シルクロードオンライン¬(differentiam) 作:hachu
ジャイアント・リサイタル
嘘づぎぃッッ!!ヘレンの嘘づぎいいいいいッッ!!
頭に革袋を被せられた女。
動けぬように拘束され、腹部に剣を突き刺されている。
死に至る深さだ。
女の名は呂尚、20歳。
音を表す「呂」の字に、輝きを表す「晶」で呂晶。
…であったが、
投獄れた折、看守を何名も殺傷して逃亡した為、中華全域で指名手配されてしまい、
何かと不便なので、歴史上の人物にあやかり、呂尚と改名した。
うわっ、煙でこっちがやられそうだ!クソッタレ!」
毛深い男は人より鼻が効くせいか、革袋から溢れる煙に涙を流している。
おまけに呂尚が暴れるため一思いに刺す事が出来ない。
その結果、更に悲惨な結果となる。
「殺し゛て゛や゛る゛う゛うううッ!!この拘束を解けええええええッ!!
ごれがなげればッ!!お゛前なんがッ!!お゛前なんがああああああ!!」
身体中の穴という穴から血と体液を流す。
これ以上は失禁する水分も残っていない。
『前日から飯を抜く』というアドバイスに従っていてよかった。
これはローマPTが仲間を迎える際に必要な『契り』である。
拷問でも黒魔術でもなく、やる方も好きでやっている訳ではない。
元々、『こんな儀式楽勝だ』と言っておきながら、いざ始まると意見を180度飜えしたのは呂尚である。
その理由は痛みだけでなく、痛みを忘れさせる『ある処置』が効かないせいもあるが。
ローマPTリーダーであり、貴族出身の女性聖騎士:ヴァリキエが言う『空気を』とは、『阿片の煙以外を』という意味である。
神父は医療行為に従事する医者のように、
なんのためらいもなく女性の下半身を顕にする。
その様子を、痛そうな、辛そうな顔で覗いている魔法少女、ヘレン。
大人社会で軽んじられないよう18と偽っているが、本当の年齢は16歳だ。
その少女には、見るに耐えない凄惨な現場である。
だが、あの女が苦しんでいると思うと、なぜか下腹部が熱くなってくる。
ダメだと判っていても覗いてしまう。
「早ぐぅうううう…!!早ぐ終わりにし゛て゛ぇぇぇ…!!
謝るがらぁぁぁ…ごめんよぉおおお…だって犬っころみだいだが、ら゛あ゛あああああああッッ!!!」
相手が何を言っても、絶対に耳を貸してはいけない。
さっさと済ませる以外に、楽にしてやれる方法はないのだから。
バルクスの深い一刺しは彼女のためであり、誇りを傷付けられたからではない。おそらく。
「(なぜだ?全然酔えない。以前ならもう天国にいるハズだったのに。地獄だ。ここは地獄だ。コイツらは悪魔だ、蛮族だ。)」
「…治った。」
「よし、次は私と神父だ。」
「おおおお゛前ら゛…ごの痛み゛、げっじで忘れぬ゛…いづが、必ず、ふぐじゅ…を…」
「やっと気を失ったか。丁度いい、今の隙に済ませるぞ。五月蝿くてかなわん。」
「oh.復讐ハ何モ生ミマセーン」
・
・
・
暫くして、ここは訓練として訪れた秦始皇帝陵の地下洞。
白霊が退治されるも、未だはびこり発掘を妨害する彼女の子供達。
それらを退治すべく、ヘレンがアースクエイクを放った・・・はずが。
「フォーザキーン!フォーザラーンッ!!皆さんその場を動かないで!…いきますわよォッ!」
「あいやぁああああああッ!
「そこの釣りっ!動くなと言ったでしょう!早く!地割れが閉じますわ!」
「この人達怖いよぉぉぉ…。」
「…なるほど。ウィザードは投擲兵で、
「そうだ。飲み込みが早いな。」
長安の麯院街の一角にある、高級宿屋で朝食を取る一行。
高官御用達の店だが、白霊を討伐した彼等はいつでも手厚い待遇が受けられる。
昨今の行商ブームも手伝い、食事は更に安く、美味しい物が気軽に食べられるようになった。
そんな豪華な食事中でも、ヴァリキエと呂尚は訓練の復習に余念がない。
「でもやっぱりやりすぎじゃない?ここまでカッツリ分担してたら身動きとりにくいし、欠員が出た時ヤバイわよ」
「それは我々も対策すべきと考えている。仲間内で教えられる技術は共有し、有事の際は各々を肩代わりする事が理想だ。」
「だから3人もいやがったのか…。」
「こんな女にレクチャーした所で無益ですわ。どうせ釣りしか出来ませんもの。バルクス、この辛いの食べてくださいまし」
ヘレンは、香辛料の効いた汁が掛かった、蒸し鶏の細切れを、隣のバルクスの皿へ盛っていく。
「うむ。辛い物は腹を壊すからな」
バルクスはヘレンには甘い。
呂尚は面制圧力もヘレンやルリアに遠く及ばず、仲間を守る術も持たない。
残る役割は、敵を仲間の元へ誘導する偵察兵科、『釣り』だけだ。
素早い身のこなしと汎用性の高い呂尚は、釣りという役割には向いてはいるが、如何せんその釣り自体の必要性が高くはない。
「何よ。アタシの
呂尚の言う『アレ』とは、
治癒に使っていた内功心法を応用し、相手の生命力を弱らせる術である。
妖怪の鱗が病に侵されたように朽ちていき、攻撃が通り易くなった。
以前は考えもしなかった使い方だ。
白霊戦以降、気孔の操作が急激に上達した為、気まぐれで妖怪に対し、内功を
ただし操作が上手くなったのは、体内で練り上げる内功心法のみ。
外向けの炎功などは相変わらず、集中できずに破裂してしまう体質が治っていない。
「あのような禍々しいアルス…、コチラが病気になりそうですわ」
そして内功心法・改は、黒魔術を彷彿させるその効果から、潔癖症であるヘレンの評価が低い。
「そう言うな。異邦人の我々にとって、地元民である彼女の存在はとてもありがたい」
「誰にでも優しいのですわね…。」
「ん、何か言ったか?」
呂尚は他愛ない会話も根に持つ。
新技を否定され、自分の好物である辛い物も食べようとしないヘレン。
更に…
(そういえばこの間もコイツ、アタシの胸が小さいってバカにしやがったんだ…。)
呂尚に復讐心…いや、イタズラ心がメラメラと沸いてくる。
「ヘレン気をつけなぁ、あんまり好き嫌いしてると…
―― デブるよ?」
「…ッ!」 「…ッ!」
レスバトルが開始された。
呂尚の第一手に、関係のないルリアとルシラの手が止まる。
女性が体型を気にするのは万国共通だ。
(ククク…w あの年頃であの巨乳。自分が太って見えないか、さぞ気になってしょうがないハズだ。)
多少強引だが、“デブ”というワードにさえ結びつけばいい。
思春期のヘレンにはそれで十分な打撃だ。
「あら、ふくよかな女性は美しいのですわよ。ご存知ありませんの?お姉様。」
ヘレンが胸に手をあて、上品に返す。
(コイっツ…ッ!)
