生まれてこの方見たことありませんが。
突然だが、暇だ。とんでもなく暇だ。
今は五月頭の大型連休。即ちゴールデンウィークな訳だが、何かを成す気が全く起きない。それでいて暇だという感情だけはひたすらに湧いてくる。
というか後五日もあるのか…? 駄目だ、このままだと本当に駄目人間になる。週明けにはゾンビみたいになってる。
という危機感により、なんとか家を出ることには成功した。
しかし、特にやりたいこともないので唯々当てもなくうろつくことになった。代り映えしない街並みを一人彷徨う。
大学の下宿地としてここを選んだはいいものの、先月、先々月でもう探索しきった感じが否めない。まぁ、二月で街並みなどそう変わるものではないが。
彷徨うこと数十分、この当てのない旅にも飽きてきたところで、家に帰ろうとする。しかし、それを引き留めるかのように、俺の目にあるものが映りこんだ。
「…こんな道、あったっけ?」
忘れ去られたような路地だった。確かに、あったかどうか聞かれると…あったような…なかったような…。
この時、俺の心を支配していたのは少年のような好奇心唯一つだ。迷うことなくその路地に突っ込む。
かなり狭い路地だったが、通行人は誰一人としていなかった。舗装はされているので、確かにその意図として作られた筈なのだが。
だが、俺はそんなことは気にしなかった。今の関心はただこの路地がどこに繋がっているかだけだったし、狭い路地だから人いても邪魔になるだけだとも考えたからだ。
――そしてこの小旅行は唐突に終わりを告げた。
路地を曲がると、そこに鎮座していたのは古ぼけたビルだった。どうやらここで行き止まりのようだ。
初めに感じたのは落胆だった。何かあるかもしれないと思ってここまで来たのだから当然だ。
しかし次の瞬間感じたのは高揚だった。――どうやらここは営業中の何かの店らしい。
「テレトレクラブ」なるその店は、昼間から営業しているにもかかわらず、かなり如何わしい店に見えた。一時間1800円の掲示がどぎつい色で主張している。
――まぁ、最悪話のタネぐらいにはなるだろう。そんな気持ちで俺は店内に足を踏み入れる。
「……zzz」
受付では、店員らしき人が爆睡していた。俯いているのでどんな人物か顔を窺うことはできなかったが、髪の長さを見るに女、だろうか。
「あの――」
女に声を掛ける。それを聞いたのか、女は勢いよく跳ね起きた。
「えっ!? あっ!? お客さん!? マジで!? うわどうしよ完璧に寝てた! すいませんちょっと待って!」
女は器用に百面相をしながら答える。若い女であった。
女はまず手櫛で髪を整え、机の下からメニューを取り出す。先程と同じように一時間1800円の文字が激しく自己主張している。
「「テレトレクラブ」へようこそいらっしゃっしゃいました! 初めてのお客様ですね?」
女は仕切り直しとばかりににこやかな笑顔と先程より半音以上高い声で応対した。
「ええ、はい。あの、ここはどういった店なのでしょうか?」
「ええ、基本的には一般的なテレクラと変わらないのですが――」
女はさも当然のように聞き馴染みのない言葉を放った。――テレクラってなんだ。頭に疑問符が浮かぶ。
女はそれを俺の表情から感じ取ったらしい。面白いように顔が青白くなってゆく。
「…もしやテレクラをご存じない?」
「ええ。なんですか、それ?」
女の顔が引き攣る。
「テレフォンクラブですよ! 一回ぐらい聞いたこと――」「ないですね…」
女の震え声に被せるように返答する。いよいよもって女は頭を抱えた。
そしてわなわなと数秒震え、大きく一つ溜息をつき、再びにこやかな笑顔を浮かべた。
「テレクラって言うのはですね、店にいる男性に、外から女性が電話を掛けてくることで、出会いの場を提供するという――」
女の話を要約するとこうだ。
1:店に来た男に個室と電話が割り与えられる。
2:出会いを求めた女が店に電話を掛けてくる。
3:店が個室の男に電話をつなげる。
4:男と女が電話越しに話す。うまくいけば店の外で二人が待ち合わせる。
…今風に言うならば出会いサイトが近いだろうか。声が聞こえて、共時性があるという点では大きくかけ離れているが、そこはかとなく近いものを感じる。
