兄を失い、人間を嫌い、外界の全てと関わりを絶った天族の少女に残されていたもの。それは形見といえる兄が身に付けていたものと、兄が拾って来た生き物だけ。怪我をしていたそれを拾って来た不器用な兄に代わって、少々面倒そうにしながらも世話をした少女は今もその出来事を鮮明に覚えていた。
少女の兄は妹を大切に思っていた。そして自身に関わる呪いから妹を守る為に、離れ離れになる事を決意した。そして生き物に妹が寂しがらない様、一緒に居て欲しいと頼んで旅立った。……その末に少女を待っていたのは、兄との死別。既に兄とは呼べない存在となってしまった事で、少女はその原因である穢れを。それを生む人間を嫌った。
兄を失って悲しみに暮れる少女は、自分を心配そうに見つめる真っ赤な瞳を前に強がって見せる。だがそれでも失った事に対する苦しさは誤魔化せず、それを察した生き物は自身に出来る全てを持って少女の心に寄り添い続けた。それが使命だったからでは無く、自分を助けて一緒に居続けたこの世界の家族とも言える存在だったから。
「……ワタシのペットな分際で、生意気よ」
少女はそう言って、寄り添った生き物を抱きしめる。柔い感触と暖かな毛並みを全身で感じながら、少女はこの場に他の誰も居ない事で涙を流した。そして少女はこれから誰とも接触せずに、誰とも関わらずに、唯一自分に残された
ハクがただの猫では無いと知る切っ掛けは少女にとって唐突だった。人とは違うが故に、食事も無理に取る必要が無かった少女。しかし普通に生きているハクは違う。食事をしなければ飢えてしまうのだ。少女はそれが分かっており、時折ハクが食料を求めて何処かへ出て行ってしまう事も知っていた。……だが兄が居なくなった事で、失う事の怖さを知った少女はハクが自分の元から離れる事を嫌がる。その結果、普段の様にフラっと外へ出向いたハクを追って彼女も外へ出る事にした。
「妙ね」
少女はハクの気配を感じながら、人間などの気配も警戒して歩いていた。もしもハクが人間から施しを受けているのなら、それはどんな手を使ってでも止める。そんな事を考えていた少女はふと、感じる気配が自身の知る小さなハクの気配では無い事に気付いた。まるで子供の様な、人型の様な気配。少女が知る限りハクは小さな動物であり、人型では無い。故に少女は違和感を抱いた。そして少女はハクを追った先で、木に登って枝に生っていた実へ手を伸ばす小さな子供と遭遇する。
「……もう、少し……」
「ハク?」
「!? ぁ……」
「っ!」
自分よりも小さな子供。何処かで見た毛並みの様に真っ白な髪に、印象に残る真っ赤な瞳。そうである筈がないと思いながらも少女が声を掛ければ、子供は驚いて反応すると同時にその体勢を崩してしまう。木から落下するその姿を見て、思わず持っていた傘を放って飛び出した少女は何とかその身体を受け止める事に成功した。
「……エドナ」
「……そう。貴女、ハクなのね」
「…………ん」
「説明してもらおうかしら、色々とね」
「……」
体勢のせいなのか、見下す様な目で告げた少女……エドナ。そんな彼女の様子に無言だったハクだが、やがてその静寂に小さなお腹の音が響き始める。それが誰のものなのかは考える必要も無いだろう。少々見下す瞳が緩和された時、ハクは思わず彼女から目を反らした。
「はぁ。まずはあれを取りなさい。それからタップリと聞かせてもらうわ。……覚悟しておきなさい。ご主人様に隠し事をしたんだから、唯じゃ済まないわよ」
降ろされたハクはエドナの言葉に少々震えながら、目的だった木の実を無事に手に入れる。そして住処へエドナと人の姿のまま戻ったハクは、そこで小さな段差に座って高い位置から足を組んで見下ろすエドナの前で正座させられる。因みに手に入れた木の実はお預け状態である。
「人間、とは違うわね。魔物でも無い。一体何なのかしら?」
「……私は」
ただの猫では無いと知られてしまったからには、隠す事等出来る訳も無い。エドナを相手に下手な嘘は簡単に見破られてしまうため、ハクはありのまま自身についての説明をする事にした。別の世界からやって来た事。変な魔物に襲われて危ないところをエドナの兄に助けてもらい、それから一緒に居た事を。……欲望を満たす相手を探して、自身の使命を果たす事を。
「……」
エドナはその話を真剣に聞き続けていた。不安の表れなのか手持ち無沙汰なのか、自身が愛用する傘を回転させながらハクの話を聞き切った時。エドナは組んでいた足を戻して立ち上がる。そして正座するハクの前へ立って、その姿を今度は明確に見下した。
「つまり、貴女はワタシを利用しようとしたって事ね。自分の使命とやらを果たす為に」
「……ごめん」
「謝って済む問題じゃないわ。ワタシ、とっても傷ついたもの」
そう言ってエドナは傘を閉じると、ハクの後ろ首へ傘を回す。そして少々力を込めて押せば、ハクは痛みに多少顔を歪めながらも前へ身体が倒れてしまう。そしてそんな彼女の頭上へ回ったエドナは、その顔を覗き込む様にしゃがみこんで薄い笑みを浮かべた。……その笑みは決して優しいものでは無い、まるで良いおもちゃを手に入れた悪餓鬼が見せる様な笑み。
