法皇の館
三角谷というところは、人と魔物が仲良く暮らす世界。空を飛べる者しかたどり着けない場所である。で、今は魔物と化しているトロデのおっさんが気に入っちまってるものだから、到着するなり飲んだくれてなかなかケツを上げねえ。俺もおっさんのペースに引きずられそうになっているようだ。そうならないよう、エイトの兄貴のことを考える……平和な三角谷、ここで暮らせたら……と淡い妄想に浸って。ただ、俺たちの横で、ラジュと話しながらも厳しい目線を送り続けるゼシカの嬢ちゃんがいるものだから、なんだか居心地が悪い。
「空中の酔っ払いはゴメンだわ」という嬢ちゃんの強い言葉に、俺は従わざるを得なかった。エイトの兄貴に何かあって、俺が酔いのせいでお守りできないなんてことにでもなったら大変だ。嬢ちゃんに釘を刺されてちょうどいいのかも知れねえな。
そういえば兄貴は、飛ぶ練習をしたいとおっしゃって、ククールの野郎と出かけて行かれたが、またちょっと遊んでこられるのだろう。トロデのおっさんも、「飛び過ぎできっとエイトは使い物にならない。今日はここに泊まるぞ」と兄貴を気遣う。明日は朝っぱらからレオパルドの捜索だ。ラジュにもらったなんとかいう黒い葉っぱでヤツの居場所がわかるという。その葉っぱは今、嬢ちゃんの手にある。
俺とトロデのおっさん、それにバーのマスターも加わり、チェルスとハワードの話なんかして盛り上がっていたが、俺の予想が外れて、兄貴とククールが戻ってきた。今回はやけに早いんだな。帰りがだぞ? 早○なんてことは一言も言っちゃいねえ。
「兄貴、飛ぶのにはもう慣れやしたか?」
「うん、別に怖くないし、気持ち悪くもなかったよ」
「そうなの、エイト? 良かったじゃない」
「うん、ありがとう。船のときみたいにみんなに迷惑かけないですむよ」
兄貴はそうおっしゃりながら地図を出しなさる。
「ゼシカ、あの葉っぱある?」
「暗黒大樹の葉ね、……これよ」
嬢ちゃんが黒い葉っぱを地図にかざすと、地図上に黒い葉が現れた。
「これが今のレオパルドの位置でがすね」
「これを目指して飛んで行けばいいんだね」
「そうね、三角谷の近くも通るかしら」
しばらく眺めていたが、黒い葉はとくに目的もなく、やみくもに移動しているようにしか見えなかった。
「まだ賢者を見つけてない、ってことかしら」
「そうだろうな。なあ、リーダー、最後の賢者って誰だと思う?」
「それは……天界を見てきた人?」
「リーザスの近くの遺跡でがしたっけ、ありやしたね。名前はレグニスト」
レグニストったって、そんな名前は今まで聞いたことがない。俺以外も首をかしげる。
「天界を見てるんだから、偉い人じゃないかしら」
まあ、それが普通だな。
「でも、マスターコゾは魔法使いだからマスターライラス、ってつながりはあったけど、学者のカッティード? あの人の末裔がメディさんなんてわからなかったよね」
「そうだな、暗黒神すらグラッドと間違えたんだから」
そうだ、もっと言えばチェルスなんて、賢者の血をまったく感じられない、ハワードのおっさんにいじめられただけのかわいそうな人生だったぞ?