「――こんなところですね。分かっていただけましたか?」
「ええ、とても良く」
では、と女はメニューを指さす。とりあえず俺は一時間と答え、代金を支払う。女は俺に部屋の番号を伝える。三番の部屋だ。
「ああ、言い忘れるところでした」
指定された部屋に向かう俺を、後ろから女が呼び止めた。
「この店独自のサービスとして、「トランス」というものがあるのですが…これは使ってみてのお楽しみということで! 相手から合意を得られればぜひ使ってみてください。電話の赤いボタンが目印ですよ」
女はカウンターの中に戻っていった。俺も指定された部屋に入る。
部屋の中は漫画喫茶のようなブースになっていて、机の上には少し前の世代の固定電話が置いてあった。あとは備え付けられた棚に成人向け雑誌が数冊。
雑誌を流し読みしながら無聊を慰めていると、そう時間が経たないうちにコール音が響いた。
「もしもし?」
受話器を挙げていつもの文句を言う。
「やっほー! あれ? お兄さんもしかして初めての人?」
電話の向こうから若い女の快活な声が響く。
「ああ、うん。そうなんだ」
「じゃああたしが使い方教えたげる!」
「ありがとう。助かるよ。で、君の名前は――」
「はいお兄さん、アウトー!」
電話の主は揶揄う様に言う。
「こういう店では名前言っちゃだめだよー!」
「えっ、そうなの?」
「そーゆーのは直接会う時! 電話越しなら別の名前使うのが基本っしょ!」
「す、すいません。そういうの全然分かんなくて」
「ここの店は男なら自分の部屋番号言う人が多いかなー」
電話の主は付け加えるように「私はクラブって名乗るなー。絶対本名じゃないって分かるし」といった。
「えーと、じゃあ、俺は三番です」
「じゃあ私のことはクラブって呼んで! 三番君!」
互いに偽りの自己紹介が済んだところで、僅かな沈黙が生まれる。それを電話の主――クラブが破る。
「で? お兄さん何処まで把握してるの?」
「えーと、テレクラのこと?」
「違う違う。「そこ」のテレクラのこと」
わざわざ指定を入れるということは、ここは何処か他の店とは違うのだろうか。そういえば、受付の店員が何か言っていたような。
「……「トランス」のこと?」
「そーそー! 何が起こるかは知ってる?」
「それはまだ知らないけどね」
「じゃあやっちゃおっか!」
彼女はそういう。俺は店員の言っていた通り、電話に後から付け足されたような赤いボタンに手を伸ばす。
「えーと、ボタンを押せばいいの?」
「ちょっと待って!」
電話の向こうでクラブが叫ぶ。曰く、何があっても電話を切るなと。
俺はその言葉を胸に、ボタンを押した。瞬間、視界が暗転した。
目を開けるとそこは、見知らぬ部屋だった。
いつの間にかソファに腰かけていて、いつの間にかスマートフォンを耳に当てていた。
「―――え?」
一体何が起こったというのか、混乱していると耳元のスピーカーから声が聞こえた。
「やっほー! どう? 吃驚した?」
男の声だ。それでいてこの軽い口調は、まさか。
「クラブ?」
「ピンポンピンポーン! 三番君大せーかーい!」
さて、ネタバラシと行こうか。と受話器の向こうの声が言う。薄々何が起こったかは勘づいているが、声に耳を傾ける。
「なんとこの店、電話をしてる二人の体を入れ替えることができるんでーす!」
正しく、受話器の向こう側への変化というわけか。
電話を持っていないほうの自分の腕を見る。元の自分とは違う、人工的に焼かれた小麦色の肌。
太さは元の自分には及ばないが、それでも不健康に見えないほどには肉付きもいい。毛は処理されているのか一本も生えていない。
「…って何それ! どんな原理で――」「まーまーいーじゃん! 細かいことはさ!」
電話の向こうの男は俺の疑問を一刀両断にした。いや、原理は放っておいても聞かねばならないことはあった。
「で、これ、元に戻れるの?」「あー、戻れる戻れる。こっちでボタン押したり通話切ったら戻れるけど――もったいなくない?」
俺にはそのもったいないの意味が深くは理解できなかった。いやしかし、テレフォンクラブというものの存在理由を考えれば容易に想像はついた。
「つまり、それって――」「楽しみたくない? ――女のカ・ラ・ダ」
