてるんだと思う。実際は嫌われたくなくて、何にも出来ないだけなんだけど。私だって抱きしめたいし、沢山くっ付きたい。だから自然に、何の違和感もなく一緒に居られるこの時間が好き。
「お風呂入ろっか?」
「一緒?」
「駄目、かな?」
「……分かった」
他に何もない静かな空間はどうしたってあの場所を思い出してしまうから、常に誰かが傍に居て欲しい。その気持ちが私達には分かるから、出来る限り一緒に居たい。狭い浴室だけど、一緒に頭も身体も洗って、更に狭い浴槽で私達は同じ方向を向きながらお湯に浸かる。この時は梓ちゃんみたいに抱きしめても文句は言われない。だって、そうでもしないと肩まで浸かれないから。
「暖かいね」
「ん」
「久遠ちゃんが一緒だと、凄く安心するよ」
「私も」
私より小さくて、肌触りだっていくら触れてても飽きないくらい気持ちが良い。お湯の暖かさと久遠ちゃんの温かさで身体の芯から心の芯まで癒される。ずっと、このままで居たいくらい。流石に逆上せちゃうから限界はあると思うけど……お布団でも一緒だから、そっちも楽しみ。
あの時の事を思い出したくはない。だけど自然と私達の中にはあの出来事が根付いていて、偶に思う事もある。もしもあの時、私達があそこから逃げられなかったらどうなっていたんだろう? って。あそこにいた子供達も人形の正体も、みんな死に際の思いを残して行動していた。もし私達があそこで死んでいたら、私は何を思ってあそこに留まる事になるんだろう。
――――――もし今私が幽霊になったら、きっと狙うのは
「美桜……そろそろ、出る」
「へ? あ、うん。そうだね」
一瞬、私の中に冷たい感情があった様な気がする。だけど久遠ちゃんがそんな私を引き戻してくれた。お風呂から出たらちゃんと髪を拭いて上げて、寝る時も一緒。同じ布団の中で何も言わずに手を握って、私達は自然とお互いを抱きしめながら眠る。
「お休み、久遠ちゃん」
「お休み、美桜」
まだ私は言ってない。奈々ちゃんや梓ちゃんの様に久遠ちゃんの事が大好きだけど、それだけじゃない事を。もしかしたら、2人もそうかもしれないけど……私が久遠ちゃんを愛してる事を。誰にも渡したくないし、出来るならずっと一緒に居たい事を。