「オディロ院長は? ええと、エジュウスだっけ、魔物に優しかったの? ククール、なんか心当たりある?」
「そうだな、あの人は優しくて器のでっかい人だからな。人にも魔物にも好かれるタイプだ。なにせ、あの兄貴を『お前はいい子じゃ』って、可愛がっていたもんな。あの人の前じゃ、だれもが子犬か小鳥みたいになってたぜ」
「ククールも? ククールは子犬? 小鳥?」
「ええっ? わかんねえな、小鳥かな……?」
おい、ククールめ、ニヤニヤするな。それに話がそれてるぞ! 嬢ちゃんも同じように思ったのか、冷たく咳払いをした。
「あ、ごめんね、ええと、レグニストの末裔が誰かってことだよね」
「おう、そうだな、ギャリングはギャリングだしチェルスとあとは……」
「……」
みんな一斉に下を向いた。なぜって、あとは、サーベルト。
「大丈夫よ、あとはサーベルト兄さんよ。魔法剣士。魔法はあたしが引き継いだみたいだけど、賢者の血は間違いなく兄さん。でも、賢者らしかったか、って聞かれたら、違うと思うわ」
嬢ちゃんは早口で、それでも気丈に言った。
「なあ、今度こそ、賢者を守れるかもしれねえよな。賢者が誰かわからなくても。だって、杖の場所は分かるんだし。それにあいつは賢者をまだ探して出せていない」
「そうだね。メディさんの時は駄目だったけど、今度こそ。……ヤン、お酒抜けてる?」
「大丈夫でげす。今日は酔わないモードでがすから」
俺は、マスターをちらりと見る。マスターは、ノンアルコールのメニューを示した。
「ヤン、飲んでないの?」
兄貴の目が丸くなる。そして満面の笑み。ああ、我慢しておいてよかった!
「兄貴こそ、お疲れじゃねえですか? 飛ぶ練習を長時間されて……」
「え? ああ、大丈夫だよ、僕は。装備確認して、行こうか。ゼシカは大丈夫?」
「もちろんよ」
そうだ。明日の朝なんて言ってられねえな。
俺たちは装備を確認し、出発した。飲んだくれのおっさんのかわりに、ククールが御者台に乗る。騎士団てのは馬にも乗れるらしいから、御者もできるんだと。ククールのくせになかなか便利な男だ。
地図の影を確認しながら飛ぶ。レオパルドの影は、すぐに見つかった。俺たちの存在には気づいていないようで、縦横無尽に飛び回る。俺たちは必死に奴を追い、とうとう着地地点を見つけた。
「ここ!」
「ああ、納得だな」
降り立った場所は法皇の館だ。兄貴を先頭に、ククールも中の様子を伺う。すると、黒い気配があたりを包んだ。黒犬のシルエットが法皇の館へ入るのがわかった。
俺たちは急いだ。館の敷地に入るなり、ぞわぞわした感覚が全身を走る。あの、イバラが這いずり回るような、チクチクした感じ。嬢ちゃんも身をすくめる。
「急ごう!」
俺たちは法皇様の部屋へ向かった。なんとかいう坊さんがなんか偉そうなことを言ってきたが、返事もせずに走る。ククールの野郎が「悪い予感がする」なんて言いやがったせいじゃねえ、俺も冷や汗がハンパねえよ。異様な気配が階上にたちこめている。ただの獣の気配じゃねえ。悪魔にとりつかれた魔物の気配だ。いる、間違いねえ、奴は法皇様の部屋にいる。俺たちは乱暴に扉を開けた。
「法皇様!」
嬢ちゃんが叫ぶ。
室内に、レオパルドはいた。数名の聖堂騎士団員が剣を向けているが、相手になってねえようだ。力尽きた団員がそのへんに転がっている。レオパルドはというと、じっと法皇様を睨んでいる。今にも飛びかかりそうだ。俺たちはすぐに法皇様をかばうように立ちはだかった。
「……ほう……レティスの力を手に入れたか。最後の賢者を殺す前に、お前たちを血祭りにあげてやる」
暗黒神に乗っ取られたレオパルドは、そう言ってこちらに向き直り、臨戦態勢に入る。
俺たちも武器を構えた。さっそく嬢ちゃんは手の中に炎を作る。
「ゼ、ゼシカ、屋内のメラ系は火事のもとだよ?」
「エイト、何のんきなこと言ってんのよ、レオパルドに直撃させるんだから大丈夫だって!」
嬢ちゃんは言いながらメラゾーマをぶっぱなした。
肉の焼けるにおいがしたあと、黒犬は一瞬ぐらりとしたが、踏みとどまって鋭い爪を振り上げる。
「きゃあっ!」
「オイ!犬! レディになんてことを!」
激しい一撃を受けた嬢ちゃんがよろめくと、ククールが目にもとまらぬ速さで剣を振る。
その間に、兄貴が嬢ちゃんを癒しなさる。
俺は斧を強く握りしめた。かぶと割り行くぜ!
