貧民街にいた哀れな母子は使者が迎えに来る前に無惨にも物盗りに殺されてしまった。
という筋書きを考えたがそれではあまり面白くないので、しかたなく前言どおり二人を屋敷で女中と下男の見習いとして雇うことにした。
「ローレンス様、あの親子はこれからも屋敷でお雇いになるのですか?」
ある日の午後、トトノトリアとお茶をしている時に彼女が尋ねる。その
「まさか」
俺の否定に彼女の表情が曇るのを楽しむ。
「実はダートン山脈で
トトノトリアは大きく安堵の溜息をつく。
「てっきり二人をお見捨てになるのかと」
「ふふ、少しトリィをからかってみたくてね」
俺は紅茶で唇を湿らせる。この紅茶はザックソー領産ではなく自領で生産されたものだが、悪くない味だ。
「このまま彼らを雇うこともできるが、はっきり言ってそれは彼らの自立のためにならない。人間は降って湧いた莫大な幸福よりも自らの手で掴み取った小さな幸福に価値を認める存在だ。新しい環境で全てをやり直すのも悪くないだろう」
「そうですね、その方が二人にとってもよいかもしれません」
「今のところ二人は仕事に励んでいるのだろう?」
俺がトトノトリアの傍らに控えていたターニャに話を向けると、
「はい。まだまだ未熟ですが与えられた職務を懸命にこなしております。もしも開拓村に移植することになったとしても、その経験は必ずや活きることでしょう」
「そうですか、それはよかった」
トトノトリアはささくれ一つない華奢な手を嬉しそうに合わせた。
「ところでトリィ。今夜その鉱脈のことで冒険者ギルドのギルドマスターと話をするのですが、トリィも同席する気はありませんか。ああ、ギルドマスターと言っても厳つい大男などではなくレーレニンの女性ですから怖がる必要はないですよ」
トトノトリアは青痣と車椅子のせいで今まで貴族令嬢として表舞台に立ったことがない。けれども俺の婚約者としてはそれでは困るのだ。
「おそれながらトトノトリア様」
とそこで意外にもターニャが口を挿む。
「今後辺境伯夫人として生きるには社交の場に出ることもあるでしょう。ここはローレンス様のおっしゃるとおり同席してはいかがでしょうか」
「そう、ですね。私も近い将来ローレンス様の妻として務めを果たさねばならぬ身ですものね。ローレンス様、今宵はよろしくお願いします」
「こちらこそ、トリィ」
俺は穏やかな微笑を作った。
前回と違い今晩の料理には普通の肉だが、我が屋敷の料理長の腕は素晴らしいものだ。俺は出された料理に舌鼓を打つ。シャリリーゼが隠し味を入れたいと言っていたが、今回は斥けることにした。
横にいるトトノトリアも若干緊張した様子だが作法に則って美しく食事している。
コヨミハルカとトトノトリアの顔合わせは案の定波乱なく済んだ。コヨミハルカは青痣を顔にひっつけた車椅子の令嬢になんら態度を変えることなく、いつもどおりの礼節を保っている。コヨミハルカはこういう人間だ。他人も無闇に見下さない聡明さを見出されてギルドマスターに抜擢されたのだから。
「それでコヨミハルカ」
俺は続いていた歓談から本題へと舵を切る。
「焔紅石の鉱脈のことを報告してくれ」
「はい。報告どおりフレイムリザードが住処としていた洞窟に焔紅石の鉱脈がありました。フレイムリザードが長年住んだ影響で魔石が炎に性質を帯びるようになったのかと」
「しかしフレイムリザードでか?」
フレイムリザードは大型犬ほどの体躯をした赤い蜥蜴だ。焔紅石を作るほどの魔力を持っているとは考えにくい。
「それが、そこに棲んでいたフレイムリザードは馬ほどの大きさをしていたそうです」
「亜種か」
「はい。しかも数匹いたとのことです。もはや亜種というより新種と言ってもいいくらいです。たまたま熟練の冒険者のいるパーティーが発見したので討伐できましたが、そうでなかったら全滅もありえました」
嬉しくない情報だった。内心舌打ちをしてから話を続ける。
「鉱脈の場所は」
「地図をよろしいですか」
俺は給仕をしていたイクアにダートン山脈の地図を持ってくるよう命じる。ソラリが二目と見られない醜貌のままなので今回はイクアにやらせることにしていたのだ。ソラリのように完璧ではないが最低限の務めは果たしている。どうやらターニャの言は誇張ではなさそうだ。
緊張でこわばった表情をしたイクアがぎこちなく地図を広げる。コヨミハルカが示した場所は山の麓に近かったが、峰が険しいため今までほとんど冒険者の手が入っていなかった区域であった。本当に嬉しくない。あとで採算が取れるかどうかガリウスと相談しなくてはなるまい。
