「わっ! ごめん!」
「またかよ、勘弁してくれ!」
「だってつるつるして……あっ!」
「いてっ!」
ゼシカの嬢ちゃんの家で一泊し、鋭気を養った俺たちは、再びオークニスに戻り、グラッド探しのため薬草園に来ている。
この洞窟は入りくんでる上、道が凍ってるもんだから歩きにくい。先頭を行くエイトの兄貴はとても楽しそうだ。しかし、つるつると滑っては足をふみ外し、せっかく登った橋から落ちちまう。
3回目に滑った時、兄貴を支えようとして俺は橋から落ちた。すると、バランスを崩したエイトの兄貴も一緒に落ちなさった。それも見事に俺のハラの上に。
「ぐえっ!」
「ごめん、ヤン……。大丈夫?」
仰向けに倒れた俺の上に覆い被さるようになり、兄貴は憂いを秘めた黒い瞳を潤ませ、小首をかしげて「ヤン、大丈夫?」と繰り返しなさった。ああ、抱きしめたい!
「あっ! 大丈夫じゃないよね、鼻血だよ?」
えっ? 鼻血でがすか?
「あっ、いや、大丈夫でがす……。それより兄貴こそ」
「僕なら大丈夫。ヤンのお腹、弾力があるね。助かったよ」
ああ、至福の時……。いつまでもこうしていたいが、早く俺から降りて下せえ。でないと血液が……。マジで起き上がれなくなっちまいやす。
「大丈夫なのー?」
上から声がかかる。嬢ちゃんだ。
「うん、今行くから待ってて」
俺は兄貴と二人でつるつるの道を戻った。二人で……。
兄貴……最近、二人で歩くなんてねえでがすね。思えばゼシカの嬢ちゃんが入る前までは、いつもこうして二人でドルマゲスを追い。今、あっしたちは何を追っているんでがしょうか……。
ツララにぶつからないよう、滑って転ばないよう、細心の注意を払って歩く。
俺としてはまた一緒に転んでもよかったんだが、エイトの兄貴がしきりに痛い痛いと腰をさすってらっしゃる。腰が立たなくなったらてえへんだ。また近いうちにすっきりさせに行かせて差し上げたいし……。
そんなことを考えていると、兄貴はまたつるっとすべって俺の肩につかまりなさる。
「ふう、ごめんね、ヤン……。いつもいつもヤンに迷惑かけてるよね、僕」
「そんなことないでがすよ。あっしは兄貴とこうしていられるだけで幸せでがす……」
そう……。エイトの兄貴ともう半年以上もこうして旅をしている。これ以上、何を望むことがあろうか……。
ザクザクと氷の道を進む音。俺と兄貴の奏でるハーモニーは、限りない時を刻む。
いっそこのまま氷の迷宮で一生を過ごせたら……。
いやいや、めったなことを考えるもんじゃねえ。そういや、この旅の途中でめでたく男におなりになった兄貴。漢とは言え17歳。出したいまっサカリなお年頃。なさりたくてガマンなさってらっしゃるんじゃないかと心配だ。
「ちょっと、遅いじゃない? 寒くて凍えちゃうわ」
ようやくもとの場所に戻ると、嬢ちゃんがムチをヒュンヒュン回しながら怒っていた。
「オレがあっためてやるって言ったら、これだよ」
「当たり前じゃないの。近づいたら双竜打ちよ」
「こええな~ゼシカ。マジで杖持ってねえのか?」
「持ってないって言ってるでしょ!」
ったく相変わらずククールの奴ァ嬢ちゃんに熱あげてんだな。
そうだそうだ、兄貴と嬢ちゃんをくっつける計画が止まっちまったが、どうやら兄貴も男におなりになったわけだし、あれはなかったことにしよう。それに、嬢ちゃんみてえな小娘じゃご不満だろうから。
「ちょっとヤンガス、小ばかにしたような目つきで見ないでよ!」
「まさかゼシカ、トゲトゲはそんな恐ろしいことできる野郎じゃねえぞ?」
