※この作品はR-18です。

銃は剣より強し(番外)   作:尼寺捜索

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1と同様に移しました。


綴√ 2

 三年の冬、一輝は己の進路をKoK選手に決めた。

 元々興味のあるものだったし、何より根無し草の身で将来的に家族を十分に養えるほどの収入を得られる職がそこしかなかったのだ。

 

 破軍学園を卒業した一輝は二(・)回(・)獲得した《七星剣王》の称号を推薦状代わりにし、KoKの本戦に入るための予選参加権を手に入れた。

 

 KoK本戦がプロの世界と言うならば予選はアマの世界。

 だが、アマと言えど世界中からかき集められたその国を代表する者たちだ。

 世界的に見て日本の魔導騎士のレベルは高いものの、やはり七星剣武祭とは規模も質も違う。

 

 世界を驚かせた前代未聞のFランク騎士・黒鉄一輝の挑戦は瞬く間に有名となった。

 が、予選を全勝で進んだことで更なる注目を集めることになる。

 

 百に迫る対戦の全てに勝利した前例は同じ日本出身の西京寧音と滝沢黒乃の二人のみ。

 それだけでも充分だというのに無能力の代名詞であるFランク騎士が成し遂げたとなれば、世界が熱狂したのは当然のことだった。

 

 晴れてKoK選手となった一輝の下克上はまだ続く。

 

 本戦は百位まで格付けされた序列を十位ごとの階級に区切り、その中で総当たり戦を行い上位三名が上の階級に進めるというシステムだ。

 予選というフィルターを通過した本物の強者たち。その強者たちを糧にし君臨してなお成長し続ける世界序列上位者。

 

 それら全てを相手取らなくてはならない本戦の苛烈さは、却って一輝の活躍を期待させた。

 無能力者の新人だと言うのに一輝にかけられたオッズはなんと1.0倍。つまり元返しである。

 彼ならやりかねない。そんな畏れと愉しみを全世界が抱いた証拠だった。

 

 そして彼は実現する。

 

 一年を通した総当たり戦をただの一度も負けることなく勝ち抜き、堂々の十位にランクイン。

 開催期間がもう少し長ければ上位十位との総当たり戦に臨めたが、例年設定された期間に則り今期は十位に留まった。

 もしあと一ヶ月長かったら。誰もがそれを悔やんだものだった。

 

 最高峰の異能者たちを刀一本で斬り捨てた黒鉄一輝。

 その在り方に畏敬と敬意を払った世界が彼に与えた名は《不退の侍》。

 かの剣豪以来二度と付けられることはないと言われていた侍の称号。それが惜しみなく贈られたのだった。

 

 原初の悲願が達成された一輝は再び世界を驚かせる。

 十位に就いた祝いに開かれた記者会見で年単位の長期休暇を取ることを表明。獲得した栄光の座をいとも容易く手放してしまったのだ。

 

 我に返った多くの報道陣が次々とその理由を問いただす中、一輝は何も答えず壇上から降り自分を見守ってくれていた女性のそばに膝をついた。

 カメラを通した全ての人が理解した瞬間だった。

 静かに懐からビードロの箱を取り出した一輝は、その箱を開けて最愛の女性に差し出した。

 

「綴さん。貴女のことを愛しています。これからも僕の隣で僕を支えてください」

 

 口に当てていた両手をゆっくり下ろし、震える手で指輪を取った綴は左の薬指にはめた。

 ぴたりと収まった指輪を愛おしそうに握って一輝に応えた。

 

「喜んで。ボクも一輝君を愛しています。ずっとキミの隣にいさせてください」

 

 衆人環視の中、お互いのみを見つめ合った二人はそのまま口付けをした。

 

 世界中に見届けられたプロポーズはあらゆる紙面を飾って賑やかした。

 新婚生活と育児休業を兼ねた一時引退に不満の声が上がったのは確かだが、誰もが彼らの幸せを祝って復帰を心待ちにしたのだった。

 

 そして衝撃的会見の三年後、《不退の侍》はKoKに帰ってきた。

 三年連続欠席のペナルティにより八十位まで降格していたが、復帰したその期に再び十位に返り咲き、来期に遂に一位の座を頂いた。

 