俺たちはレオパルドに勝った。危なげない戦いだった。
杖は持ち主を失い、カランと音をたてて床に転がる。
「……法皇様、ご無事ですか!?」
さっきの偉そうな……ニノだ、ニノのおっさんが騎士団員を従え、部屋に入ってきた。ククールの兄さんも一緒だ。こんなところで会うなんてな。
ニノは倒れてしまった法皇様に駆け寄り、そして俺たちに何があったのかと言い、ククールの兄さんには法皇様を安全なところにお連れしろと指示を出す。だが、ククールの兄さんは、突っ立ったまま。ニノはククールの兄さんに偉そうに命令を続けるが、奴は動こうとしない。
ククールの兄さんは、相変わらず冷たい目をしていた。マイエラ修道院で懸命にオディロ院長をかばおうとしていたときとはまるで別人のようだった。感情を隠した無表情でニノのおっさんを見下ろす。そして黒犬レオパルドの亡骸にちらりと目を向けると、とんでもないことを言いやがった……。おそれ多くも、法皇様を殺そうとした黒犬。その犬から間一髪で法皇様を助けたってのに……。最悪だ。
* * * * *
「おい、看守! ワシはニノじゃ! はよう開けんか、こら!」
なんたってこんなことに……。
「おい、お前、お前も何か言わんか! 濡れ衣じゃろうが!」
大司教のニノのおっさんは、俺たちと一緒に捕らえられてから、ずっとうるさくがなりたてる。
「……無駄ですよ、次にここから出られるのは、死んだ時です」
前からこの牢に入ってるヤツらは、とうに諦めたようで、皆、精気がない。
「なあ、ニノのおっさん、あんたあのマルチェロとは同じ穴のムジナじゃなかったのか?」
俺は声を潜めて言った。
そう、俺たちをニノのおっさんと共にこの煉獄島へ放り込んだのは、他でもない、ククールの兄さんだ。煉獄島は、脱獄不可能と言われる監獄。波の荒い海域の孤島に作られた、終身刑を言い渡された者の行きつく場所。
法皇様を亡き者にしようなんざ、煉獄島送りでも文句は言えねえが、俺たちこそがレオパルドから法皇様をお守り申し上げたんじゃねえか。だが、ククールの兄さんは、ニノのおっさんが黒犬と俺たちを雇って法皇様を亡き者にしようとしたなんて、何の証拠もないのにそんな暗殺罪をでっち上げた。
ニノのおっさんは、ククールの兄さんの上司じゃねえのか? 何があったんだ、一体。
おっさんは二人が兄弟とは知らないのか、遠慮なくククールの兄さんの悪口を言う。
「……ワシは、マルチェロに力を貸してやっただけじゃ。生まれの身分の低いあの男がサヴェッラへ出入りできたのもワシのおかげじゃというに。あやつがあそこまで野心家とは……。大人しくワシの言うことを聞いておればよいものを。取り立ててやった恩を仇でかえすなど!」
駒に喰われたって訳か。
ニノのおっさんは、丸い顔を真っ赤にし、歯を食いしばっては悪態をつく。よっぽど腹に据えかねたんだろうな。
そして、寝る間も惜しんで看守に無実を訴え続けた。
だが、ニノのおっさんの訴えもむなしく、変わりない日々が続いている。
ここでの暮らしは最悪だ。
まず、飯がまずい。それに一日一食だ。
ククール曰く、健康体では、万一脱獄でもされたら面倒なんだと。
そりゃそうかもしれねえが。
人間、空腹が一番堪える。
とりあえず薬草の類が手元にあるからなんとか正気を保っていられたが、風呂にも入れず、嬢ちゃんが気の毒だ。
嬢ちゃんといえば、ことあるごとに看守にセクハラまがいの言葉をあびせられ、俺たち3人でどうにか守っているが、油断も隙もねえ。それでも気丈に振る舞っている嬢ちゃんはさすがだ。ゲルダ並みの気の強さだ。いや、手を出さねえあたり、ゲルダよりよっぽど我慢強い。
ククールは「話したくねえ」とだんまりを決め込み、兄貴は嬢ちゃんを気遣ってずっと励ましていらっしゃる。
俺は、受刑者にいろいろ話を聞いていたが、皆、暗い話ばかりだから、口をきくのをやめた。
そんな中、はじめの勢いこそないが、ニノのおっさんだけが無実を訴えていた。
ある日のこと。
