「むぅー!? んっー!?」
「無駄に騒ぐな。もう、おぬしはわしから逃げられぬ」
第五地域の棺桶。その中へ今正にハクは引きずり込まれようとしていた。
それは世界が危機に瀕するよりも遥か前のお話。新たな世界で欲望の対象を見つけるべく、彷徨っていたハクは第五地域へと迷い込んでしまった。薄暗く何処か不気味なその場所を注意深く進み続けたハクがやがて見つけたのは、これ見よがしに鎮座する謎の棺桶。今まで墓場の様なものはあれど、棺桶は一切なかったが故に目立っていた。
普通、棺桶を開けようとは思わないだろう。ハク自身も最初は開けるつもりなど微塵も無かった。しかし通り過ぎようとした時、ハクは足元に転がっていたガラクタを不意に蹴飛ばしてしまう。缶の様なそれはハクに蹴られて勢いよく転がり、大きな音を響かせた。途端、棺桶が僅かに音を立てて開いたのだ。一瞬驚くもその後は何も起きず、ハクはそこで気になってしまった。……そして隙間からその中を覗き込もうとした瞬間、棺桶が勢いよく開いて姿を見せたモンスター娘、ネフェリアに引きずり込まれてしまう。
「わしの眠りを妨げた罰だ。死ぬまで抱き枕になれ」
「離し、て……むぐっ!」
「うるさいぞ。んー、むにゃむにゃ。これは、良い抱き心地だな……すぐに、眠れ……そう、だ」
「!?」
棺桶の中は布団が敷かれており、ネフェリアはそこでハクを強引に抱きしめて眠りについてしまう。と同時に自動で棺桶が閉まり始めてしまった事でハクは必死にそこから出ようとした。が、結局は何も出来ないままに。ハクは彼女の棺桶に閉じ込められてしまうのだった。
ネフェリアはスケルトンのモンスター娘であり、第五地域を担当するエリアリーダーでながら基本的に惰眠を貪っている。自身の眠りを妨げた者には容赦しない性格だが、今回はハクを自身の抱き枕にする形でその罰を執行した。彼女の怒りに触れた者の殆どはその命を散らす。今の様に引きずり込まれれば、そのまま出る事敵わずに。引きずり込まれなければ、蓋が閉まる頃には目の前に屍が転がる様に。……だがハクは前者の罰に選ばれ、そして彼女は老いず空腹は感じても食べる必要はない身体である。
棺桶が閉まって数年後。ネフェリアは目を覚ました。棺桶を開けて久しぶりに外の景色を眺めようとした時、自身の腕で眠る少女の姿に気付いて目を見開いた。
「おぬし……人間じゃないな。だがモンスター娘でもない」
「んぅ……? ぁ……外……」
ネフェリアの声で目を覚ましたハクは外に出れると気付いて即座に飛び出した。彼女にとって幸運だったのは、眠る事が決して苦ではなく好きな行為だった事だ。数年閉じ込められた狭い空間で出来る事は、ネフェリアの腕で眠る事だけ。何度も目を覚ましては眠り、それを繰り返し続けたハクは遂に外へ出られた事で喜ぶ。
「待て」
「っ! ……もう、眠りの邪魔……しない」
「ふむ……」
呼び止められたハクはネフェリアから距離を取りながら告げる。一方、ネフェリアは自分が今の今まで抱いていた抱き枕の正体が気になっていた。そしてその抱き心地の良さと一生生きていられるであろう特性に魅力を感じ始めてもいた。人間を抱いても基本的には死に絶え、冷たくなってしまうのだ。最後には干からびて抱く事も出来ない。しかし目の前のハクなら、生きたまま永遠にその抱き心地の良さを感じられる。
「駄目だ、逃がさない!」
「!?」
ネフェリアはこれからの睡眠をより良いものにするために、ハクを逃がさないと決めた。しかしハクがそれを受け入れる筈もなく、彼女はネフェリアの元を必死に逃げ出す。
結局、ハクは第五地域を離れる事に成功した。その結果、長年使った抱き枕を失ったネフェリアの睡眠の質は極端に低下。徐々に眠れなくなり、彼女の苛々は募っていく。
