「まったく恩知らずの奴じゃ」
吐き捨てるように繁一は言う。波香達と供に都内でも屈指のがん患者を扱っている病院の院長に新薬の打診をしたが見事に断られてしまったからだ。認可のない新薬など断れるのは当たり前である。繁一の言葉からしてその院長と何か昔あったようだ。
「まあ、あんたの人徳が足りなかったようね」
「ふん、そんなの関係ないわい。ベネフィットはともかくとしてリスクがでかすぎるのじゃ」
「がんが治ることと引き換えに記憶を無くす......ですよね」
営業部長に任命された香織は呟く。
「でも、必ず記憶を失うわけではないわ」
「......」
香織はもし自分ががんに侵されたらどうだろうと考える。もし記憶がなくなるのだとしたら、今までの谷敬一郎との事を全て忘れてしまうなのだとしたら。それでも自分は自分の命を最優先にするのだろうか。そう考えているうちに嫌な気持ちになってきたのでそれ以上香織は考えるのをやめた。
「あら?」
波香は待合室で項垂れている男性を首を傾げながら見る。どこかで見たことがある姿だった。
「光一さん?」
「......!!大貫さんか!?」
そう、その男はかつて波香が海と山の街で熱い夜を供に過ごした井川光一だった。
「すごい偶然!今日はどうしたの?」
「実は小百合が......がんが転移したんだ......あと余命いくばくもない......」
「え!小百合さんが!?」
「先月、がんの摘出手術はうまくいっだ。だが今日の検査で転移が確認され......たんだ」
「そう......」
「ううう、俺はどうしたら」
光一は頭を抱える。小百合と結婚して数年。これから子供を作り明るく幸せな家庭を築こうと思っていた矢先の出来事だった。
「......光一さん、私達が開発した薬はどんな癌でもたちどころに完治させてしまうの」
「あんだって!?そんな薬があるだか!!」
「うん、でもね、約30%の確率で記憶を無くしてしまうの」
「それは記憶喪失ということだか?」
「うん、そう」
「......金はどれくらいかかるだか?そんな薬どえらくかかるのでは?」
「お金は......気持ちでいい。実はこの薬、正式に使用認可が取れてないの。でもね癌が治ることには変わりないわ」
「本当に気持ちでいいだか?このままだと小百合は死んでしまうのだからぜひお願いしたい」
「そう、そしたら退院できる状況になったらすぐ私のところに来て。場所はここよ」
波香はすっと自分の名刺を光一に渡す。
「『北条家当主:北条製薬株式会社 代表取締役社長 北条波香』......大貫さんこれは?」
光一が渡された名刺をぽかんと見つめて呟くと波香は応える。
「私が北条家当主の北条波香です」
◇
「......ということであなたとはつきあえません。ごめんなさい」
波哉香はラブレター告白をしてきた14人目の男子生徒に返事をする。その男子生徒は黙って頷きその場を走り去っていった。
「......ふぅ......ごめんね」
その男子生徒の走り去っていく後ろ姿に波哉香は呟く。それは意味がないことと波哉香は知っていた。それでも波哉香はそうしてしまうのである。
「さてと!やっと全部終わったあ!!」
「北条さん、ちょっといいかい?」
「ふぁ?」
振り向くとそこには白石がいた。彼も波哉香にラブレターを出した者の一人だがすでに波哉香に断られている。
「なんでしょ?」
「今度の週末、僕とライブコンサートに行かないか?T'zの」
「はい?」
「T'zのファンなんだろう?チケットを取るのに苦労......僕の場合は苦労してないけど」
「なんで私と白石君が?」
「特に意味はないよ。君が大ファンだとウィンドレターで聞いてね。もしよろしければと思って」
「なに?ウィンドレターって?」
「風の便りだよ」
「......」
「おっとどうやらスライディングしてしまったようだね」
「いや、結構、面白かったと思うけど笑ったら負けだと思って」
「そうかそうか、お気に召しましたらハッピネス」
「あはは、その場合はさ......」
2人は他愛のない英語遊びで意気投合してその場で話し込んだ。それを波哉香の帰りが遅いことを心配した我那部野はその光景を目撃する。
「......」
我那部野はぐっと込み上げるものを堪え自分の教室へと戻って行った。
きんこ~んかんこ~ん
「あ!いけない!とにかく白石君、コンサートには行けません。ごめんね」
「ああ、わかったよ」
波哉香は授業が始まるチャイムにすばやく反応し白石にそう告げその場を去る。自分のクラスに入ると我那部野が仏頂面で波哉香を見ていた。
「なに?怖いんですけど」
「別に......」
「もしかして白石君と話してるのを見てた?」
「......」
「コンサートに誘われたけど断ったよ」
