北条家の夕飯は午後7時。波香と時哉は両方揃わずとも必ずどちらかがその決められた時間までに帰宅し夕食の準備を子供たちの為に整えていた。今日は珍しく波香と時哉が食卓のテーブルについている。
その場であることを話すかどうか波哉香は迷っていたがやがて話す決心をしそっと箸を置いた。
「えっと、パパとママ。お話があります」
その波哉香のあらたまった態度に波香と時哉はギョッとするが波哉香の言葉を待つ。
「私、ある人とお付き合いをしようと思います」
ガタタッ!
時哉は箸を持ったまま立ち上がり大きな声をあげる。
「誰なんだ!そいつは!この間の奴か!!」
思いもよらぬ父の行動に波哉香もビクンとくるが自分の為にやきもちを焼いている感じなので嬉しさが込み上げて来る。がそれを波哉香は表情に出さずに淡々と話を続けた。
「うん、我那部野太鳳くん」
「お姉ちゃんまだ早いよ!」
波哉香の隣に座っている弟の隼も顔を真っ赤にして反対の声を挙げた。父と弟はどうやらよく思ってないことを感じた波哉香は助けを求めるように母である波香の顔を見る。
「......波哉香は好きなの?その子のこと?」
「正直言って好きでもないし嫌いでもない」
「ふぅん。じゃあ、どうしてお付き合いしようと思ったのかしら?」
「それは......」
私の為になんでもしてくれるから。というのが率直な答えなのだが波哉香は前もって自分で考えに考えを重ねた回答を話しはじめる。
「私は他の人に対して好きっていう感情を持ったことがないし好きってことがイマイチわかりません。我那部野くんはそんな私に好きだって言ってくれました。言われた時は何がなんだかわからなかったけれどそれから我那部野くんのことが気になりだしいつも目で追っていました。彼は自分への向上心を持って何か目的か夢を持って考えて毎日を送っているみたいです。それに言葉はぶっきらぼうだけど人に対して親切だし何より私に優しく接してくれてます。私も最近彼に対してもやっとする感情みたいなものが湧いてきて......」
「それは波哉香も好きになってるんじゃない?」
ニヤニヤしながら波香は波哉香を見る。
「え?......そうなのかな」
「うん、いいわ。お付き合いしてみなさい我那部野君と」
「お、おい!!」
「ママ!!」
時哉と隼は慌てて波香を見るがそんな二人の態度などお構いなしに波香は話を続ける。
「でもね、あなた達はまだ中学生なんだからちゃんと節度を守ってお付き合いしてね」
「うん」
「それから月に1度は我那部野君をウチに連れてくること」
「え?」
「まあ、お付き合いが長く続くかどうかわからないけどね」
「......うん」
晩御飯を食べ終え波哉香は自分の部屋に戻る。
「......はあ、OK貰えた。......でもね、感情じゃなくて勘定なんだよ。ごめんね、ママ嘘ついて。私が好きなのはパパ......一人だけだよ......これもママには死んでも言えない」
自分の学習机の上に広げたノートの上に波哉香はうつ伏せになった。だが、さっき母に言った言葉はまんざら嘘でもないことに波哉香は気づいていないのだ。
◇
「行ってきます」
波哉香は一人玄関を出て美樹の待つコンビニの木の前に向かう。いつもなら弟の隼と一緒に登校するはずなのだが隼は体調が悪く学校を休むことになったのだ。自分の大好きな姉が他の男と付き合うことになりそのストレスでお腹の調子が悪くなったことを無論、波哉香は知る由もない。
「まだ、来てないよね。たまには私が先に待っててあげよう」
美樹よりも早く待ち合わせ場所についた波哉香はスマフォをいじりはじめるがすぐに美樹はやってきた。
「あれ?波哉香、おはよう!早いね?」
「うん、今日はハヤブサが学校休みだからね。まっすぐこっちに来た」
「隼君どうしたの?」