ゴクリと生唾を飲み込む。つまりはそういうこと、らしい。
「ま、こっちも時間いっぱい楽しませてもらうからさ。使うんだったらそのへんの紙袋の中にいろいろ入ってるから。後、絶対に電話切らないよーに! いじょー!」
それきり耳元のスピーカーからは保留音のメロディが流れだした。
「…向こうも良いって言ったんだから…いいよな?」
保留音を垂れ流すスマートフォンをひとまず机の上に置き、そのまま電源が切れないように充電しておく。そして机の上の手鏡を手に取る。
まず目に入ってきたのは脱色された方ほどまである髪だ。おそらく、いやほぼ確実にこの体の持ち主は、所謂ギャルなのが伺える。
それを補強するかのように、焼いたのであろう、腕と同じ色の顔とその上にばっちりと決められたメイク。今時の流行りかどうかは判らないが。
机の上には教科書が何冊か並んでいる。どれも高校レベルのものだ。
…彼女はついに本名を明かさなかったし、俺にもそうしなくていいといった。こちらからこれ以上のことを詮索するのも憚られた。一種の紳士協定だ。
さて、机の脇を見ると彼女の言っていた紙袋が置いてあった。中を見る。
「…うわぁ」
予想はしていたが出るわ出るわ。いわゆる大人のおもちゃというやつだ。…高校生がどうやって集めたのかは、うん。これも探らない様にしよう。
しかしあまりに多種多様で使い方も判らないものもちらほらある。その中で、最も使い道が分かりやすそうな電動マッサージ機を手に取る。スイッチを入れると勢い良く振動を始めた。
ミニスカートの内側に手を入れ、パンツ越しにマッサージ器を当てる。
「あっ…はぁ!」
背筋から脳髄に走る電流。鋭く甘美なそれに思わず嬌声が漏れる。そして反射的に手を遠ざける。
荒れた息遣いで回らぬ脳とともに今の感覚を反芻する。なんだ今のは、やばい。
ここで一つ、ある考えが脳裏をよぎる。服を脱いだ方がいいのではないか、と。
数秒間、他人の裸体を見る罪悪感と服を汚してはいけないからという自己弁護を天秤にかけ、後者の方が重いと俺は感じ、シャツのボタンに手を掛ける。
左右逆のそれと、着たことも脱いだこともないスカートの構造に若干苦戦しつつも、下着しか着ていない半裸の状態になる。
息を呑む。恐らく、背中にあるであろうホックに手を伸ばす。予想よりも簡単に腕は伸び、ホックは外れた。
胸を覆っていた布が床に落ちる。それだけで肩にかかる負担が一気に大きくなる。それほど俯かなくても自分の胸が目に入った。
両手を胸にやる。軽く握るとそれより少し弱いほどの力で跳ね返される。紛うことなき女の胸だった。
先端を抓むと先程と同じ系統の刺激が脳に走った。体がその先を求めるのを一瞬だけ抑え、下半身、特に性器を覆う布を一気に降ろす。
そこにはきっと全裸の女がいたのだろう。動かしている本人だからその実感は薄いが、このような場に立ち会える男は果たしてどれだけいるか。
全裸のまま床に腰を下ろす。フローリングの冷たさが肉付きのいい尻越しに伝わってくる。
先程手放したマッサージ器を手に取る。スイッチを入れ、深く息を吸う。
「あっ…ひぃ! いぁ!」
先程よりも強い刺激だった。それでも股間に宛がったまま離すことはない。むしろ体の求めるがままに快楽を享受し続ける。
「いっ、あぁ!」
視界がチカチカと明暗を繰り返す。脳は出鱈目に刺激を送る。そして体の奥底から何かが込みあがってくる。
そして一拍置いて、それは爆ぜた。明暗を繰り返す視界は真っ白に染まり、脳は刺激に塗りつぶされ、全身が糸で引っ張ったかのように伸びる。
正しく女の絶頂としか言い表せなかった。そして俺は床に全身を預けるように倒れた。
「おーい!」
数分間倒れっぱなしだったろうか。机の上から声が聞こえた。
だるい体にムチ打ち起こし、携帯を手に取る。
「…はい」
「はいしばしぶり三番君! その感じだとお楽しみだったかな?」
電話の相手が今は男でよかった。女の声で捲し立てられたら頭痛がするどころではすまなさそうだったからだ。
「まぁこっちもそうだったから罪悪感とか感じないでねー! じゃ、戻すよー!」
先程と同じように視界が暗転する。今度は見覚えのある場所だった。先程の個室だ。
