20区、喰種対策局支局へ――本局から11区特別対策班の指揮官が到着した。
本局は11区で活動が活発な、
各支部から
出迎えに向かう篠原幸紀と鈴屋什造。什造は11区特別対策班の指揮官、まだ見ぬ人物へ純粋に疑問を抱く。
「指揮官ってエライんです?」
篠原は何とも言えない表情で、エライから噛み付いたりしないよう、子供へ言い聞かせるように話す。什造は噛み付かなければ、何かしてもいいと解釈でもしてそうな表情で返事をし、篠原は頭をかきながら、到着したであろう指揮官へ挨拶する為、什造と共に部屋へ入り声をかける。
「うっす。丸ちゃん元気そうだね」
「よーう」
待ってたぜ。部屋に入って来た篠原へ、友達のような気軽さで、声をかける特別対策班指揮官。丸手
嬉しそうな丸手に、少し呆れているようで困惑する篠原。作戦の指揮官。うまくいけば役員入りできるかもしれない。そう語る丸手は篠原とは対照的で、我が世の春と言わんばかりの表情だ。
「そういや、ヘマしたんだってな篠原ァ」
「勘弁してよ……丸ちゃん」
篠原がオークションで、男娼を買ったという、喰種対策局本局では笑い話として噂が立っている。ヘマをした部下を救う為、局に借金をして、オークションで競り落としたという武勇伝。職業柄、暗い話が多い喰種捜査官達にとって、明るい話題である為、馬鹿にしている意味ではなく、ある種尊敬の混じった笑い話として。
「で、庇った捜査官はそいつか?」
「ああ、鈴屋だ」
「どーもォ」
ふてぶてしい態度で什造は返答する。そんな什造に対して、丸手は和修総議長肝いり人事で入った奴かと、昔に思いを馳せる。考えるような仕草で目を瞑る丸手。過去にも例があるのだ。有馬貴将という若き天才もそうだった。喰種捜査官である彼にとって、感慨深いモノがあるのだろう。
考え込んでると思えば、丸手は和修家に対する、陰口のようなモノまで言い出す。和修家に対して含みがある丸手。対策局を創設した和修家は、ある種、聖域。
「おい、マル」
「わーってるって。ここだけの話だ。それにしても……」
「?」
丸手は什造をじっと見つめる。
「ちゃんと
からかうような顔で、丸手は什造に絡む。什造を庇うように、篠原は丸手へ視線を向け――
「マル」
咎めるように丸手へ言葉をかける篠原に対し、丸手は声をさえぎるように話す。
「今回の作戦は」
俺史上最もデカいヤマ。ヘマはできない。丸手は真剣な表情で、什造の前に出た篠原に語る。
「いいか、俺も
ある事件を境に局を辞めた者を、タマ無しと揶揄する陰口が、局内で叩かれる事がある。とある作戦の陣頭指揮をしていた丸手にとって、経歴に傷が付く瞬間でもあった。
「期待してるぞ?」
「ハァ?」
期待していると、什造の肩を叩く丸手。てっきり、和修家主導の人事故に、いびるのかと思っていた篠原は肩透かしを食らう。何が何だかわからない什造だったが、とりあえず褒められているという事だけは伝わっているようだった。
「そういや真戸は?」
「ああ――」
ようやく許可が下りてね、12区へ亜門と共に潜入捜査中だよ。12区に居る喰種が、11区のアオギリと組んでなきゃいいんだけどね。と、篠原は東京に住む人間の一人として、最悪の想像を零す。丸手は頭をかきながら、そうだな、と、ただ一言だけ言葉を返す。
◇◇◇
12区、世田谷。ここは喰種捜査官にとっても、普通に暮らす人々にとっても特殊な場所だ。12区住民以外は、修羅の国だ、現代の赤線だと
アダルト産業という人類史において、切っても切れない産業。日本におけるアダルト産業、規模は20兆とも30兆円とも言われるモノの中心地。いまだに成長し続ける市場は、インターネットの普及と共に国境を越え、更に拡大していく。
世界のアダルト産業が50兆規模と思われるのだから、その規模の大きさは日本経済どころか、世界規模で無視できない。
