エイトの兄貴が訪れることを切望していた「変な小屋」は、このあたりじゃ「滝の上の一軒家」と言われているらしい。そしてそこにはいつぞやからけったいなおっさんが住んでいるという……。
そしてまただ。またお使い。おっさんの忘れ物を取ってきてくれってさ。そんなの自分でとりやがれってんだ。だが、礼ははずむと言う。俺たちゴールドがカツカツだから仕方がねえか……。
ちょっと小屋の様子を見てそのままリーザス村へ行く予定がまた狂っちまった。エイトの兄貴はドルマゲスを追うことを忘れてらっしゃらねえだろうか。
しかもトロデのおっさんまでが「あわてて追っかけてもぶちのめされるだけじゃ。もとより、リーザスにたどりつくことさえできんかも知れん。レベルを上げるのにいい機会じゃろう」なんてのんきなもんだ。
万全の態勢で行こうというのが俺たちの当面の課題だ。だからおっさんの言うのも当然なんだが、「いいもん作ってるから楽しみにしておけ」と、夜な夜なトンテンカンテンやっているし、ドルマゲス、ドルマゲスって言う割には、兄貴の好きなように寄り道を許しているところなんか見てると、ただの親バカだ。
ちっせえガキじゃあるめえし、おっさんは兄貴に甘すぎる。ついこの間そういう結論に達しただろう?
……なんて考えている間に、忘れ物の道具袋を見つけ、一軒家のお使いがすんだ。やれやれ。
もう辺りは薄暗く、出会う魔物も夜行性の強いのが増えてきた。俺たちは一日中歩き回ってレベル6になっていた。とりあえずこのまま歩いてトラペッタに戻りもう一晩宿をとることにした。
「のう、エイト……、さっきの……」
「トロデ王様、先ほども申し上げました。たとえ王様でも差し上げられません」
エイトの兄貴は珍しくぴしゃりと言い放った。怒ってらっしゃる。兄貴が「トロデ王様」と呼ぶときは何か気に障ることがおありなんだ。
「どうしてもか? エイト……」
そういや、滝の上の一軒家を出てからずっと、トロデのおっさんんはしつこくチーズをくれとせがんでいる。
お使いの礼にもらったチーズのことだ。一軒家の強面のおっさんは、礼はする、とタンカきった割にチーズたあね……おっと、愚痴っぽくなっちまった。
いいかげんあきらめりゃあいいのに、トロデのおっさんはトラペッタの入り口でまだおねだりをしている。腐っても「王様」だぜ? チーズくれえで何をムキになってるんだか。
エイトの兄貴は、ご自分のペットであるネズミのトーポにもらったんだから、とおっしゃって頑なに拒否なさる。
しかし、相手は仮にも「王様」だぜ? 俺がくれって言ってるんじゃねえ。自分の仕えているお城の「王様」だぜ? よく拒否れる。すごい。一度決めたことを最後まで通すなんて、だんだん
「町へ行ってお酒とお食事を調達してまいります。お待ちください」
おっさんは暴れまくったが、エイトの兄貴は涼しい顔でそうおっしゃった。
いつもの憂いを秘めた黒い瞳の底に、得体の知れない熱みてえのが見えた気がした。俺は少し怖くなって頭をぶるぶると振った。
「さ、ヤン、行こう。手伝ってくれるよね?」
はいはいはい、どんなお手伝いもやらせていただきやすぜ。
「おっさんはチーズが好きなんですかい? 長いことくれくれ言ってやしたが」
「うん、でもあのチーズはダメだよ。トーポのだからね」
「酒場ならきっとチーズくれえありやすよ。それで手をうってもらいやしょう」
ほんのちょっとだけトロデのおっさんがかわいそうになった俺は、気持ち、早歩きをした。
酒場は今夜もおんなじ奴らが飲んでいる。
「あら、いらっしゃい。ルイネロさんならいるわよ」
バニーの姉ちゃんがウインクしながら早速兄貴に声をかけた。ルイネロってのは、俺たちに水晶玉を探しに行かせた占い師だ。
「いえ、違うんです。お酒と、何か食事を包んでください。チーズがあればそれも」
兄貴がそうおっしゃると、カウンターからマスターが言う。
「すまないね、兄さん。あいにくチーズ切らしてまして。酒は赤ワインのいいのがあるよ。ツマミに牡蠣なんてどうだい?」
こういうことってあるよね、しかたないか、とエイトの兄貴はポツリとおっしゃった。少し伏せた瞳が哀愁に満ちて……。
「じゃ、それでお願いします。あっ、マスター、木の実あります? ローストしてない、生の」
「生の? はい、ありますよ。日持ちしませんが」
「うん、少しでいいんだ」
