告白の言葉は、ごくありきたりなものだったと記憶している。その言葉に対し突き放すかのような言葉を返してしまうのは、好意故である。不知火は難しい女であった。触れれば溶けてしまうような雪を、どうして手だけでかき集められようか。
しんしんと降り積もる新雪を目で追いかける。建物の間を縫うように落ちていた雪はしかし空を背景にした途端に行方をくらませて、どんなに目を凝らしてみても、輪郭線を探ることさえ許されなかった。
船舶少女である不知火は、ほうと息を吐くと、両手をすり合わせていた。船舶少女は人知を超越した力を発揮するとはいっても、艤装をつけなければただの人間と同等に過ぎない。ましてそれが薄い着物の上に冬用のコートを合わせただけならば、骨に染み入る寒気から身を守ることなどできまい。とはいえ使い捨てカイロを懐に忍ばせているので、さほどでもなかったが。
不知火は、肩より下まで伸びつつあった黒髪が冷たい風にさらされ、ひらひらと舞うのも構わず目を細めていた。どこか遠くを見ている瞳は、憂いの色を濃くにじみだしていた。黒装束が浮き彫りにする体の優美な曲線と相成って、映画の一場面を切り取ったようでもあった。
「早く中に入ろう。雪見したいなら家の中でだって構わないだろうに」
ラフな格好をした男が寮の外まで出てきた。ちょっとそこまで行きの恰好のつもりなのだろう。セーターに冬用ズボンを着用しているだけの姿だった。
「雪に季節を思う情緒を少しでも持ち合わせていれば理解できましょうが……」
あんまりと言えばあんまりな言い方だったが、男は全く動じていなかった。妻の傍らに立つと、肩を抱く。
「雪よりも何よりもお前の体が冷えることのほうが一大事だよ」
「はあ」
不知火は肩にかかる手を払うでもなく、溜息を漏らすだけであった。
「優しさには感謝しますが、もう少し情緒というものを理解なさっては……?」
「何度でも言うが君のほうが大切なんだ」
夫の真摯な言葉にも不知火は動じない。輝きの無い瞳を向けて、やれやれと首を振る。
「どこでそのような甘い言葉を勉強なさったので……? えいがとやらですか」
「まあ、そんなところかな。嫌いじゃないんだろ」
図星であった。大切にされていることを実感できる言葉をかけられて嫌な気持ちになどなるはずがない。まして自分が愛している相手からの言葉であれば、天にも昇る気持ちになる。不知火は、感情が表に出にくい
ぱっとりんごのように頬が赤くなっていくのを見て、男はうむと頷いた。
「わかりやすくていいなあ」
「外が寒いから赤らんでいるだけでございますが」
「ずっと表にいるわけにもいかんだろ。中に入ろう。明日は早いんだから」
そうだ。不知火は男に肩を抱かれ、雪に後ろ髪を引かれながら室内に戻った。
明日は、自分が正式に船舶少女としての退役の日だ。
船舶少女には謎が多い。
船舶少女とは、セイレーンの技術の結晶ともいえるメンタルキューブに設計あるいは思いや記憶などの要素を読み込ませることで誕生する人間の形状を取った兵器といったところである。人間のようにふるまう一方で、まるで船のようにふるまうこともできる。共通認識として人間であっても人間ではないが、人間そのものとしてふるまうので人権は与えるべきであるとして、一応人間としての戸籍(ユニオンであれば社会保障番号等)が与えられている。備品というよりも彼女たちは軍人であり、軍人である以上、戦えないことが明らかな場合は後方に下げるか退役させることが行われることも珍しくない。
例えば、病気をした。例えば、修復不可能な傷を負った。例えば、精神的に戦うことができなくなった。
例えば、身籠った。
それは奇跡だった。人間ではないものが、人間の子を身籠るなど、従来の認識ではありえないはずだった。そのはずが、不知火と指揮官の男の間には、セイレーンの策略か、天文学的な奇跡がもたらした偶然か、子供ができていた。
軍部は紛糾した。まず、船舶少女が妊娠するなどということ自体あり得ないとされていたのに、妊娠したからだ。本当に男の子供なのかもあやしい。これはレッドアクシズの陰謀であるという論を唱えるものもでた。不知火と指揮官が結婚して夫婦になっているというのは皆が知る事実であったが、妊娠するなどとは、誰も思ってもいなかったのだ。