呂尚の予想は外れた。
幼少から魔法を扱っていたヘレンは、周りから奇異の目で見られる事に慣れている。他の子より乳が張った程度の事を、一々気にはしない。
急に大きくなってきたので困り物ではあるが、同時に誇りにさえ思っている。
(何だこの無根拠な自信は。これじゃまるで私の方が、つまらん事気にした安い女みたいじゃないか!…誰だ?コイツに余計な事吹き込みやがったのは?)
「ああ。女は少し位、肉が乗ってる方がいい。」
(お前かよッ!犬…ッ!)
呂尚はバルクスに、心の中で舌打ちする。
「ほら、ごらんなさいませ。」
ヘレンはバルクスに軽く手を向ける。
彼等のみならず、西方ではこの手の、“脂肪信仰”が流行しているのだろう。
多寡は違えど、似たような文化は中華にもある。
そして、そういった文化が出来上がる
呂尚が第二手を仕掛ける。
「それってさ、女性の美しさは外見じゃない。ていうのと同義なのよ?」
「…?」
ヘレンは言葉の意図が判らず、怪訝な顔をする。
呂尚は心に残るよう、ゆっくり強調して言う。
「みんな…、
「…ッ!?」
ヘレンは焦って周りを見回す。
バルクスも他の者も、食事に集中し目を合わせない。
「え…っ?」
得体の知れない胸騒ぎがヘレンを襲う。
そう、誰もヘレンを太っているとは思っていない。
男性陣とヴァリキエは女性の悩みに疎く、判らない事に口を挟まないだけだ。
ルリアやルシラに至っては、“ふくよかな方が美しい”という言葉が、
ライバルを油断させる為の物と知っている。
――そして、こうも思っている。
ヘレンは、幼さを残す愛らしい顔立ちながら、発育が良く、出る所は出て、締まる所は締まり、若さ特有の、はじけんばかりの張りがある。
極めつけは体毛が少ない事だ。まつ毛は長い癖に、腕や足は薄い産毛しか生えておらず、毛を剃っている所すら見た事がない。
こちらは過酷な旅の中、苦労して見た目に気を遣っているというのに、ヘレンと居るとそれすら霞んでしまう。
何処へ行っても彼女目当ての男が声を掛けてきて、その対応にもウンザリしている。というかこの美少女が、正直憎い。
――少しぐらい、余計な事を気にすればいい。
それらが醸し出す微妙な空気は、ヘレンに誤解を与えるには十分であった。
「まさか…。ふくよかな女性は、みにく、い…?」
ヘレンが自分の胸を見下ろす。
常識が、みるみる崩れ去っていく――
拳をキツく握り、胸を隠すように押しつぶす。
それはヘレンが初めて年相応の、悩みやコンプレックスを持った瞬間だった。
赤飯でも欲しいところだ。
「姐さんも好き嫌いとかないよね?」
「そうだな。私は酒に合えば上等だ。この辛い肉も大いに酒が進みそうだ。」
呂尚がニヤリと笑う。
(そう、コイツは酒のせいで舌が馬鹿になっている。だから何でも喰う。飢饉になっても草を食って生き延びるタイプだ。)
「ぐっ、うぅ…。」
トドメが入った。
ヘレンは観念した面持ちで、バルクスの皿へ盛った棒々鶏を、自分の皿へ戻していく。
「ヘレン、お前は太っていないと思うが。」
「バルクスは黙っていてくださいませッ!」
不貞腐れたバルクスの喉から、クゥーンという高い音が鳴る。
(ざまーみろ犬め。お前がなだめれば、なだめる程、コイツは気にしていくんだよ…クックックw)
「はいは~い、ルージンっちぃ、意地悪はそこまでねぇ~」
ルリアが気を利かせて助け舟を出した。
レフェリーストップである。
「ふっふっふ~ん。あんむ。」
呂尚が満足そうにうなぎの包子を頬張る。勝利の味だ。
自分は気孔を使っていれば、いくら食べても体重は増えない。
その迷信を、呂晶は疑ってもいない。
「んで、ほーして姐さんあクレいックふぉ?」
改めて隊列の話に戻し、ヴァリキエに尋ねる。
「うむ。聖騎士という出から癒やしのスキルを学んだ。私は神に祈る資格はないが仲間の為であれば許されるだろう。まぁ、魔物に集られる点で聖職者は騎士と同じだ。私にはお似合いだよ。」
「それって、やろうと思えば誰でも出来るの?」
「いや、ある程度の素養…治療であれば聖職に付いた事があるとか、深い繋がりがなければ奇跡は起きない。どの程度かと聞かれると判らんが、それで飯が食える程度のスキルは必要だろうな。」
「じゃーアタシは無理か。でも達人姉さんですら防御役ってんだもんなぁ」
「岩を割るくらい貴様も出来るだろう。」
「姉さんはズバッていくじゃん。アタシはなんか、ボゴォ!みたいな。」
「貴様の武器は戦鎚の用途も含んでいるからな。それでかまわんだろう。私は単に…女々しいだけだよ。」
ヴァリキエも根は闘士だ。強さの追求は楽しい。
暗殺に重きを置くバルクスと違い、自分と近い理想像を持つ呂尚の意見は、今までの旅では得られなかったものだ。
それに2人は良家の出身ながら、勘当同然の扱いを受けている共通点があり、お互い何かしらのシンパシーを感じあっている。
「(姐さんですって?新参者の分際でヴァリキエ様をあだ名で呼ぶなど。どこでも一人はいますのよね。こういう図々しい者が。)」
それがヘレンにとって不愉快な理由らしい。
「この穢らわしい女と食卓まで囲む事になるだなんて。まさに悪夢ですわ」
ヘレンは呂尚に対して、歯を剥き出し、
大げさに、頭と顎を掻くようなポーズを取って威嚇する。
