柏崎 星奈。とある学園で理事長をしている親を持つお嬢様として育って来た彼女は本当に何不自由の無い生活を送って来た。欲しい物は即日手に入り、面倒な事は彼女の美少女と言って余りある容姿に惹かれて群がる男達が熟してくれる。かと思えば本人も頭脳明晰で言われた事を熟せるだけの力があり、何かに困った事は無い。
端的に称して彼女は『苦労』というものを知らなかった。そしてそんな彼女に嫉妬する者達の目すら、彼女は気にもしなかった。
「ぐ、ぐぬぬっ……」
そんな彼女が悔し気に歯を合わせて唸る様な声をあげながら表情を押さえ込むその姿はやはり10人中10人が振り返る程の美少女である。
「どうしてこのあたしから逃げるのよ!」
場所は学園の端っこ。原因は彼女の目前に存在した。透き通る様な青い目に映るのは、対照的に真っ赤な吸い込まれそうな瞳をした白い1匹の猫。ジッと星奈を見つめるその姿はまるで彼女に見惚れている様だが、実際はただ単に見つめているだけである。
見つめ合い、睨み合う事数秒。星奈は一気に猫の元へと詰め寄った。彼女の目的はただ1つ。その気持ち良さそうな毛並みをもふもふする事。家で家族にでも話せば、即座に猫カフェやペットを飼って貰える事だろう。だが今、彼女は目の前の白猫を触りたかった。……しかし、彼女の行為が身を結ぶ事は無い。
「あぁ、もう!」
『……』
軽やかな跳躍と共に星奈の手から逃れた白猫は、彼女の頭を踏み台にして跳躍する。
「あ、あたしを踏み台にしたわね! いい加減にしなさいよ、ハク!」
『……』
怒りの声に白猫……ハクは非常階段の手摺りから無言の視線を向ける。
星奈がハクと出会ったのは今回が初めてでは無い。
始まりは数年前。まだ中学生で中等部に在籍していた星奈がハクを発見。同じ理由で捕まえようとしたのが出会いだった。取り巻きの男達がその姿を見ていた後、星奈の言葉で捕まえる様に指示されて群がり……見事に撃沈。思い通りに自分の元へ来ないハクに対して初めて悔しさを抱いた彼女は、その後もハクを捕まえようとし続けた。
「あたしが撫でてあげるって言ってるんだから、黙って撫でられなさい!」
「……嫌」
「ぁ……」
星奈が当たり前の様に告げ、その目が瞬き閉じた瞬間にハクは猫から人へと姿を変えていた。
既にハクの正体がただの猫では無いと知っていた星奈だが、その姿に彼女は一瞬固まってしまう。そして同時に高所から真っ白なワンピース姿で見下ろすハクに……見上げる事で見える純白の下着に目が釘付けになっていた。
「? ……っ! ……えっち」
「んふっ! うぇへへ……萌ぇ……」
「……」
見られていた事に気付いたハクが下を抑えて告げれば、美少女にあるまじき顔をする星奈の姿に向ける視線も自然と冷たいものとなる。
突然だが、柏崎 星奈に友達は居ない。その容姿から男達が群がると同時に、同性からは嫉妬の対象となってしまうのだから仕方が無いと言えるだろう。その性格も相まって、気を許せる同性の友達が彼女には存在していなかった。そしてそれは彼女が持つ数少ない悩みの1つでもあった。
女の子と仲良くなりたい。そんな思いから彼女が手を出したのは男性向けのADVゲーム。所謂ギャルゲーであった。美少女と仲良くなる事を目的としている内容なのだから、強ち間違ってはいないのだろう。だがその結果、彼女がその類の世界に足を踏み入れる事となった。恐らく、彼女の容姿に惹かれた男達も今の星奈を見れば離れるだろう……それ程までに、彼女の顔は崩れていた。
「ん、んんっ! 良いから、降りて来なさい!」
「……やだ」
「くっ。まだ好感度が足りないって言うの……? もう4年近く接してるっていうのに」
