今日もいい天気。ニンフのラジュさんは優しいし、話も合う。何より王さまの機嫌がいい。ミーティア姫さまも安心してゆっくりくつろいでいる。
とても居心地のいい三角谷。
でもあたしたち、この三角谷でいったい何日過ごしているんだろう……。
マルチェロの動向を探った日から、もう5日も経っている。
ひと月以上も前、あたしたちは黒犬レオパルドを倒し、マルチェロの陰謀で煉獄島へ投獄された。どうにかか脱出したものの、次のステップに進めないでいる。
法皇さまが亡くなったという大変な事件。でもそれより、次期法皇がマルチェロだっていうことが、あたしたちの次の一歩をとどまらせているようで。
……ねえ、悪いのはあの杖よ……。
あたしは何度もそう言った。
早くあの杖をマルチェロから取り上げなきゃいけない。
暗黒の力が法皇の力になっちゃいけない。
でも、ククールは、「バカ兄貴にお仕置きしなきゃな」なんて、笑っている。その隣で複雑な表情を浮かべるエイト。
エイトは最近、みんなと……特にククールと顔を会わせようとしない。気づけば一人で滝なんかを眺めている。エイトにかける言葉が見つからない。
杖をね、とにかく杖を取り上げるのよ。……エイトにもそう言おうとしたわ。でも言えなかった。
あのマルチェロがあたしたちの話を聞いて、簡単に杖を手放すと思えない。戦いは避けられないって、あたしだってわかる。
「杖だけを取り上げるのは難しいかもしれないですね……」
あたしが今日何回目かわからないため息をついたとき、ラジュさんに声をかけられた。
ラジュさんはギガンテスの肩からひらりと降りて、あたしの隣に来た。
「ラジュさん、暗黒神はまだ、機を伺っているのかしら……?」
「ええ。おそらく、マルチェロが法皇に即位したあとで彼を飲み込もうとしているのでしょう」
ラジュさんもあたしと同じように、杖の力をおそれている。
平和を絵に描いたような三角谷……。清らかな水の流れが、あたしの心を洗う。世界中が三角谷みたいならよかったのに……。
「賢者の力はもうあの杖に取り込まれたと考えてよいでしょう。杖の持ち主がまだマルチェロであるということは、彼が暗黒神の意のままに動いているか、または杖の力を封じる精神力を持っているか……」
「ラジュさんは、……どっちだと思う?」
意地悪な質問をしている、と思う。
これは、法皇様を殺害したのは、杖のせいか、マルチェロのせいかと聞いているのと同じ。
「そうですね、どちらか一方、というのではなく、互いにけん制し合っているのではないでしょうか。暗黒神は、もしかしたらマルチェロを恐れているのかもしれません」
神が人を恐れる?
「ゼシカさんが杖に呪われた時は、我を忘れ、誰が見ても普段と違っていたということでした。しかし、みなさんのお話では、マルチェロは普段と変わりないということでしたね。ですから、彼は、杖内の現在の暗黒神と対等に渡り合っている、または、対等以上の力を持っている。そうであれば、暗黒神は、自分が復活してもこの男に倒されるのではないかと恐れているということです」
「だから、まだ復活しない……?」
「ええ。先ほども言いましたが、マルチェロが法皇になり、世界をゴルドの配下に治めた後、まるごとのっとろうとしているのだと思います」
そうよね、マルチェロと暗黒神がともに手を取り合って世界をどうこうしようってわけじゃないでしょうし。今は利害の一致した二人がお互いに出方を見ながら、どうしたら自分が唯一神になるかを模索している、ってところね。
簡単に杖に屈服してしまったあたしと比べると、マルチェロの精神力って普通じゃないわ。文字通り、魔王クラスね。
「マルチェロが法皇になるのは危険ってこと?」
「そうですね。彼の性格からすると、おそらく独裁政治、または人民統一でしょう。いずれにしろ王政は廃止し、武力、知力に長けた者を選出して行う政治になるでしょうね」
「そ……それは……」
あたし……それは、悪いことじゃないかも……って言おうとした。
もし、もしもよ、身分とかなければ、姫さまだってあんなに国やお城に縛られることないし、マルチェロだって苦しまなかった。
でも、王政だっていいところはある。王家は、もともと昔の実力者で、他国から国を守り、自国のために動いてきた。国が豊かになり、国民生活が向上していったのは、王様の力だわ。
王様のいないオークニスは独自文化が発達しているけれど、国としての広がりはない。
でも今、急に王政を廃止したら、国民は路頭に迷う。それこそ弱肉強食で、軍人と教会に助けを求めて混乱する。それを全部統制しようなんて、いくらなんでも……。
いえ、あのマルチェロなら、できるのかも。王政の急な廃止をせず、王族はサヴェッラ預けにして、軍はサヴェッラの指示のもとに人民を統制し、サヴェッラは経済的なことと、思想的なことの発信地になる……。
もし、そうなった段階で暗黒神がマルチェロをのっとったら……?
