では第九話です!宜しくおねがいします!
寝覚めは最悪だった。
朝起きて、食事を取り、結衣と挨拶を交わして駅へと向かう。平日毎日行っているはずのルーティンワークすら気怠さを覚えてしまうほどだった。
駅のホームで電車を待っていた。
出向先に向かうため、いつもとは違い東京方面ではなく、生まれ育った千葉方面だ。ホームでは既に多くのスーツ姿の男女や制服を着た学生たちが規則正しく黄色い線の内側で整列している。携帯で友人と連絡を取る者、カバーに包まれた紙の文庫本を取り出して読書をする者。ここにいる人間を区別するには外見でなく行動で判別する他無い。他の人間からしてみれば自分はどう写っているのだろうか。改めて日本人の右へ倣え精神は常軌を逸していることを自覚した。
鬱屈した時は非常に周りの情景に目が行き情緒的になってしまう。
故郷に向かうはずの道のりが、ここまで重苦しくゴルゴダの丘へと向かうような心情になるとは自分でも意外だ。
昨晩、これ以上無いほどの深い愛の交わりを結衣と行ったのにも関わらず、心中は陰惨としている。
原因は勿論、その結衣だった。
就寝前、結衣に雪ノ下さんが仕事場に現れた事を伝えると、流石にその晩の結衣の表情は優れなかった。自分も告げるタイミングを間違ってしまったと後悔した。目が冷めたら何かしらのフォローを入れておかねばならないと思い目を閉じて明日に備えたはずだった。
ところが、翌朝には結衣はその事など知らないかのように明るく振る舞っていたのだ。あまりにも元気なおはようの挨拶に熱いキス。珍しく美味な朝食。不審な点をあげるとしたら枚挙に暇がなかった。
目まぐるしく変わる移り変わりに動転し、気がつけばスーツを着て玄関の外に送り出された後だった。
これを果たして切り替えの早さと言っても良いものなのだろうか。愛する妻の顔が幸福に満ちていることは喜ばしいことであるはずだ。
だが、豹変とも受け取れる彼女の態度に背筋が凍りついてしまったというのが正直な感想だった。今朝の彼女は笑顔の背後に、雨に濡れた儚げな少女のような危うげさが見て取れた。だが、指先で触れると、消えてなくなってなくなってしまいそうな存在の希薄さに反比例するかのように彼女の声は強くその在処を主張する。
解せないのは、それほどまでに印象的だった彼女の表情が頭の中では非常に空疎であることだった。俺は今、駅のホームで人々を家畜のように詰め込んだ鉄道を待っている。自宅から出発してまだ一時間とも経過していない。それなのに、比企谷・・・いや、由比ヶ浜結衣という女性の記憶の断片が緩やかに剥がれ落ちていくような感覚に襲われている。そしてその隙間を埋めるように別の女性の記憶と思い出が上塗りされ、焼き付されていくように。
早く電車に乗りたかった。雑踏の中でただ呆然と立ち尽くす毎に自分の中の結衣が別の誰かに入れ替わってしまうような気持ちになる。
そして、あたかもそれを喜々として待ちわびている自分が最も理解できない。頭の中で響く声は、明るく光を照らすような少女のものではなかった。もっとお淑やかで風に吹かれると消えて無くなってしまいそうな、果敢無い少女のものに思える。
ほどなくして頭のなかに響いたのは幅のない男性の声だった。それが駅の場内アナウンスであることに気づいたのは、電車が停まり目の前の扉の中から乗客の塊が解き放たれた時だった。
群衆は扉の前に棒立ちとしていた自分を瞥見しながら降りていった。慌てて袖に逃げるように立ち退く。降りた数よりも遥かに多い数の乗客が一斉に電車の中へとなだれ込む。自分の力で歩かなくとも、自然と追いやられるように押し込まれた。雑踏の中から上を見て、余っていた吊革を藁にもすがる思いで掴んだ。何度も脚を踏まれたが気にならなかった。こんなものは社会人の日常の一部として享受すべき事だ。
間もなくして、ドアが閉まった。想定以上の人間を詰め込んだせいか中々発車しない。普段なら、苛立ちをおぼえるだろうが、気持ちの整理が落ち着かないまま駅にたどり着くことは避けたかったので寧ろ感謝の意を述べたい。
そんな願いも束の間、慣性で身体が右に流れた。また脚を踏まれた。