「法皇様が亡くなったんだとよ! 一か月前に」
交代にきた看守が興奮してそう言ったのは、俺たちが投獄されてからひと月目のことだった。
「なんと!」
牢にいる協会関係者は、驚き戸惑い、皆、祈りを捧げた。エイトの兄貴と嬢ちゃんもびっくりして祈りを捧げる。ククールは、悲痛な面持ちで、なんだか難しそうな詩編らしき言葉をつむいだ。
俺は女神さんに祈ったことはない。会ったことがねえからな。だが、あの法皇様は立派な人だ。会ってそう思った。だから、黙祷を捧げた。
「誰が、法皇様を……」
ニノのおっさんは、しきりにそれを気にする。看守は事故だと繰り返すのだが。
おっさん、何か心当たりがあるんだな。それはあんまり想像したくねえことだが、おそらく間違っちゃいねえ。普段は鈍い俺だが、今回は確信があった。エイトの兄貴のご様子を見ればな。兄貴はククールに全く話かけなさらねえ。そして二人とも、俺と同じことを考えている。だが、それを口にすることはねえ。口にしないことで、意見が一致するなんてな。
ククールの野郎、いけすかない野郎だが、今回ばかりは心中察するぜ。生っ白い顔が更に白くなりやがって。ほとんど消えかかっているみてえだ。すると心配そうなエイトの兄貴と目が会ったククールが静かに呟いた。
「……だらしねえなあ、あいつ。マルチェロの奴、まんまと暗黒神に乗っ取られやがって。ざまあねえや。……ホント、頭くるね。あいつも、ラプソーンもさ。ホントに……」
「まだお前の兄さんが乗っ取られたかどうかわからねえだろう」
俺は隣でそんなことを言ってみたが、ククールは再び黙りこんだ。
「法皇様が亡くなられたのは……ラプソーンのしわざよ。これって、最後の賢者も死んじゃったってことよね……?」
ゼシカの嬢ちゃんも重い口を開いてそう言った。考えたくねえが、そういうことになるんだろうな。
エイトの兄貴は、こんな時なのに、一番、冷静だった。大人びたお顔、何か重荷を背負ったような瞳……。兄貴は俺を見、ゆっくりと口を開きなさった。
「そうだね。もし、法皇様が崩御されたのが本当なら、7人全ての賢者の血が……途絶えた。つまり……」
そうだ、暗黒神が甦っちまう。くそっ! こんな地獄の底じゃ何もできやしねえ!
俺は思わず岩壁を叩いた。
看守がギロリとこちらを睨む。
外の様子がわからねえ。
何の情報もねえから。
ただ、暗黒の神が出てきて、何かやらかしてる訳じゃないところが救いだ。そのことは、間抜けな看守の会話からわかる。投獄されてからこの一か月、看守の態度もかわらねえ。何か起こっているのなら、こういう奴らは真っ先に逃げ出すはずだ。囚人の見張りなんてつまらない仕事はほっぽって。
暗黒の神の狙いとは?
エイトの兄貴は、たぶん世界征服だろうとおっしゃった。
女神さんにとって代わり、信仰させようってんだろうな。そうなりゃ俺たち人間は、おそらく、無条件降伏だろう。魔物が支配し、俺たちは追い回される。俺を倒したら経験値はいくつなんだろうか……。
混乱し、そんなバカなことしか考えられなかった。
法皇様の崩御の知らせから、何日くらい経っただろう。
ある日ニノのおっさんが俺たちを集めた。
「……お前たちに提案がある……」
「えっ? ……だ、だつ……」
「しっ! ……いいな、イチかバチかの賭けじゃ。ここで死ぬのを待っているわけにはいかん。お前たちも何かやる事があるのじゃろう?」
「……でも、うまくいくかしら……」
「大丈夫じゃ、わしはどうしても、法皇様の死の真相が知りたいのじゃ!」
おっさんはなんと脱獄しようともちかけてきた。ククールの兄さんを使って、さまざまな悪さをしていたんだろうこのおっさん。人間的にはあまり信用したくはない種類に入るが、とにかく法皇様の死の真相を暴きたいという気持ちは伝わってきた。
「他にいい方法でもあればいいけど、今はニノ大司教の話にのろう」
エイトの兄貴のご決断で、俺たちはニノのおっさんと大芝居をうち、煉獄島からの脱出に成功した。
次は脱獄後のお話。