「Ah……that fucking bitch……」
意識が浮上するのを感じた時に一番最初に呟いた言葉がそれだった。とりあえずは呪わずにはいられなかった。痛みを訴える頭を片手で抑えると、自分の肌の色が見慣れた褐色の色に戻っているのが確認できた―――どうやら、元に戻れているらしい。ベッドに眠らされているらしく、視線を下へと持って行けば全裸の自分の体が見える。そこにあるのはちゃんとした、見慣れた自分の体の姿だった。良かった。本当に。
「ふぅー……」
息を吐き、軽く頭を振ってから寝かされているベッドの上から起き上がる。そこそこの広さのある部屋の中に居る様だった。部屋の一角には半分凍らされたアガートラームの存在があり、それ以外にはテーブルや本棚、カーペットなどがある。窓は存在せず、そして天井も壁も鋼鉄製。土も風も感じられない閉鎖的な環境だった。凍らされて死ななかった事に驚きだが、そのまま誘拐されてしまった事実は、かなり心にクる。
「あー……死にてぇ」
恐らくは最後の凍らされた瞬間まで全部計算されていたのだろう。自分がアガートラームを引き抜いて軽く調子に乗る所も。そしてそれが治る前に誘導して捕縛する事も。完全に掌の上で遊ばれていた。凄いショックだった。見た感じ、相手の方が年齢が上だったのだろうが、それでも完敗したというのが解るレベルで遊ばれるのはショックが大きかった。
何より、今のこの状況から自分は逃げ出せない、というのが自覚出来た。
今すぐあの女をぶち殺してやりたい。
だが駄目だ。意識が消える最後の瞬間に、ちゃんと強化された知覚能力でそれをぎりぎり察知する事が出来た。空から落ちて来る巨大な鋼の姿、そしてそれと共に一気に下がる気温。奪われる酸素の感覚。体の動きが止められる不思議さ。そして何も出来ずにホワイトアウトする意識。アレはダメだ。あの女と同じレベルかそれ以上にやばく感じられた。
アレが村で暴れたら、もうどうしようもない。
あの時、あの場所で自分が撃退する事に失敗してしまっただけに、もはや自分に自由という概念は存在しなかった。フィーネの目的がなんであれ、逃げる事も彼女を殺す事も出来ないだろう。最悪の一言に尽きる状況だった。
両手で顔を抑え、深く溜息を吐きながら肺の中の空気を入れ替えた。
「……うっし、メンタルリセット完了」
アガートラームへと近寄り、その柄を掴んだ。するとアガートラームを覆っていた氷は瞬時に溶けて消えた。どうやらずっと待っていたのかもしれない……忠犬属性でもあるのだろうか? だが流石に持ち歩くのは面倒だな、と思った瞬間手元からアガートラームが消えた。
「おぉ、消したり出したり自由か……流石に《アンサラー》&《フラガラッハ》はねぇか……」
個人的にあっちの方が手元にあった方が心強いのだが、双銃は遺跡の中に落としてきてしまったんだよなぁ、と思い出す。それにアレは大事なものだ、壊れてなければいいんだけど……と心の中で呟き、部屋の中を探索する。
部屋は普通に部屋だった。独房ではなかった。本棚にはマーベルのコミックスが最新刊まで揃っている他、その他にも色々と揃えられており、テーブルの上にはフルーツの入ったボウルが、ベッドは改めて確認すれば結構な高級品だった。カーペットも素足でちょっと触れてみると気持ち良さを感じられるものだった。スモークガラスの扉の向こう側は……洗面所とシャワールームに繋がっている。
それに壁にはハンガーで、フィーネとの戦いの間にほぼボロ雑巾と化していた自分のポンチョやインナーの類が綺麗に修復され、アイロンされた上で引っ掛けられていた。新しい下着の類も置いてあるし、ホテルの様な気配りを感じる。
「VIP待遇のつもりか?」
まぁ、このまま全裸で徘徊するつもりはないし、さっさと着慣れた自分の服に着替えてしまう―――軽く服を調べたが、特に何らかの仕掛けや仕込みを施されたという事はなかった。安心して着替え終わった所で、
部屋の入り口に近づいた。
鋼鉄製のスライドドアだ。その気になれば蹴り壊す事も出来るだろうが―――扉のボタンを押せば、そのまま普通に扉は開き、部屋の外に出る事が出来た。
