エイトの兄貴の機嫌がいい。まあ、珍しいことじゃねえんだが。
兄貴は意外と感情の起伏がおありだ。そして面白いことにとてもわかりやすい。
イライラしたりとか激昂なさることはほとんどないが、ときに春先の蝶々のようにうきうきとなさったり、雨降りを恨めしそうに眺める子犬のように落ち込みなさったり、または冬眠中のリスのように無反応だったりなさる。……リスは冬眠するんだったか?
とにかくだ、ククールのせいで、深夜のゴルドでしつけの悪い騎士団員に絡まれたとおっしゃっていたが、夜にはベルガラックの酒場で珍しく飲んでらしたし、何より今日の機嫌の良さからして、大した事件じゃなかったんだろうな。
エイトの兄貴は、まあ、俺が言うのもナンだが、小柄でいらっしゃる。槍を背負ったまま街中をうろうろなさると、民家の戸に引っかかったり、階段で突っかかったり、振り返った拍子に俺にぶつかったりと、はっきり言って邪魔くさい。
ゴルドでの痴漢事件があったからじゃねえが、ククールの言うとおり、街中では槍でなくて剣かブーメランを背負っていて下さるとありがてえ。兄貴の後ろを守る俺としては、ビジュアル的にブーメランが好みなんだが……。
「なんだろう、あの建物」
兄貴がふと歩みを緩めておっしゃる。だが、兄貴の身長より長い槍をぼんやりと眺めていた俺は、兄貴の視線の先にある建物とやらがなかなか見つからなかった。
「ちょっと変わったデザインね……」
「うん、変わったデザインというより、早く言えばヒョウ柄の趣味の悪い建物だな」
「ヒョウ柄っていうか、ほぼヒョウだね」
何だ、何のことを言ってる?
嬢ちゃんもククールも、その建物を見つけたのか? どこにある? 俺は目をこらした。
「ねえ、ちょっと行ってみよ」
「出たな、わがリーダー様の寄り道」
「違うよ、探索」
「はいはい、どっちでもいいけど、さっさと済ませて夜までにはサザンビークに行きましょう」
そうだ、サザンビーク。俺たちは昼間闇の遺跡に行ったんだが、ドルマゲスの張ったらしい結界に邪魔されて内部に侵入できなかった。ギャリングの家の捜索隊も頭を抱えていたが、結界を払うことのできる魔法の鏡が、サザンビークに伝わっているということを聞かされた。秘密を暴くためにもサザンビークに急がなきゃならねえんだが。
「ね? いいよね、ヤン」
「もちろんでがすよ」
いいも何も、兄貴の行きたい所は俺の行きたい所。でも、その建物がわからねえ。仕方がないので黙って兄貴の後ろを着いていくと、急に気配が変わった。
「ああっ!」
「ヤン、どうしたの?」
「何か、いる。静かに……気をつけてくだせえ」
冷たい気配があたりに立ち込めている。それに、このニオイ。獣のニオイ……。俺はみんなに身を隠すように手で合図する。
「ねえ、ヤンガス? どうしたのよ。なんなの?」
「わかんねえか、嬢ちゃん? 相当数の……」
「ああっ? 何だって?」
馬鹿、ククールの奴め、大声を出すな! 気づかれるだろう……と思った矢先、かなり近くに何かの気配を感じた。何かいる! そいつは俺が身構える前に、こう叫んだ。
「んなーっ!」
何だこいつは!
俺の目の前に、まるっこい年齢不詳の男が立っているじゃねえか! 更に俺はたまげた。この瞬間まで、この建物に気づかなかった。いつのまにか、建物の真ん前に立っているなんて。丘の上から見下ろすように建っているこの建物は、あまりに風情が周りに溶け込んでいて……。
「えー? わかんないなあ、やっぱりこっそり育てるしかない?」
「んなのほっとけよ?」
「それはかわいそうよ!」
兄貴たちは、まるっこい男と何か話しこんでいるが、俺はこの建物になぜか心惹かれていたので、話に加わらず、外壁なんかを調べていた。
うん、よくできている。ここで仕事するのも悪くねえ。この近くに小さな山小屋を作って、兄貴と二人、つつましく生活できたら……。
「……それも悪くない……。ヤンもそう思う?」
何ですって? 俺と暮らすのを同意して下さった? いや、俺は声に出して言ったわけじゃねえし……。俺はこんらんした。
「ちょっとヤンガス、何を一人で悩んでるの? てゆーか、ちゃんと聞いてたの?」
「へっ?」
「ああ、もうヤンたら! クイズだよ、クイズ! 答えられないと入れてもらえないんだ。さっきからみんなで答えてるんだけど、全然わかんなくて」
クイズですって? 何の話です? 俺はまだこんらんしている。
「だから、キラパンを仕留めて、献上すりゃいいんだよ」
「ダメよ。かわいそうだわ。まず治療よ。ちゃんと治療して群れに帰してやらなきゃ」
「だから、そんな選択肢ないでしょ、ゼシカ」
「問題がヘンなのよ!」
俺は完全に話に入っていない。みんな俺を無視してクイズに夢中になっている。中学生なら、軽くイジメにあった気分になるぜ?