その前に暗黒神がじれてしまうかもしれないし、どっちにしても、コトが進む前に、杖をどうにかしなきゃじゃない?
暗黒神はまだ出てきていない。
あいつが望んでいるものは、自分がこの世界で復活すること。人間がどうなったってかまわないんだわ。魔物のエサくらいにしか思ってないんだから。七人の賢者と神鳥レティスの力でやっと封じ込めている暗黒神。マルチェロが人間界の最高位につけば、野望の達成からきっと隙ができる。そこを見逃さなければ、完全に邪魔者は消える。そのあとで、ゆっくり闇の扉を開いて……。
「即位式をぶち壊さなきゃならねえよ……」
「ククール?」
いつの間に来ていたの?
ククールは青空を見上げ、大きなあくびをした。
「あ~あ。なんかオレ、緊張感ねえんだよな。バカ兄貴の野望をつぶしてやろうってのによ。わがリーダーさまがなんだか知らねえがグダグダ言いやがって。このまんまじゃやる気無くす」
「ちょっと何言ってんのよ、ククール? あんたがそんなだから……」
あたしったら、何を……。「そんな」って……。
ひどいことを言いかけたあたしに、ククールはウィンクした。
「オレがやる気無さそうだからリーダーさまがグダグダ言うってのか?」
「……そうじゃないわよ」
「ゼシカさん、……今が、今が最も平和なんです。最後の……」
ラジュさんは、再びギガンテスの肩に乗り、行ってしまった。
「もうっ! ククールが変なこと言うから。バカ!」
「ひでえなあ、ゼシカ、オレのせいかよ!」
もう知らない!
あたしは誰もいない所へ行って泣いた。
わかってるの。わかってるの!
ククールとマルチェロが戦うところなんて見たくないの。
きょうだいで戦うなんて!
相手がサーベルト兄さんだったら、あたしは戦えない!
翌日、エイトがみんなを集めた。
「装備は完璧だね。世界樹のしずくもたくさん作ったし。法皇就任式は今夜ゴルドで行われる。日暮れ前にゴルドへ飛ぶ。……警備が尋常じゃないと思う。だけどマルチェロさんが法皇になってしまったら、近づくのは更に難しくなるはず。いい? ……チャンスはこの1回だ」
「おう! あっしにお任せくだせえ。行きやしょう、杖をふんだくりに」
「あの高慢ちきな鼻っ柱を折ってやるぜ」
ヤンガスとククールは気合いを見せる。あたしも何か言わなきゃ……。
エイトは優しく微笑みながら、そんなあたしの肩にそっと手を置いた。
「ゼシカ、君の言いたいことはよくわかるよ。でも大丈夫だから。杖を取り返すだけ。……僕は、マルチェロさんを殺すなんて考えてない」
エイト……。そう。きょうだいで殺し合うなんて、あたしには耐えられない。ククールがなんと言おうと、マルチェロを殺しちゃだめよ。
「素手でいくよ……。このために鍛えてきたんだ。僕は……」
エイトは、ぐっと拳を握りしめ、意思の強そうな黒い瞳をククールの方へ向けた。
あたしたちは、ラジュさんに別れを告げ、夕暮れのゴルドに降り立った。
就任式はもう始まっている。マルチェロが演説をしているらしい。
エイトは、ダメ元だけど、話し合いたいから面会を申し込むって。
ゴルドの礼拝堂へ行くと、その入り口を厳つい騎士団員が見張っていた。
演説中だから邪魔だけはするなよと言われ、「は-い、静かにします」なんて調子をあわせて中に入る。
初めて入る神殿。巨大な女神像の足元で、マルチェロが演説をしていた。その内容はは、ラジュさんの言うとおり、前法皇さまにかわってサヴェッラに君臨し、サヴェッラから統制を図ろうというものだった。
あまりに突飛な話に、場を出て行こうとする人に、聖堂騎士団が剣を抜きかける。
「やべえな、あいつ、どこまでおかしくなっちまってんだか」
ククールが舌打ちする。
「どうしやす、兄貴? 演説中に話すわけにはいきやせんぜ」
「うん、演説の後でいいから、時間とってもらおうか……」
そんなことをひそひそと話していた。
「私に従え! さもなくば、そこにいる侵入者のように殺されるかだ!」
マルチェロの声が響き渡った。マルチェロの示す先にいるのはあたしたち。全ての目がこちらに向けられる。そしてあたしたちはあっというまに騎士団員に囲まれた。
「ゼシカ!」
ククールがあたしをかばう。ヤンガスもエイトの前に仁王立ちをして。