経済界にすら手を伸ばしている者達。12区という存在は、ここ十数年で劇的な成長を遂げた。まるで戦後における日本経済のように、ある事件を境に彼らは世界経済にすら影響を及ぼす存在になったのだ。
そんな12区だが、手榴弾どころか、戦車の砲弾が落ちていたりするし、駅周辺は援やらサポやらで賑わう。明らかに治安がいいとは思えない。
だが、治安が悪いかと言えば、性的に治安が悪いだけで、その他犯罪は、頻繁に起こらないらしい。揉消しているのか、本当に起こっていないのかは、実際に住んでいる者にしかわからない。
高級クラブや、風俗店、ヌキ屋、様々な店を政府高官、警察官僚ですら利用している事実は、上流階級で知らない者は居ない。政府が公認する、カジノを建設する予定があるという噂すらある。もしかすると、経済特区として利用するつもりなのかもしれない。
裸で寝ている男や、痴女のような格好で歩いている女性が嫌でも視界に入る。喰種捜査官である亜門鋼太朗は、捜査の為世田谷に来ているが、少々面食らっていた。書類で見るのと、実際にこうして来て見るのではやはり違うと。
仮装パーティでもしているのかと言う位、様々な格好、人種の人々が闊歩し賑わう。本当に日本なのか疑うほどに、日本人より外国人が多い。ハロウィンはとうに過ぎているし、特別な催しがある訳でもない。彼らは普段通りの生活をしているだけだ。
スラム街を連想させるような、散乱するゴミ、眼つきが悪い人々。喧嘩でもおっぱじめそうな様相だが、不思議な事に大人しい。荒くれ者に見えて、実は紳士なのかもしれないし、見た目どおりかもしれない。実状は住んでる者にしかわからない。
「真戸さん……」
「……相変わらずの肥溜めだ」
過去、12区浄化作戦に参加していた真戸呉夫は、忌々しそうに表情を歪ませる。結局、彼の妻を強姦した人々は捕まっていない。政府には作戦を無かった事にされた。あの時、事実上政府は12区に敗北したのだ。蒸し返すような真似は慎めと、言外に言っているようなモノだ。真戸は何の為に戦っていたのか、妻は何を守る為に戦っていたのか。やるせない気持ちと、やり場の無い感情が当時の真戸を責め苛んだ。
仮に復讐心に駆られ――ここで騒ぎを起こそうなら、政府どころか、喰種対策局も庇ってくれないだろう。犯罪者達の鳥籠を、壊す事を良しとしない公安が噛んでいるらしい。この潜入捜査も、ようやく許可が下りたくらいだ。けして問題は起こすなと、あくまでアオギリの樹、喰種組織の実態を探る為だと。喰種対策局総議長――和修常吉が念を押しての許可。
真戸はかぶりを振るう。駄目だ。捜査に私情を挟んではいけない。
だが、実行犯達の手掛かりを掴みたい。捕まえるのが無理だとしても、自宅で療養している妻へせめて――そんな感情と、蒸し返し、妻の傷口をえぐるような真似もしたくはない。二律背反が真戸を苦しめる。複雑な気持ちで彼は、潜入捜査に望んでいた。
亜門は何とも言えない表情で、辺りをうかがいながら、不思議に思う。自分達と同じように、普通の格好をした人々も存在する。まともそうに見える者達だが、亜門が思っているような人々ではない。彼らは他所から来た観光客のようなモノだ。性ビジネス目的で、ここへやって来ているに過ぎない。中には出稼ぎに来ている外国人も混じっている。
様々な国の犯罪組織が絡んでいそうな場所。12区に馴染んで居る者以外は行方不明になっている。喰種とヒトが手を取り合って犯罪を犯す場所だ、だいたい想像がつく。
「あれは……」
亜門が視線を向ける場所には、婦警らしき女性が、マフィアのような格好をした男の股間に、銃口を突きつけていた。
『
『