不知火と指揮官は軍部に呼び出され、長時間に及ぶ聞き取り調査と検査にかけられることになった。
男を降格処分に処するべきではないか、との意見もあった。が、結局それは見送りになった。レッドアクシズとの戦争が激化していくなかで、指揮官を悪戯に変えるべきではないという意見が大多数を占めたからだ。不知火は議論の余地もなく退役になることが決まった。
『不知火は商売敵だから苦手にゃ。でも赤ちゃんは嫌いじゃないにゃ。最前線に送るのも忍びないにゃ。とっとと寿退役するがいいにゃ』
などと素直な感想を述べる明石の意見も反映されているだろうことは、言うまでもなかった。
とはいっても、退役の日までは通常通りの勤務があった。店は退役のため畳んでいたが、秘書艦としての勤務は残っていた。
船舶少女にも様々である。人間の男性と付き合いのある娘(娘という年齢でもないが)もいれば、年齢相応に興味のある子、年増耳な子、などもいる。いずれにせよ女性が女性と婚姻し、結婚をしないことを選ぶなど多様性の進んだこの世界においても、女性が殿方と結婚することは大いに興味をそそられる内容になっており――。
「はあ」
不知火は一人黙々と元々売店があった場所を片付けていた。物品の多くは運び出してしまったし、レジもなければ棚も空っぽで、あとは元通りにして返すだけなので掃除くらいなものであるが。
不知火は手を止めると、それとなく出入り口の方に目をやった。そしてまた息を吐く。
「はあ……」
熱視線を感じたというよりも、思い切り耳が出ているから気が付いたといったところだった。白いもふもふとした耳。黒いリボン。あれは陽炎型である不知火の妹である雪風であろう。そして紫色の耳と鈴。あれは浦風であろう。緑色の耳と鈴。あれは磯風であろう。陽炎型次女として、耳だけで妹を判別することくらいはたやすくやってのける。ある意味では、陽炎型の陽炎よりも“おとな”になった不知火は、ことあるごとに妹たちに質問攻めにあうのだった。
あえて気が付かないようにと掃除をしていると、姉妹たちがごそごととそれなりに大きい声で作戦会議を始めたではないか。
「ここは雪風様に任せるといいのだ!」
「わたしが一番槍をとるのである! ソウシソウアイの指揮官と姉の仲を聞き出すのだ!」
「ふん。雪風にやらせたらやらかすに決まってるわ。ここは私の策を……」
不知火は音も無く歩いていくと、物陰からぬるりと顔を出した。
「何か、御用で……?」
精一杯のおどろおそろしい声で。火の玉まだ浮かばせて囁き声にて。
「ひいっ」
「ななななんでもないぞ! ほんとうだぞ!」
「策士策に飲まれるとはこのことね……!」
三人そろって腰を抜かしてへたり込むあたり、まだまだだなと内心で微笑ましく思う。
「何か御用で?」
再度声を怖くして聞いてみると、三人が震えあがった。
ああ、と不知火は意地悪く喉を鳴らす。少々妹をからかうのも悪くない。
長女である陽炎が文字通りの陽らば、次女不知火は影であった。親しみやすいかどうかで言えば、圧倒的に否であると言えよう。人を食ったような態度。指揮官の更に上の上司にも慇懃無礼な態度を崩さないありかた。そんな不知火でも、妹たちからは頼りにされているので、なんだかんだ慕われているのだろうが。
「不知火姉に聞きたいことがあるのだ! その、子供ができるってどういう感じなのだ?」
雪風が思い切って両腕を胸元で組んで身を乗り出しながら聞いてきた。雪風は猪突猛進と幸運が取り得の純心な艦であった。
不知火は思わず性教育でも施してやろうかと意地悪さがむくむくと首をもたげるのを感じたが、ぐっとこらえることにした。
「どうとは?」
「え? 自分の中に違う子がいるってどんな感じなのかなと聞きたいの」
不知火はふむんとうなると、頬に手をあてて視線をさ迷わせた。
「特に何も……強いて言うなら子を授かったと知った“指揮官殿”が妾の手をとって狂乱染みた喜び方をしているのを見て、変な笑いが出たと申しますか……お腹を撫でて涙を流してくるのは、そうでございますね……子犬のように可愛らしい、と表現しましょうか……それから……店を畳む段取りは“指揮官殿”が組んでいましたし……それから……妾の体調を気遣ってくれると、まるで子供扱いされているようで不本意でございますが、悪くはないと……まだ、自力で動けるほど大きくはないようでございますので、実感としては余り……それから」