「あはは、二人とも、あんまりヤンをいじめないでよ」
二人を見る目にも余裕がおありだ。まあ、ククールが誰とナニしようが、俺には全く関係ねえな。
まあ、そんなこんなで、ネズミのトーポも活躍し、グラッドへの届け物が無事に終わった。グラッドときたら、もういい歳こいてるんだろうに、寒いのなんのと文句の多い、ヘタレ野郎だった。ついでにオークニスまで連れて行ってくれとさ。だが、オオカミに襲われたっいうんじゃ気の毒なこった。ただの薬師なんだから、仕方ねえ。エイトの兄貴も、快くお引き受けなさる。
手っ取り早くリレミトし俺たちは薬草園の外へ出た。出た所でオオカミの群れに襲われた。グラッドの言うように、待ち伏せしていたような様子だ。オオカミらはテンション溜めまくり、仲間を呼びまくる、手強い群れだった。俺たちに追い払われても、オオカミたちは執拗にグラッドを狙う。何なんだ、一体。グラッドはオオカミのエサでも持っているんじゃねえだろうか。
だが、突然「違う、真の賢者はこいつじゃない」のような不思議な声がしたかと思えば、オオカミたちは声とともに去ってしまった。
「なんかヘンじゃねえか?」
「ククールもそう思う? 賢者って言ってたよね。でも、レオパルドは犬だし、あれはオオカミだったし……」
「……あたし、嫌な気配を感じたわ……あの、杖の……」
なんてこった! 近くにレオパルドがいたのか?
「杖は黒犬レオパルドが持って行ったんじゃねえか。なぜオオカミが……」
「ヤンガス、はっきりしたことは言えないのだけれど、あの感じ……自分の意志に反して……いえ、杖はあたしの意識を支配した。その上で、賢者を殺せと働きかけてきたのよ。あのオオカミを操っていたのは、あの黒犬レオパルドに間違いないわ」
嬢ちゃんがそう言うのなら間違いない。エイトの兄貴もぐっと身体に力を入れなさる。
こんなところにいて、またオオカミに襲われでもしたらたまらねえ。俺たちはとにかくグラッドを送りにオークニスへ飛んだ。そしてグラッドの部屋で決定的な話を聞く。グラッドはメディばあさんの一人息子だそうだ。グラッドも賢者の伝説は知っていて、実家の遺跡のことも承知の上で家を出ちまったそうだ。まあ、男子たる者のその気持ちは分からねえわけでもない。世のため人のためって姿勢は見上げたもんだ。
「母が心配です……」
真摯にそう言うグラッドを、俺も応援したくなる。
「よし、一緒にばあさんの所へ行くぞ」
そう言った俺に、エイトの兄貴も頷いてくださった。
だが、賢者のピンチって時に、タイミングの悪いことが起きやがる。レオパルドが狙っているのはメディばあさんだと決定的なのに、患者がやってきたんだ。グラッドは俺たちだけ先ににメディばあさんのところへ行けと言う。
「何なんだ! てめえ、おふくろさんが心配だって言ったよな!」
「ヤン、落ち着いて!」
俺はトサカに来た。2、3発ぶん殴ってやろうと踏み出す。
「ヤン、お願い……」
「兄貴、ここはどうか見逃してくだせえ。こんなアホ息子、許せねえ!」
俺は全力で止めている兄貴の両腕をはずした。
「私を必要としてくれる人がいるんです。患者を放っておくわけにはいきません。薬師ですから!」
グラッドは生意気にも俺を見下ろした。薬草園でのヘタレっぷりはどこにもねえ。そしてすっと頭を下げた。
「申し訳ありません。皆さんの腕を見込んでお願い致します。母を、母を守ってやってください。私も後で、必ず後で行きますから」
「う……」
俺は二の句が継げなかった。
「さあ、行こう」