両者共外国人で、日本語を話していない。スラングなのだろう。多少外国語がわかる程度の亜門には、理解できない内容。男が罵るように言葉を吐いた瞬間、婦警が発砲した。ヒトがヒトを当たり前のように撃つ。銃声が響いたにもかかわらず、道行く人々は気にも留めない。日常茶飯事だというのだろうか。
とんでもない光景を見た亜門は、真戸へ視線を向けるが、首を振るだけ。
関わってはいけない。あくまでアオギリが、12区の喰種と繋がっていないか調べる為の潜入捜査だ。人間は管轄外。仮に警察へ抗議しても、まともに取り合う事すらないだろう。そもそも、婦警が本当に警察官なのかどうかも怪しい。そういった行為が黙認されている場所でもある。
婦警が携帯で何処かに通話している。すると、すぐさま白いワゴンが到着し、清掃員のような格好をした者が、股間を拳銃で撃たれ瀕死で呻いている男を慣れた手つきで車内へ運ぶ。真戸は、清掃員が喰種だと直感的に看破したが、触れない。アオギリとは無関係だと、わかるのだろう。
そこらじゅうで喰種が、我が物顔で闊歩しているような場所を、想像していた亜門。
それは間違いだった。
ヒトが当たり前のように、他者を害そうとする。恐らく
法治国家である日本で、こういった暴力も唯一許される場所。それが12区だ。なるほど、まともな人間は、12区へ足を踏み入れないのだろうと、亜門は痛感する。
別の場所を見遣れば、浮浪者のようなヒトが拳銃で喰種を脅していた。拳銃ごときで怯える喰種。普通ならば逆だ。ヒトが喰種に怯える事があっても、喰種がどこをどう見ても、普通の人間に怯えるなど考えられない。
疑問に思う亜門だったが、すぐにその疑問が氷解する。喰種の身体に、何かが貫通したよう跡が付いている。普通の銃弾では傷など付かない喰種。その皮膚に銃痕がある。
どこから入手したのかは定かではないが、喰種捜査官ですら気軽に使えない、特殊な弾丸を所持しているという事実。それでも亜門は浮浪者を庇おうとクインケを展開し、現場へ向かおうとする。真戸は亜門の肩を掴み、止める。
「……亜門君、待ちたまえ」
「しかし……」
待ったをかける真戸へ、今にも喰種へ向かいそうな亜門。もう少し様子を見たほうがいい。真戸は亜門を諭すように、静かに語りかける。仕方なく様子をみる亜門。聞こえてくる話し声。
『馬鹿な……たかが
『
12区に喰い場という概念は存在しない。人間のように、金銭を払えば店でいつでも食べられるからだ。ヒトどころか喰種を置いてある店すらある。
それに、好き勝手に食べるのならば、専用の場所もある。金銭を払う必要も無い。
『……ハッ、どこで誰を喰おうと俺の勝手だろ!』
どうしてもこの喰種は、浮浪者を食べたいらしい。怯えから一転、激高するように捲くし立て始めた。おそらく最近紛れ込んだ他所者。しかも人の話を聞かないタイプだ。
『そうかい。じゃあ、兄ちゃん、小遣いになれや』
亜門は制止されているのにも関わらず、ヒトを守る為、喰種へ攻撃しようとしたのだが――
既に浮浪者が喰種へ銃弾を打ち込み、喰種を始末していた。順応できない喰種は、こうして淘汰されていくのだろう。浮浪者は、どこかへ連絡をとり、黒いワゴン車が到着する。ワゴンから軍服姿のヒトが現れ、喰種を回収し、浮浪者へ敬礼しながら金銭を渡していた。浮浪者は嬉しそうに繁華街へと消えていく。
ここは、喰種すら気軽に近付けるような場所ではないらしい。
12区は、好き勝手に振舞ってもいい。
だが、不用意に誰かを好き勝手に喰おうとするのなら、自分が
――まるで犯罪者の蠱毒。
亜門は、喰種が喰種捜査官以外に駆逐されている光景を、唖然としながら見ていた。何なんだ、ここは。喰種捜査官という存在を、ある意味否定しているかのような、なんとも言い難い感情が亜門に広がる。真戸に肩を叩かれ、クインケをしまうよう言い渡されるまで、亜門は愕然と過ぎ去っていくワゴン車を見つめ続けていた。
