ようこそ強姦魔のいる教室へ 作:生太郎
一之瀬が動き出したのは聞き込み二日目だった。
原作をあまり覚えていないので何とも言えないが、即断即決と言うべき行動の速さだった。
俺の携帯に堀北からメッセージが入っていた。
『Bクラスの一之瀬さんと協力関係を結びました』
そっちに行ったか。
堀北は聞き込み活動をしていない。須藤を助けるなんて馬鹿らしいと公言していた。
目立つように活動していた俺たち(と言うか櫛田)ではなく堀北に接触したのは、一之瀬が堀北をDクラスの司令塔だと認識しているからだろう。
……と思っていたら。
「君が噂の二股君だね!」
物凄く不名誉な呼ばれ方をされてしまった。
振り返ると、そこにいたのは一之瀬帆波だった。
長い髪、大きな瞳、豊かな胸。
底抜けに明るい性格をしていて、パッと見たところの印象は櫛田の上位互換だ。
「一之瀬か」
「あ、知ってるんだ」
「有名人だろう」
「そうかな? 自分で言うのも何だけど、私はまだ目立つことはしていないと思うけど」
堀北と接触してから一直線に俺たちのところに来たのだろう。やはり行動が早い。
一之瀬は俺の持っている携帯をさり気なく一瞥していた。俺と堀北が繋がっているかどうかの確認。あとは情報の伝達速度、信頼関係を計るといったところか。そのために中国大返しっぽい奇襲をかけてきたのだろう。
「あと、先ほどの呼び方はやめてくれ。俺は二股をかけているわけではない」
言葉は正しく使うべきだろう。
二股と言われたが、長谷部をカウントしていいなら四股だ。……クソだな。
「あはは、ごめんね。まだ付き合ってないんだよね」
「まだ、と言うか、俺ごときがあの二人に釣り合うとでも思うのか?」
「あれ? 田中君も悪くないと思うけど?」
一之瀬は明るく笑った。
じゃじゃん、と言いながら携帯を俺に見せ付ける。
「田中君は何とっ! イケメンランキング十八位だよ! そんなに自分を卑下することはないと思うな」
出た。女子が勝手にやってるランキング。
たしか綾小路が五位ぐらいだった気がする。根暗ランキングでも上位だったらしいが。
「どうせ堀北と櫛田のおかげで上がっているだけだろう。五月までは俺の名前なんて上がっていなかったはずだ」
「いや、それはそうなんだけど……堀北さんたちのおかげで田中君の魅力に気付いてくれたって考え方もあるんじゃない?」
「ない」
「うっ、田中君って意外とネガティブなんだね」
誓って言うが、俺の顔面偏差値は平凡だ。
男の価値は隣にいる女で決まるというが、その逆も然り。
堀北と櫛田に絡まれている俺にも魅力があると錯覚されているだけだろう。
「田中君、どうしたの!」
一之瀬に気付いた櫛田が聞き込みを切り上げて慌てて走り寄って来る。
「初めましてだよね、櫛田さん。B組の学級委員をしている一之瀬帆波です」
「うん、よろしくね。ところで学級委員って?」
「あ、それは勝手に決めてるの。他にも書記とか色々ね」
うちのクラスには学級委員は存在しない。
Dクラスでは頻繁に茶柱先生による情報のシャットアウトが為されているので、櫛田はまたそれを疑ったのだろうが、一之瀬がすぐにそのことを説明した。
「学級委員……うちのクラスにも必要なのかな?」
「要らないと言うか、時期尚早だと思うが」
「ふーん、それはどうして?」
一之瀬が面白そうにこちらを見てくる。
「Dクラスはまだまだ未熟で結束力も低い。そんな中で責任者を出したら、クラスの連中はそいつに何でもかんでも面倒事を押し付ける。リーダーというより雑用係になるだろう」
で、雑用係はすぐに潰れる。
残ったのはギクシャクした人間関係だけ。
「理屈は通ってるね。それぐらいなら連帯責任にした方が上手く回るってことか。でもいいの? 私にクラスの弱点を教えてしまってるけど?」
「少し探ればわかることだ。手を組む相手に隠すことではないだろう」
「え、手を組むって?」
櫛田が目を驚かせている。
そう言えばまだ櫛田には言っていなかったか。
「聞いて驚いて! 私も田中君の彼女候補に立候補することにしたの!」