「急いだほうがいいわ。なんか、あの気配、ここにはないもの。メディさんのところに行ってたら大変!」
「下手にグラッドなんて連れて行かない方がいいかも知れねえぜ。戦いの邪魔だ」
オオカミ、それに杖の気配。ただ事じゃねえことはわかっている。だが……。
「ヤン、大丈夫。グラッドさんはきっと来るよ。約束したんだもん」
俺は兄貴に説得され、メディばあさんの家に向かった。
メディばあさんは家にいなかった。その代り、なんと家の中にオオカミが。
俺たちはすぐに臨戦態勢に入る。
嬢ちゃんが炎を手の中に作り出しながら、言った。
「ねえ、エイト、レオパルドは杖に操られて賢者を探しにオークニスへ来たのよね。レオパルドは初めにグラッドさんを探した。でも、奴の探しているのはグラッドさんじゃなかった。メディさんでしょ? それが今さっきわかったばかりよね? 急げばメディさんを守れるかもしれないわ!」
「そうだね! でもメディさん、家にいないよ! 一体どこに?」
兎にも角にも、このオオカミを倒さなければ、メディのばあさんを探せない。動物に手を出したくはないが、俺たちは魔物化したオオカミたちをぶっとばし、母屋の隣にある遺跡の洞窟へ向かった。
「こっちじゃ、こっちじゃ!」
ばあさんは、不思議な術をつかい、俺たちを結界の中へ隠した。追ってきたオオカミどもは、結界に阻まれて退散していく。
ばあさんは「この中なら安心じゃ」とにこにこしている。やっぱり、嬢ちゃんの言うように、メディばあさんを守れるかもしれない。ここでレオパルドと対決だ!
俺が武者震いをしている横では、エイトの兄貴が静かに石碑を読み続けていなさる。
嬢ちゃんは、杖を出し、ばあさんの側を離れない。
雪の降る音が聞こえてくる。パタパタと乾いた音がいくらでも聞こえるんだ。すげえ降りだ。また積もりやがるんだな。洞窟の中は安全かもしれないが、この雪に閉ざされちまうんじゃねえだろうか……。いや、嬢ちゃんのメラゾーマがあればあっという間に溶けちまうんだろう……。
俺は関係ないことを次から次へと頭に思い浮かべ、今おかれている状況を無視した。
雪は降り続ける。真っ白い景色の中、この洞窟を覗き込むオオカミの目は、まるで燃えているようだ。
まんじりともしない沈黙の中、ついにレオパルドがやってきた。グラッドを捕らえて……。
「お前の息子を捕らえたぞ。さあ、出てこい、我を封印せし賢者……」
ばあさんが洞窟の外へ目をやる。
「メディさん!」
「お嬢さん、あなたの中に、賢者の血が流れている。絶やさぬよう、懸命に生きねばなりませんよ。……そして、エイトさん、これをあなたに託します。あなたのほかに、あの邪悪な暗黒神を倒せる者はおりません。ご自分の力を信じてください」
ばあさんは兄貴に何かを手渡す。
「ちくしょう、待てよばあさん! オレたちの話を聞いてくれ!」
ククールが悲痛な面持ちで訴える。ところがばあさんは、嬢ちゃんの手を優しく握り、兄貴の止めるのをそっと制し、ククールの野郎にはにっこりとほほ笑み、俺にはありがとうと言って頭を下げた。
「僕たち、なんて無力なんだ!」
ばあさんを殺し、悠々と空を駆け抜けて行った黒犬レオパルドを見ているしかなかった俺たち。兄貴ががっくりと膝をついてお嘆きになる。
嬢ちゃんが黒犬の消えていった空を睨んで言った。
「あと、あと一人よ……。残っている賢者は……」
俺たちは失意のなか、とりあえず海辺の教会に飛んだ。
「終わってしまったことは仕方がない。ただ、僕たち、もっと強くなろう……」
エイトの兄貴はそうおっしゃって、眠りにつかれた。