……そして、数年が経った。
世界が危機に瀕した時、それを止めるために1人の青年とモンスター娘がおかしくなったモンスター娘達を元に戻しながら犯人を追い掛け続ける。第一地域から始まり、第五地域へとやってきた彼ら。そんな者達についてきたハクはそこへ入った瞬間、目に見えて怯え始める。
「ど、どうしたのハクちゃん!?」
「凄い震えてるわよ」
「……昔……ここに、何年も……閉じ込められた、から」
「閉じ込められたって、どういう事?」
ハクは質問に昔あった出来事を語る。第五地域のエリアリーダーが常に惰眠を貪る存在であると思い出した別地域のエリアリーダーや知る事になった青年達だが、それはもう何年も前の出来事。相手は覚えていないだろうとハクを安心させる様に告げながら、犯人を追って奥へと進んで行った。……そして、ハクはネフェリアと再会する。
最初に見つけたネフェリアは青年達の追う犯人に眠りを妨げられたと怒り狂っていた。頭にはおかしくなった闇堕ちの証もあり、最終的に戦う事で彼女を元に戻す事となる。そうして我に返ったネフェリアは青年たちに感謝するが、続けてその傍に居たハクに気付いて目を見開いた。
「おぉ、おぉ! 帰って来たか、わしの抱き枕!」
「っ!」
「抱き枕って、ハクの事?」
「あぁ。そやつを抱いて眠ると最高に気持ちが良いのだ。が、居なくなって以降はどうも物足りなくなってしまった。また抱かせてくれ!」
「ちょ! ハクちゃん!?」
「おぬし達はあれと共に行動しているのだな?」
「そうだけど……」
「ならわしもついて行こう。ここでなくても寝る事は出来る。必ずあの抱き枕をわしの手に取り戻そう!」
逃げ出したハクを前に、青年達へ仲間になる事を宣言したネフェリアは追い掛け始める。ハクにとっては散々な事かもしれないが、戦力が増える事実に仲間達は何とも言えない表情を浮かべるしかなかった。
それから宿屋に戻ったハクはネフェリアに捕まってしまう。だが彼女が棺桶には戻らないと知って、ハクの逃げる意思は弱まった。あの狭い中で眠る事しか出来ない事を嫌がっていたのだ。宿屋に寝床が移るとなり、ネフェリアの強い意思の元、ハクと同居する事に。それを知って一部のモンスター娘達が抗議した結果、ハクは自分の部屋を持たずに色々なモンスター娘の部屋を転々とする事になってしまった。
「はぁ~、やっぱこれだなぁ。老体に染みる~」
「……老体?」
「モンスター娘に年は殆ど関係ないが、人間の老人よりわしは確実に生きている。十分老体と言って間違いない」
「そう…………」
世界を巡り使命を果たす旅。一つの世界に何年も掛けている時もあり、ハク自身も自分の年齢を考えなくなっていた。今の自分は幾つで、戻った時に元の身体になったとしても果たして精神年齢は幾つになっているのか……ハクは恐ろしくなって考えるのを止める。僅かに身体が震えてしまえば、それを全身で感じたネフェリアは不思議そうに「大丈夫か?」と声を掛けて抱きしめる腕の力を強くした。
ハクが部屋を転々とする様になってから、彼女を抱き枕にするモンスター娘は急増する。ネフェリアが切っ掛けとなった事で彼女に感謝する者も現れる中、彼女は既に世界を救った後について考え始めていた。それは勿論、『どうやってハクを自分の管理する地域へ連れて帰るか』である。
「抱き枕になる事に拒否はされないが、棺桶の中は嫌という事か……わしの部屋をりふぉーむするしかないな」
不気味で怖い第五地域にある最も恐ろしいエリアリーダーの部屋が居心地のいい場所へと生まれ変わるのはまだまだ先の話である。そしてハクがこの世界を出ようとする時、ネフェリアが本気で止めに来るのはもっともっと先の話である。