「うん、なんかお腹の調子が悪いんだって」
「あらら」
「大した事なさそうだから大丈夫だよ。それより美樹」
「うん」
「私、我那部野くんと付き合うよ。昨日、親に話して了解もとったし」
「え、そうなの?」
「うん」
美樹の心臓はバクバクと鼓動が早くなっていた。
「じゃあ、もう、朝もこうして二人で学校へ行くこともなくなるのかな?」
「何言ってんの?そんなことあるわけないじゃん!何も変わらないよ」
「ホント?」
涙目で美樹は波哉香の目を見る。波哉香の瞳は澄んだ青い瞳でその美しさに美樹は心を吸い込まれていく。そして美樹は自覚するのだ。自分は波哉香の事が好きなのだ。それは友人としてでもなく人としてでもない。
「うっうっうっ」
自分の波哉香に対する想いを自覚すると泣けてきた。こんなに好きなのにどうして我那部野との交際を応援することをしてしまったのか。なぜ同性の人を好きになったのか。この恋はきっと辛い結末が待っているに違いない。後悔と止められない愛情と不安。いろいろな感情が入りまじり美樹はただ泣くことしかできないのだ。
「ちょ!ど、どうしたのよ、美樹!」
突然、号泣し始める親友を前に波哉香はどうしたらいいのかわからない。
「わからない。なんか泣けてきちゃって......」
どうしたらいいのかわからない波哉香はそっと美樹の肩を抱いた。だがその行為はますます美樹の嗚咽を誘うだけだったのだ。二人はしばらくコンビニの前の木の下で動けずにいた。
◇
なんとか始業時間に間に合った。二人は席に着く。
「よう。今日は二人とも遅いじゃないか」
二人の席の後ろの我那部野は声をかける。
「う、うん」「......」
「ん?どうした?何かあったのか?」
「え?なんもないよ。......我那部野くん、後で話があるの」
「あ?ああ。ここじゃ話しづらい事か?」
「うん、次の休み時間になったら......う~ん、視聴覚室行かない?そこで話す」
「わかった」
数学の授業が終わりいそいそと別々に波哉香達は視聴覚室に向かう。そして視聴覚室に着くなり波哉香は我那部野に言うのだ。
「美樹の事、どう思ってる?」
「あ?なんだそりゃ。そんな話かよ」
「うん、実はさ。あんたと付き合うって美樹に話したら美樹泣いちゃってさ。あんたの事が好きなんじゃないかな、美樹」
「.....ああ、そういうことか」
我那部野はすぐに何故美樹が泣いたのかわかった。おそらく美樹も波哉香の事が好きなのだ。だがそれを正直に言うと自分と波哉香の交際の障害になりかねない。
「それは嬉し泣きなんじゃないか?自分の応援していた恋が実ったから」
「え~?そういう感じではないと思うけどなあ」
「いずれにせよだ。早瀬が俺の事を好きってことは全くない。それは安心してくれ」
「なんでそう言い切れるの?」
「そ、それは......早瀬の好きな人を俺は知っているからだ」
「え?我那部野くん、知ってるの?美樹の好きな人?」
「ああ」
「教えてよ!誰なのその人?私も応援する!」
「ダメだ!教えられない」
「なんでよ!」
「早瀬と約束してるからだ」
「え~~!なんでぇ~!」
「すまん」
「じゃあ、じゃあ、教えてくれたら私、我那部野くんと付き合うから!」
「......うぐっ。それは教えなかったら俺はお前と付き合えないってことか?」
「そ、そうね!」
「......」
下衆な交換要求に波哉香は自己嫌悪に陥りすぐに訂正することにした。
「ゴメン、今の忘れて?もう決めたことだから私はあんたと付き合うことにする」
「お、おう!本当か!?」
「うん。でもいつか美樹の好きな人、教えてね?私もうまくいくように応援したい。美樹は私のたった一人の親友だから」
それは無理だなという言葉を我那部野は飲み込む。それよりも自分がほれ込んだ女が自分との交際に了承してくれた。その喜びの感情を抑えるのに我那部野は必死だった。