やはり、陽の光が見えない。蒼に近い紫色にペイントされた通路、その壁には《B10-Residence Area》と書いてあった。つまり地下10階の居住区画に運び込まれてきた、という事になるのだろう。……だがどこのだろうか? まったく訳が分からない状況だが、壁にはエレベーターホールへの道が書いてあった。とりあえずは地上を目指してみるか。
そう判断した所で足音が聞こえて来た。
それに反応し、迷う事無く拳を構えた。慣れないアガートラームに再び振り回されるよりは、徒手空拳で戦った方が遥かに信頼できる。故に拳を作り、部族の仲間から教わった様に格闘戦の構えを取り―――その姿を見た。
「そんな風に警戒されるなんて心が痛むわね、ウィリアム」
此方へと向かって歩いて来たのは、シンプルな白いワンピース姿のフィーネだった。同じように白い帽子を被り、前見た時のライダースーツ姿とは印象がガラッと変わった、貴婦人の様な姿をしていた。しかもこれが悔しい事に似合っているのが殺したくなってくる。今、ここでアガートラームを引き抜きながらファイネスト・アーツを叩き込めば跡形もなく殺せるのではないだろうか? そう思うも、
「そうよね、村の事が心配よねぇ?」
「……」
「ふ、睨むな。ちょっとしたリップサービスのつもりだったがそれほどまでに掌で転がされた事が癪だったか? それとも欠片でも信じようとしたのか?」
フィーネの演技をしていた口調が剥がれ見下すような、傲慢な本来の言葉遣いが表に出て来た。今となってはそっちのがストレートに殺意を抱ける分、楽だった。油断なくフィーネを相手に拳を構えていたが、これ以上構えていた所でどうしようもない事を理解し、拳を解き、腕を下ろした。
完敗なのだ。
抵抗した所で、村に何かがあったら……嫌だ。考え、どうするべきかを悩み、そして結論を出す。
「……言う事には従う、だから村は……村の皆は……」
「私も別に、好き好んで虐殺がしたい訳じゃない。する理由がないのならする事もない」
逆に言えば、殺すだけの理由が存在すれば実行するという言葉でもあった。そこには迷いどころか感情さえ通っていない。呼吸をする様に当然の事の様な受け止め方だった。こいつの心臓は鋼鉄か何かできているのか、と思わせるような迷いのなさでもあった。だからこそ、絶対に逆らってはならないと解る。逆らえば確実に村を消すだろう、この女は。それだけの迫力があった。
「安心しろ……別に非道な実験に付き合わせる訳ではない。貴様は大事なアガートラームの担い手だ。モルモットにするわけないだろう? 不自由にさせるつもりはない」
「……」
「外に出たければ出てもいい。元々辺境の人間だろうからな。風に当たらなければ体調を壊すかもしれんしな」
「……」
「だが逃げる事は許さん。それだけだ」
そう言ってフィーネは身を翻し、去っていった。その姿が消えた所で拳を作り、それを壁に叩きつけた。
「クソ……」
悪態を吐き、壁に拳を叩きつけるも、そこには全く力が入らなかった。自由は与えられていても何も出来ない。逃げ出せない。勝てない。完全な八方塞がりだった。今の自分ではもう、どうしようもない事実に絶望感しか感じられなかった。
聖剣の力だけではどうにもならない、がんじがらめにして封じ込めて来るやり方、自分では何をどうしても……抜ける事が出来なかった。その事実が何よりも絶望感となってのしかかっていた。壁に叩きつけた拳に額を当て、壁に向かって息を吐き出すしかなかった。もう村には戻れないという自覚と共に。
小さな旅行にでも出ようかと思ったが、それでもこんなことは求めていなかった……。
「……」
どうしようもない事実に膝を屈したくなる。だが、自分の中の何かが―――完全には詰んでいない、と囁いている気がする。まだ、何とかなる、と。まだ方法はある、と。そう囁いている様な気がする。そう思わなきゃ今にも自殺してしまいそうだ。だけど駄目だ。死ぬ事は出来ない。
義姉と義兄にごめんなさいしに行かなきゃならないのだ、まだ死ねない。
「ふぅー……」