一之瀬が楽しげに笑いながら俺の背後に回り込むと、俺の肩にポンと手を置いた。そして俺の肩越しに櫛田を見やり、おそらくは挑戦的に笑ったのだろう。櫛田が俺の背後を冷たく睨み――慌てて笑顔を取り繕っていた。
こんなところでボロを出すとは。
堀北はレイプで成長したが、櫛田は逆に弱体化したようだ。
「ぷふっ、あははははっ!」
一之瀬が大声で笑う。その明け透けな態度に櫛田が目を丸くする。
「ごめんね櫛田さん! 今のは冗談だから!」
「も、もう! 驚かさないでよ! 心臓が止まるかと思ったよ!」
櫛田がホッと胸を撫でおろしていた。
一之瀬がくるりとターンして再び俺と向き直ると、勝ち誇るようなドヤ顔を向けてきた。
いかんな。探りを入れるつもりが探られまくっている。
このまま情報をぶっこ抜かれるのも何なので、俺は降参というように軽く両手を上げてから話題を変えた。
「堀北から聞いたよ。Dクラスに協力してくれるらしいな」
「うん、とりあえず須藤君の件に関してだけね…………えっと」
一之瀬の表情が困惑に変わる。
櫛田がトテトテと俺の右腕に抱き着いてきた。
ニコニコと笑みを浮かべているが、一之瀬を警戒しているのか表情が硬い気がする。
「大丈夫。取らないから」
一之瀬が苦笑してから俺の問いに答えた。
「利害関係が一致しているからね。Cクラスが上に行くには必ずBクラスとぶつかるでしょ。でもDクラスとはまだ直接やり合う機会は少ないよね。違うかな?」
「いや、その通りだ。俺もBクラスとは争うつもりはない」
「決まりだね」
戦略ゲームでいう国境を接していない状態というわけだ。
遠交近攻で手を組むことはできる。
いずれ潰し合いになるかもしれないが、それは今ではない。
「何かわかったら教えるから連絡先を交換しておかない?」
「ああ、そうだな」
俺がポケットから携帯を取り出すと、櫛田がその手をやんわりと止めた。
裏表のなさそうな笑顔で俺に言う。
「私が代わりに交換しておくねっ!」
「……あ、ああ。頼むよ」
断ったらヤバい気がした。何となく。
話はこれで終わり。
櫛田は未だに一之瀬を警戒しているのか、俺の腕を引きずってBクラスの前から退避した。
日没後。
俺はスーパーで食材を買い込んでから学生寮に戻り、何となくポストを開いた。
一之瀬の連絡先が入っていた。
「……マジか」
なぜか一之瀬は櫛田ではなく俺とのホットラインを求めていた。
俺はそろそろ佐倉の扱いを考えなければと思っていた。
佐倉愛里は須藤の暴力事件を目撃していた。
自撮りをする場所を探していたら現場に遭遇してしまったのだったか。
貴重な目撃者だが、須藤と同じDクラスだ。
須藤の無罪を主張するには適していない立場である。
Dクラスの不利益を回避するために目撃証言を捏造したと疑われてしまうからだ。
あと佐倉はグラビアアイドルである。
アニメだとネットアイドルみたいな扱いだったが、原作だとばっちり少年誌にも出ていた。この学校に入学してからは活動を休止しているらしいが、未だにブログには自撮り写真をアップロードしている。
しかし佐倉はグラドルという目立つ仕事をしていながら、極度に内向的な性格をしていた。一学期の後半にも関わらず友人はゼロ人。以前の俺を思わせる悲惨さである。
レイプしたら心が壊れて即退学なんてことも有り得る。
それほどメンタルが弱そうに見えて、今まで中々手を出せなかった。
どうしたものか。
佐倉の証言はぶっちゃけ必要ない。Cクラスの石崎どもを潰せばいいだけの話だ。
だから放っておいてもいいのだが――。
俺の携帯が振動していた。
九割は椎名からだ。残り九分が櫛田からで、残りが堀北。
情報のノイズが大きすぎて一々確認するのが面倒になってくるが、たまに価値ある情報が紛れ込んでいるので見ないわけにもいかないのが困りものだった。
俺は溜息を吐いてから携帯を手に取った。
『確認メールぐらい送ってよ! \(*`∧´)/ ムッキー!』
件名に一之瀬ですと書かれていた。
彼女の連絡先を強制的に入手させられた俺だったが、櫛田にバレたら危険なので連絡先が書かれた紙ごとポストに放置している。
気付いていないフリをして時間稼ぎだ。こそこそ作戦である。……違うか?