「……酷い場所だ」
小さく零す亜門に同調するように、無言で頷く喰種捜査官二人組。彼らは局長からの増援。正義感の強い亜門と、捜査前に意気投合。人々を喰種から守る為に捜査官になった者達。
そんな彼らにとって、12区は異様というより、受け入れる事ができない場所。ただ無感情に辺りを見ている。
実は喰種に憎しみを持っている者達なのだが、亜門は彼らの事情なんて知らない。短いミーティングで、わかり合う事なんて、まずあり得ないし、初対面で過去や、事情など話したりしない。
仮に喰種が
ヒトが心の奥底で隠している感情。ソレを他者は絶対に知り得ない。
真戸は三人を静かに見ていたが、何事も無かったかのように再び歩き出す。歩みを再開する真戸に続き、亜門や、増援二人組は12区を歩みを進める。
亜門の眼前でサポ募しているJKらしき
昼休み時、飯よりセックス。何者かに感化されているのか、この地区に住んでいる人間は皆、性的なのだ。昼間から酔っ払っている中年は、少女の腰に手を回し、いやらしい笑みを浮かべながら交渉している。亜門は思わず視線をそらす。こんな場所が許されていいのか。政府は何故放置している。
「何だ……あれは」
ふと、亜門は人だかりへ視線を向ける。
下半身を露出した男性が多数、一生懸命に腰を振っている。神父のような格好をした男。僧が着る様な袈裟姿の男。目の部分すら網目になっており、全身を覆うような布をかぶる男。皆股間をさらけ出し、とある方角を向きながら、豊満な体を惜しげもなくさらけ出す女性達を犯し続ける。神に祈るように、彼らは皆真剣な表情をしながら。
彼らはここ十年程で急激に信徒を増やした新興宗教の者達。見つめ続ける方角には住宅街がある。犯されている女性と亜門は目が合う。蠱惑的な瞳が彼をどこか遠くへいざなおうとする。彫りが深い南米系の美女が浮かべる微笑みは、亜門の男性部分を惑わせる。真戸に肩を叩かれるまで、亜門は呆然と彼らの営みを見つめていた。
亜門も真戸も理解できないと、かぶりを振るう。腰を振り続ける彼らが見つめる方角、住宅街には12区住民にとって無視できない、ある存在が住んでいるのだが、ソレを察しろというのが無理というモノ。
亜門や真戸は歩き続ける。増援二人もついていく。立派な門がある建造物を見つめ、真戸は歩みを止める。
「真戸さん?」
何かを真戸は見つけたのだろうか。南米で見られるような豪邸。敷地内には様々な植物が植えられ、噴水やプールもある。ドレッドヘアーの黒人やスキンヘッドの白人が、
幼稚園には見えないが、これが12区の幼稚園だ。建物や敷地を見つめる真戸や亜門に気付いた黒人が、笑顔を浮かべながら親指と薬指を曲げ、輪を作りながらショッカーサイン。亜門は顔を顰める。馬鹿にされているからだ。
亜門は立ち止まった真戸に疑問を抱きつつ声をかけるが、真戸は返事をせず、ただじっと敷地内の様子を見ている。
敷地内では園児達が遊んでいる。見守る外国人達は真剣そのもの。何かの手伝いでもしているのか、園児達が大量の箱を台車を押して運んでいる。別の場所では、箱の上に乗って楽しそうに笑う園児、そして台車を片手で押している外国人、もちろん小銃を持ちながら。
幼稚園らしからぬ幼稚園を観察する真戸と亜門。増援二人はと言えば、真戸達と別れ、少し離れた場所で繁華街の方角を見張っていたはずだった。
突如、繁華街の方角から響き渡る女性の叫び声。何事かと亜門は繁華街を見張っていた増援組に視線を向ける。こけながら両目を赤く染め、臨戦態勢の女子学生と、顔を真赤にしながら酔っ払っているサラリーマンのような男性が、女子学生を庇うように立っている。増援組がクインケを向けながら、ヒトである男性ごと
「亜門君!」
状況を把握した真戸が亜門に声をかけるが、既に亜門は動いていた。
――間に合ってくれ!