頭の中で想像していた好感度と現実が噛み合っていない事実に小さな声で呟いた星奈だが、人間以上の聴覚を持つハクには全て聞こえている。友達を作る勉強のつもりで始めたゲームの知識が、間違った形で彼女に影響している事は誰が見ても明らかであった。
「……私は、ゲームのキャラじゃ、無い」
「そんなの分かってるわよ。貴女はあたしの、あたしの……貴女って、あたしのなんなの?」
「知らない」
まさかの聞き返しにハクは首を横に振り、少し突き放す様な言い方で答える。そして猫の姿になると、今度はその場から去る様に姿を消してしまった。
1人残された星奈は考え始める。彼女にとってハクは数年前からこうして学園の端で出会って以降、気になって来る様になり、気付けばこうして交流を持つ様になった不思議な少女。
「友達になりたい……? いえ、違うわよね」
本来猫が侵入する事は良く無い事であり、ハクの存在が自分以外の者に知られると親や教師に知らされる可能性がある。過去には男子が目撃していた事もあり、星奈がここへ来るのをつけて来ていた者も存在した。その結果、教師たちが動き出そうとしたが……それを止めたのは他でも無い、星奈である。
「あの時は確か……」
『止めなさい! あれはあたしのよ!』
星奈はその時言った言葉を思い出して再び思案する。
「あたしの……あたしの、猫? 間違って無いけど、違うわね。友達、とも違う。……あたしはハクと、どうなりたいの……?」
そのまま考え込んでしまった星奈は予鈴が鳴り始めた事で焦り、急いで教室へ戻る事になった。
最初は愛でたいだけだった猫の存在が、気付けば星奈の中で大きなものに変わっていた。人に成れて話をする事も出来ると知ってからは、通い詰める様にもなっていた。
「友達になりたいと思ったのは間違い無いわ。でも、友達になったとして……何か違うのよね」
学園での時間が終わり、家だからこそかなりの軽装になった星奈が自室のベッドに倒れながら額に手を置いて天井を見上げて呟く。
彼女の頭の中に巡るのは、ハクとの関係性について。例えばハクと友達に成れたとして、どんな気分になれるのかを考え始めていた。……その結果、星奈が感じたのは『物足りなさ』である。友達では何かが足りない。自分のペットといってもやはり違う。
「思えば何時からあたしはハクを攻略しようとしてたのかしら……?」
星奈がハクとの時間で即座に参考にしようとしたのはギャルゲーの内容だった。それが友達作りの為の知識であると考えている星奈だが、それならばそこそこの好感度を上げるだけで問題は無い。だが少なくともそれなりの好感度を稼いでいる自負が星奈にはあった。少し冷たい当たりもあるが、ハクは確実に自分へ気を許している確信があった。
「好感度を上げて、更に上げ続けるとゲームの場合は付き合えるのよね。え? あたし、ハクと付き合おうとしてるわけ? そりゃ、人の姿に成ったハクを捕まえてぺろぺろしたりクンカしたりしたいと思った事はあるけど……え?」
今まで男の存在を見下して来た彼女に恋愛経験がある筈も無く、恋愛感情すら知らない星奈はその可能性に気付いて困惑する。そして思い浮かべるのは夫婦の姿。親や他の家族で見る夫婦の在り方はそれぞれだが、共通した関係は一緒に居るという事。学校での時間だけでなく、プライベートも全てを共有するという事だ。
「ハクと、恋人……夫婦……う、うふふ……ぐへへ……ハァハァ」
果たして彼女の頭の中でどの様な妄想が広がっているのか、それは誰にも知り得ない事である。しかし少なくとも彼女はその想像に嫌悪感を抱くどころか幸福感を抱いている様であり、翌日からハクに対する接し方が少々変わるのは言うまでもない事であった。