呂尚も負けじと歯を剥き出しながら、
胸の前で、大きな玉を2つ掬い上げるようなポーズで威嚇し返す。
機嫌が悪そうなヘレンを、ヴァリキエがなだめる。
「ヘレンとルリアの魔法はPT内でも随一の破壊力だ。私達など及びもしないさ。」
そうだ、ワタクシは切り札なのだ。猿女め、少しは敬え。
ヘレンは棒々鶏を噛まずに飲み込みながら、心の中でしっかり呂尚を罵倒する。
「ただルリアはなんというか、芸術志向でな。」
」
マイペースな女性メンバー、ルリアが会話に加わる。
ルリアはルシラと同様、呂尚やヘレンより年上な、大人な雰囲気を漂わせる女性だ。
「そう言うな。頼りにしている」
「ルリちゃん他に特技あるの?」
「あたしぃはバルドよぉ~ん。どっちかっていうとぉ、そっちが本職ねぇ~。
ミンストレルだったしぃ」
ミンストレルとは宮廷に仕える芸者である。
のほんとした性格と対象的に、出身も曖昧、謎に包まれたルリアだが、
ヘレンと同じく、大陸で数人しか扱えぬであろう伝説級魔法を操り、
一方、ハープ術ではルシラの師を務めるなど、彼女の能力には底が知れない。
呂尚も『音で出来る事など』と最初は馬鹿にしていたが、
効果は先日の白霊戦の通りである。
音術も魔法も根っこが同じ理屈だから、と本人は言うが、その理屈をどこで学んだかも謎だ。
「投擲と兵站か。ルリちんめちゃくちゃ重要じゃん!」
「任せてぇ~ん」
ただし魔法に関しては、
ヘレンは一網打尽の大規模魔法を得意とするのに対し、
ルリアはどちらかと言うと単体専門である。
大規模魔法も使えるが、
地面に立方体の穴を開けたり、炎や氷で美しい動物を形作ったりと、
攻撃に使えぬ事もないが、大道芸にその真価を発揮する。
一度だけ、『超上手く出来ちゃったからぁ、コレは撃ちたくなぁ~い』と、
仲間が死にかけてるにも関わらず駄々をこねた事すらあった。
そしてルリアは、ヘレンの使う
追尾魔法に相当する術を持たない。
ヘレンはほとんどの魔法を唱える際、
この二つのフォース系魔法を基礎に構築する。
これが相手に魔法を磁石のように引き寄せる役割を果たし、
成功すれば彼女の口癖のごとく『必中』を成す。
ルリアはこれを表向き使うことが出来ない為、
魔法をよく外す。
同じ伝説級魔法を扱うルリアとヘレンだが、
微妙に流派が違うのかもしれない。
元よりヘレンの魔法は生まれつきで、
師匠である『夕日の魔女』から伝授された、メテオ等の魔法も、
夕日の魔女が独自に開発した物だ。
希少な魔法使いの中でも、更にヘレンは特殊な存在なのだろう。
「でもそれでいくと、WIZとクレの組み合わせは1番ダメね。」
ッ!?
呂尚が箸、皆が手掴みで食事を取る中、木製の『マイ突き匙』で食事をするヘレン。初めは気持ち悪いと思いながらもやめられなくなった、鯉の膾。いざそれを頬張ろうとした手が止まる。
「なぜそう思うのだ?」
「一見万能そうだけど、後衛のWIZに前衛スキルなんて手持ち無沙汰よ。有事に代わりにならない死にスキル。て事は、いたとしたらソイツは仲間の為じゃなく、自分の為を想定してる。仲間をあんまり信用してない。」
「(この釣り専、言うに事欠いてぬけぬけと…!)」
「まぁ、そう言われればそうだな」
「(ヴァリキエ様…っ!)」
「そんな事はぁ、ないと思うよぉ。魔力があればぁ、祈りも強くなるしぃ。」
彼等が言う祈りとは、呂晶の自分に願い自分で叶える物ではなく、
神と呼ばれる空想上の生き物にお願いするそれである。
「それにほらぁ、ヴァリちんだってやられちゃう事もぉ、あるかもしれないじゃなぁ~い?」
「そうか、やはり私では信用に足らないか。」
「ごめぇ~ん。そういうワケじゃ~」
「いいんだ、自業自得のいたすところだ。」
「ヘレンは魔法の他には?天幕?」
呂尚は、ヘレンの故郷で『テルタ』と呼ばれる、野宿用の天幕を張る技術を、それと違うと判っていながら嫌味として言っている。
「ワタクシもWIZバドですわ。魔法の他にハープを嗜んでおりますの。」
「ほう、初耳だな。」
ヴァリキエ意外の空気が、一瞬ヒリついたように感じた。
「あ~、ハープといえばぁ~。こないだぁ、ルシランがねぇ~」
その反応で呂尚は理解した。
ルリアはマイペースに見えて気が利く女だ。彼女が自分から話題を変える時は、何かに気を効かせた証拠でもある。
つまり、皆も半ば気付いているだろう事。
普段から必要以上に、仲間の詮索はしないのだろう事。
ヴァリキエは戦闘以外は察しが悪いので、気付いていないだろう事。
そして…
「ヘレンはWIZクレか。」
「ですから、ワタクシはWIZバドと申しましたでしょう。」
「ふむ、神は二物を与えないという。同じ貴族の出だというのに、その歳で多様な努力をしたのだな。それに比べ、なぜ私はあんな無駄な時間を…」
「ヴァリキエ様!お褒め頂くようなことは…!」
「あれはぁ、誉めてる訳じゃないのよねぇ~」
呂尚は一瞬考えた顔をしたが、すぐに笑顔に戻る。
「じゃあさ!今度、
「え~。ワタシのぉ、そんな大層なものじゃないしぃ~」
「そんな事ないよぉ~!西方の音楽なんて滅多に聞けたもんじゃないし、それに、そんなお硬い場でもないからさ。薄顎も困ってんのよぉ出し物なくて。二人もやってくれるわよね?」