 黒鉄一輝改め言ノ葉一輝は後の世に永遠にその名を刻んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 適度な大きさに誂えた私有の広場にて、二人の剣士は互いの霊装を構えて向かい合っていた。

 

 片や羽織と袴を着た大人の男性。

 長身痩躯だが服の下から覗く筋肉は逞しく引き締まっており、そのシルエットが無駄を完璧に削ぎ落としたからこそであると物語っていた。

 正眼に構える黒い日本刀は鋭くも柔らかな光を反射し、彼の生き様を体現するかのようだ。

 

 片や身軽な服を着込んだ少女。

 すらりと伸びた背に流れる一本に束ねられた黒髪がそよ風に吹かれる。

 生きる伝説と呼ばれるまで昇華した最強の剣士を前にして一切の揺ぎを感じさせない目線は母親の影を色濃く残す。

 近未来的なデザインをした柄から迸る碧のエネルギーブレードの長さは剣と言うより手槍と言った方が正しいか。

 名を《無間ノ構(クルーシブル)》。彼女の魂を具現したそれは虚空に己が光を焼き付ける。

 

「いつでも来ていいよ。君の全力を見せてくれ、一紗(かずさ)」

「はい!」

 

 威勢良く返事をしたと同時に少女・言ノ葉一紗が駆け出した。

 

 だがその表現は正しくない。彼女が踏み込んだ時にはすでに走行は終えているのだから。

 空中に取り残された光剣の残像が零の瞬間に間合いを駆け抜けた証拠だ。

 

 《無間ノ歩(グリマーストライク)》。それが少女が導き出した一つの結論。

 ごく単純に『短距離を素早く走る』ことを極め零に昇華した走法だ。

 ゆえに《抜き足》と違い、相手の隙に依存することなく虚を突ける。

 間合いという概念そのものを脅かしにくるこの技はあらゆる敵に対して脅威となる。

 

 これに一輝は微動だにしなかった。

 表情はおろか構える刀すら動かさなかった。

 反応できなかったのではない。

 彼もまた、すでに行動を終えているのだ。

 

 突然迫った剣先は見えざる壁に阻まれる。

 壁の正体は一輝の斬撃。ただ刀を一振りしただけだ。

 長きに渡る修練と闘いにより、遂に彼の振るう全ての剣術は敵を斬るのに時間を要することが無くなった。

 

 極限まで速いだけの剣こそ一輝を最強足らしめていた。

 

 火花が散ったと同時に剣先があらぬ方向へ向くが、一紗の切り返しも早かった。

 刀身が質量のない魔力であるゆえに《無間ノ構(クルーシブル)》の重量は羽のように軽い。

 通常の刀剣類では到底叶わぬ取り回しの良さ。それが即座の反撃を可能にする。

 

 加えその斬撃は零にこそ至ってないものの限りなく近い。

 結果、一呼吸の間に幾重もの斬撃が繰り出される。

 その様は刀身の残像と合わさりまさしく霹靂。

 

 並の者ならば歯も立たず切り裂かれていただろう。

 だが目の前にいる男は並ではない。

 世界の誇る超能力者たちが作り出す阿鼻叫喚の神話を剣術のみで斬り捨ててきた英雄だ。

 

 どれほど零に近づこうが、真の零には程遠い。

 刹那の遅れの間に幾らでも斬撃を割り込める。

 

 雷が捻じ曲げられれば男が一歩前に踏み出す。

 一紗が気圧されるように後退を余儀なくされ、そのまま形勢が傾く。

 加速度的に攻撃の手数が増えるが、それと同じくらい一輝が押し込んでいく。

 まるで一紗が速度を上げたから自分も上げたと言わんばかりの追従だ。

 どこまで上り詰められるか見るためにギリギリまで追い込んでいく。

 

 凄まじい量の擦過音が撒き散らされる中、ついに一輝に食い破られるかといったところで一紗の姿が掻き消えた。

 空に刻まれた雷光を辿れば間合いの外で息を整える一紗の姿が。

 《無間ノ歩(グリマーストライク)》による離脱である。一輝に徹底的に叩き込まれ、そして自身の類い希なる体幹と努力によりいかなる体勢からだろうと零を駆け抜けることができるのだ。

 

「さすがに速いな。簡単に逃げられる」

 

 一輝自身《無間ノ歩(グリマーストライク)》を体得していないため一紗の機動力に付いていけない。

 剣技に於いては一輝が遥かに優るが、身体の運動に関する事柄は全て一紗が上回る。

 

 一輝の素直な賞賛に、一紗は気の抜けた苦笑いを浮かべる。

 

「本番なら私が逃げた先に回り込んでくるんでしょ?」

「勿論」

 

 デタラメな父親に人生何度目かわからない呆れのため息を溢す。

 同じ土俵に乗れないのにどうやって追いつけるのか?