「どー? これがここのテレクラの使い方! じゃ、また会えたらあおーね―! バイバーイ!」
電話の向こうの女は一方的にそう言って電話を切ってしまった。ツー、ツーという機械音だけが受話器からは響いていた。
時計を見るとここに入ってから丁度一時間が経とうとしていたところだった。俺は若干の虚脱感を覚えながらも部屋を出た。
受付ではさっきの女がうつらうつらと舟をこいでいた。が、今度は声を掛けずとも跳ね起き、こちらに声を掛ける。
「はい、ご利用いただきありがとうございました!」
「あ、はい」
女は話を続ける。
「ここで耳寄りなお知らせです! なんと、今なら「テレトレクラブ」会員絶賛募集中! なんと入会料はタダ! 会費は月500円!」
「ええと。それ、何のメリットがあるんですか?」
「当店からメルマガが届きます!」「じゃあいいです」「ってこれだけなわけないじゃないですかやだー」
店員は苦笑いを浮かべる。俺はそれに呆れつつも一応話を聞く。
「で、他には何があるんですか?」
「ちょっと特殊な「トランス」を使えます。さっきあなたを案内したのは三番の部屋ですよね? 実は一番と二番の部屋のトランスはちょっとだけ仕様が違うのです」
「違うって、どう違うんです?」
「電話を切っても、「トランス」が解除されません」
「えっと、それは、つまり」
「入れ替わったまま外出が可能です。もともとここはそういう店ですから」
確かに、テレクラは出会いの場で後のことは外ですると女は言っていたが。ただし、と女は付け加える。
「「トランス」は特に何もしなければ丸一日、つまり二十四時間で解除されます」
「何もしなければ?」
「ええ、こちらに電話で申し付けていただければ元に戻る時間は指定できます。もちろん――一生なんてのも」
女の言葉に背筋に冷たいものが走る。…しかし、俺はなぜか登録しようとしていた。
「おっと、登録していただけますか! ではこちらに必要事項を――」
翌朝。ゴールデンウィークも後四日。いや、まだ四日もあるというべきか。
財布の中に仕舞った真新しい会員カードを見る。どうやら昨日の出来事は夢ではなかったらしい。
朝食を用意し、歯を磨き、顔を洗う。ただこれだけのことをしているだけなのに、どこか落ち着かなかった。原因は明白だが。
結局俺は行かない理由はなく、行く言い訳ばかりする自分に従い、昨日の路地まで足を運んだ。
路地を進む。昨日と同じく、人には誰一人としてすれ違わなかった。
店は昨日と同じように痛々しいほどに一時間1800円を主張していた。
「え、と、おはようございま、す?」
店員は露骨に驚いた表情を浮かべていた。…まぁ、こんな店、朝から利用するような奴なぞいないだろうが。
「…やっぱり、早すぎました?」
「いえいえいえいえ!? そんなことぜんっぜんないです! ほら、やっぱり会員になったら入り浸りたいですよねー分かります分かります!! 」
女は俺を引き留めるためか、やけに早口でまくしたてながらメニューを出す。
俺はしばし考え、時間を考慮し、財布と相談し、結局三時間のコースを選ぶことにした、そこそこの出費だが、まぁ、女遊びとしてみれば相当に安い部類だろう。
「では一番の部屋へ――」
案内された部屋は昨日の部屋とほとんど変わらなかった。強いて言うならば置いてある雑誌が異なるぐらいか。
そのうち一冊を手に取り、ページをめくる。
そして十数分が経った頃、コール音が響いた。受話器を取る。
「はいもしもし、こちら一番部屋です」
「はーい♥初めまして♥」
甘ったるい、媚びるような女の声だった。
「もしかしてぇ、会員さんですかぁ?」
「ああ、そうだけど」
「じゃ・あ~…お外で会いませんかぁ?」
「外? どこで会うの?」
「実はもう店の前にいるんですけどぉ…このお店だと、そうじゃないでしょう?」
俺は数秒考えて、女が暗にトランスしろと言っていることに思い当たった。
「ああ、分かった。もうボタン押していい?」
「ええ♥押しちゃってくださ~い♥」
ボタンを押す。視界が暗転する。目に映る景色は昨日家に帰るときと同じものだった。いや、視点が僅かに低いか。
それよりも急になんだか肌寒くなった気がする。服装の違いか? この体の持ち主が来ていたのは学校の制服…いや待て、制服かこれ?