行方不明の夫に操を立てる未亡人、ルシラが答える。
「欲求不満だもんね…。」
「ワタクシも遠慮しておきますわ。人に聞かせる為ではなく、精神統一のために習得したものですから」
「欲求不満だもんね…。」
「違いますわッ!」
「いいじゃないかヘレン。知人の音楽を肴に酒が飲めるなど、こんなに粋な事はない。それに我らはこの地の民と親交を深める事も任務だ。是非に頼む」
「ヴァ、ヴァリキエ様…!」
ヴァリキエは人生を壊すほどに、酒に目がない女だ。
酔って暴れると手がつけられない為、仲間がつれなく、旅をしてから控えていた。
だが最近は呂尚という止め役が出来たおかげで、夜な夜な高級中華酒を満喫している。
「じゃルリちゃんとヘレン、二人で決まりね!祭りは3日後の夕方、渭城の広場!必要な物は言って!用立てるから!」
(ごめぇ~んヘレンっちぃ。もう私にはぁ、どうしようもなぃ~)
ルリアは声に出せない為、心の中でヘレンに謝罪した。
ローマPTの豪華な朝食から1時間後。
ここは長安の北にある、木々が生い茂る森林地帯だ。
一本の木が軽い衝撃に揺れ、葉が舞い落ちる。
そこには細い腕で木を殴り、後悔するヘレンの姿があった。
(くそっ!あの女猿にまんまとハメられた!)
そういえば先日、隠していた治療術を施してしまったのだった。
仲間にも秘密にしていたのに。完璧に出来るようになったら披露して、驚かそうとしていたのに。
なんて迂闊なことを。
…いや、いつもそうだ。どうしてこう、挑発されると意地を張ってしまうのだろう。
「しかも3日後だなんて…。時間がありません。とにかく少しでも練習するしかありませんわ。」
あれは嘘ではない。絃楽器のたしなみはある。
そして自分にしかない、まだ誰も聞いた事のないような、確かな音楽性だって。
『誰も』というのには、自分も含まれるが。
だが、ルリアやルシラのように神秘的な効果を乗せる事は無理でも、
普通に演奏するだけなら誰にだって出来るハズだ。誰にだって。
「…森に入ると落ち着きますわね。」
朝のシンとした森の、太めで座り心地の良い枝に狙いを定め、
テレポートでふわりと腰掛けてから、少女はハープをかなでる。
その人間離れした美しい光景を見れば、人はお伽噺の耳長族でも彷彿するだろう。
そして・・・ぶりり~ん。
鳥が一羽はばたく。
こ、これは調律が悪いだけですわ。確かこうして・・・ぶりり~ん
「はぁ…。」
やはりそうだ。故郷でもカンテレだけは苦手だった。
他の子と同じように音が出せない。
自分の手足のように楽器を使う事が出来ないのだ。
笑われ、焦って力を入れた際に指を切ってしまい、絃に触れる事すら怖い。
その経験からか、音楽自体がすかした、おっと言葉使いが悪い。すましたものだと思うようになり…
音楽とはキレイな部分だけを見せて欺くような、ホントは隠された部分にもっと大きな可能性があって…
――とにかくイケ好かないんですの。ぶっちゃけワタクシ根暗ですもの。
そんな気持ちがあるせいか、練習にも目標を見出せない。
その後も悪戦苦闘するが、とても人に聞かせられる物でないのは確かだった。
自他から求められる評価を考えれば、ヘレンの『人に聞かせられる物』のハードルは、普通のそれよりも、圧倒的なまでに、高い。
「はぁ…。休憩ですわ。」
逼迫した状況では消耗も早い。
寝そべり、葉に揺れる光柱を眺めていると、故郷を思い出す。
随分遠くまで来たというのに、一体何をやっているのだろう。
この地の言語も早くマスターしなければいけないのに。
言語も気候も食習慣も、何もかも違う世界を幾つも越えてきた。だが、自分は何一つ変わっていないと実感する。
指がヒリヒリする。赤くなっていないか確かめる。
「…まだいけますわ。」
その時、指の間から、ヘレンの成層圏が屈折させる菫外線をも捉える左目が、1スタディオン先の水溜りを飛行する、蚊をとらえた。
「虫…。忌々しい生き物。」
森では定期的に、魔除けをソナーのように打ち出さないと、すぐ虫が寄ってきて大変なのだ。
寝てる隙にテルタに潜りこまれたらどうしようもないが、起きてさえいれば虫ごとき、恐れはない。
森に充満するエレメントは、いつだってワタシの味方をしてくれる。
杖は木の下に置いて来たので、バランスを崩さず使える、右手と左腿で代用する。これだと加減はきかないが、知ったことか。
必要以上に強烈なソナーを打ち込む。
1スタディオン先の蚊が失速し、よろよろと遠くへ去っていく。
ざまーみろ。ワタクシの視界を汚した罰だ。
しかし今のは季節を間違えると、毛虫がぼとぼとと降ってくる荒業でもある。
放った直後にそれを思い出し一瞬焦ったが、ワタクシは森のスペシャリスト。そのようなミスは犯しませんわ。
改めて、何も無いが、ヘレンにとっては満ち満ちたそれに手をのばす。
触り、形を変え、
そんなことはしないが、その気になれば1日中だって遊んでいられるだろう。
「フフ…。魔法であれば手足のように扱えますのに。アナタは全然言うことを聞いてくれませんのね。」
弾くことが目的ではない。一時の手持ち無沙汰と、ちょっとした憎たらしさを晴らすため、ヘレンは光の柱にも似た細長い物質を、それが持つ本来のものとは違う用途で、つねるように弄ぶ。
ギュイーーーン!!