 カラクリは単純。《完全掌握(パーフェクトビジョン)》で思考を読んで逃げ先を予測するだけだ。

 予測出来たからといって追いつけるものではないはずなのだが、この男はそれを可能にしてしまうのだ。

 今回それをしなかったのは、この模擬戦が一紗の成長を見るためのものだからだ。

 

 それをわかっていながらしかし、一紗は強気の笑みを剥く。

 

「次、捕まえに来ていいよ。捕まえられるなら、だけど」

「虚勢じゃないみたいだね」

「すぐにその余裕ひっぺがしてあげる」

 

 言うや否や一直線に突っ込んで来た一紗。

 だが一輝は続く一撃をあっさりと斬り払ってみせる。

 今度は追撃することなく即座に離脱を図ったのを見て、一輝もすかさずその行き先を見通す。

 

 彼女に関する全ての情報を紐解き、彼女の心に通じている一筋の理を暴き出す。

 

 ───視(・)え(・)た(・)。

 

 それは驚くべきことに《無間ノ歩(グリマーストライク)》を三回連続で繰り出して、先読みされた場所から強引に離脱し続けるというものだ。

 前に手合わせをした時は一回走ると次に走れるまでに拍子を入れなくてはならなかったはすだが、短期間でその弱点を克服してしまったらしい。

 

 予想外の成長ぶりに舌を巻くと同時に、確かにこれは捕まえられそうにないと認めた。

 三回のダッシュの後に到達する地点を予測出来ても、そこまでの距離が現在地から離れすぎていて先回りすることが出来ないのだ。

 

 ……が、それは生身ならばの話。

 少し大人気ないと思うが、手を抜いて負けるというのもみっともない。

 ここは父の威厳をかなぐり捨てて師として威厳を見せつけよう。

 

 そんな言い訳を胸の中で呟きながら、容赦なく《一刀修羅》を発動した。

 

 碧の雷が二回屈折するのを尻目に目標地点に駆け抜け、ぱっと両腕を広げた。

 そして導かれたように突っ込んで来た娘と真正面から目が合う。

 

「えぇっ!?」

 

 確実に振り切ったはずの父が目の前で待ち構えている。

 軽いホラー現象に短く悲鳴をあげるがもう遅い。

 否応無しに胸に飛び込んだ一紗を柔らかく受け止めた一輝は意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「捕まえた」

 

 ぼふんと胸板に埋まった一紗がぬるりと顔を上げた。

 頰が思い切り膨れていた。

 

「能力を使うのはズルくない!?」

「そうは言っても、一紗も似たようなもんじゃないか」

 

 一輝の指摘に声を詰まらせ唇を尖らせた。

 図星を突かれると顔で不満を申す姿は綴にそっくりだ。

 

「私のは自分で何とかなるものじゃないから仕方ないところがあるもん!」

「じゃあ僕も生身じゃ何ともならなかったから能力を使っても仕方ないね」

「むぐぐ……!そこはほら、花を持たせるとこじゃん!父さんの意地悪!」

 

 べーっと舌を出す。

 悪かった悪かったとあやせば、つーんと顔を背けて離れた。

 いじらしい娘に微笑みを溢し《一刀修羅》を解除する。

 

「正直なところ、捕まえられたのは最初から逃げるとわかっていたからに過ぎないよ。三回もダッシュ出来るなら方向転換して攻撃に転じることもできるから、無闇に追いかけるのは下策になる。実戦の中で攻略するのはかなり厳しいだろうね」

「私もそう思ってるんだけど、父さん相手に通じるかな……」

「一回見ちゃったからなぁ。たぶんいけると思うけど」

「うわぁ……」

 