何が起きているのかはわからない。亜門の個人的な感情はさておき、ここでヒトごと喰種を攻撃するのは非常にまずい。喰種対策法という法が通じる場所ではないのだから。
攻撃しようとしている二人組へ、待てと叫びながら駆ける亜門。険しい表情になる真戸。クインケを向けられるも、逃げるどころか女子学生を庇う酔っ払い。外界の歪みが、何者かが作り上げた鳥籠に牙を向ける瞬間であった。
◇◇◇
クロナとナシロは好き好んでこの場に居る訳ではない。仕事として来ているのだ。強姦魔という、嘉納の新しい
父親代わりの眼前で強姦されたクロナとナシロは、すぐ解放された。素直に解放された事を疑問に思いつつも、ナシロは失神しているクロナを抱えながら嘉納の元へ帰った。嘉納は自分達を心配する素振りをしつつも、とある者の護衛に付いて欲しいと彼女達に命令を下した。マダムを気取っているおばさんだろうかと、ナシロは確認を取ったのだが違うらしい。
――色々思う事はあると思うが頼むよ。
護衛対象は彼女達を見世物のように犯した男だった。クロナは物凄く嫌がった。ナシロが理由を尋ねれば、何の感情もみせない瞳で嘉納はこう言ったのだ。
――スポンサーは彼だけで良くなった。
彼女達を解放し、彼はすぐさま嘉納と通話していたようだ。
近い内に引っ越すとも言っていた。渋々承諾し着替えに出て行くクロナ。ナシロはどれだけの金を彼は動かしたのだろうかと、その場に残り、軽い好奇心で嘉納に尋ねた。返ってきた答えにナシロは身震いした。これまでのスポンサーとは桁が違う。性欲しか頭に無さそうな彼は嘉納を使って何をするつもりなのだろうか、それとも強姦魔の周りにいる三人の内の誰かが、強姦魔を通して何かをやらせるつもりなのだろうか。
疑問を浮かべるナシロに対して、今まで彼女へみせなかった優しげな瞳で嘉納はナシロにこうも言った。
遺伝学的にヒトは99.5%同じ。個人の違いは0.5%。ヒトとチンパンジーとは3%違う。喰種とヒトはどれ程の差だと思う。と、ナシロへと問いかける。ナシロは困惑しながらヒトとチンパンジーくらい違うと言いつつ、解を嘉納に求める。
――彼にも同じ質問をしたんだよ。
返ってきた答えはあの男らしい言葉。
――そんな事より美少女が産まれる確率を求めるほうが有意義です。どうせ、サイコロを振るようなモノでしょう。
脳内に女の事しか考えてなさそうな、強姦魔らしい言葉。
内心馬鹿にしたナシロだったが、嘉納はとても楽しそうにナシロへ話す。嘉納も正真正銘馬鹿な男だと笑っているのだろう。これからどう利用するかと、笑っているだけに違いない。
ただの愚か者だったのだろう。怖いのは周りに居た奴等だ。あの男じゃない。あの時感じた畏怖ともよべる感情、畏れを抱いたのは幻想に違いない。自分の思い違いだ。
そんなナシロの心境とは裏腹に、嘉納にとって彼に対する認識はナシロと違っていたようだ。楽しそうにナシロに話しを続ける。
――神はサイコロを振らない。物理学ではそうだろう。だけどね、生物の進化には当てはまらないんだよ。
困惑するナシロをよそに、嘉納は彼との会話を嬉しそうに話す。まるで理解者を得られたような表情。ナシロはわからなくなってしまった、自分を犯した男も、眼前で楽しそうな父親代わりの存在も。
あんな嘉納をナシロは初めて見た。酷くうろたえた事を覚えている。
心が理解してはいけないとでもいうように、強姦魔を取るに足らない者にしたいと、そう願うようにナシロの精神が理解を拒む。
どうにかして強姦魔を自分の都合の良い駒として動かさなければと、彼女に妙な使命感が植えつけられる瞬間でもあった。
ふとナシロが強姦魔の様子を見れば、つまらなさそうにボーっとしている。
ナッツクラッカーや初老の女性は時折強姦魔にも話をふるのだが、ええ。そうですね。と、適当に相槌しているだけ。まともに話を聞いているとは思えない。ナッツクラッカーはともかく、初老の女性は強姦魔に対して不機嫌になるかと思われた。
しかし、初老の女性は落ち着いた笑みを絶やす事無く話を続ける。どういった関係なのだろうか、ナシロには見当もつかない。
突如、扉が勢い良く開き、小さい影二つが強姦魔へと飛びつく。一応護衛という事でついて来ているクロナとナシロだったが、動かない。クロナは微妙な表情を浮かべ、ナシロは目を細めて視線を向けるのみ。
「ねーねー! あそぼー!」
「ひまそうだしいいよね? おねーちゃんたちもあそぼー」