エイトの兄貴はこれくらい、と片手を器にして見せなさった。
トロデのおっさんは食事を受け取ると、一杯付き合え、と誘った。酒の苦手でらっしゃる兄貴は、先に宿へ行くとおっしゃり、なんと、あのチーズをお出しになった。
「エイト、よいのか?」
「……ええ。一つずつで申し訳ないのですが」
「あっ、あっしはいいでがす。バタ臭いもんは苦手でげすから」
兄貴は、そう? とおっしゃって俺からチーズを受け取ると、一人宿屋に向かわれた。……悲しそうな兄貴の背中。滝のボス、ザバンからイバラの城の話を聞いた時と同じくれえ悲しそうな背中だった。俺はそのお姿が気になったので、本当に一杯だけ付き合って宿に走った。
「……ごめんね、君のなのに。トーポにってもらったのに。戦いのときに使うんだよね、あのチーズ。でも、チーズが売ってなくて、それで王に一つあげちゃったんだ。そのかわりほら、珍しい木の実だよ」
建てつけの悪い扉から、ホントにごめん、とおっしゃるのが聞こえてくる。ああ、なんてお優しいんだ、エイトの兄貴。俺はトロデのおっさんをぶん殴ってくればよかったと後悔した。
トーポの、カリカリと木の実を食う音がし始めたので、扉をノックした。
「あれ、ヤン今夜は早いね。どうしたの?」
扉を開けた兄貴は、目をくるくるさせておっしゃった。俺は「早い」に動揺している。
「あっ、いや、エイトの兄貴がお疲れみたいだったんで、ちょいと心配なんぞしてみやした」
エイトの兄貴は気をつかわれるのを嫌いなさるから、俺は余計に気をつかっちまう。
「僕は大丈夫。今日はいろんなことあったよね。滝の上の一軒家、のぼりくだりで目が回っちゃったよ。ヤンは大丈夫だった?」
「あっしは、鈍感でげすから、目が回ったり船に酔ったりしやせん」
「お酒には酔うでしょ?」
ああ、そりゃあもう、と言うと、兄貴はにっこり笑ってサイドテーブルのビンを指差した。ワインと、伏せられた二つのグラス。
「どうしたんでがすか? 兄貴が酒なんて」
「うん、ルイネロさんが僕たちにって。さっき王に持ってったのもそうなんだって」
俺たちに酒を? あの旅芸人みたいなおっさんが?
「水晶玉が戻って、また占いができるようになって良かったんだって。ユリマちゃんとこれからも占っていくんだって。……ね、これはさ、ちょっとしたお祝いじゃない? だから僕もお相伴にあずかろうと思って」
そうか、あのルイネロのおっさんが……。ユリマってのは本当の娘じゃないらしいが、なかなかしっかりした娘っこだ。ルイネロのおっさんより占いの腕もいいんじゃねえかと見える。ま、そういうことなら遠慮なく飲みやしょう。兄貴とサシでなんて、幸せすぎる!
兄貴はしかし、「でもダメなんだ。できないんだよ」と悲しそうにおっしゃった。
何ができないんでがすか……俺はぼんやりと、もう間もなく訪れるはずのお、兄貴とさしつさされつ(酒をだぞ?)……その至福の時に思いをはせていると、エイトの兄貴は憂いを秘めた黒い瞳を潤ませ、俺の目をまっすぐ捕らえ、
「ヤン、抜いてくれる?」
!!!!!
「待ってたんだよ、ヤンに抜いてもらおうと思って。一人でできると思ってやってみたんだけど、ダメなんだ。今、すごく中途半端で」
俺は、俺は、ものすごく勘違いしている俺の身体の中心をどうにかしたい! いや、この右手がっ!
「ヤンならうまく抜いてくれるよね。宿のおばさんに頼むのも……ね。でももし今晩ヤンが帰ってきてくれなかったら僕、我慢できなくて宿のおばさんに抜いてくださいって頼んじゃったかも」
エイトの兄貴は真っ赤になって、珍しく早口でおっしゃる。
「ヤン、いくらなんでも一人で抜けないなんて恥ずかしいよね。ヤンにしか、こんなこと言えないよ」
エイトの兄貴は俺と視線が合うのを避け、斜め右下方向に顔をうつむかせなさった。……かわいい……。兄貴にこんなつらい思いをさせちゃあならねえ!
「せせせ、僭越ながら、あっしが抜かせていただきやす……」
「うん、早く、抜いて。あとちょっとだと思うからっ!」
俺は、両の手のひらの汗を背中でぬぐい、なめらかなボディを左手でしっかりと支え、右手で……
ぽんっ!
一瞬の出来事だった。小気味よい、それでいてちょっと間抜けな音を立てて、それは飛んだ。
「ああっ、ヤン、すごい! 巧いよ、気持ちいい!」
そして俺の脳みそは貧血を起こした。
品がなくてすみません。次はリーザス村へ行きます。