ヘレンを中心に音の風が吹いた。
何羽も鳥がはばたき、小動物が走る。
パラパラと葉が舞い落ちる。
「(今のは何?リス…いや、鹿の断末魔にも似た音だった。コレから出たのか?)」
ワタシが夢想していた、美しさと穢れの表現、それとこのハープという楽器が繋がったかのような。
もう一度出来るか?一体どうやった?
今にも消えそうな、この、頭に雷が落ちたかのような閃きが消えぬ内・・・
そう、雷だ。
雷の精霊を顕現させた時、絃を・・・
「ギュイーーーンッ!!」
そうか、そういうことかリリン。あるいは手足のように!
空気であって空気でない、これこそが本当の!
あの女猿め、見ていろ。度肝を抜かして差し上げますわ!!
・
・
・
次の日もヘレンは秘密の特訓をするため、一人足繁く森へと通う。
ヘレンが森に入りしばらくすると、夥しい数の鳥が一斉に飛び立つ。
同時に響く断末魔のような音。
それは遠目から目撃した住人に、世界の終わりの前触れではないか、という不安を募らせる不気味さだった。
その次の日、ヘレンは町で唯一の、そしてアラビア人が営む楽器屋を訪れていた。
西方と東方を融合させた独自の楽器を制作し、昨今の交易ブームも相まり、東西のあらゆる楽器を広く浅く扱っている。
なぜか金鍛冶も同席している。
「本当か?本当にこんな堅いのを張っていいのか?しつこいようだが、これは楽器に使うものじゃない。羊の腸か、繊維なんかを使った方が絶対に良い。」
「判らない方ね。そんな物ではもちませんの。とにかく太いのを一本お張りなさい。実演いたしますわ。」
店が揺れ、通行人が振り向く。
「お、お嬢ちゃんは、魔神か・・?」
「失礼ですわね。これこそが音楽の深層。アナタ方がありがたがっている物は表層にすぎませんのよ」
「それはよく判らんがコイツは新しい音色だ。こいつで曲を奏でた日には・・・ご、ごくりんこ」
「いやースゲーもん見たね、いや聞いたね。長年金属触ってきたがこんな音鳴るんだな!これはなんて名前の音楽なんだ?」
「そうですわね、名前はまだありませんが、あえて名付けるなら・・・」
微かに帯電する、鋼鉄の絃に目をやる。
「フっ…、―――。ですわ。」
「―――だってよ!メタトロンみたいな響きだな、ラッパのやつ!」
「ウフフ、よかったら明日のリサイタルに足をお運びになって。ワタクシの晴れ舞台がございますの。音楽の歴史が変わる瞬間ですわよ。」
「よし、出来たぞ!調律はできんが、ついでにコイツも作ってみた。」
「なんですの?」
「撥だよ。いくらなんでも直接弾いちゃお嬢ちゃんの指が可哀想だ。コイツも鋼鉄だが限界まで小さく薄くした。軽いが丈夫なはずだ。」
丁寧に手を取り、言葉ではなく動作で使い方を教えてくれる。
「まぁ、ありがたく使わせていただきますわ。それでお代は?」
「いいって事よ。代ならとびっきりの演奏で返してくれな!」
「フフ、どうぞお任せになって。では。」
風呂敷を抱え、杖も持たず、フラフラと森の方へ歩いていくヘレン。どことなく顔色が悪い・・・を遠目から見かけた呂尚。
「(睡眠不足か?)」
順調な仕上がりに手応えを感じながら、尚も彼女に大恥をかかせるため、こちらも祭りの宣伝に余念がない。目玉はもちろん、美女二人の西方音楽披露である。
この女はやる気になると、どこまでも最善最悪を尽くし尽くす。
(アタシが本気になればどうなるか、あの小娘に教えてやる!)
・
・
・
ウェイ主催の祭り開催日。
呂尚の商人家系ゆずりの宣伝力が功を奏したか、渭城近くの広場は人でごった返している。
中央に見世物のステージがあり、正面には立ち見席と、その後ろに飲食席がある。
それらを囲むように、沢山の出店が並ぶ。
そして夕刻、衆人環視の中、中央ステージにて、前座・ルリアの歌と演奏が始まった。
謙遜していたものの、さすがに場数が桁違いだ。
さして興味のなかった男達も、流れてくる幻想的な音楽に酔いしれ、あるいは西方に思いを馳せ、涙ぐむ者もいた。子供はルリアのマネをし、野良犬は今にも眠りにつこうとしている。
「皆ルリっちの歌声に面食らってるね」
「ん?ああ、なんといってもヒック。我が隊のバードだからなぁ…。ぶふっ!ハッハッハァーッ!!舐めるなよアレクシオォーースッ!!」
素の声から想像できないソプラノと、細い体に似合わぬ声量。それでも無理のないレベルに抑えているようで、柔らかい余裕とゆとりを演出している。
歌詞の意味までは判らないが、発音が気持ち良い。
貴族の嗜みと言われたオペラを、民間に聞きやすくアレンジしたものだろうか?