走行中、景色に目をやる心の余裕は無かった。結局、目的地に到着するまで、車内の天井から吊るされた、最近流行りの若手女優がイメージキャラクターとなっている転職サイトの広告を虚ろな目で見ながら、今朝の結衣と頭の中に住む輪郭の見えない少女の事を交互に思い浮かべるだけだった。
駅に到着するとこれまた夥しい数の乗客がバケツを引っくり返した水のように一斉に流れ出た。急流の流木の如く身体をぶつけながら流れに乗って下りの階段の元へと向かっていく。
降り口は複数あるものの幸い改札口は一箇所だけだった。思いの外、つつがなく目的地にたどり着くことが出来た。智佐吹さんの不明瞭なメモ書きに躍らされることも無かったな。メモ書きに書かれていた改札口近くのコンビニは確かに改札を出てから直ぐにあった。仕事の待ち合わせ場所としてどうかとも思われるが、意外にも場所が広く駅の中では最もわかり易い場所であることは頷けるから文句のつけようがない。
智佐吹さんからの説明によると迎えには雪ノ下さんが来るということだった。昨日の夜の時点で、ショートメッセージで自分の携帯電話にも『明日のデートよろしくね〜☆』と連絡が入っていた。プライベートであれば返信を躊躇ってしまうような内容ではあるものの、仕事の連絡だからそうもいかない。少しだけ間を置いてから返信しておいた。
携帯電話を取り出して通知の有無を確認した。まだ雪ノ下さんからの連絡は入っていなかった。時刻を確認してみると9時30分か。約束の時刻は10時なので、かなり早めに到着している。連絡が来るはずもない。
本来はもう少し家でゆっくりしてから家を出る予定だった。しかし、結衣のこともあって、どうにも一緒に居ることに居心地の悪さを感じてしまったので早めに出ることにしていた。
住み慣れた場所から離れ、一人静かに人海の中で浮いたように待っていた。無人島に流れ着いた漂流者のようだ。そのおかげもあってか一人の時間が作られ、徐々にではあるが冷静さを取り戻すことが出来た。もう、昨日のように雪ノ下さんの登場や会話で動揺をすることは無いだろう。会ってから直ぐにでも仕事のスイッチを入れることが可能に思えた。
ふと、携帯の着信音が鳴った。着信名は『雪ノ下陽乃』と表示されている。応答のボタンをタップし、携帯を耳に当てると溌剌として、耳障りな女性の声が聴こえてきた。
『ひゃっはろー!比企谷君』
「おはようございます。私は集合場所に到着いたしましたが、雪ノ下様はあとどのくらいでいらっしゃいますか?勿論、お急ぎにならずとも問題ありませんが」
『えー!?早すぎない!?なんかゴメンね…。想像以上に現地入りが早かったよ』
「いえ…。こちらの事情もあり、早めに出発した事もあったので」
『そっかそっか。あと、ゴメンついでなんだけどさ〜…。今日行けなくなっちゃった!』
「え、それは本当ですか?」
やったZE☆でも、それはそれで困るなぁ。初対面の人が迎えに来るということなんじゃ・・・。
『…なんか、比企谷君嬉しそうじゃない?』
「とんでもない。誠に残念です」
声色でバレたのだろうか。一応形だけでも取り繕っておく。
『・・・。まぁ、いいけど。それでね、代わりの人なんだけど、既に決めてあって、もうそっちに向かわせてあるからさ。5分もすれば現れると思う!』
用意があまりにも良いな。この人、元から来る気なかったんじゃないかと懐疑的になってしまう。
「そうですか。因みに代役の方の名前や外見の特徴とかを教えて頂けるとありがたいのですが」
『あーそれね。比企谷君、その人と初対面じゃないと思うから別に言わなくてもわかると思うんだよね〜。誰だと思う〜?』
「なんでスペシャルゲストみたいな風になってるんですか…」
この人のあまりのマイペースさにこちらも思わず、総武高校時代の口調に戻ってしまった。あと、スペシャルゲストクイズに乗るつもりは毛頭ない。
『と〜に〜か〜く!そういうことだから。じゃ、後はよろしく!期待してるよ、比企谷君』
通話が切れた。
言いたいことだけ言って切っちゃったよ。え、どうすんの?俺仕事で来てるんですけど。ここまで、放任なのなかなか無いよ?