一之瀬はどこからか俺の連絡先を入手したらしい。
俺は須藤の件で綾小路や平田とも連絡先を交換していた。そこから情報が漏れたようだ。
『返事をしないとBクラスとDクラスが戦争になるよ?』
十分ほど無視して放置していたら、追加でメールが送られてきた。
なおその間に椎名が『今から礼司君でオナニーします』なんて酷い文面を送り付けている。
いや、待て。落ち着け。
ちょっと混乱しそうになったが、椎名は今は関係ない。
俺の所為でBクラスと戦争をするわけにもいかない。
俺はこのメールを櫛田に転送してから、改めて一之瀬にメールを送り返した。
浮気ではないと言い訳する亭主の気分だが、隠し事はバレた時のリスクが大きいからな。一之瀬に脅された田中君ポジの方が都合がいいのだ。
『何が目的だ?』
『明日の放課後、用事ある?』
『ある』
特にない。
『四時に中庭で待ってて』
『あると言っただろうが』
それきり返事はなかった。あいつはこっちが暇なのを見抜いてやがるようだ。
暴力事件の聞き込みはキャンセルできるから、一之瀬の見込みは当たっているのだが。
一之瀬の返信を待っていると、携帯が震えた。
『イキました』
……そうか。
と言うわけで翌日の放課後である。
「田中君っ! 今日も聞き込みをするの?」
櫛田が俺のところにやって来る。
堀北がそれを忌々しそうに眺めていた。一緒にいる口実を取られたと思っているのだろう。
「いや、今日は別の用事があるから」
「私も一緒に行っていい?」
「昨日のメールに関係することでな。悪いが外して貰っていいか?」
「え? う、うん。わかった」
櫛田は不満というより不安そうだった。
心配そうにこちらを見てくる。
「大丈夫? 一之瀬さんに脅されてるとかじゃないよね?」
「それはないと思う。あれは一之瀬なりの冗談だろう」
俺にメールを無視されたから戦争をするなんて言ったところで、Bクラスの仲間たちも納得しないだろう。
仲良しクラスに見えて実際は一之瀬の独裁政権だったら話は別だが、流石にそこまで悪辣なことはしていないと思う。まだ高校生だからな。テロリストに育てられたスナイパーが高校生している世界もあるが、こっちはそんなに殺伐としていないと思いたい。
櫛田と別れて中庭に向かう。指定されていた待ち合わせ場所だ。
約束の時間まで三十分もあるはずなのに、一之瀬はもう中庭のベンチに座って待っていた。
ふんふーんと最近の音楽を口ずさみながら携帯を触っている。
「よう。早かったな」
声をかける。
「わっ、わっ!」
一之瀬がパッと立ち上がった。鼻歌を聞かれたのが恥ずかしいのか照れているようだ。
「た、田中君こそ早いよねっ。メールだとつれなかったけど」
「俺は嫌いな食べ物から先に食べるタイプなんだ」
嫌な用事も先に済ませるに限る。
暗にそういう意味を込めて発言すると、一之瀬が不満そうにジト目を向けてきた。
「田中君って何時もそんな感じなの?」
「何が言いたい?」
「櫛田さんと堀北さんを侍らせているプレイボーイって聞いてたけど、ちょっとアテが外れたかもしれないなって」
喧嘩を売られているのだろうか。
まぁ買う気はないのだが。
俺は肩をすくめてからベンチに腰を下ろす。
部活動に勤しむ生徒の掛け声が聞こえてきた。青春しているようだ。少しだけ羨ましくなるが、俺も混じりたいとは思えない。
「須藤の件で協力してくれるらしいが、俺を窓口にするのは人選ミスだぞ。そういうのは櫛田や堀北の方が適任だろう」
「うーん。今日はそれとは別件なんだよね。綾小路君か田中君のどちらかに頼もうかなって迷ってたんだけどさ」
「別件って、プライベートな用事ってことか?」
そんなイベントがあったのか。
原作の内容をあまり覚えていないので返答に困る。