それらが時々に合わせたビブラートの強弱によって、優しいマッサージのように体に浸透してくる。
どのような気持ちで聞けば良いのか。
どう身を任せれば、余すとこなく堪能できるのか。
一人一人へ微笑みかけ、観衆を指揮するかのように全身で音を奏でる。
ルリアは元々、人間のレベルではない音楽を奏でるよう作られている。
そして意味もないが、250年間、暇さえあれば練習してきた。
あるいは楽しげな、あるいは踊り出したくなる、祭りに合わせた演奏も可能だったが、観客の疲労度が高めである事を感じ、あえてハープが得意な癒やしの音楽を選択したのだ。
たまった疲れも浄化されたことだろう。実際にそういう効果を込めた。
それはとても効果的で、皆がルリアの虜になってしまうと同時に、次に控えるヘレンには残酷な追い打ちとなった。
一度演奏してしまえば、音楽の天使ルリアに勝てる者など、この世界に存在しない。おまけに本人も、人前で演奏するのは嫌いではないときている。
もしヘレンが完璧に演奏できたとしても、元より彼女の前では、比べるに値しなかっただろう。
マイペースで気が利くルリアも、音楽だけは手を抜けないという、弱点があったのだ。
演奏は無事終了し、暖かい歓声と拍手に照れながら、ルリアが用意された席につく。
主催のウェイも満足し過ぎて、大福のような顔をしている。
すでに祭りの成功は約束されたと、数人を除き、皆が確信していた。
「さすがね、予想以上よ。この世の物とは思えない素晴らしい音色だったわ」
「ルージンっちぃ、わかってるのよぉ~。アタシィを前座にした訳ぇ~」
「ふふふ、場は最高にあったまった。いよいよメーンッイベントゥッ!ね」
やたら強調した発音と共に、呂尚の目がカッと開く。
「前から思ってたけどぉ、ルージンっち、性格悪いよねぇ~」
「ルリっちぃ…そんな事言って、あんさん顔が笑ってますでぇ~ぃ?」
「えへへぇ~。だってぇ、完璧少女があたふたする顔ぉ、見たいじゃなぁ~い?」
正直ヘレンの張り詰め方は、時折、こちらが心配になるほどだった。
衆人環視の中、下手な演奏をしてしまい、落ち込みはするだろう。だがこれを機に、何でも完璧にこなさなくてもいい事も、覚えて欲しい。
全てはフォロー次第でどうにでもなる。大丈夫。自分はその辺りの自信はあるし、なによりあの子は、本来張り詰める必要もない程、健気で純粋で…
絶対的な存在だから。
「げっへっへっへっへ、ワイら、腹黒でおまんがなぁ~あきたきたぁ!」
壇上に上がるヘレン。
目印より少し前の位置から、軽やかに後ろ足を引き、スカートをつまむと同時に少し腰を落とす。
「今宵はお忙しい中、皆さんに足をお運びになって頂き、大変感謝いたします。」
「イェ~イッ!!ヘレンの演奏力はァーッ!中華一ィーッ!!」
「そこの女性、ご静粛に願いますわね。」
暖かい笑いが聞こえる。ルリアの演奏のおかげか、会場の雰囲気も和やかだ。
「まずは皆に憩いの場を提供してくださった主催者、ウェイクァン氏、そして今しがた、幻想的な音楽を提供してくださったルリア氏へ、今一度大きな拍手を。」
柔らかい羽のように両手を広げ、視線と拍手を二人に集める。
確かに、あどけなさの残る16歳の少女が、例え本当に貴族の娘であったとしても、普通に生きて来て出来る所作ではない。
「続いてこちらは、一風変わり大変刺激的にございますわ。心身の弱い方はやや後ろへ。刺激が欲しいという方はどうぞ、立ち上がって前の方にお越し下さいませ。」
ざわざわ。
『心身って?』
『よっ!嬢ちゃん!パンツ見えちまうぞ!』
あらやだ、というわざとらしい動作で、太腿にちょこんと手をやるヘレン。
かわいい。暖かい笑いが起こる。
オヤジギャグをパフォーマンスで中和し、会場の雰囲気とオヤジの名誉を保ったのだ。
『(刺激…まさか。しかし…)』
男衆はオヤジギャグのせいか、前列をキープするため、無言の牽制を繰り広げていた。ヘレンのプロ意識に応えようと、観客の移動はスムーズに進む。
「どうぞ遠慮せず前の方へ…よろしいようで。それではこれより、音楽の深淵をご覧いれますわ。お覚悟はよろしくて…?」
――この愚民共め。
(…えっ?)
その落差に全員が虚をつかれ、食事を取っていた者、酒をあおっていた者、出店に並ぶ者もヘレンに注目し、混みきった広場は静寂に包まれた。
ハープを持つ手がだらりと垂れ下がり、
天空に掲げられた指先が一気にそこへ振り落とされる。
ギャギャギャン!!ギャギャギャン!!ギャギャギャンギャギャン!!!!
ギャギャギャン!!ギャギャギャン!!ギャギャギャンギャギャン!!!!
ギュイィイイイイイーーーーンッ!!!!ギュウゥウウウウウーーーーン!!!!
耳をつんざく、巨大な断末魔が響き渡る。
聴覚が耐えられる音量を、越えている。
そして明らかに物理的で、巨大な衝撃が、一定間隔で全身を叩く。
ギャギャギャンギャギャン!!ギャンギャンギャンッ!!!!
ギャギャギャンギャギャン!!ギャンギャンギャンッ!!!!ギャイーーィイィイイイイン!!!!