「魔物はどれくらいいる。それと道はどうなっている」
「ご存知のとおりこの区域の探索は本格的になされていませんでしたのでまともな道もなく、往来には苦労します。大型の魔物が頻出するという情報はありませんが、今回のフレイムリザードのような例がありますから、用心に越したことはないかと思われます」
ダートン山脈の探索は実入りが少ないと思われていたため、今まで冒険者ギルドに一任していたがこれからは本腰を入れて開拓してもいいかもしれない。そのためには一度現地を見ておかなくてはな。
面倒になりそうなこれからを思うと少し眉根が寄った。
コヨミハルカとの会食が終わり、俺とトトノトリアは彼女の部屋で一服していた。
「無事に終わってよかったです」
トトノトリアは肩の力を抜いて微笑みを漏らす。俺の前では自分を繕わないとはいい兆候だ。波打つ金髪の毛先をくるくると指でいじるさまは、彼女が童顔であることもあって年齢以上に幼く見える。
「心配する必要などなかったでしょう。コヨミハルカは佳い女ですから。これからもよろしく頼みますね」
「が、がんばります。私だってローレンス様のお役に立ちたいですから」
「その意気です」
俺がそっと微笑すると、トトノトリアの表情は華やいだ。
それから俺はターニャにイクアを呼ぶように命じると、何か失敗をしたのだろうかと怯えた様子でイクアが現れる。
俺は努めて優しくイクアに語りかけた。
「イクア、今日は給仕ご苦労だった。どうだ、疲れたか?」
「いえ、とんでもありません」
イクアが血相を変えて首を横に振る。ここで肯定すれば捨てられると思っているのだろう。
「そうか? ターニャ、率直な意見を聞かせてくれ」
「そう、ですね。やはり見習いとして働き、さらに今晩の給仕をするというはかなりの労働かと」
困惑しながらもターニャは正直に答えた。
「やはりそうだろう。だがお前はきちんと務めを果たした。これからもよろしく頼むぞ」
「はっ、はい!」
「で、だ」
俺は自分の影から二本の小瓶を取り出す。
「これをお前にあげよう」
「これは……?」
「シャリリーゼが作った回復薬だ」
「回復薬!? そんな高価なもの……!」
イクアが驚いて目をむく。
回復薬は高価で中級冒険者が数本持っているかどうかというもので、市井の人間が贅沢をしないなら一か月は暮らせる値段が付く。そう安易に女中に渡すようなものではないし、貧民街で辛酸を舐めていたイクアでは本来手に取ることのできないようなものだ。
「まあ、待て。これはただの回復薬ではない。実はこの回復薬はシャリリーゼが作ったものなのだ」
「シャリリーゼ様が?」
「ああ。あいつは令嬢のくせに薬物の調合なぞが好きでな、この回復薬はその成果の一つってわけだ」
「難しい回復薬の調合ができるとは市井の薬師を超える腕前ですね……!」
ターニャが感嘆する。回復薬を調合できる薬師となるとかなり熟練の者になる。材料の希少性もあるが調合できる者が少ないのも回復薬が高価になる理由の一つだ。
「いや、これは純粋な調合ではなくシャリリーゼの固有魔法によるものなのだよ。シャリリーゼの調合魔法は適切な材料を適切に調合して薬を作るものだからね」
「それでも素晴らしいことには変わりありません」
真実を混ぜた俺の虚言を信じ、ターニャは素直に称賛した。シャリリーゼの混成魔法は薬の調合のみならずあらゆるものを混ぜ合わせることができる。調合魔法よりもはるかに優れた固有魔法だ。
「ですがローレンス様。この回復薬は普通のものと比べて色が異なるような気がしますが……」
おずおずとトトノトリアが指摘した。通常の回復薬は青色だが、この小瓶には薄緑色の液体が入っている。
「その通り。実はこの回復薬は試作品なのです。効能が違う。普通の回復薬は傷を癒すが、この試作品は服用すると疲れが取れ、集中力が高まったりするそうです」
「それはすごいですね……!」
「ええ。けれどまだきちんと試したことがないので、最近まで病身で慣れない仕事に苦労しているイクアに飲んでもらおうと思ったわけです」
俺はトトノトリアに説明してから、小瓶をイクアに渡す。
「飲んだあとはシャリリーゼにその効能を報告してくれ。万が一体調が悪化したようなときも同じだ」
「わかりました。ありがたく頂戴します」
イクアはぎこちなくだが丁寧に礼をした。
さて、シャリリーゼの作った薬がきちんと効能を発揮してくれればよいのだが。
総合評価がどのように算出されているかわかってないのですが、高いのは嬉しいです。わーい。