しかしプライベートな用事なら同じクラスの友人にでも……いや、同じクラスだからこそ知られたくないと言うことか。
「田中君って口は堅い方?」
「代金次第では堅くなるぞ。どうやらこれは一之瀬の弱味をゲットできるチャンスみたいだな」
一之瀬が満面の笑みを浮かべて、携帯でパシャっと自撮りした。
あっという間に一之瀬と俺のツーショットの出来上がりだ。
「これ、櫛田さんに送信してもいい?」
まぁ、別に問題はない。櫛田には脅されている田中君と言うことにしているからな。
とは言えこのまま拒否し続けたところで、一之瀬は次々に攻勢を仕掛けてくるだけだ。
「貸し一つだからな」
一之瀬が満足げに微笑んでから俺の隣に腰を下ろす。
この判断が致命的なミスだと気付いたのは三分後のことだった。
「田中君って櫛田さんか堀北さんと付き合っているわけじゃないんだよね」
「見ればわかるだろうが、まぁその通りだ」
「どうして付き合わないの? 二人ともすごく可愛いのに」
いや、俺レイプ魔だから……。
すでに四人もレイプしている。被害者はこれからも増えるだろう。
そんな俺が恋人を作るなんておこがましいにも程がある。
「もったいないなぁ。田中君、今がモテ期かもしれないよ?」
「かもしれないが、俺は別に……」
言葉を止めた。
誰かが俺たちを見詰めている。
視線を追いかけると、校舎の角に気弱そうな少女がいた。
「……あっ」
一之瀬が心細そうな声を出す。
「ど、どうして男の人がここにいるんですか?」
ショートヘアの少女だった。
Dクラスでは見たことがない。たぶん一之瀬と同じBクラスなのだろう。
「……あっ」
思い……出した!
これ告白イベントじゃねぇか。なんで俺はこんな重要イベントを忘れてたんだ。
一之瀬は同じクラスの“女子”に惚れられていた。
百合である。男からすると目の保養になるからぜひとも付き合って貰いたいのだが、残念なことに一之瀬にはその気がない。
何にせよこれ以上一之瀬と一緒にいるのは不味い。俺は無言で逃げようとした。
これが二つ目の判断ミスだ。
冷静になって事態を収拾させる機会を俺は自ら投げ捨ててしまった。
「待って!」
一之瀬が俺の背中に飛び掛かる。
「ちょ、放せよ!」
俺は力任せに振りほどこうとして、躊躇ってしまった。
一之瀬を振り落としたら怪我をさせてしまうかもしれないからだ。
それを見ていたショートヘアの少女が絶望的な顔をした。
「そんな……一之瀬さんが男の人と抱き合ってるなんて……」
いや、抱き合っていると言うより羽交い絞めにされているんだけど。
「あはは……そ、そうなんだよね。私たち、付き合ってるの!」
「ちょっと待て! いくらなんでも無理やりすぎるだろ!」
「彼って照れ屋だから! 付き合ってることは今まで内緒にしてたんだ!」
今さらながら俺は気付いた。
一之瀬が櫛田たちと付き合っていないのか確認したのはこのためだったのだ。
「聞いてくれ! 俺たちは別に付き合っているわけではない!」
「気休めはやめてください!」
少女が怒鳴った。
大人しそうな見た目をしているが、だからこそ怒らせるとやばいタイプだ。
「一之瀬さん、彼氏がいたんですね。私、馬鹿みたい」
「ご、ごめんね、千尋ちゃん」
「……ずるいです。一之瀬さん」
少女がサッと身を翻した。
涙をこぼしながら走り去っていく。
一之瀬がそんな少女を寂しそうに眺めていた。
「……私、ずるかったかな」
「そりゃそうだろ。真剣に告白しようとしている相手に彼氏をぶつけたんだ。断るための口実にしたかったのだろうが、俺にはお前が相手の気持ちを受け止めずに逃げたかったようにしか思えないな」
「……ぐさぐさ刺さるんですけど。そうだよ、私は自分だけ楽したかったんだよー」