大地が、空気が、震えているのだ。
「お、あぁ…。うぁ…?」
皆、状況が理解できない。嗚咽のような声を出す。
子供が恐怖で泣き喚き、犬がけたたましく吠える。
だがそれらの音も、巨大な断末魔にかき消され、塵ほどの音もなさない。
ここにはいたくない。脳が警報を発する。
だが思考が働かず、逃げる事はおろか耳をふさぐ事すら出来ない。
耳をふさいだとしても意味はないが。直接全身に響いているのだから。
「ヴゥウ゛ライゼドゥッッ!!ラ゛イザンブェイドゥザンヴァイ゛ッッ!!」
広場の何割かが尻もちをついた。
ヘレンが激しく首と体を振り、床を貫きそうなほど足を踏み抜く。
悪魔のような声で、亡者語か何かを叫んでいる。
「シガンヴェエエッ!!ドォダァドランヨンライ!ゼイルウ゛ゥゥゥーーーッ!!!!」
黄金の滝と称され、長安の女性達が密かに憧れるツインテールが、上下左右Z軸へと乱暴に振り回される。
叫びは断末魔と呼応し、土石流のようなメロディを奏でる。
「(これは歌…なのか…?)」
魔族が魔王を称えるならば、それもあるだろう。だがここは魔界ではない。
かような儀式はこの大陸に存在しないのだ。
「ギャア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ウ゛ォオオオオオオオオッッ!!!」
淑やかで美しいヘレンが、凄惨な拷問でも受けているかのように、ガニ股で叫ぶ。
呂尚は立ち尽くしている。
自分のせいでヘレンがおかしくなってしまった、ここまでするつもりはなかったと、柄にもなく恐怖し
「あわわわ…。ごめんなさい…ごめんなさい…」
と許しを請うていた。
しかし、自分の発した声は聞こえない。
他の者も恐怖に慄くばかり・・と思われたが、更に取り返しのつかない方向へと発展していた。
爆音の激しい最前列から少しづづ、魔に耐えきれず発狂する者が表れたのだ。
嗚咽は悲鳴となり、首を抑え手を伸ばしたり、頭を抱え苦しんだり、全体的に頭は低く、拳の位置が高くなっている。
自分の体を掻きむしり、ヘレンの動きに追従する者まで現れていた。
特に衛兵、鍛冶屋や蔵番、ヴァリキエなど、抑圧された凶暴性を秘めた者ほど、その傾向は強かった。
ギャンギャンギャギャーーーンッ!!!!
「イビュワンダヴァアアアッッ!!!!」
発狂は波のように強まり、
ある者は雄叫びを上げ、獣のように狂う。
ある者は強引に前へ行こうと、他者の上を這うように進む。
ある者は隣の者と体を叩き合い、体当たりや殴り合いに発展する。
かがり火はついに火柱と合いなり、時折爆発している。
ヘレンは目を見開き血走らせながら、左目を光らせ、観衆を舐るよう、一人一人にガンを飛ばしていく。
ギャンギャンギャギャーーーンッ!!!!
「ウ゛ゥ゛ゾォヴァアアアアアアッッ!!!!」
血走っているのではない、目から赤い涙が流れている。
ヘレンはまぶたの裏と涙腺の血管が弱い。
最初は驚くが、慣れた仲間にとっては鼻血程度のイベントだ。
だがそれを知らない観衆にとって、それは悪魔の降臨を確信するに十分であった。
ギャンギャンギャギャーーーン、ギャンギャンギュアアアアッ!!!!
「ツ゛ゥエ゛イゴンジョア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアッ!!」
地面は震え、怒号と化す。阿鼻叫喚の様相はもはや地獄であった。
ギャ―ンギャーンギャギャーーンギャンギャンギャーーーンッ!!
「ィビュラァリィヴァディズヴァ゛ア゛ディィヨ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーー!!!」
右を向けば白目を剥き徘徊する者が。
あそこではファーシュエが座り込み、失禁している。ハンユエはすでに意識を失っており、左側を向けば、イエンが泡を吹く老人を抱えて涙を流し、
届かぬ悲痛な声で
こんな時でも大した奴だ。
この場を収める為、あの魔王に斬りかかるべきか逡巡しているのだろう。
相手はあの白霊を討伐した少女だ。しかも今はエクストリーム状態。少なく見積もっても白霊より強い。薄顎程度では斬りかかったとしても結果は見えている。薄顎もそれは理解しているだろう。
ギャギャギャンギャギャン、ギャギャギャン!
ギャギャギャンギャギャン、ギャンギャンギャン!
「……ギャア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ウォオオオオオオオオッッ!!!」
地獄はやわらいだと思うと更に激しくなり、
ヘレンの姿勢は良くなったと思えば獣のようになる。
ギュイィーーーーンギュゥーン!!!!
ギャルギャルギャルギャルギャーーーーーーーーーーンッッ!!!!
間奏か?歌声がやむと演奏が激しさを増す。
ひどい。せっかく歌が弱まったのに、どうしてそんな事をするんだ。
…すると、突然ハープの断末魔が弱まり、ヘレンが美しい声を響かせる。
ゆっくり、囁くように、何かを歌っている。
「Si vis mundi… (お前が世界を望むなら)」
「Ora in corde tuo… (お前の心で祈れ)」
「Si vos vere volo…(お前が本当に望むなら)」
「Mundus tuum est…(世界はお前のものだ)」
「Operuit in hoc mundo stercore tuum est…(このクソにまみれた地べたはお前のものだ)」
ギャンギャンギャギャーーーンッ!!!!
「イビュワンダヴァアアアッッ!!!!」
再び地獄に戻る。今のはなんだったのだろう。
規則性も判らぬ恐怖は数分間続き、最後に一際大きい断末魔が響き渡る。
ギャ―ンギャーンギャギャーーンギャンギャンギャーーーンッ!!
「ィビュラァリィヴァディズヴァ゛ア゛ディィヨ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーー!!!」
・
・
・
…余韻が薄れるにつれ、反比例するように観客の声が鮮明になる。
魔界は、現実の色を取り戻していく。
終わった、のか…?やった、解放されたのだ。
もう苦しまなくていいのだ。だが、認めたくないこの感情はなんだ?
ほんの少しだけ、地獄が過ぎ去った事に、寂しさに似た気持ちが去来したような。
…そんなハズはない。これは安堵や、何か別の感情がそう錯覚させているだけだ。断じてこれ以上の断末魔など求めてはならない。
「ア、アイツ一体…、ぬ、何を。ゆって、たんだ。」
呂律が回っていない。
「たぶんずっとラテン語でぇ~。…口には出せないような事を。」
ステージ上では天使の顔をした悪魔が、
着衣を乱し、うっとりした表情を浮かべている。
血の涙を親指でぬぐい、唇に塗りつけ、その潤んだ唇を動かす。
「ハァ、ハァ、愚民共…、ハァ、如何…だったかしら…?」
『ヴォオオオッ!!』
『ンべアアアッ!』
『ヒェアッ、ヒェアッ、ヒェアアアアッ!!』
『クソガァーッ!!犯らせラァーッ!!』
前の方は一体どうしたというのだ?