ばあさん……俺たちはばあさんを救えなかった。
俺がオークニスでグラッドに喧嘩を売ってなけりゃ、もっと時間が使えたかもしれねえのに。どこか安全な場所に連れて行ってやれたかもしれねえのに……。
……後悔したって仕方ねえ。このことは、兄貴も気にするなとおっしゃっていた。そして杖が賢者を探し出すことは、誰にも止められねえと嬢ちゃんは言った。ククールはずっと祈りを捧げている……。
切り替えなきゃいけねえな。死んじまったもんは生き返らねえ。それが道理だ。
俺は、ぐっすりとお休みになっている兄貴の側へ行った。
……なんて可愛い寝顔なんだ。漢としても立派におなりだ。勇者の風格も見え始めていなさる。
……俺は兄貴の力になっているだろうか。いつも優しい兄貴。俺に対して文句の一つもおっしゃったことがねえ……。
「ちょっとヤンガス?」
思わずため息がもれたところで嬢ちゃんが声をかけてきた。
「ねえ、聞きたいことがあるんだけど……」
「何だ?」
「あの、エイトのことなんだけど、あたしがいない間、何かあった?」
嬢ちゃん、嬢ちゃんはやっぱり兄貴を?
「あっ、あのね、誤解しないで欲しいんだけど、あたし、呪われてたじゃない? 戻ってきてから、なんかエイトが前より……」
「前より?」
「……前より、しっかりしてるっていうか、大人っぽくなったっていうか……」
「……」
怖え。女ってのは怖え生き物だ。兄貴が男におなりになったのがわかるなんて!
「ああ、まあ、なんだ……リーダーとしてしっかりなさってきた、そう思うんだろ? ドルマゲスを倒したんだし」
「あっ、そうか、そうね。しっかりしてきたのよ。前は頼りない感じだったのにね」
そら、一皮むけたんだから。剥けた? いや、兄貴は被ってらっしゃらなかったろうな……。
「何よ、ヤンガス、ニヤニヤして……。まあいいわ。ところで、ククールがいやにケーハクだけど大丈夫? おまけにやけに素直だし」
「ああ、どうかな。俺には、そんな風に見えねえぜ」
ククールなんぞどうでもいい。いや、兄貴がすっきりなさりに行くには、ククールが一緒じゃねえと駄目だろう。悲しいが、俺じゃ兄貴を満足させられねえ……。
ちょくちょくドニあたりに行かせて差し上げたいもんだ。ただ…嬢ちゃんがいたんじゃ行きにくいだろうな。またリーザスにでも泊まって……。
「ちょっと、ニヤニヤしないでったら!」
「ああ、悪かった。ククールがキラパンに喰われかけてたのが面白かったからよ」
「それ、あたしも見たかったなあ」
嬢ちゃんは、じゃあおやすみなさい、と言ってベッドに入った。
ふう、やれやれ。兄貴が女遊びしているなんて嬢ちゃんに知れたら大変だ。隠し通さなきゃならねえな。
しかし、次に兄貴を遊ばせて差し上げられるのはいつになるんだろう。あんまりためても身体に悪いし。俺が抜いて差し上げられればいいんだが……。俺は兄貴の昇天シーンに身を焦がしつつ、あっさり睡魔の手に落ちた。
そして翌日。俺たちの次の課題は、メディばあさんの遺跡に書かれていた謎の海図と神鳥レティスについてなんだが、先にばあさんから託された最後の鍵を使い、今まで開けられなかった宝箱などをあけて回ることに。面倒な作業だったがかなりいい品物が手に入った。同時に情報収集、錬金も行い、装備もさらにランクアップ。不要品を売り、ゴールドを預けるためにベルガラックへ飛ぶ。
しかし、興味本意で訪れたギャリングの屋敷で、しちめんどくせえ仕事を請け負うことになるとは思いもよらなかった。
次は竜骨の迷宮です。