一之瀬が不貞腐れたようにベンチの背もたれに身体を倒した。
恋心を受け止めるのは、正直しんどい。
俺も堀北の想いを重いと思うことがある。だからこれはブーメランだ。
「はぁ。失敗しちゃったか。どうすればよかったのかなぁ」
「俺を連れて来たのが間違いだったんじゃないか?」
「でも、他に断り方が思い付かなかったし」
「普通に断ればよかっただろ。同性とは付き合えないって」
二人して溜息を吐く。
綾小路みたいに上手く収められなかったが、何にせよ告白イベントは切り抜けたようだ。
「今日はごめんね。こんな変なことに付き合わせちゃって」
「こっちこそ、あまり役に立てなくて悪かったな。貸し一つと言ったが、無しにしてくれて構わないぞ」
「そんなことないよ。田中君がいなかったら、はっきり断れなかったかもしれないし」
一之瀬はそう言うが俺が対応を誤った結果、百合少女の心は傷付いてしまった。
もっといい方法があったのではと思う。
と言うか、いきなり百合少女がやって来たのが問題だ。事前に一之瀬から説明を受けていたら他にやり様があったはずだ。
結論。俺は悪くねぇっ!
俺が一之瀬に気を取られている間に、佐倉の件が進行していた。
堀北が佐倉に声をかけようとして、ビビった佐倉がデジカメを床に落とす。堀北はその場では「デジカメを落としたのは彼女の自己責任よ」なんてツン発言で周りの顰蹙を買っていたが、堀北にも人並みの罪悪感はある。
佐倉のデジカメを修理するために電気屋に行こうと誘ったのだが、佐倉は堀北が怖かったのか二度目の逃走を計った。仕方なく綾小路が声をかけると佐倉は提案を受け入れ、次の休日には二人で電気屋に行くことになっていた。
そんなこんなで俺は平穏な日々を享受していた。
レイプジジイのノルマから解放されて、夏休みになるまでは自由を満喫できるはずだった。
ある日。
教室に入った俺は違和感に気付いた。
クラスの女子がチラチラと俺を見ているのである。
櫛田が不安そうな顔をしながら俺のところに来た。
堀北も不機嫌そうな顔をしながらやって来る。
「あ、あの、田中君。本当に脅されてないんだよね?」
「不愉快な噂話を聞いたのだけれど、本当かしら?」
「いや、何のことだ?」
わけがわからない。
俺が困惑していると、堀北が溜息を吐いた。
「あなたが一之瀬さんと交際しているという噂が流れているのよ」
「…………は?」
いや、意味がわから――。
あ。
「その顔、心当たりがあるようね」
百合少女の口から噂が広まったと言うことか。
それしか考えられない。
ならば一之瀬から俺たちは付き合っていないと言って貰えれば事態を収拾できるはずだ。
「……田中君」
櫛田が泣きそうな顔をしている。
「Dクラスを守るために自分を犠牲にしなくてもいいんだよ?」
「いや、違うから」
俺はそんな殊勝な人間ではない。Dクラスなんてどうでもいいから。
「……どう言うこと?」
眉をひそめる堀北に、櫛田が携帯を見せ付けた。
『返事をしないとBクラスとDクラスが戦争になるよ?』
それは一之瀬の冗談だった。
返事をしなかった俺に対する当てつけみたいなものだ。
堀北の視線が鋭さを増した。
「なるほど。一之瀬さんが須藤君の件で協力を持ち掛けてきたのも、最初から田中君が目当てだったと言うことね」
「私も最初から怪しいって思ってたんだ。一之瀬さん、いきなり彼女候補とか言い出したんだよ」
「どうやらそれで決まりのようね」
違うから。俺が目当てって、マジで意味がわからんぞ。
これは、どうすれば二人を納得させられるのだろうか。
俺が勘違いを続ける二人にかける言葉を考えていると、教室に張本人たる一之瀬がやって来た。
