第104話
神崎電子の主な取引先の銀行、『東京ネプチューンバンク』は大手の都市銀行である。かつて神崎電子の総務部長として君臨していた藤岡はネプチューンバンクの元行員である。彼は波香が社長に就任するや否やまもなくして彼は辞職しネプチューンバンクに戻っていた。その彼の差し金か否かはわからないがネプチューンバンクは来期の神崎電子への融資を全面的に打ち切ってきた。その為、来季の資金繰り計画が立てられなくなり間宮は社長である恵美に報告をしたのだ。
「とりあえずお父様に報告はするべきかな......」
恵美は株主である自分の父にできれば何も言いたくはなかった。ここで父に助けてもらうようであれば所詮お飾りの社長だと世間からもこの会社の社員からも嘲笑されるに違いない。それは恵美のプライドが許さなかった。
「あの社長。私が他の銀行に掛け合ってなんとか融資をしてもらえるように頼んできましょうか?」
「間宮部長、アテはあるのですか?」
「......ありません。でも、今の業績ならお金を貸してくれるところはあると思うのです。今期は4年ぶりに黒字決算になりそうですから」
「そうですか。お金を貸してくれるところが決まったら私もご挨拶に行きますね」
「え?私だけで構わないと思いますが......」
「いいえ、私にもさせてください」
強い眼差しで恵美は間宮を見る。なるほどこれが神崎電子の新社長、神崎恵美流なのかと間宮は思い苦笑する。
「え?何かおかしいですか?」
そんな間宮を見て恵美は間宮に問う。
「いえ、まだ女子高生なのにしっかりしてるなと思いまして」
「え?そうですか?当たり前のことだと思いますが......」
さすが神崎喜一郎の一人娘だと間宮は感心する。一方その神崎と日本を2分する北条繁一の娘と言われる存在であった北条波香は沖縄のとある病院で無事出産を終えていた。
「ナミカちゃんよくやった!」
時哉は手放しで波香を讃えている。汐海をはじめ他のみんなも波香の寝ているベッドの周りを囲んでいた。
「おめでとう!」「おめでとうございます」
「はは、ありがとうみんな」
ほどなくして看護師が赤ちゃんを抱いて波香の元にやってきた。
「元気な女の子ですよ!」「おぎゃーおぎゃーおぎゃー」
「わあ!」「なんと!」
赤ん坊の登場に周りは大騒ぎである。
「さあさあ、お母さんのところに行こうね」
看護師は赤ん坊に語りかけベッドから起き上がった波香に赤ん坊を丁寧に渡した。
「おぎゃーおぎゃーおぎゃー」
「......私の赤ちゃん......あったかい.....おーよしよし」
誰に習ったわけでもないのに波香は抱いた赤ん坊をあやすと今までやかましかった赤ん坊はすっと寝てしまった。
「おお!」「わあ!」
それを見て汐海と美菜は感心する。
「......いいなあ、ね、敬一郎さん、私も赤ちゃん欲しくなっちゃった」
香織は谷の手をぎゅっと握って谷の顔を覗き込む。
「そうだね、子供作ろう」
「はい!」
香織が谷によりかかってきたので谷は香織の肩を抱いた。そういう皆の様子を見て時哉は思う。俺の周りには幸せが溢れていると。そして思うのだ。汐海や美菜そして北条繁一によって造られた他のクローン人間達も幸せになって欲しいと。
「どうしたの?トキヤ。男の子のほうがよかった?」
感慨にふけっている時哉に波香は気が付いた。
「いやいや、そうじゃないよ。幸せだなあと思って」
「うん、私も幸せ」
そんな赤ん坊を見つめあい寄り添う波香と時哉を見て汐海と美菜は言う。
「んはっ~~私も赤ちゃんが欲しいぞ!」「私もっ!!」
「ははは、キミ達なら大丈夫だよ。きっと......ね」
「そうだ、谷殿は時哉殿の紹介だったな?私にも谷殿みたいな人を紹介してはくれまいか?」「私もっ!!」
「ん?美菜は彼氏が入院中ではないのか?」
「あの彼とは別れる!」
「おいおい、ちょっと二人とも待てって」
騒ぎ立てる2人を時哉はやんわりとなだめる。その一方で小野寺は赤ん坊を抱いてあやしている波香にそっと近づく。
「うっうっ......せんせえ、おめでとうございます」
「うん、ありがと。なんで泣いてるのよ?」
「わかんないです。なんか泣けてきちゃって」
「そっか......ありがとう小野寺。ありがとう」
一方で真樹男は完全に蚊帳の外であった。彼は波香に何も言えずにいた。そして思うのだ。わたくしにも赤ん坊はできるのかしらと。
◇
__それから週あけの月曜日。
「ん?汐海ちゃんと美菜ちゃん、ちょっと日焼けしてるね?」
一里塚は沖縄から帰ってきた2人を見てそう言う。
「ちょっと沖縄に行ってきたのでな。少しだけ美菜と海に行ったのだ」
「そうだったんだってね。いいなあ、あたしも行きたかった。会長の赤ちゃん可愛かった?」
「ああ、たまらんかったな。ちょっと抱いてみたけれど可愛くてたまらなかった。あれが自分の赤ちゃんならもっと可愛く思えるのであろうな」
「へえ~~~」
「小西部長のところは赤ちゃん作らないのか?」
「うん、そうだねー。1年後くらいには」
「なんでだ?」
「子供を育てるには先立つものがないとね」
「金か?」
「うん、そう」
「金などなんとでもなるだろうに」
「いや、ならないって。ウチは住宅ローンもあるしね」
「そうなのか」
「うん」
「部長のところは借家ではないのか?」
「うん、どうせなら借りるよりも買っちゃったほうがいいかなあって」