確かに、制服と言われれば制服だが…なんというか、その、制服っぽくないというか…やけに扇情的というか…
ブレザーは前を大きく開かれているし、シャツもボタンが上からいくつか外され、大きな胸を強調するようになっている。
スカートに至っては極限までミニにされ、僅かでも動いたら見えて…いや、なるほど。分かったぞ。やけに寒いと思ったらこいつ、見えるものを着ていない。何を考えているんだ。
強調されている胸も、それを包む下着がそこにはない。にもかかわらず、その形をはっきりときれいに保っている。
「はーい、お待たせしましたぁ!」
ここで、店から男が出てくる。見慣れた顔の男だ。――自分だ。
話し方がやや甘ったるいことを除けば、声も、顔も、立ち居振る舞いも自分を鏡越しに見ているようだった。――自分の振る舞いも、彼女のものになっているのだろうか?
「ちょ、ちょっと待って」
俺は目の前の男に制止を掛ける。出た声は女のものだった。
「はいはーい。如何しましたぁ?」
「えっと、その、なんで着けてないの? …その、下着」
俺の言葉を聞いて、男は厭らしく笑う。
「ええ~っ? そんなことないですよぉ、ちゃんと履いてますよぉ? ――着けてないのは、あなたの方ですよ? ほら」「うひゃ!?」
男は何の躊躇いもなく俺の胸を掴んだ。グニリと胸が変形し、その刺激が脳を蕩かす。
「な、何を、」「なぁんて冗談ですよぉ。じょ・う・だ・ん」
男は今度はけらけらと笑いながら手を離した。
「ほら、自分が急に痴女みたいなカッコになってるって気づいた人を見るの、めっっっちゃくちゃ面白いじゃないですかぁ?」
なんと性格の悪い奴だろうか。昨日、初めての時にこいつに当たらなくてよかった。…今もあまり良くない気はするが。
「おっと、こんなこと話してる暇はありませんよ! ささ、行きましょう!」
男が手を引く。
「えっ待って何処に!?」
止めようとしたが男の力に抗えなかった。なされるがままに男とともに進む。
「いやですねぇ? 男と女、テレフォンクラブ。向かう先など唯一つ! ――休憩所です!」「分かった! それは分かった! ただもっとゆっくり歩いて! 見える! めっちゃ見えてる!」
男の言うことは八割ぐらいは理解できた。元よりテレフォンクラブとはそういう場なのだから。それよりも重大なのは男の歩幅についていくと必然的に「見える」程度の長さにスカートが調整されているということだ。
見られる立場になって初めてこの羞恥心が分かった。こちらに向けられる下賤な目線が体を貫く。――その視線が、体に熱を持たせるのは気のせいだろうか?
「ささ、つきましたよ…って、もうすっかり出来上がっちゃってるじゃないですかぁ♥」
「ふぇ…?」
惚けた声が口からこぼれた。男はスマートフォンを取り出し、シャッターを切る。そして撮った写真を俺に見せる。
――そこには、物欲しげな、切なげな眼をした女が写っていた。
ドアを隔てて、部屋の中には男と女。――果たして俺はどちらだろうか。
休憩所とは名ばかりで、ついた先は所謂ラブホテルだ。そしてここはその一室、さらに詳しく言うならシャワールームだ。
先にシャワー、済まして来てくださぁい♥などという言葉に従い、俺は今全裸でここにいる。
鏡に映るのは見知らぬ人物だ。しかし、そいつは俺の体に連動して、鏡映しで体を動かす。その人物は紛れもなく美少女と言える存在だった。
笑う。鏡の中の少女は天使のような微笑を浮かべる。
怒る。鏡の中の少女はあざとく頬を膨らませる。
悲しむ。鏡の中の少女は小動物のような目つきでこちらを見つめる。
喜ぶ。鏡の中の少女は太陽のように明るい表情を見せる。
一挙一動が絵になる。恐らく、本来の性格を見るに、これで何人もの男を落としてきたのだろう。
黒い髪は長く、よく手入れされているのか、俗にいう天使の輪が浮かんでいる。長さも申し分なく、よっぽど特殊な髪形でない限り自由自在だろう。