 娘に本気でドン引きされると割と心にくるものがあった。

 内心しょげていると「もっと走れるようにするかぁ……」という呟きが聞こえて、簡単に言ってくれる娘も大概だなと父親ながら呆れた。

 親が親なら子も子であった。

 

 高校に上がろうとする娘の姿に感慨深いものを感じ、しみじみと言う。

 

「一紗が寮に行く前に見れて本当に良かったよ。ちゃんと僕の言いつけも守ってくれてて安心した」

「そんなの当たり前じゃん。父さんは心配性だなぁ」

「君にとっては当たり前だとしても、他の子にとっては凄いことになんだよ」

 

 一紗は首を傾げてそうかなぁ、とぼやく。

 本当に綴によく似ている娘だ。

 

「じゃあ、そろそろ上がろう。もう少しで時間だろう?」

「うん。行く前にシャワー浴びてくる」

 

 とてとてと駆けていく背を見送っていると、ふいに長いポニーテールが横になびいた。

 振り返った一紗がにこりと笑って手を振った。

 

「行ってくるね、父さん!」

 

 破軍に進学する一紗は寮に入ることになる。

 そうなると家に帰ってくることが少し難しくなる。会いにいくのも同様だ。

 これが永遠の別れでもあるまいに、一輝の心に穴が空いたような感覚が湧いた。

 が、それをおくびにも出さず、優しい笑みを浮かべて手を振り返した。

 

「行ってらっしゃい。楽しんでくるんだよ!」

 

 一輝は、元気な返事を残して去って行った娘の背を見届けた。

 そこには娘の旅立ちを喜びながら寂しがる普通の父親の姿があった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

「お疲れ様。コーヒー入ってるよ」

 

 家に戻ると綴がリビングのテーブルについていた。

 隣の席に座った一輝にポットからコーヒーを注いだ綴が「一紗、どうだった?」と尋ねる。

 

「文句なしだ。元々僕が教えてやれることは少なかったけどね」

「喜んでたよ。一輝君に本気出させてやったって」

 

 ニヤニヤとからかってくる綴に肩をすくめてコーヒーを飲んだ。

 

「もう下手な手加減出来ないくらい強くなってるよ、一紗は」

「基礎しか教えてないんでしょ?それなのに?」

「だからこそ、かな」

 

 黒鉄の血を受け継いだからなのか、一紗のポテンシャルはとんでもなく高かった。

 零の体術を身につけても魔人に至ることはなかった。その事実が雄弁に物語っている。

 

 それを一紗が剣の道に歩むと決めた時に見抜いた一輝は、基礎が完璧になるまで決して剣術を教えてはならないと悟った。

 

 剣術とは、誰かが思考を搾り尽くして導き出した理。

 剣術を学ぶことはその理を自らに刻み込むことに他ならない。

 数え切れないほどの剣術を取り込んできた一輝はあらゆる理に触れて、渾然一体としながらも己の型に嵌る理を導き出して身に適用させた。

 

 それは耳に聞こえが良いが、実態は闇鍋そのものの危険な行為だ。

 なぜなら剣術を学ぶ道中で自分に合う理を忘れてしまう恐れがあるからだ。

 忘れるだけならまだ良いが、歪められてしまうと取り返しがつかなくなってしまう。

 一生サイズの合わない靴を履き続けるような違和感がある、と言えば伝わるだろうか。

 

 自身に合わない剣術は自身を滅ぼす。

 一輝は歪められることはなかったが、それは本当に運が良かっただけに過ぎない。いわば結果論である。

 剣術に派生する直前……つまり基礎の完成を迎えた時に自身の望む理が見えてくるはずだと一輝は考えている。

 

 己の剣術はあまりに混ざり過ぎている。

 それを無垢な一紗に教えてしまえば豊かな才能があるだけにグチャグチャに混ざった理を敏感に感じ取ってしまい、真っ白なキャンバスに泥を塗りたくるような凄惨な結果になるだろう。

 

 ゆえに一紗に一切の剣術を学ぶことを禁じた。

 当然実践も禁じた。

 代わりに徹底的に基礎を築かせたのだ。

 

 尤も、基礎を深めさせたら掘り進み過ぎてそのまま結論に達してしまったのだが。

 これは自身で発見した理に従って獲得した結果なのでむしろ本望だったが、改めて一紗の才能に驚いたものだ。

 