「そうやって這い蹲りなさい。ペットはペットらしく、ワタシに尽くしなさい。一生を掛けてね」
その言葉が、笑みが語る。『絶対に逃がさない』と。ハクはそれに怯えながら、足が痺れている事と彼女から向けられる支配欲に身体を動かす事が出来なかった。嘗て家族を失ったエドナは失う事を恐れている。それが自身を利用していた存在だったとしても、共に居続けた時間は長い。……ハクが何時か世界を超えて何処かへ行ってしまう事を彼女は決して許しはしない。
「躾が必要ね。それと、お仕置きも」
「……エドナ」
「多少痛いかもしれないけど、我慢して受け入れなさい。これは罰よ。ワタシを騙した貴女のね」
再び傘を開いて言い切ったエドナの姿に、ハクは必死で考える。このままでは絶対に自身にとって良く無い事が起きるとハクは確信していた。だがそれに対する手段を考える暇すらもエドナは与えない。黙ったままのハクを見て、まるでその心を読み取ったかの様に彼女は口を開いた。
「考える権利があると思ってるの? ご主人様の命令には『はい』か『Yes』。それか『分かりましたエドナ様』と答えなさい」
「……」
「……言え」
「っ! ……は、い」
傘の先端をハクの額に宛がって低い声で脅す様に告げたエドナへ、ハクは言われた通りにするしか無かった。
こうしてエドナはハクがただの猫では無い事を知った。そしてハクの目的や何時か居なくなる事実を知った彼女は、ハクを躾けと称して自身に縛りつける為の日々を始める。永遠に自分の傍から離れられない様に、自分だけを慕って自分だけの為に生きる従順なペットにする為に。
ハクはエドナに奉仕する事を強要される様になった。彼女の傍から離れる事を許されなくなり、その代わりとして命令に従えばご褒美に食事が与えられる。それは本当にペットと飼い主の様な関係であり、唯一違う点を上げるとするならばエドナの命令が普通のペットに向けられる内容では無いという事だろう。
「そう、そのまま続けなさい」
「れろっ、んむっ……じゅるっ!」
山の中の石で出来上がった空間。そこはエドナとハクが普段過ごしている場所であり、今そこではエドナがハクに足を差し出していた。彼女の命令は『自分の足を舐めろ』というもの。ハクは心で抵抗しつつも、空腹から恥を捨てて彼女の足へ奉仕をする。……既に何度か同じ事を繰り返させられている事もあり、ハクの抵抗する意思は徐々に薄れてしまっていた。
「……もう、いい?」
「誰が勝手に止めていいって言ったかしら? 続けなさい」
「……」
差し出された足の全体を舐め終わった時、ハクの言葉にエドナは楽し気に笑みを浮かべながらも反対の足を差し出す。言われずともやらなければいけない事を理解させられたハクは、一度堪える様に目を閉じてから再び足へ奉仕を開始した。
それからエドナの足を両方とも無事に舐め切った事で、ハクは念願の食事を与えられる。だが普通に食べ物を渡して貰える訳では無い。取って来た生で食べられる木の実を手にしたエドナは、ハクの前でそれを齧って見せる。そして何度も繰り返し咀嚼をしてから、口の動きを止めた。既にこれも経験済みだったハクには何をすれば良いのかが嫌でも分かる。しかし抵抗がある様で、動けないハクを前にエドナは再び咀嚼して……飲み込んでしまった。
「ふぅ。……やらないなら、ワタシが全部食べてしまうわよ?」
「……」
そう言って再び実を齧ったエドナは咀嚼を始める。ハクは何度か躊躇する様子を見せるも、やがて我慢出来なくなったのだろう。エドナの元へ近づいて、彼女の口に自分を口を近づけた。そしてエドナから口移しで咀嚼された木の実を受け取り、それを食べる事で遂に食事をする事が出来る。
「んっ、ちゅ……」
「はむっ、駄目よ。んっ」
既に原型の無くなったそれを受け取り、何とか飲み込んだ事で離れようとするハクの後頭部を掴んだエドナがそのまま口付けを始める。そのままハクへ凭れ掛かれば、エドナはハクを地面へ押し倒しながら貪る様に口付けを続ける。彼女の持っていた傘が転がり、綺麗にハクとエドナの頭上で開いたまま静止する中で、静寂に卑猥な水音と荒い息遣いだけが響き渡る。
「はぁ……はぁ……エド、ナ……」
「まだ、余裕がありそうね。いっその事、一度壊してしまった方が良いかしら?」
一旦口付けを止めたエドナは地面に両手を突いて身体を離しながら、微かに乱れた様子のハクを眺めて告げる。誰かを自分の思い通りにする事を好む彼女は、まだ自分の名前を呼ぶハクの姿に抵抗の意思を感じていた。『もう止めて』。そんな思いの込められた声に、エドナはハクの懇願を無視して追い詰める様に
人間も生物も寄り付かない山の奥深くに助けてくれる存在は居ない。人を嫌う天族の少女に躾けられる事になったハクの旅は、こうして終わる事になった。