体つきは若干背は低いが、出るところは出て、くびれるところはくびれる、メリハリのある体だ。将来化けるだろう。
胸は強調するだけあって、かなり大きく、形もいい。何もしなくてもそのハリと形を保っている。
臀部の方は肉が過不足なく、手にやや吸い付く程度についている安産型だ。そのままスラリと太ももに流れるラインも良い。
正しく瑞々しい少女という魅力をふんだんに詰め込んだ体だ。これが今、俺が自由に動かせると考えると――
いいや、その邪念は今は置いておこう。どうせ暫くすれば…
シャワーを浴びる。水滴が体のラインをなぞる。鏡の中には邪な感情に顔を歪めた女が写っていた。
バスローブに身を包み、ベッドサイドに腰かけて待つ。今から行われる行為を想像すると、体の内から熱が沸いてきた。
「はーい、お待たせしましたぁ! ――おやおや、またもや良い表情…待ちきれないって感じですねぇ♥」
男の声を聴くだけで、心臓が跳ね上がった。全身の血が沸騰し、急速に体温が上がる。
「で、なんか希望とかあります?」「と、くにはない、です…」
舌が縺れる。言葉が上手く出ない。だがしかし、目の前の男は笑っていた。
「ふむふむなるほど。もしや初心者さん? なら、こういうのはいかがでしょう?」
男は俺のローブを丁寧に脱がし、うつ伏せに寝かせた。そしてその上から覆いかぶさるように位置をとる。いわゆる後背位というやつだ。
「はいこれ♥ 何かわかりますかー♥」
股間に何か固く、熱を持ったものが宛がわれる。
「こ、れは――」
「勿論お分かりですよね?」
「俺の、ちん、こ?」
「は~い♥よくできましたぁ♥」
それを認識した瞬間、一気に熱が下腹部に集まった。
「おやおや♥触ってもないのにもうすごいことになってますよぉ?」
男は僅かに腰を揺する。かすかにではあるが水音が響いた。その原因が自分が興奮しているからだということは薄々察せられたが、そんなことはどうでもよかった。
「…って聞こえてませんか。じゃ、行きますよ~♥」
男が何かを言う。その瞬間、体の芯を貫くような衝撃が内側から響いた。
「は――え――?」
「あらまぁ気の抜けた声。大丈夫ですか? 苦しくないですか?」
言葉を出そうとしても、魚のそれのように開閉する口からは空気が出入りするだけだった。
男は腰を引き、もう一度打ち付ける。
「うひっ♥」
「ああよかった生きてました」
男はそんな軽口を零しながらも腰を止めない。そして腰を打ち付けられるたびに、俺の口からは嬌声が漏れた。
昨日の快楽とは比べ物にならないそれは徐々に俺の思考を染め上げ、気付いた時にはもう取り返しがつかないほどになっていた。
「いっ、あっ」
「じゃ、そろそろ一回目、行きましょうか♥」
「ふぇ――?」
瞬間、内臓が潰されるような感覚。それに伴う凄まじい快楽。
――昨日と同じ絶頂だった。意味を持たない叫び声が部屋に響く。
「あらあら可愛い声出しますねぇ♥」
男が余裕ありげに言う。こちらは息も絶え絶えだった。
「――じゃ、次行きましょうか♥」
「へ?」
男はまた腰を動かす。快楽に漬けられた頭では全く理解が及ばなかった。
ただ与えられる快楽を体は享楽し、脳に叩き付ける。それだけで意識が飛びそうになる。そして飛びかけた意識は快楽という刺激で還ってくる。
「あらあら凄い声。じゃ、これで二回目、ですよ♥」
また意識が飛ぶ。今度はそれを阻害するものは何もなく、絶叫とともに意識が真っ白になる。
男は俺の絶頂を確認し、挿入していた性器を抜いた。ぬぷり、と鈍い水音が響く。
「あ…」
「ちょ~とやり過ぎましたかね…っと、そんなことはありませんね♥」
見てください、と男は鏡を差し出す。そこに映っていたのは、快楽やらなんやらでぐちゃぐちゃになった女――いや、敢えて言おう。一匹の、快楽を貪る牝がいた。
「あ…? これ、俺…?」
「ええ。その体は私のですけど、その顔をしてるのはあなたです♥――立派な女の子の顔ですね♥」