「今の一紗は自分で自分に合う理を見分けられる地盤が整ってる。そこまでよく一言も文句を言わずに付いてきてくれたよ」

「一度そう決めたら絶対にやり抜けって教えたからね」

 

 そう誇らしげに微笑む綴を愛おしむ。

 

 綴は己が親に約束していることをそのまま一紗に約束させた。

 それは自分に通じるものを持っていると直感したからであり、事実一紗は当然のことのようにその約束を守っている。

 

 綴と違ったのは身嗜みは言われずともやっていたことと、先見の明があってもゴールに突っ走ろうと思わなかったことだ。

 どうすれば最短の道を往けるかわかっていたし、一輝の指導が結果的には遠回りになるとも知っていた。

 それでも素直に言うことを聞いているのは、そっちの方がお得だと考えているからだった。

 

 答えがわかっている迷路をそのまま踏破しても何の面白みがない。

 そう思う一紗は、ならばそれ以外の道を知りたいと感じるのだ。

 本来なら味わえなかったものがそこにあると確証されているようなものだ。

 

 一紗は目的地に着くことよりも道草を楽しむような少女だった。

 

 ご飯の時に娘が座る席を眺めながら、

 

「一紗も十五歳かぁ。ボクらが結婚したのも十五年前。なんだか不思議だねぇ……長かったような短かったような」

 

 とぼやいた。

 

 一輝もその気持ちはよくわかる。

 最愛の女性と共に過ごす幸せを噛み締めていたはずなのに、ふとした拍子に時間が飛んでしまったような感覚に襲われる。

 

 もしかしたら次に意識を傾けた時にはもう十五年経ってしまうのではないか。

 娘の旅立ちに感じたものと共にそんな予感を覚えた一輝は、堪らず隣に座る綴の腰を抱き寄せた。

 綴は何も言わず体を預けて頭を一輝の肩に乗っける。

 その上に自分の頭も乗せ、腰に回した手を解いて綴の手に絡めた。

 

 こんな幸せな時間がずっと続いてほしいのに、不躾な壁時計は秒針に声高に時を早く数えさせる。

 

「もう少しゆっくり過ぎてくれればいいのに」

「しょうがないよ。キミもボクも少し急ぎすぎちゃったから」

 

 言われてみればそうかもしれない。

 まだ若い身ながら他の人より何倍も高い密度の日々を駆け抜けてきたのだから。

 

「……仕事、また休もうかなぁ」

「怒られるんじゃない?」

「だよなぁ……」

 

 世界序列一位の座は軽いものではない。

 座を空ける時は必ず奪われた時と決められている。

 決して私情で明け透けと捨てて良いものではないのだ。

 

 ぶっちゃけ人生二回遊んで暮らせる程度の金を持っているので世捨てすることも可能なのだが、それは一紗が多大な迷惑を被ることになるだろう。

 それに綴にふさわしい夫であるためにしょうもないバッシングを甘んじるわけにはいかない。

 自分が負けて仕方ないものは綴だけなのだから。綴以外の誰かに負けるようなことはあり得ないと決めたことだ。

 

 有名税って意外と鬱陶しいなぁと中学時代の自分に聞かれたら絞め殺されそうな悩みを抱く一輝だった。

 

「でも今日から三年は少しゆったりできると思うよ」

「ん?なんで?」

「今までは一紗のお世話もしてたけど、あの子は寮に行っちゃったから」

 

 するりと頭を抜くとにっこりと笑った。

 

「だから少しの間キミだけのボクでいられる」

 

 ぽかんと見つめた一輝はその顔のまま綴の胸元に倒れこんだ。

 そして子供が甘えるように腕を回した。

 

「……僕、仕事頑張るよ」

「ふふっ。キミは単純だなぁ」

「そう言う君だってちょっと恥ずかしがってるでしょ。鼓動が早いよ」

 

 余計な口を黙らせるために頭を抱きしめた。

 むぐっとくぐもった声が漏れたが全然嫌そうじゃないのでそのままにした。

 

 そんな様子を眺めていた壁時計が仕方なさそうに秒針のねじを少し締めた。

 しばらくはゆっくり進みそうである。

 

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