軽く深呼吸をして、肺の中の空気を入れ替えた。気分転換は必須だった。絶望してはダメだ。そこで諦めてしまったら完全に人形になってしまう。少なくとも、アガートラームを抜剣した状態であればフィーネに勝てるのは感覚的には解るのだ。だとしたら、後は村を狙うロボットの方をどうにかすれば。その二つを同時に対処さえすれば、大手を振って村に帰る事が出来るのだ。
それまで、諦める事は出来ない。
だからとりあえず、まだ体が本調子ではない。流石に瀕死にまで一度追い込まれた上で瞬間冷凍されてしまったのだから当たり前の話かもしれないが。その上でフィーネにエンカウントしたのが原因で、心がぼろぼろだ。
探索しようかと思ったが、それを一旦諦める事にして素直に部屋に戻った。一瞬だけ絶望してしまったが、それでもまだ生きているのであれば迎えられる展望は存在する筈だった。
だとすればまだ、時間はある。
完全に絶望して堕ちる前に、この状況から脱出する方法を探す。
その為にも部屋に戻り、ベッドの上に転がり、体調を整えるために目を閉じた。
こんこん、と扉をノックする音に目が覚める。口の中が偉く乾いている感触に気持ち悪さを感じる。体を起き上がらせながら、視線を扉の方へと向けた。
「開いている」
「失礼します、ね?」
なんで疑問形になってるんだ……? と想いながらベッドの端に腰を下ろす形で視線を扉へと向ければ、スライドしたドアの向こう側からトレイを持った少女が顔を見せるのが見えた。白い肌の色と特徴的な目の色は……欧米人の特徴だ。それだけで今は嫌悪感を感じてしまうのはしょうがないのかもしれない。ふぅ、と息を吐けば、トレイを持ち運んできた少女がびくり、と体を震わせた。トレイの上にはどうやら、飯が乗っている様だった。軽く見た感じ、焼き立てのバゲットにシチューだろうか。
「えっと、何も食べないのは体に悪いからちゃんと食べてください、って……」
「……」
確かに、血液が足りないからか空腹は感じている。それに子供に当たるのも恥ずかしい。ふぅ、と軽く息を吐いてからテーブルの方を指さしながら立ち上がり、洗面所の方へと向かった。
「怯える必要はねぇよ」
それだけ告げて洗面所へと尾入り、タップを回してお湯を流す。それで顔を洗い、軽く髪を濡らしてそれをオールバックに流した。髪をそうやって後ろへと流してセットすれば、多少は頭がすっきりして来る。顔を濡らした事で眠気が覚めたので、それでうっし、と声を吐き出し、自分の意識を覚醒させつつ、タオルで顔を拭く。
「なんだ、まだいたのか。飯を置いたのなら帰っていいぞ」
テーブルにトレイを置いた少女は此方がそうやって言葉を向けると、びくりと体を震わせた。小動物の様にびくびくする姿を見て、ちょっとした罪悪感が心をちくり、と刺す。たぶん、それさえもフィーネの奸計なのだろうとは思う物の、
子供に、罪はない。溜息を吐きながらあー、と声を置き、頭の裏を描いた。
「悪いな、ちょっと人生最大最悪の日を迎えてて機嫌が悪かったんだ。怖がらせちまったな」
「あ、いえ、その……大丈夫です。ここに連れてこられた人は大体が望んで連れて来られた人じゃありませんし、気持ちは解りますから大丈夫です」
「そうか」
まぁ、大丈夫そうには見えないが。そう思いながらテーブルにつき、運ばれた飯に手を付けてみる―――シンプルなクリームシチューだ。具は鶏肉とポテトにブロッコリーに人参、ブロッコリーは中々見ないだけに物珍しさがあるものの、非常に美味しく出来ているものだった。口に運び、食べ始めるとそれを口の中へと運ぶ手の動きが止まらなくなる。
その様子を少女は漸く、安心した様な表情で見る事が出来た。薬物の類はやや、知識がある。というか村で学んだ。だから毒や麻薬が混じっていればある程度は解るのだが、そういう味のざらつきがない。正真正銘、誰かが本気で作った飯の様だった。
「美味いなこれ……」
「ですよ、ね? それを作っているのはここの研究者の一人なんですけど―――」
少女は少し、頬を膨らめるように、胸を張る様にジェスチャーしながら、男の声を真似ようとする。