怒涛の勢いで喋る不知火は、時々何かを思い出すように天に視線を向けていた。
あまりに喋るので、浦風、磯風、雪風は顔を合わせた。
「もしかしてこれがノロイというやつなのだ?」
「ヨロイ?」
「ノロケでしょこのバカ二人組!」
「不知火姉がこんなに話してるの初めて聞いたのだ……」
「ソウシソウアイだからね!」
「はぁ~当初の目的は未遂で終わるのね……」
「といったところでございます。参考にはなりますか……?」
いつの間にか話を終わらせて三人の背後に立っていた不知火は、にやりと意地悪く笑って見せた。
「ひえっ」
「きゅっ」
「うわっ」
三人の悲鳴を聞きながら不知火は口元を隠していた。
「ぬいよ、あまり妹たちをからかうでないぞ」
「陽炎姉ぇ」
帰り支度をして荷物を風呂敷に包んでいた不知火は、店先に陽炎型ネームシップ陽炎がやってきていることに気が付き、顔を上げた。
陽炎型駆逐艦ネームシップ、陽炎。両側で栗色の髪の毛を結わいてあとは流した髪型。くりくりとした大きい目に、もちもちとした白く血色の良い頬。短いスカートからは瑞々しい太腿が覗いていた。すぐ横には連装砲ちゃ……砲塔ちゃん(仮称)がふわふわと浮いていた。
妹、と言っても二人が並ぶと身長で言えば不知火のほうが高い。以前はそうでもなかったが、不知火が改になってからはますますどちらが姉かわからないほどであった。
「店じまいかの」
「ええ。もう、掃除も終わってしまいましたので、あとは去るのみでございますが」
「そうか」
ハイテンション、楽天家、豪快を絵に描いたような乙女はしかし物静かに不知火を見つめていた。連装砲ちゃ……いかん危ない危ない砲塔ちゃんも不思議そうに横で見つめていた。
「いよいよか……寂しくなるのう、できのいい妹分が艦隊を抜ける日が、まさか来るとは思わなんだ。まあ、吾輩がいるからには可愛い妹分が戦闘で永久離脱などということは絶対にさせんが、まさか、まさかの寿退役とは、この吾輩にも予測不能回避不可能じゃ!」
ガッハッハと豪快に笑う姉が肩をぽんぽん叩いてきた。不知火はされるがままにされていた。
「いま何か月だったか?」
「現在四か月でございますね。それがなにか?」
「うむうむ。健やかで結構なことじゃ! 元気な子を産むんじゃぞ!」
まるで“旦那様”のような口ぶりに鉄面皮がくしゃりと曲がった。
「お、いい笑顔じゃのう! そうそうそういう顔をもっとせい!」
「笑ってなどおりませぬが」
「ほんとうに?」
「ええ」
「ほんとうに??」
不知火はぷいと顔を背けていたが、視界に回り込んでくる陽炎に降参せざるをえなくなった。重苦しい溜息を吐いてみせる。
「陽炎姉ぇ、言われなくとも元気な子が生まれるように努力はしておりますので……」
「うんうん。いいことじゃ。それじゃそろそろ指揮官に会いに行ってあげるとよいぞ」
「普段家で会えますが……」
陽炎はとことこと横を通り過ぎながら不知火の肩に手を置くと、つんつんと頬を突いた。
「なら、そのように寂しそうな顔をするでない。ばればれじゃぞ」
退室していく陽炎に、不知火はとっさに自分の頬を押さえた。
「やはり敵いませんね……」
顔に出したつもりはなかったのだが、顔に出ていたらしい。言うまでもない。毎日会っているからといっても、職務をしている以上は会わない会えない時だってある。その不安感と寂しさを僅かな変化から見抜かれたらしい。大うつけ大うつけと言っておきながら心のどこかでは畏敬の念を禁じ得ない不知火は、一人呟いた。そして手早く荷物をまとめると、店の扉に鍵をかけてその場を後にした。
「遅かったな。手間取っていたのか?」
指揮官たる男が手を挙げた。荷物を風呂敷に包んでとことこと歩いてきた不知火に手を振っている。
今日で、不知火は退役となる。店は畳んだし、別の秘書艦への引継ぎも済ませている。艤装はとっくに外してラボに送っているし、戸籍も指揮官の名字を名字にして、下の名前を不知火で更新している。あとは、母港の正面門から出ていくだけだ。不知火は指揮官の胸に飛び込んだ。
「……少しこうさせていてくださいませ」
「おお」