「......」
「ん?どうしたの?」
「いや、嬉しすぎて言葉が出ないんだ」
「へ?そんなに?」
「ああ!!」
「あ!でも条件があるの。中学生として節度を守ることと月に1度は私の家に来ること。OK?」
「おう!わかった!」
我那部野は波哉香の言葉を聞きおそらくその言葉からして波哉香の親公認なのだろうと予測がつきますますテンションが上がっていく。
「じゃあ、今日は一緒に帰るか?」
「そ、そうね。付き合ってるんだし。あ!美樹も一緒でいい?」
「ああ、構わない。お前の親友だもんな」
「うん!」
我那部野は波哉香の提案に快諾する。我那部野も美樹から波哉香を奪ってしまったのだから美樹に対して申し訳ない気持ちがあったのだ。
1日の授業が終わり波哉香と美樹は帰り支度を始める。
「今日さ、帰り我那部野くんも一緒でいい?」
「あ、私、今日、寄るところあるんだ。だから先に帰るね」
「あ、うん」
美樹はそう言うと一人で教室を出て行った。波哉香は振り返り我那部野の顔を見つめる。
「な、なんだ?」
「本当に美樹、あんたの事が好きってことはないんだよね?」
「ああ!絶対にそんなことはない!断言するし神にも誓う!」
「あたし別に神様信じてないし」
「そうか、じゃあ、北条波哉香に誓う!断じてそんなことはない!」
「そっか」
「おう!早瀬は本当に何か用事があったんじゃね?」
「......そうだよね」
「じゃあ、帰ろうぜ?」
「うん!」
2人して一緒に教室を出て廊下を歩いていくとあることに波哉香は気づく。
「な、なんかいつもよりみんなに見られている気がする......」
「ま、まあ、気にすんな」
そういう我那部野の顔を見ると顔が真っ赤になっていた。
「あんた、顔が真っ赤だよ!」
「お前もな!」
クラスメイトや同級生の視線をくぐり抜けなんとか二人は学校を出た。
「はあ、やっと落ち着いた。あんたと二人きりで帰るとあれに耐えないといけないのか」
「ま、まあ、最初のうちだけだ。そのうち連中もなれるさ」
「そうなのかな?」
「ああ!」
そして我那部野は波哉香の手を握る。
「ちょ!!」
「ダメか?でも手を握るくらい小学生もやっていることだろ?」
「そ、そうだけど。私、手、汗ばんでない?」
「いや?そんなことないぞ?とても柔らかいいい手だ。ずっと握っていたい」
「......うう、なんと言ったらいいのか」
「そんな恥ずかしがるなよ。恥じることなど微塵もないぞ?」
「そ、そうだけど......これからどうする?ウチ来て勉強でもする?」
「お!いいのか?」
「うん、いいよ。ママがいいっていったら夕飯もウチで食べていけば?」
「マジか!?すげえ、嬉しいぞ!」
「あはは」
二人はそのまま駅まで手を繋いで歩いていった。そして波哉香の自宅がある駅で二人は降り再び手を繋いで歩き出す。
「なんかフワフワしてる」
「何がだ?」
「う~ん、なんというか気分?地面を歩いているんだけど宙を浮いているみたいな?」
「ああ、俺もそんな感じだ」
「そうなんだ?あんたも同じ感じかあ。付き合うってこういうことなんだね」
「なあ、北条」
「なに?」
「俺ら付き合ってんだし名前で呼び合わないか?あんたとかおまえじゃなくてさ?」
「あ、うん、そうだね。......名前なんだっけ?」
「まじかよ!!」
「あはは、ウソウソ。『タオ』だったよね」
「うん、そうだ。ハヤカ」
「ん?あれ?私なんでタオと付き合うことになったんだっけ?」
「おいおい」
波哉香はふと我に返る。当初、我那部野と付き合う目的は自分の言うことを聞いてもらう為だったはずなのだ。それをすっかり波哉香は忘れていた。だがそんなことはもうどうでも良いくらいに波哉香も初めての体験に気持ちが昂っているのであった。
(続く)