女の子の顔、という言葉に体がビクンと跳ねる。背筋に何かが走る。
「おやおや~? どうしましたぁ?」
「な、何でもない! ――ひゃん!」
そう答えた瞬間、男は俺の尻を思いっきり引っ叩いた。風船が破裂する様な音が響く――俺の嬌声と共に。
「おやおや。これまたいい声ですねぇ。ほんと、女の子と混じっても判らないかもですねぇ♥」
又だ。また体は反応する。
男が俺の顔を覗き込む。そして嗤う。
「もしかしてぇ…私の勝手な想像かもしれないんですけどぉ――あなた、女の子になりたいんですかぁ?」
「ち、ちが…そんなこと――うひっ!?」
俺はその先を言えなかった。言おうとしたときに男がまた尻を叩いたからだ。
「よぉくそんなこと言えますねぇ? こーんな声出して♥」「きゃん!」
「こーんな物欲しそうな顔して♥」「ひゃい!」
「もう、天性の牝ですよ♥女の子の才能丸出しです♥」「あ――」
男が最後、一際強くたたくと、俺の意識は吹っ飛んだ。最後に記憶に焼き付いたのは、男の、俺を女だという言葉――
「おや、お早いお目覚めで」
目が覚めると、隣に服を着た男がいた。ああ、思い出した。俺は今、女と体を入れ替えて――
――もう、天性の牝ですよ♥女の子の才能丸出しです♥――男の言葉が脳裏をよぎる。下腹部に熱が集まるのを感じた。
「おや、どうしました? それとも――」
男は厭らしく笑う。
「――なっちゃいたいんですか? 本物の女の子に♥」
男が俺の股を撫でる。本来そこにある男の象徴はなく、なだらかな丘とそれを割く割れ目があるだけだった。その感触に全身が粟立つ。
男はこちらにスマートフォンを差し出す。
「これで延長すればぁ……続けられますよ♥」
「延長って…いつまでさ」「勿論、何時まででもですよ♥」
男は俺の女性器を撫ぜる。筋張った男の手だった。
「あなたが望むなら、何時まででもいいんです♥ずっと、ずーっと女の子で居れるんです♥」
男の手は止まらない♥
「その可愛い顔も、おっぱいも、おしりも、おまんこも、ぜーんぶあなたのものにできるんです♥」
「べ、別にそんなこと――」
「嘘ですよね♥ぜーんぜん体を交換するのにも慣れてないのに、どうしてあのお店の会員になったんですかぁ? 決まってますよねぇ♥」
男の手が早まる。
「あっ、ちょっ、と、待っ」
「気持ちよかったんですよねぇ♥忘れられないんですよねぇ♥――だったら、ずうぅっと自分のものにしちゃえばいいじゃないですかぁ♥」
男は仕上げとばかりに陰核を強く抓る。俺の視界はまたも真っ白になる。
「ほら、どうするんですか?」
男は空いた手でこちらにスマートフォンを差し出す。番号は入力されていて、あとは通話ボタンを押すだけだった。
俺は震える手で通話ボタンを押す。
『はい、こちらテレトレクラブです。この番号は…一番の部屋の延長ですね。どれほど延長しますか?』
「それは――」
男が俺に耳打ちする。もはや俺にはそれに逆らう気は起きず、むしろ喜んでそれを受け入れた。
「一生♥ずっとこのままにしてください♥」
自分の口から出たのは、最初に電話で聞いた女の甘ったるい声と同じものだった。
『――本当によろしいですね?』「はい♥」
俺は即答した。
『では、相手の方に』
男に電話を渡す。
男は、二三度電話の相手と言葉を交わし、電話を切った。
「はい♥交換成立です♥」
男は笑みを浮かべる。
「いや、それにしても思い切りましたねぇ――今まで一度も上手くいかなかったのに」
「――それって、どういう」
「ええ、ええ。簡単なことです。――私、自分の体に嫌気がさしたんです」「――どういう、ことだ?」
男は呆れたように首を振る。
「とても、とっても簡単なことです。ほら、私ってかわいいでしょう? 最初は男を弄んでカモにしてたんですけど――体の関係になるとてんで駄目。いっつも男にいいようにされてばっかだったんですよ」
さっきのあなたみたいに、と男は加えた。