「………荷物は纏めました。あとは出ていくだけでございますが、少々野暮用がございますので」
「そうか。あと三十分もないから早くしてくれよ」
指揮官は言うと、不知火を抱きしめたまま腕時計を見ていた。基地のみんなには不知火が出ていく時間帯を伝えてある。とくになにをしろと指示しているわけではないが、きっとなじみ深い面々は集合していることだろう。
不知火は男に荷物を持たせると、くるりと踵を返して歩き始めた。
母港を歩いていると、作業員や兵士とすれ違う。口々におめでとう、やお疲れ様、という言葉をかけてきてくれた。それを会釈して応じた。
ついたのは明石の工房だった。扉をとんとんと叩くと、シャツ一枚だけしか身にまとっていない目の下にくまを作った眠そうな明石が姿を見せた。
「だれにゃ……明石は一晩中眠いにゃ……にゃ? 不知火にゃ?」
「例のものの準備はできておりますか」
「もちろんにゃ! 明石は仕事のできる女にゃ! 寸法もぴったりのを用意したにゃ」
にゃー! と元気よく明石が中に引っ込んでいくと、何やら大きい箱を持ってきた。明石はまるで子供の様な恰好をしてはいるが、その気になればドラム缶を素手で運ぶほどの怪力である。服の入った箱を持ち運ぶことくらい造作もないのだ。
箱を受け取った不知火は、ぺこりと一礼をした。
「ありがとうございます。いままでお世話になりました」
「……もうちょい嫌味とか皮肉言われるかと思ってたにゃ。べ、べつに明石は不知火のこと嫌いじゃなかったにゃ! 早く服持っていくといいにゃ」
「はあ、これが“つんでれ”というものでございますか」
「つんでれ? 不知火に言われたく無いにゃ」
「はて?」
あきれ返る明石をよそに、不知火はその場を後にした。
更衣室に入ると、服を着替える。いつも着こんでいた黒衣の着物を落として、白襦袢を脱ぎ去る。しゅるりと艶めかしい衣擦れの音が響いた。ほどなくして着替えを完了した不知火は、指揮官が待つ正面門へと向かって歩いて行った。
「来たか。これまで………ぉお」
主力艦隊旗艦を務め名実ともにエースである銀糸の乙女が花束を持って立っていた。ラフな戦闘服ではなく儀礼用の服を纏ったエンタープライズだった。ポエミーで夢見がちな面を持つ彼女は基地の中でも特に律義な性格をしていた。退役のたびに見送りに花束を持参するくらいだからだ。その彼女が一瞬言葉を失ったのは、不知火が白衣の着物を身に纏っていたからであろう。
不知火は白衣を纏っていた。頬はかすかに白く化粧されていて、唇はうっすらと紅が乗っていた。髪の毛は簪で結われており、健康的なうなじが見えていた。着物は、いままで不知火が好んできていた左前ではなく、右前に着こまれている。場に集合した一同が言葉を失うほどに可憐で、触れれば溶けてしまいそうな白雪を思わせた。
場にはなじみのメンバーがそろっていた。姉妹たちもいた。不知火は人込みをかき分けていくと、門で待っていた指揮官の隣で足を止めた。
「退役おめでとう。綺麗な格好だな……こういうとき重桜ではイキというのだろう?」
エンタープライズが一歩踏み出し花束を不知火の手に渡した。不知火は、花束を胸元に抱える。
「なんのことやら……とにかく、ありがとうございます」
花束を受け取った不知火は、一同の前で深々と頭を下げた。姉である陽炎が誇らしげに腕を組み胸を張って頷いていた。
「妾、不知火はこれより人として生きてゆきます。今までありがとうございました」
「驚きましたか」
「ああ驚いた」
帰り道。一人の男と、一人の女が仲睦まじく肩を並べて歩いていた。男の手には風呂敷と花束が握られていたが、もう片側の手は不知火と繋がれていた。
「右前にしたんだな」
「死人が子を産むなど、不吉でございましょう……? 子はこの世のものが授かるものでございますから……おばけ、は卒業でございます」
「そうか。綺麗だぞ」
「まるで“えいが”か“しょうせつ”のような陳腐な誉め言葉でございますね………」
不知火はふふと笑いを漏らし肩を揺らした。
「やはり、旦那様には妾がいないとだめなようで……」
二人の影は街の喧騒へと溶けていった。
ぬいはいいぞぬいぬいは
読みたいキャラ
-
不知火をもっと書け
-
エンプラさん
-
ジャン・バール
-
レパルス
-
他の