「そうか、それは良かったな」
「なに?何怒ってんの?」
「怒ってねえよ」
「怒ってんじゃない」
「怒ってねえってば!」
「そこ!!授業はもう始まっている!痴話喧嘩は休み時間にやってくれ!」
冴子のその声にクラス内はどっと歓声が巻き起こる。その喝采の中で波哉香と我那部野は小さくなっていた。だが波哉香は隣の席の美樹もクラスメイトと一緒に笑っているのでまあいいかという気持ちになったのである。
昼食の時間になると我那部野は一人席を立つ。
「わりぃ、今日は食堂行ってくるわ」
「そう......勝手にどうぞ」
波哉香も我那部野の態度にイラつき素っ気なく対応する。
「どうしたの?我那部野君と何かあった?」
先ほどは笑っていた美樹であったがすぐに心配そうに波哉香に話しかけた。
「さあ?ただ白石君と話してたの見られたらなんか怒ってんの」
「それはヤキモチでは?」
「は?それがヤキモチ?......なんか面倒くさいなあ」
「それだけ波哉香の事が好きってことでしょ?」
「はあ、そうなのかな」
「例えばさ、波哉香は我那部野君が他の女の子と楽しそうに話してたの見たらどう思う?」
「別にどうも思わないけど?」
「......ちゃんと想像してみて?......例えばその女の子が今川さんだったとしたら?」
「......むむ、なんか面白くない気持ちが湧いてきた」
「でしょ?そういうことなんだよ」
「でもさ、それは相手が伊吹ちゃ......今川さんだからでしょ?他の女の子だったら別になんとも思わないと思うけど」
「......もしかしたら原因はそこかも」
「ん?」
「我那部野君はさ、自信がないんだよ」
「自信?」
「波哉香が自分の事を好きかどうか自信がないんだと思う」
「ふうん、そういうことか」
「好きなんでしょ?波哉香は?」
「ま、まあ、少しは......」
「行ってきなよ食堂。時間がたてばたつほど余計気まずくなるよ?」
「う、うん、そうだね」
波哉香は広げた弁当箱をまた畳みだす。
「美樹は?」
「私はここで食べるよ。こういうことは2人で話した方がいいでしょ?」
「うん、わかった。......美樹」
「なに?」
「あなたが親友で本当に良かった。ありがとう」
「ううん、いいの。私だって波哉香が親友で鼻が高いから」
「.....じゃあ、行ってくる」
「うん、頑張って」
面倒くさいと思いつつも波哉香は焦る。こんなことで別れるような事があったら伊吹の笑顔が浮かんでくるからだ。
弁当箱片手に食堂に駆け込むと我那部野は一人隅っこのテーブルでうどんを食べていた。
すとん
うどんを啜っていた我那部野は顔を挙げると横には波哉香が座っていた。
「おま!なんでここに!?」
「だって彼女だもん。隣に座っちゃ悪い?」
「いや、いいけどよ」
思わぬサプライズに波哉香に対して怒っていた我那部野はそんなことは忘れてドギマギしている。
「そんなんで足りるの?ハイ、これあげる」
波哉香は自分の弁当箱から3つのおかずを自分の弁当箱の上蓋の裏に乗せ我那部野の食べているうどんの丼の横に置いた。
「お、おう!ありがと」
「自信がない?」
「ん?」
「私があん......タオのことちゃんと好きか?」
「......そうかもしれん。いやそうだよ、例えば俺が他の女と仲良くしててもお前は飄々としているんだろうな」
「さっき、美樹もおんなじ事言ってた」
「早瀬が......」
「うん。......あのさ」
「なんだ?」
「この先ずっとかどうかはわからないけど私は当分の間、タオ以外の男の人とは付き合うつもりはないから。それだけは信じて?」
「......俺が聞きたいのはそういうことじゃない」
「私......好きだよ、タオのこと。うん、多分、好きなんだと思う」
そう告げると波哉香はスッと我那部野の腕を取り、組んだ。
「ちょ!おま!こんなところで!みんなに見られるぞ!!」
「別にいいじゃん。つきあってるんだから。......証明になると思うし私に告白してくる男の子の抑止にもなる。良いことずくめだよ」
「お、おう!そうか!」
「今日学校終わったら私んち来るよね?」
「お、おう!行くぜ!」
食堂の隅のテーブルで誰もが羨むバカッぷりを波哉香達は見せつけていて食堂にいるほぼ全員の生徒達がそれを見ていた。
「ちょっと!北条さん!」
しばらくするとどこで話を聞いたのか伊吹がどこからともなく食堂に飛び込んできた。
「なに?今川さん?」
「これはどういうことかしら?」
「何が?私達、不純異性交遊などしてないけど?」
「みなさんのいる食堂で腕を組むなどなんとハレンチな!」
「校則に食堂で腕を組むのは禁止だなんてどこにも書いていないと思うけど?」
波哉香は伊吹に不純異性交遊のなんたるかを指摘されて以来、校則をもう一度見直し不純異性交遊の意味をスマフォなどで徹底的に調べ上げていた。