「んなーっ!」
うるせえ男だ。なかなか建物に入れてくれないので、俺もこのカラッチという奴の話を聞くことに。……なんだ、そういうことか。
「エイトの兄貴、あっしに任せて下せえ。森の常識ですぜ」
俺はなんなく面接(クイズではない)に合格し、ラパンハウスに入ることを許された。
「中もすごいわね」
「うぅ~ケモノくせえ」
この屋敷でキラーパンサーを飼育しているラパン氏。執事のカラッチは「どうぞどうぞ、是非会ってください」なんて言っていたが、当の本人はなんだか忙しそうにしている。
屋敷内には大きな檻があり、キラパンが目をギラつかせてぐるぐる回っている。
奴らは兄貴を見て怯え、ククールに歯を剥き出し、嬢ちゃんにはマウンティングの体勢を見せた。そして俺には腹を出して甘える。
「へえ~、さすがヤン。キラーパンサーがなついてるよ」
「これは珍しい。初めて会ったかたにこんなに甘えるとは……。どうです? 将来はここでこのパンサーたちの世話をするというのは?」
書類をめくる手を止め、ラパン氏が言った。
「ああ、いいっスね。みんなかわいいし……」
旅が終わったら、やっぱりこの辺りに山小屋を建てて、兄貴はパンサーに乗ってお城に上がり、俺はラパンハウスで働く……。休みの日は二人でパンサーに乗って遠出を……。
「じゃ、行こうか」
「へっ? どこへです?」
「もう、キラーパンサーに乗って……」
何ですって? 兄貴、兄貴はやっぱり俺の心が読めるんですかい? エイトの兄貴……。俺は束の間、脳内で幸せな幻影を作り出していた。パンサーを駆ってどこまでも続く海辺を走る……波打ち際が陽を受けて輝き、兄貴の憂いを秘めた黒い瞳は、それを写し、星をちりばめたように幻想的に瞬く……。
「明け方までどうするのよ」
「しゃーねえべ? なんつったってわがリーダー様は筋金入りの方向音痴でいらっしゃるからなあ!」
……何の話だ?
「う、うん、ごめんね、みんな目的地で夜営しよう」
……なんだ。またお使いか。俺はキツネならぬキラパンにつままれた気分で兄貴の後を追った。
「速いのう、さすがキラパンじゃ」
俺たちはそれぞれキラパンに乗り、目的地へ向かう。馬姫さまもいつになく軽やかな足取りでパンサーの後を追う。トロデのおっさんも御者台で楽しそうだ。錬金窯が壊れなきゃいいが……。
ところで、お使いというのは、バウムレンという名のラパン氏の友人に、深い眠りのこなというものを渡すことだ。明け方という時間の縛りがあったため、随分早くから移動したが、おかげでゆとりを持って目的を達することができた。早く言えば、成仏し損ねている魂を天に送ってやった、ということだ。
ラパン氏には、礼としてキラパン友の会に入会させてもらった。ククールと嬢ちゃんはそんなのに入りたくないと迷惑そうだったが、キラパンに乗れるという特典には代えがたく、しぶしぶ承知した。そして会員のあかしであるキラーパンサーを呼び出すことのできる鈴をもらった。
俺たちはラパンハウスを後にし、今度こそサザンビークを目指す。
「姫は大丈夫でしたか? 今までこんなに速く移動したことがありませんでしたから」
「大丈夫じゃ。ミーティアはお前も知ってのとおりおてんばさんじゃからな。馬になったら競走馬の速さじゃよ」
「そうですか、でもあまり無理をなさってはいけません。この辺りに泉があるようですから、行って少し休みましょう」
さすがエイトの兄貴。馬姫さまをいたわることもお忘れにならねえ。
しかし、この泉に寄った後、せっかく機嫌の良かったエイトの兄貴が、また深く落ち込みなさるとは誰も思わなかった。
ラパンハウスのお話でした。次は不思議な泉に行きます。