ボーっとしていた強姦魔は応接室に入って来た園児達に遊ぼうと誘われる。園児達の声で目が覚めたように、とてもにこやかな表情になり立ち上がる。彼は園児達に引っ張られながら応接室を後にする。
クロナとナシロも園児達にひっぱられる形で部屋を出て行く。
「あの子達もようやく
「そうみたいね」
園児達と強姦魔が去った後も扉を見続ける初老の女性が、ナッツクラッカーへ柔らかい声色で話しかける。
「貴女達には感謝してるわ」
優しげな声とは裏腹に、瞳は真剣そのもの。
「人間社会にも、喰種社会にも馴染めない子供達……あの子達が笑えるようになったのは……」
「あの人がやりたいって言ったから、私は反対しなかっただけよ」
「またあの子達に服を買ってくれたそうね」
「みすぼらしい格好、見てると気分が悪くなるから。それだけよ」
どうでもよさげにナッツクラッカーは話しているが、初老の女性にとっては感じ入るモノがあったのだろう。ゆっくりと頷きながら笑う。
「ふふっ、そういう事にしとくわ」
ナッツクラッカーに意味ありげな瞳を向ける初老の女性。ナッツクラッカーは肩をすくめる。
彼が拾った少女達に思い入れも何も無い。少しだけ何かが引っ掛かるのだろうか、ナッツクラッカーは少女達に綺麗な服を買っては着させている。その行動は彼女自身にとって、特別な意味がある行動なのかもしれないし、何も無いかもしれない。ただ、みすぼらしい服を着て、悲しげな表情をする少女も、空腹で飢えている少女もこの施設には居ない。
少女達が、日本で住んでいる普通の少女かそれ以上に恵まれた環境下に居る事だけが事実。
「あの人、何人囲うつもりなのかしら……」
呆れたような表情でナッツクラッカーは小さく零す。
日本で所持している廃マンション、世界各地にある彼が所有するコンドミニアム。彼が囲う少女達の数は1000を優に超えていた。
一方強姦魔は園児達にもみくちゃにされていた。
クロナとナシロも巻き込まれる形で園児達の相手をせざるを得なかった。流石に幼い子供に怒鳴る訳にもいかず、子供と遊ぶくらいならいいかと、クロナは寧ろ男の護衛よりも楽しそうに子供達の相手をしている。
ナシロは戸惑いながらも、子供達の相手をしながら強姦魔を見遣る。あの日、彼女達を犯した人物と同じとは思えない。子供に引っ張られようと、玩具を見せようと圧し掛かりながら股間を踏まれていても、ほっぺたを伸ばされても反撃なんてしない、なされるがままの男を。
「これーかいたのみてー」
「おや、これはワタシですか? この頭上のわっかは?」
「うん! てんしのわっかー! おかおきれいでーてんしみたいだからー」
顔の造形だけなら天使だろうが中身は最悪だ。天地がひっくり返っても高尚な存在ではない事は確かである。クロナとナシロは園児の言葉に同じ感想を抱いた。
天使のように描かれた男はと言えば、困ったような笑顔で園児に優しく語る。
「そうそう、邪悪で悪魔のような人間も、天使のような顔をしているそうですよ」
気をつけてくださいね。そう諭すように園児へ言葉をかける。
「そういえばーここはーじゃあくだねー」
園児は話を聞いていないのか、ジーンズ越しでもわかる程勃起している、男の下腹部を楽しそうに手で叩いている。
「ねーねー? うまくかけたー?」
「……この絵は拙いながらも、描いた貴女の想いが伝わるいい絵です。見た者の心を揺さぶる表現力、これは天性のモノですね」
「どういうことー?」
「ああ、すみません。よく描けています。上手ですよ」
絵を見せられ、強姦魔は真剣な目で絵を評価する。まるで対等の存在のよう、侮る事無く、ただ事実を述べるように。
園児達と積み木をしているクロナとナシロも絵を見たが、子供が描く絵としか思えなかった。
だが、彼は真剣な表情でお世辞でもなく、本当に光る物があるように語っている。後ろから別の少女が構ってほしそうに男の頭を叩いているので、とても滑稽だが。
「絵がわかるのか?」
ナシロはぼそりと言葉を零す。
「職業柄、芸術は見てきていますからね。眼は確かですよ」
ナシロが零した言葉へ何でもないように返す男。
そういえばこの男の職業とは何なのだろう。裏社会の重鎮達と繋がっていて、大金を動かせる存在。この男によく似ている女小説家のような、芸術方面で名を馳せているのかもしれない。芸術家として名を馳せているのだとしたら、ナシロでも知っている存在かもしれない。
そういえば男の名前すら知らない。知っているのは身体だけ。
名前も職業も知らない男に抱かれたのだなと、ナシロはいまさらながら思う。