騎士団員がじりじりと近づいてくる。でも、ここで帰るわけにはいかない。かといってこんなに一般人のたくさんいるところで騎士団員と戦うわけにもいかないじゃない。たった一回のこのチャンスを逃してしまったら……。マルチェロが法皇になってしまったら……。
……すると、エイトの胸のあたりから、神鳥の赤ちゃんの声が聞こえてきた。
──さあ今こそ、ぼくの力を使って。
あたしたちは、神鳥のたましいに導かれ、壇上のマルチェロの元へ飛んだ。マルチェロは宙を飛ぶあたしたちの姿に、ほんの少しだけ驚きをみせたけれど、冷たいまなざしを向けた。
「これはこれは……いいだろう。どうあっても私の前に立ちふさがると言うならば、手始めに貴様にこの手で引導を渡してやろう!」
マルチェロはレイピアを抜く。
「やっとあなたと戦える。みんなは手を出さないで……」
エイトはすうっと息をため、力をためる。
「手を出すなって? ふざけんなよ!」
ククールが真っ先に飛び出す。上段から二回振り下ろすククールのはやぶさ斬りを受け止めるマルチェロの剣。二人の姿はマルチェロの背後に見える月に映える。恐ろしく美しい光景。
エイトの制止を振り切って、ククールは休まずに剣を向ける。マルチェロは軽々とククールの剣をかわし、攻撃呪文を唱える。力を溜めるエイトも攻撃を受け、しばしばよろめく。それでも力づよく正拳突きを繰り出し、マルチェロにダメージを与える。
ククールの回復呪文が間に合わない……ヤンガスも回復呪文を唱え続けて……あたしもずっと祝福の杖を振っている。
……もう、涙で良く見えない!
「もう、もうやめて!」
エイトの会心の一撃がマルチェロを襲う。あたしは我慢できずに叫んだ。見ていられない……もう、これ以上……。
エイトが力を抜く……。
ククールは剣を落としてしまって……。
マルチェロは、構えた剣を握り直したけど、ぐらりとバランスをくずす。
「…なんだと……この私が…」
マルチェロは膝をついた。
「マルチェロさん……」
エイトが何か言いかけたその時、マルチェロがゆらゆらと立ち上がった。……そのあとは、悪い夢でも見ているようだった。意識を完全に暗黒神に乗っ取られたマルチェロが宙に浮く。マルチェロを介して暗黒神は自らの復活を告げた。
そして女神像に投げつけられるあの杖。
「甦れ! 我が肉体よ!」
「いやあ!」
崩れ落ちる女神像。内側から邪悪な光。
地響きがゴルドの底から上がってくる。
演説台から放り出されながら、あたしは信じられないものを目の当たりにした。
「お城……?」
女神像のあったあたりから、巨大な城が浮上してくる。それは、ゆっくりと上空へ浮かび、空を赤紫色に染めた。
「痛い……」
耳鳴り? キーンという不快な音。世界を覆い尽くすように広がる。
あたしは固い地面の上で耳を塞いだ。
不快な音はと地響きがおさまるまでどのくらいの時が経っただろう。今起こっていることが理解できないまま、そっとあたりを伺う。
すぐ近くにエイトとヤンガスの姿を見つけ、ほっと胸をなでおろした。
!!!
顔を上げてよく見てみると、あたり一面、がれきだらけのひどい状況だった。神殿も女神像も、その姿はない。謎の城が出てきたところは、ぽっかりと大穴が開いていた。
あたしはゆっくりと立ち上がる。エイトが支えに来てくれて。ヤンガスもしっかり立ち上がっていた。……ククールは……。
……大穴に落ちかけていたマルチェロを、ククールが助けている。
なんだろう、二人で交わされいる会話。
ククールに引き上げられ、立ち上がったマルチェロが足を引きずりながらククールの前を通り過ぎる。
唐突にククールに投げ渡される何か……。
ククールはそれを見て、驚きをあらわにする。
「……これ、あんたの聖堂騎士団の指輪か……?」
「貴様にくれてやる。……もう私には無用のものだ……」
指輪……。聖堂騎士団員のあかしである、紋章の入った指輪……。
マルチェロがゴルドの門へ向かっている。マルチェロが行ってしまう!
「……ねえククール、放っといていいの? あんなひどいケガしてるのに! ねえってば!」
ククールは無言で兄の背を見送っている。
マルチェロは振り返ることなく、あたしたちの前から姿を消した。
PS版ではこの後マルチェロに会えません。この後のマルチェロの話は別に書きます。次から新章です。