恋人の定義なんていう言葉を使うつもりはなかったけれど、最近のナツメとの関係は果たして恋人なのか、それとも雇用者と被用者なのか。そんなことを思ってしまう程度には、毎日バイトで顔を合わしているわりに何も起こらない日々を過ごしていた。
そう、何も起こらないことがこの場合は問題だった。付き合い始めた頃の俺の浮かれっぷりほどではないにせよ、恋人らしいことの一つや二つやってみたいと思うのは当然だ。なのに、お互い職場で顔を合わしているのに何もしない。
「……高嶺さん、今すっごく難しそうな顔してましたよ」
「えっ、そう……かな」
「はい、まるで恋する乙女のように」
「誰が乙女だ!」
「おやおや、恋するってところは否定しないんですね」
にひひ、と笑って茶化してくる明月さんはともかく、事実としてあまりに何も起こらなさすぎた。日々仕事をこなし、帰る頃には疲れ果てて家路を急ぐ。そして帰ってからちょっとメッセージをやりとりしては翌日以降の課題を片付けていくだけの生活。何の変化もない、あの頃のギラギラしていた俺が羨ましいぐらいだ。
「ノロケだ」
「ノロケですね、これは」
「そうなのか?」
休憩中にやってきた二人に相談してもこの調子だ。これがノロケなのか、俺にはてんで分からない。ちょうどそんなときに、もうひとりバックヤードにやって来た。さっき俺に恋の病などと言った明月さんだが、さっきの俺の話を聞いていたらしく、ニヤニヤしながらこちらに振り向いた。
「確かに、セックスレスは夫婦の不仲につながると聞きますし、これは由々しき問題かもしれませんね」
「セックス……レス、って、こ、昂晴君。わたしもうバイト行くから!」
「わ、まってよ希ちゃん、アタシも」
明月さんのド直球の下ネタに二人がそそくさと部屋から立ち去る。確かにそんな言葉を聞くには聞くが、あまりに直球すぎる言葉は二人にとって刺激的すぎたらしい。そして部屋に残される俺と彼女。元々そんなつもりで言ったわけではないが、とはいえ彼女の言う通りで、最近の俺たちには刺激が足りなすぎる。
「せっかくなので、二人のシフトを変更してきちゃいました。今週末は二人共連続でお休みですよ」
「……は?」
突然のことに頭が混乱していた。確かに店の管理は彼女とミカドの役割だが、そんないきなり休みと言われて何をしろと。ポケットで携帯が鳴る。おそらくは俺と同じ連絡を受けたナツメからだろう。恐る恐る携帯を見ると、案の定彼女の困惑が文面からも伝わってきた。
「だから、セックスレスで二人が不仲になってしまったら、お店の危機ですから」
「何度もセックスセックス言うな、要はデートにでも行けって事だろ」
「まぁ、平たく言えばそうなりますね。お二人はここ最近働き詰めでしたし、今回は特別休暇ということで」
かくして、突然のお休みを貰ってしまったので休日のショッピングセンターなんかに二人でやってきた。最も、こんな唐突な休みをもらってしまった事がナツメとしては不本意だったらしく、朝の待ち合わせのときも微妙に不機嫌そうだった。
「昂晴が余計なことを言うから……」
「俺のせいかよ」
「どうせ、『最近デートにも行けないぐらい忙しくて大変だ』なんて言ったんでしょ」
概ね間違っていないところが少し悔しい。不意打ちみたいなイベントがあまり好きではないというナツメにとって、この経緯自体が気に入らないのも無理はないだろう。とはいえ、せっかくのデート自体は楽しみにしてくれていたようで、俺が手を差し出すとスッと握り返してくれる。少し初々しさもあるこの距離感を保ちつつ、人でごった返すモールの中を進んでいった。
買い物のために訪れたことはあったが、こうやってデートを目的にしたことはなかった。だからこその新しい発見というのも色々ある。一人で歩いているときは気にも留めなかったジューススタンドで二人味違いのジュースを買い、分け合うようなこともやってみた。
「こっち、ワタシは酸っぱくてちょっと苦手かも」
「なら俺のを飲めば」
「うん、そうする。ありがと」
今更間接キスなんて、と思っていたとしてもちょっとだけドキドキする。ナツメは気にする事なく飲んでいるようだが、その様子を見られていることに気づいた辺りで顔を真赤にした。ストローを咥えているから言葉で反論することはないが、ボコボコと泡立つジュースと恨めしげな目線が、彼女なりの反抗だ。