とはいえ、ぶーたれてもどうにもならないので、仕方なく切り替える事にした。資料は人目もあることから堂々と読むわけにもいかなかったので、文庫本を取り出して読みながら待った。しかし、開いてみたもののどうにも落ち着かない…。せっかく開いたライトノベルも1ページ読んだだけで閉じた。
因みに読んでいたのは死んだ魚の目をしたぼっち高校生が美少女二人と共にお悩みを解決していく物語だ。そんな現実がもし自分に起ころうものなら一度くらいは体験したいものだ。
本を鞄にしまった後は、行き交う人々を観察してみることにした。なんだかんだで人間観察の趣味は学生時代の頃からの趣味の一つと言っても良いのかもしれない。暇さえあれば道行く人の背景を勝手に想像してみるなんて事をやってみたくなる。
というわけで混雑を注視してみた。老若男女、私服であったり、ビジネススーツだったり。因みに夜にスーツの男女が夜の駅前で盛り上がっていたら多分新入社員。
その中でふと背の高い女性が目に入った。服装は黒一色で長ズボンを穿いている。足が長く、モデルと見間違うほどの圧倒的存在感を放っていた。当然のことだが道行く男たちが軒並み振り返っている。中には話しかけようと後戻りする者もいたが、女性が早歩きで移動している為、断念したようだった。いや、そこは頑張って追いかけろよ!と言いたい所だったが、ナンパ師の芦間(勿論嘘だが)曰く、歩くのが早い女性は成功率が低いらしい。
一体どんな女性なのだろうか。気になって顔を見ようにも上手いこと顔が隠れてしまっていて、よく見えないな。髪は黒くて長い。毛先まできちんと手入れされている。その姿は段々と大きく、鮮明になっていく。
…てなんかこっちの方に近づいてないか?
…。
…………。
………………。
俺は夢でも見ているのだろうか。
彼女の顔を見たその時、自分の世界が止まった。
その女性は俺が良く知る人物だった。
俺は彼女と数年間会っていなかった。
逃げるように別れを告げたあの日から。
彼女はあの時と何も変わらなかった。
俺はその長くてきれいな黒髪が好きだった。
その凛々しくも澄み切った眼が好きだった。
表では強い生きる女性であるところを見せながらも、本当は少女のような不安定な弱さを内に秘めた彼女が好きだった。
彼女は今朝、自分の記憶の中にいた儚げな女性によく似ていた。
いや、その女性そのものだった。
心の中にかかっていた靄が晴れていく。
馬鹿馬鹿しい。
靄をかけていたのは自分自身ではないのか。
会えなくなってから、何度彼女の事を思い出しただろう。
会えなくなってから、何度彼女の事を忘れようとしただろう。
会えなくなってから、何度彼女との未来を考えただろう。
パンプスの靴音が大きくなる。
彼女の影がこちらに緩やかに伸びてくる。
何かに取り憑かれたかのように身体が動かなかった。
彼女は目の前で立ち止まった。
目が合うと、その美麗な口元を僅かに上げた。
雑踏の騒音をかき消すほどの心の鼓動が聴こえてくる。
「比企谷君」
「雪ノ下…」
その女性…雪ノ下雪乃はあの時、憧れたままの可憐さであった。
人並みの中に二人だけが取り残されたような孤独と、長く忘れていた高揚が湧き上がってきた。
撫でるような風が雪ノ下の髪をなびかせる。
美しい黒髪が光をまばらにちらつかせその姿を輝かせた。
その顔を見つめる度に、彼女を想う度に、考えてしまうのだ。
あの時、俺は間違えてしまったのでないかと。
(第一部完)
これにて第一部終了です!
とりあえずまずは序盤書ききった…(;^ω^)
これからの展開も既に決まってはいますが、ゆっくりとお待ち頂ければ幸いです。
来月以降は週6日の勤務になり、更新は遅れるかと思いますが週一ペースはなんとか守るとルールを設けて頑張りますのでよろしくお願いいたしますm(_ _)m
次回からは第二章ということで少しだけ期間を開けてから投稿いたします。一週間〜10日くらいは二章を書き溜めておきます>< まだ8000字くらいしか二章書いていない(泣)
では次回もまたよろしくお願いします!