「お前の……」
「おしごとーなにしてるのー?」
ナシロは名を聞こうとしたが、幼い声に遮られる。
「んー? 秘密ですー」
「えー」
少女の間延びした言葉を真似するように返ってきた声。悪戯っ子のような表情の男に対して、不貞腐れたように頬を膨らませる少女。そんな少女のほっぺを指でつつきながら笑いかける男。
「なんだと思いますか?」
「なんだろー……あっ、わかったー! んとねー……えーぶいだんゆうー!」
「ブフッ」
少女の答えに思わず咳き込むナシロ。男は惜しい、それは趣味ですと、少女に真剣な表情で返すものだからナシロは呼吸困難に陥った。
「おねえちゃんだいじょうぶ?」
「へ、平気だ……」
心配した少女が背中をさすってくるのが余計にナシロを呼吸困難に誘う。
「あのおねーさんどうしたのー?」
「何か面白い事でもあったのでしょう。楽しすぎて苦しんでいるとみました」
「たのしすぎてーくるしいのー? へんなのー」
クロナは珍しいモノを見るような表情でナシロを見ていた。妹の笑っている顔なんていつぶりだろうか。互いにヒトだった頃はよく見れた表情。
不本意な事をしている事実は変わらない。だが、妹の笑顔を見れた事だけは感謝してもいいかもしれないと思った。
「ねーねー」
「どうかしましたか?」
「すこしーおなかすいたー」
間延びした声。可愛らしさとは裏腹に、男の肩辺りへ噛み付くような仕草。まるで吸血鬼のように血を吸うような音。少女の瞳が片方だけ赤く染まる。
は? クロナとナシロは同時に驚きの声をあげる。
「間食すると怒られますよ?」
「えー……おにーさんおいしいのにー……」
「飲みたいのでしたら、ワタシにも貴女のを飲ませていただきますよ?」
「あぅー……はずかしいよー」
流れるような手付きでスモックを捲りながら、少女の下着をずらしていく男。少女の下腹部へと顔を当たり前のように近づけていく。
「いや、待て待て!」
慌ててクロナが男の行動を止める。
少女が
不思議そうに止めてきたクロナを見遣る男と少女。二人そろって首を傾げる。まるで止めた自分がおかしいかのような二人の仕草に、困惑するクロナ。
「いつもしている事ですよ?」
「そうだよー?」
「……いやいやいや、おかしいだろう!?」
幼児にすら欲情するのかお前は! 男へ侮蔑した瞳をよこしながらクロナは男を少女から引き離そうとする。処女は散らしたが、常識を散らした覚えはない。クロナは男を止めようとするが、庇おうとした少女にすら邪魔をしないで欲しそうな表情で見られるのだからたまらない。間違った事はしていないはずだ。間違っているのはこの二人だ。クロナは引き攣った笑顔を浮かべながら少女から男を引き離す。
そんな彼らのやり取りを不思議そうにナシロは見遣る。スモックを着た園児が男から血を吸おうとしたり、男が園児の下着をずらしはじめた事もそうだが、姉が男の行動を止めた事に一番驚いた。彼が怖くないのだろうか。
姉は男に近付くのも嫌そうだったのに、どういう心境の変化なのだろう。男の行動を阻害しても、利益なんて無いだろうに、単に彼へ嫌がらせをしたいだけなのか。相手は少女だが喰種である。
かつて、姉と共に喰種捜査官を養成する学校に通っていたナシロ。喰種は駆逐する対象でしかない。それが常識だと思っていたし世界の常識。見た目は少女だろうがバケモノだ。現に男の肩に噛みつき血を少量吸っていた。
自分も姉も半喰種になり、世界から駆逐される対象となったが、それでも喰種を助けるような真似はしなかった――はずだ。不思議そうな瞳で姉を見遣るナシロ。手伝って欲しそうに妹へ視線を向けるクロナ。
「……なるほど、貴女の相手をしろと?」
「違うっ!」
彼は神妙に頷いたかと思えば、クロナの下腹部へ手を這わせようとする。近付く手を払いのけるクロナ。とても不思議そうに彼はクロナを見詰めている。その瞳はとても澄んでいた。
出来の悪いコントを繰り広げるような姉と男に、思わずナシロは鼻で笑ってしまう。クロナに聞こえていたのだろう、笑ってないで手伝えと言わんばかりに睨まれた。
「……クロ、溜まってるの?」
何故姉に睨まれなければならないのか、庇われている半喰種の園児に少々嫉妬してしまい、ナシロはつい悪ノリしてしまう。
「違うっ!」
妹にまで勘違いされたのか、クロナは少し涙目になりながら男を力任せに引っ張り、園児から離す。園児と男は何かを思いついたかのような表情に変わり、にこやかにのたまったのだ。
「もてるおとこはーつらいねー」