「ほう、住宅とは借りるだけではなく買うこともできるのか」
「はは、まあ、ウチはマンションだけどねえ」
「マンション?なぜ一戸建ての家を買わないのだ?あんな一室だけでは借りた方がいいだろうに」
「まあ、マンションにはマンションの良さがあるよ。汐海ちゃんもおいおいわかると思うけど。あ!もちろん一戸建ての良さもあるけどね」
「うーむ、わからんな。まあ、私達は会長殿のマンションにタダで寝泊まりさせてもらってるからわからないのだろうな」
「そうだねえ......これからの事を考えたら会長のところは子供ができたしそろそろ汐海ちゃんも美菜ちゃんも会長から自立したほうがいいんじゃない?」
「え!?迷惑なのか?私達は?会長殿にとって?」
「......会長はきっと迷惑だなんて言わないと思うよ。その辺は察してあげたほうがいいんじゃないかなあ」
「......部長殿。どうやらその『察する』ということをできないのが私の欠点らしい。いやできないというより気づけないと言った方が正しいか」
「それは私も......同じみたい」
汐海と美菜は神妙な面持ちで一里塚に言うがそんなことを言われた一里塚は返答に困る。
「ん~、それはどうにも......本とか読んでみればいいんじゃないかな」
「そうか......探してみる」
「まあ、それはそうとして2人とも今日、残業できる?」
「私は構わないが」「私もいいよっ」
「あ、ほんと?助かった。じゃあ宜しくね~」
一里塚は汐海と美菜と別れるとそのまま社用車のある駐車場へと歩いていく。材料の調達の為に自分が取りに行くためだ。間宮から資金繰りが危ないということを聞かされてはいたが自分にはどうにもできない。いつも通り自分が出来ることをするだけなのだ。
◇
「みんなは帰ったのにトキヤは帰らなくていいの?」
「もう一日、ナミカちゃんと一緒にいるよ」
「教頭ともあろうものが何日も突然休んでいいのかしらね」
「波香ちゃんだって......会長はいいのか」
「そうそう、会長は一線からしりぞいてますからね、ふふふ」
我が子を見つめながら波香はそう言う。
「......心配しなくてももう消えたりしないわよ」
「俺がクローンだからかい?」
「それももうどうでもよくなっちゃった。こうして自分の赤ちゃんを見ていると.....ね」
「そうか」
「あ、そうだ。喜一郎様に電話してきていい?」
「うん」
波香はそう時哉に告げるとスマフォ片手に病室から出て行く。時哉はふとスヤスヤと寝ている自分の赤ちゃんを見るとにへっとだらしのない顔をする。しばらくして波香は歓喜の表情で戻って来た。
「ねえねえ、喜一郎様がいくつか名前を考えてくださったんだけど『
「俺がナミカちゃんにサンドイッチにされてるのか。でも、いいね、それ」
「でしょ?これにしよう!」
「お館様には連絡しなくていいのかい?」
「いいわよ、あんなクソジジィ」
時哉はふと思う。こうしている間にも続々と新たなクローン人間を繁一は生み出しているのか......と。俺たちはうまくいっているが他のクローン達もそうなってるとは限らない。中には不遇の者もいるかもしれない。このままほっといてもいいものだろうか。時哉はいずれこの件のことを自分の父、宗時に相談しようと思っている。間違っても波香には話すつもりはなかった。幸いなことに波香は今、自分の置かれている状況に精一杯だ。ある意味彼女らしくないが時哉はそれでいい、それでいてくれと思わずにはいられなかった。
◇
「最近、あのおんな......あんたんとこの会長さん見ないな?」
滝川商事の山岡主任は一里塚にそう言う。一里塚は滝川商事に材料となる新型基盤を5000個引き取りにきたのだ。
「今、産休なんですよ」
「へええ~、美人だけどあんな気性の荒い女とどうにかできる男がいるんだな」
「旦那さんになる人もすごいいい人ですよ」
「へええ~」
「少なくとも山岡主任よりは!」
「おい、そんなこと言っていいのかあ?」
「あ!ごめんなさい!山岡主任もサイコー......ですよ?」
「じゃあ、今晩つきあうか?」
「いえ、すみませんが」
「つきあってくれたら定価から5パー引いてもいいぞ?」
山岡は一里塚の胸元をジロジロ凝視しながらそう言う。
「いえいえ、そんなことをしてもあたしにはなんにも得にならないので。定価っていうか契約単価でいいです」
「相変わらず固いなあ」
「ありがとうございます」
「いや、褒めてねえよ」
「あ!じゃあ、あたし、帰りますね」
「おう......こないだ菊池がきたぞ?あいつケニーに戻ったんだってな」
「そうですか、菊池さんが」
「あいつもてっきり一里塚ちゃん......あ、今は小西か、あんたに気があると思ってたんだけど結局、お互いに別の相手と結婚したんだな」
「......」
「小西ちゃん来たらよろしくって言ってたわ」
「......じゃあ、もう行きますね」
「おう、じゃあ、またな」
一里塚は検収伝票に自分のハンコを押すと軽トラックに乗り込んだ。菊池のことを考えながら。
「菊池さんか......でも、あたし部長だもんね。菊池さんより役職上になっちゃったな」
__何かを吹っ切れた顔をし一里塚は軽トラックを我が社へと向かわせる。きっと会社ではやる気に満ちた社員が一里塚の帰りを今か今かと待っているに違いないからだ。
(続く)