おそらく大慌てで走って来たのだろう。汗をかいていて、制服も乱れていた。十五歳とは思えない色っぽさである。もしかしたら誕生日が来ていて十六歳になっているかもしれないが、どちらにしろあまり変わらない。
堀北と櫛田が目を細めた。「色気で篭絡するつもりね」と言っている。
「田中君! ちょっと顔貸して!」
「やめろ。お前の行動は事態を悪化させている」
「意味わかんないから! 来てよ! とにかくこっち来て!」
俺の腕にぎゅっと抱き着いて引っ張っている一之瀬を見て、クラスの女子たちが全力で内緒話を開始した。……このまま教室にいるのも不味そうだ。
教室を出て行く俺たちに櫛田が言う。
「田中君! 信じてるから!」
俺は精一杯の虚勢を張って櫛田たちに笑いかけた。
「大丈夫だ。問題ない」
問題ありまくりだ。
櫛田たちは磔刑にかけられる救世主を見守るように俺を見送った。
例のごとく階段の踊り場まで連行される。
「本当にごめんなさい!」
がばっと頭を下げられた。一之瀬の初手は謝罪だった。
「俺たちが交際しているという噂話が流れているらしいが……」
「たぶん千尋ちゃんだと思う。クラスの子に相談したんだろうね」
失恋したのを慰めて貰おうとしたのだろう。
しかし相談した相手が悪かったようだ。数日かけてじわじわと噂話が広まり、おそらく昨日それが爆発した。
「今もグループチャットとかでどんどん広まってるみたい。たぶん一年生の半分ぐらいは知ってると思う」
「情報化社会ってすごいよな」
「笑い事じゃないよ!」
一之瀬が俺のネクタイを引っ張った。首が締まる。
俺はネクタイと首の隙間に指を入れて気道を確保してから答えた。
「俺たちは付き合っていない。以前からそういう素振りも見せていない。異常にモテている俺に嫉妬した誰かが噂を流した。あるいは人気者の一之瀬を妬んだ誰かが噂をでっち上げた。そう言うことにすればいい」
「……うーん」
俺の対処法に、しかし一之瀬は悩ましそうに唸り声を上げた。
「普通ならそれでいいんだろうけどね。今回はちょっとそれは無理っぽいかも」
「なんだと?」
「千尋ちゃんが疑いの目を向けてくるの。昨日なんて本当に付き合ってるのって言われちゃった」
「それは自業自得だ。俺が知るか」
身から出た錆というか、俺を口実にして千尋とやらを振ろうとしたツケだ。
「そんな薄情なことは言わないでよ。ね、私を助けると思って、付き合ってることにしといてよ」
「無理だ。やめろ。手を放せ」
一之瀬が俺の手を取った。
女子ってずるいよな。頼みごとをする時に相手の手に触れやがる。
「田中君、お願いっ!」
「嫌だ! なぜ俺がそんなことをしないといけない!」
「ならポイントあげるから!」
階下からざわざわと音がしていた。大量の野次馬が俺たちを見物している。
俺のチート聴力が野次馬たちの会話を拾っていた。
「痴話喧嘩かな」
「あの田中って奴、三股かけてるんだろ」
「ポイントを貢がせてるみたいだぞ」
「一之瀬さん可哀想」
タナカスの伝説がまた一つ積み上げられている。
俺は目を細めた。
わざとだ。
周りに見られるように階段の踊り場を選び、大声でポイントをあげると言ったのも、すべては俺を追い詰めるための布石だ。
同性からの告白には対処できないくせに、俺を追い詰める手管にだけは長けてやがる。
「田中君! これからよろしくねっ!」
「……後で覚えてろよ」
一之瀬が俺の唇に指を当てた。俺は黙り込んだ。
「私の彼氏はダサい捨て台詞は言わないんだよ!」
不覚だが、可愛いと思ってしまった。
一之瀬がポチポチと携帯を触る。
俺の携帯が震えた。おそらくポイントを送信されたのだろう。
「金で男を買うのか」
「こうしないと私の言うことを聞いてくれないよね?」
くっ、契約と納期に縛られた社畜思考のせいで逆らえない!
断言しよう。一之瀬は悪女だ。