ジュースを片手に更に先へと進む。ふと目に止まったちょっと高めの調理器具のお店にふらりと入り、ナツメと二人で見て回る。これは何作るときに良い、これは便利だとかなんとか、二人で意見を出し合っているその瞬間が楽しい。
「何かお探しですか?」
「特にこれ、というのはないんですけども」
「引っ越しを機に、二人で暮らされるからと調理器具を買い換える方も多いですが、今回はそのようなご用件でしょうか」
店員の言葉に二人顔を見合わせ、耐えきれなくなったナツメがちょっと早口で訂正する。俺たちも新婚の夫婦に見えるのだろうか。そんな妙な感慨に浸っていると、後ろからナツメに小突かれる。その手には小さめの鍋が握られていた。
「これ、昂晴の家にあるのだと小さすぎるからどうかな」
「結構いい値段するけど、モノは確かによさそうだな」
「これなら二人分作っても大丈夫だし……」
言い終わるや否や、顔をそむけて目を合わせてくれない。店員さんにそんなことを言われて意識してしまったのか、ナツメも俺も、なんとなく二人で生活する上で便利そうなものを探していた。鍋がちょっと古くなってきたのは事実だから、折角の機会だ。買っておくことにしよう。
広いショッピングセンターの中とはいえ、一通り歩いて回ってしまった。あの後は家具屋に行ったり、家電コーナーを見てみたり、まるで新婚夫婦のようなことをしてみた。口に出して言ってみたら、ナツメが手を強く握って来た。顔をそっと背けて何を言うでもなく、それでも俺の後ろをついてくるあたり、まんざらでもないのかもしれない。
「……あっ、そうだ」
「どうした?」
「ちょっと行きたい店を思い出したけど、いい?」
ふと思い出したかのようにナツメが俺の手を引いて歩き出した。置いていかれないようについていくと、そこは女性モノの下着がズラリと並ぶお店だった。そんなところに連れてきて、一体どういうつもりなんだ。
「せっかく来たし、買って帰ろうかなって」
「……俺は、ここに居て良いのか?」
「もしかして恥ずかしいんだ?」
そういうナツメの顔もかなり赤い。連れてきてみたはいいものの、恥ずかしくてこれ以上何か言えるという様子ではない。せっかくのデートだ、恋人の下着を買う位どうってことはない。そう言い聞かせて彼女の前に歩み出す。
「これなんか、似合うんじゃないか」
「えっ、そ、そうかな……」
手にした下着は比較的落ち着いたデザインだが、彼女の反応を見るにもう少し派手目な方が好みなのかもしれない。確かに初めてのときに着ていた……いかんいかん、外でこんなことを考えてしまっては何を言われるか。
「それなら、こっちは」
「だ、だからどうして昂晴がワタシの下着を選んでるの」
「デートなんだし、せっかくだからプレゼントしても良いかなって」
最初は嫌々そうな様子を見せていたけれども、結局俺の強引なまでの押しに屈した。結局この日は二着ほど彼女のお気に入りを買い、デートは終わりになった。
帰り道、人気のない通りを歩いているときに今日までの経緯について話してみた。隠すほどではないという判断ではあるが、わざわざコンナことを言うのもちょっと気が引けるところはある。ナツメはちょっと考え込むような顔をしてみせてから、耐えきれない様子で笑い始めた。
「ぷっ……あはは、もしかして、それで悩んでたんだ」
「結構気にするって聞くから、もうちょっとデートとかしたほうがいいのかもって」
「確かに、そういうのが好きな子もいるかもね」
ナツメが足を止め、こっちに振り向く。しっかりと彼女の目を捉えるように見返すと、彼女がそっと背伸びしてキスしながら抱きついてきた。甘い味が口の中に広がっては意識がもっていかれそうな気持ちよさ。そんな突然の出来事に、何も言うことができないでいると、顔を紅くしたナツメが小さな声で、ぼそっと呟く。
「そんな無理しなくても、ワタシには昂晴しかいないんだから」
だから重たい女って言われるのかも……。なんて更に続けられる言葉は聞かないことにした。俺は俺にできる最大の愛情表現として、しっかり彼女を抱き寄せてあげた。
この後、昂晴はナツメの下着を買ったのを見つかって散々からかわれる未来しか見えない。