粗暴な面もあったが、根は善良な人々だったじゃないか。
これではまるで、飢えた荒野で商人を見つけ、なりふり構わず襲いかかる時の盗賊だ。あの魔女が皆を悪魔に変えてしまった。
「今、犯させろと言った者…。壇上へ上がりなさい」
『ウォオオオオオ゛!!俺だぁあああっ!!』
拳をふりまわし、ドスンドスンと詰め寄り、
三回りも小さい少女に向かって、今にも喰いかからんと威嚇する巨漢。
その口は大きく開き涎を垂らしている。
かつては物静かで、姉の命令を忠実にこなしていた倉庫番、その成れの果てだ。
『剥けああああああ!!』
『犯せああああああ!!』
『食いちぎらあああ!!』
かつて戦場で盛んに行われたという一騎打ちとは、あるいはこのような物だったのかもしれない。
「醜く肥えた大豚さん…。お覚悟はよろしくて?」
「こいやぁあああがぁああああ!!」
ドンドンと両拳で胸を叩きながら、巨漢は腰を激しく前後に振る。
「ハァアアッ!!」
ヘレンが天空に掲げた腕を体ごとハープへ叩きつけ、15本の鋼鉄絃に一直線の火柱が走る。
バギュイィイイイイイ!!!
球状に広がる金切音と雷撃により、二百斥を越える男が矢のように吹き飛ばされる。男は雄叫びをあげながら観客に突っ込み、巻き添えで罪の無い何人かが宙を舞った。
「(一般人に魔法をブチ込みやがった!間違いなく大惨事だ。大惨事なのに雄叫びを上げている…だと?)」
「ワタクシのステージに勝手に上がらないでくださる?」
身を乗り出し、自分を抱くような妖艶なポーズで言い放つ。
歓声が上がる。
やりすぎだ。やりすぎなのに歓声が上がる。
やりすぎだから歓声が上がる。
巨漢の下敷きになった者達も、拳を天に掲げている。
腕が折れているため、掲げられたのは肘までだが。
「(なぜだ…。被害だけで言えば、今のは市街地に投石を打ち込まれたレベルだ。なぜ喜べるんだ。勝利したのか?戦争に。最前線の奴等は)」
呂尚の思考が追いつかない。
そう、ここにはルールも常識もない。ただ己の本能を解き放つのみ。
言葉はいらない。頭ではなく、体で理解していた。
「ヘレンっちぃ。すっごいウットリ顔でぇ、ルージンっちぃ見てるよぉ。あれは完全にぃ~。処女イキの顔ねぇ~」
お前もこうしてやった事があったな、そんな見下した感情が、言葉ではなく体で理解出来る。
なぜこうなった?わからない。
確かなのは、あの満足気なドヤ顔がムカつくってことだ…!
「(アイツ絶対、高い所から魔法をぶっ放すのが好きなんだ!)」
「もう一曲いきますわよっ!!汚らわしい豚共ォーーーッ!このワタクシに跪く事を許可して差し上げますわアァーーーッ!!」
『ヴォオオオーーー!!』
激しく裏返るヘレンの声。誰も跪く様子はない。
地獄が再来する。確信する。
耳が、脳が、胸が。
もうこれなしでは生きていけない体にされてしまった事を。
呂尚は悔しさに拳を震わせている
「わた…、私は…」
「もうWIZバドってぇ~。認めてあげたらぁ~ん?」
「わたしは・・・ゼッテェー・・・認めねェェーーーッ!!ヴォオオオォーーーッ!!」
呂尚は駆け出す。獣の群れへ飛び込む。
担がれ、投げられ、殴り、殴られ、ケツや胸を鷲掴まれ、服がズタズタに破れ半裸になりながら、
「認゛め゛ね゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」
と、獣のような雄叫びを上げ続ける。
祭りは最凶のクライマックスを迎えたのだ。
そう。言葉なんざ、いらねんだよ。
第一回、跳躍者祭:軽症30、重症7、死亡1(かろうじて蘇生)
ヘレンのマスタリー:
WIZ100、クレリック100 ⇛ WIZ100、クレリック80、バード20
秦始皇帝陵での「釣り」の様子は、コチラの動画の後半に写っています。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8914306
中国種族のソロ狩りの3倍以上の効率を発揮するEUPT狩り。
ウォーリアー(剣士)とクレリックが前衛を務め、WIZとバード(3~4人)が後衛を務め、釣りがmobを引っ張り、狩るのが基本でした。
1(又は2)芸に特化するEU種族に対し、中国種族は器用貧乏で、mobを釣る役割意外でEUPTに入る事はできません。その釣りに関しても、バルクス(チェイサー)のボーガンスキルの方が優秀であり、これによる成長速度差は大きな問題でした。
「中華をPTに入れると効率が悪くなるのでお断り」というPTも多かったです。
EU種族は(当時は)2つの職を極める事が出来ました。これを利用し、
クレリックの人が抜けたらウォリアー+クレリックの人が代わりを務めたり、
WIZクレの人が新しく入ったら、WIZバドの人がバードを務める、なんてスイッチを行っていました。
バード(吟遊詩人)は主にMPを回復させる役です。他にも色々出来ますが、2人いないと使えない技があったりと、サブスキル(たしなみ)の印象が強いです。
WIZ+クレは自分を回復出来るためソロ狩りにも対応でき、初期に流行りました。
ただ、クレリックは前衛職のため、PT狩りではクレリックが抜けたとしても、体力の低いWIZクレは代わりを務められず、WIZバドの方が優秀だという事で、今度はWIZバドが流行りました。
WIZクレの人は肩身が狭いので、せっかく覚えたクレスキルを回収し、バドスキルを覚え直したりといった事がよくありました。
そんな当時の状況を再現したのが、この、ヘレンのWIZクレ→WIZバド転向の話です。
また、バードの初期スキルには、恐ろしいほどの不快音で敵を攻撃したり、遠ざけたりするスキルがあって、それは現代でいうところのエレキギタ―の音なのかな?と思い、エレキハープというものを考えました。(エレキハープは実際にあります。)