「なぁにぃ? 最高の実験は、最高のモルモットからだ! 俺の料理で貴様ら薄汚いモルモットを死ぬほど健康的にさせてやる……! とか言っている人が作ったものでして」
「中々気合入った奴じゃねぇか」
そう言うと小さく少女が笑った。バゲットを割って、それでシチューを食べながらも思う。どうやらフィーネの様な悪魔ばかりの場所の様ではないみたいだ、と。食べる手を止めずにテーブルの横に立って様子をうかがっている少女を見る。
「あー……食い辛いから座ってくれると助かる。後ついでに、ここがどこかを説明してくれると嬉しい」
「えーと、それじゃ……」
遠慮がちに対面側の席を引くとそこに座り、少女が話し出す。
―――ここはFISと呼ばれる研究施設。
アメリカの中でも最も才能に溢れ、そしてあらゆる倫理を投げ捨てた研究が行われる場所。人体実験をするときに気を付けるのは残りのモルモットの数ぐらいの場所であり、そのトップが少女に飯を運ぶ様に指示を出した女―――つまりはフィーネだった。
トップがフィーネである事を除けば、それぞれの研究者が
「ほーん……実験場か……」
「言葉を悪くすればそう、ですね……?」
「何故首を傾げる」
とはいえ、FISの名前は……Federal Institutes of Sacristの名前は
「えーと……なんだっけなぁ……」
「……?」
呟きに反応した少女が首を傾げるが、笑みを浮かべてなんでもない、と答えながら思い出す。
そうだ―――ARMの生まれ故郷だ。最初のARMはFISで生み出された、とか言っていたのを思い出す。ARMは精神の感応によってノイズの位相差障壁を突破する武器である為、必然的に人間の精神力を損耗し、ノイズを相手にする実験に何人もの被験者が廃人になったり、調整ミスでノイズに殺されたという話だった筈だ。
そのFISのボスがあの女だったのだ。
道理で血も涙もない訳だ。しかしそれを思い出した所でどうしようもなかった。
と、考えながら食べている内にあっさりとボウルの中身を空にしてしまった。予想外に腹が減ってたからもう食べ終わってしまった。少し勿体なさを感じるも、ここにいる間であればいくらでも食えるか、と納得しておく。問題はそれよりも、
「で、食べ終わったら俺はどうすればいいんだ?」
「とくにはなにも」
「なにも」
「うん」
「……」
「……」
「……そうなの?」
「うん。あ、これ片付けますね」
そう言うと少女はトレイを運んで部屋から出て行った。その姿を見送りつつえぇ、と口から声を零しながら困惑する。本当に拷問も尋問も誘惑も洗脳もしてこなかった。ちょっとはこう、コミックな展開にでもなるかと思ったのだが。
だがよく考えてみれば既に今の状況がコミックの様なものだった。そこは全く笑えない。とはいえ、フィーネが約束した自由というのはどうやら本物だったらしい。
必要以上に苦しめるつもりはなく、行動を縛るつもりもない。ただし、逃げる事だけは許さない。それ以外であれば大抵の自由を許してくれる―――やはり、それだけのが価値がアガートラームにはあるのだろう。
「……まぁ、腐っててもしょうがない事ではあるんだよな」
見て回りたければ自由に見て回れ、という話なのだ。だったら自由にFIS―――ARM技術が生み出されたアメリカの闇を覗かせて貰おう。恐らくは見たくもない物がごりごり溢れていそうな気もするが。
テーブルのフルーツボウルの上に乗っている林檎を手に取り、それをポンチョの端で拭ってから齧りつき、溢れる果汁を飲む。果物も果物で一級品だな、と思いながら頭を悩ませる。
「どう動いたもんか」
最終目標が見えていても、ゴールまでの道が余りにも遠すぎた。絶望するのが先か、懐柔されてしまうのが先か、或いはあの女の目的が達されてしまうのが先か。
どちらにしろ、敵は多かった。
目下、最大の敵はこの快適すぎる環境だった。
首輪をつける。
個人的な考えだけど、圧倒的な絶望感というのは暴力的なものじゃなくて、どれだけ必死に考えて、予想外の1%を計算に入れて方法を考えて、その上で考えて考えてそれでもどうにもならないという事を理解してしまった時、
その絶望感が一番純度が高いと思う。