「だから、そーんな体取り換えちゃえーって感じで。後は適当に働くなりヒモになるなり、手はありますし」「そんな軽々しく――」
「ええ。というか、むしろこっちとしてはあなたの方が驚きですよ。こーんな簡単に入れ替わってくれるなんて。分かってます? 一生ですよ?」
男の言葉に、少しずつ頭が冷えてくる――もしかして、とんでもないことをしたのではないか、と。
「男の人にじろじろ見られますよ? 勘違いした輩に言い寄られますよ? 人間関係ドロドロですよ? 立っておしっことかできませんよ? トイレめっちゃ込みますよ? 月一で体調悪くなりますよ? ――まぁ、もう私には関係ないことですが」
男は俺から離れていく。
「じゃ、シャワーはもう済ましてあるんで私はここで。会計はこっちで済ましておきますんで」
男は荷物をまとめ、部屋の外へと向かう。
「ああ、そうそう。記憶やらなんやらは体を使ってるうちに馴染んでくるそうなので。では――二度と会うこともないでしょう」「え――なんで」
男は、部屋の外に出ながら、いつもの厭らしい笑みを浮かべ、俺に言葉を掛けながら扉を閉じる。
「だって私たち――互いの名前も電話番号も知らないじゃないですか」
男が部屋を出た後、俺は部屋で一人呆然としていた。
当然だ。元の自分の名前も、電話番号も、住所も、おおよそ個人の特定に必要な、顔以外の情報すべてが抜け落ちていたからだ。
あとに残されたのは、本来の女の荷物と服だけだった。
だるい体を引きずりながら、女の荷物を物色する。まず目に入ったのは女の学生証だった。
学生証の写真はさっき鏡で見た顔と同じ顔だった。横に書かれていた名前は「月代 桜」。
――その名前を見た瞬間。脳の奥底からいろんな記憶が一気に湧き出てくる。今、通って二年目の高校のこと。三年間を過ごした中学校。六年を過ごした小学校。そのいずれも女子として通った記憶。
「月代 桜」本人の根幹をなす思い出から「月代 桜」でさえ忘れてしまったような記憶まで。おおよそ一切が自然に思い出される。――これにより、自分自身が、あるべき形から歪むのを、あるいはその逆であることを感じた。
どこか歪んだ笑みを浮かべながら、荷物を放り出してシャワールームへ向かう。
さっきは自分が「月代 桜」でなかった故に、軽くシャワーで全身を流すだけだったが、今は違う。本来の「月代 桜」が洗うように丁寧に、本当の「月代 桜」と同じ順番で、髪を、体を、丁寧に洗っていく。
鏡に映る人間は、紛れもなく「月代 桜」、つまり自分だ。丁寧にいつものように洗い残しがないように体を洗う。
その最中、ふと尿意を感じた。自分は、その尿を排出する行為を、本来の「月代 桜」に不要な自分であったものを排出する行為と同意であると考え、歪んだ、「月代 桜」が度々これまでも見せていた笑みを浮かべた。
考えは単純なものである。「月代 桜」として、考えられる最大の侮辱をこれに味わわせる。かつて「月代 桜」がマゾヒストの気のある男と体を重ねた時に、似たようなことをしたことがある。
股間を排水溝に向け、蹲踞の姿勢になり、そのまま後ろに手をつく。
「んっ…」
少し膀胱を緩めると、ちょろちょろと尿が体の中から流れてくる。そして、湧きだした言葉を排水溝に流れていく尿にぶつけた。
「さよなら♥「月代 桜」の中にあった「月代 桜」以外のモノ…あなたたちは、私のおしっこ以下の存在です♥」
◆
自分の体の中にあった尿をすべて出し切った「月代 桜」は、それによって自分がより純粋な「月代 桜」になったことに高揚し、上機嫌のままシャワールームを出た。
きっと彼女はいま世界で一番「月代 桜」なのだろう。故に彼女はどこまでも「月代 桜」として活動し続け、「月代 桜」としての幸福を求め、「月代 桜」として死んでいくのだ。
そして「月代 桜」が唯一「月代 桜」でないところを挙げるならば、それは「月代 桜」が「月代 桜」であることに幸福を覚えることだけだろう。
これが「月代 桜」の十七年ぶり二度目の誕生であった。