「ええ、まったくです」
「脳みそわいてるのかお前たちはっ!」
更に悪ノリする園児と男に罵声を浴びせるクロナ。そしてとうとう男は股間をさらけ出した。逞しく隆起し、脈動する股間をこれ見よがしに見せ付けるのだ。
「おぉー」
「汚い物を出すな!」
園児である少女は目を輝かせながら興味深そうに見入り、クロナは汚らわしい、視界にも入れたくないとでも言うような表情で男を睨みつける。
きゃーきゃー言いながら園児達は男へと群がり始める。何故集まる? クロナは更に混乱し、ナシロは一歩引いた場所から少し冷めた瞳で観察する。
これからみずみずしい園児達がビュッフェ形式で、強姦魔に性的にいただかれてしまうかと思われたが、彼の懐にあるスマートフォンから着信音が鳴り響く。
「失礼」
「でんわーだれからー?」
「……」
「しー?」
男は少女へ口元に人差し指を近づけ、声を出さないようにジェスチャーで伝える。とても楽しそうな表情から一変、スマートフォンの画面を確認し着信相手を確認すると、めんどくさそうな表情になった男。股間を出しながらスマートフォンからの着信に出る姿は滑稽だ。めんどくさそうな声色で通話相手へと話しかける。
「……どうかなさいましたか?」
『館長、問題が発生しました』
「あー……電波が立ってませんね」
そう言いながら通話をきろうとすると、小声で園児がここたってるよーと親切心で股間を指差しながら笑っていた。そして、つい普段通りに園児の少女へ、立ってしまいましたねと、返答したのが運の尽き、通話相手に嘘がばれてしまう。
『例の幼稚園に居るようですね、車を出させます』
居場所がばれてしまっては仕方が無い。後回しにして自身が対処出来る範囲を超えてしまう事の方が面倒かもしれない。彼はしょうがないと言わんばかりの表情で通話を続ける事にした。
「……領事である貴方では対処できないので?」
『……副領事がCCG職員に攻撃されました。喰種の疑いがある少女を庇って負傷したようです』
「なるほど……場所は?」
『世田谷の繁華街です』
男は更にめんどくさそうな表情になった。
クロナとナシロは表情をしかめる。通話の会話は半喰種であるクロナとナシロ、そして園児達にはまる聞こえだ。園児達は不思議そうに男を見るだけだが、クロナ達は違う。この男は館長と呼ばれている。強姦魔という二つ名ではなく、名前でもなく、役職名を。つまり人間社会での地位だ。
表社会でそれなりの地位に居るのだろう。丁寧なようで、命令するような口調に変わっている。園児達と話していた時の声色とは全然違う。
「わかりました。
『了解しました。ではまた後ほど』
男は困ったような笑顔で通話を切る。
「申し訳ない。仕事の時間のようです」
「えー」「もっとあそぼ?」「もっとのみたいー」
園児達がいっせいにブーイング。男が優しい声色で園児達を宥めながら、一瞬だけ視線を鋭くし小さく言葉を零す。
「ハトにはハムでも送りましょうかね」
何を言っているんだこいつは。クロナはピンと来なかったが、ナシロは気付く。隠語だろう。それに館長と呼ばれる職業にも色々あるが、この男は美術館の館長という訳ではないだろう。そもそも似合わない。
「第二次世界大戦まで戻る気ですかね日本は」
「んー?」
「何かしようとしても、もう遅いんですよ。10年は遅い」
困ったような笑顔を浮かべながら、まるで駄々をこねる子供に言い聞かせるような声色で小さく呟く。口々に文句を言っていた園児達の頭を、優しく撫でながら。
男の視線は園児達に向いているし、駄々をこねる少女達をなだめているようにも見える。
しかしその言葉は、クロナやナシロ、園児達に聞かせてるのではなく、何処か遠くの誰かに聞かせているような内容だった。
クロナは唐突に意味のわからない言葉を発した強姦魔に困惑する。そんなクロナとは対照的に、ナシロは怯えの色を表情から隠せずに居た。
気付けばナシロの手が震えていた。震える手を誤魔化すように握り締める。
「一応ついてきてくれますか? 貴女達は護衛らしいので」
「……ああ」
嫌そうに舌打ちしながら返答するクロナ。
何処で何をする気なのだろう。ろくでもない事に違いない。ついて行きたくないが、ついて行かなければならない。気が気ではないが、一応今は雇い主のようなものだ。
嫌な想像ばかりが脳裏を過ぎる。ナシロは自分の想像通りなのかどうか、疑問を男へと問いかける。
「お前の仕事……館長って……」
「ああ――」
――王様ごっこが出来るお仕事ですよ。