「うぐっ」
「それとも今川さんの中ではそれが不純異性交遊になるのかな?だとしたら随分とお子様だね!」
「なんですって?」
「いや、風紀委員長が正しいぞ!」
「そうだそうだ!イチャつくなら学校の外でやれ!!」
「なっ......」
「ほら!みなさんもそう仰っているではありませんか!?」
波哉香達は妬みと嫉妬から周囲の生徒をすっかり敵に回してしまったようだ。こういうことの経験のない波哉香はどうしたらいいかオロオロしてしまう。
「待ってくれ!!」
そこへ我那部野が立ち上がる。
「北条には俺が無理やり交際を申し込んだんだ。こいつは最初、全然乗り気ではなかった。学業に支障が出るかもしれないからって......叩くなら俺を叩いてくれ!!」
我那部野のその大きな声で周囲は静まり返る。後から食堂に入ってきた生徒も何事がおこったのかと波哉香達のいるほうを注視していた。
「我那部野君、それは今、問題ではないわ。あなた達が学校でしていることが破廉恥極まりないと言っているんです」
今度はすくっと波哉香が席を立つ。
「みなさんの中で私達の事を不快に思った人がいたらごめんなさい。謝ります。私達は純粋にお互い好き合ってるのでこういうことを自然にしてしまったんだと思います。今後学校ではこういったことは控えますので......どうも申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる波哉香に周囲は静まり返る。
「じゃあ、今後は宜しくお願いしますね!」
そう伊吹は言いその場を立ち去ろうとする。
「あ、今川さん」
「なに?」
「これで私達が本当に好き合って交際してるっていう証明になったよね?」
「え?......まあ、いいでしょう。......ふん」
伊吹は再び面白くなさそうな顔をして食堂から姿を消した。
「ふふん、私だってタダでは転ばないよ~だ」
そんな伊吹の消えた後ろ姿に波哉香は舌を出す。
「な、なんか悪かったな」
「何が?」
「いや、大騒ぎになってしまって......元はと言えば俺がガキみたいな事したからだよな。ごめん」
「ん?私達まだ中1だよ?ガキでいいじゃん?......でも嬉しかったよ。タオが私の事庇ってくれて。『叩くなら俺を叩け~!!』ってさ」
「ほ......ハヤカ」
「なあに?」
見つめあう二人であったが前のテーブルの生徒がこちらを見ているのに気が付き二人は慌てて自粛するのであった。
◇
二人が席に戻ると美樹が待ちかねていた。
「ごめんね、美樹、一人にしちゃって」
「ううん、いいの。それよりちゃんと仲直りしたんだね」
「うん」
「なんかすごく話題になってるけどなんかあったの?」
「う~ん、私と我那部野......タオの公開交際宣言ってとこかな?」
「わあ~大胆!」
「えへへ......後悔交際にならないといいけど、ね!?」
またまた波哉香は顔を斜めにして我那部野の顔を覗き込んだ。
「バカ言うなよ。絶対に後悔なんてさせないぜ」
◇
「ふんふんふん、てな感じ。どうわかった?」
「ああ、バッチリだ」
「......もうすぐ7時だね」
「ああ、もうそんな時間か。そろそろ帰るかな」
波哉香達は波哉香の家で勉強をしていた。波哉香自身も我那部野に教えることにより今度の期末試験の復習となっているようだった。
「なんで?夕飯食べていけばいいじゃん?今日はパパも遅くなるみたいだし」
「そうしたいけどよ、あんま俺、お前の親に好かれてないような感じでさ」
「ん?そんなことないよ?少なくともママは」
「へ?」
「パパとママにタオのことお話しする前にママにどう話を切り出したらいいかなと先に相談してたんだ」
「ほう」
「そしたらできるだけかしこまってパパには話しなさいってアドバイスされたの」
「それはなぜだ?」
「さあ?でもママの言われた通りにしたらなんだかんだで認めてもらえたし、ああ、これで良かったんだなって思う」
波香の考えでは時哉が中学生の時、波香の父親と思われる繁一にかしこまって嫁にくれと言ったことがあったがそれと同じように波哉香にもするよう仕向けたのだ。結婚と交際という違いはあっても自分と似たようなことをする波哉香に自分の事を棚に上げて無碍に反対することはできないだろうという考えであった。
「そ、そうか、じゃあ夕メシ食べてこうかな」
「うん!じゃ、ママに伝えて来る」
波香は既に我那部野の分も用意してありこの後、すぐに波哉香と我那部野は北条家の食卓につく。
「あれ?ハヤブサは?」
「今日はお友達のおうちに行ってて遅くなるって」
「そうなんだ。どう、タオ?うちのママが作ったとんかつは?」
「うめえ!あ、うまいです!ハヤカのお母さん!とても!」
「うふふ、ありがと。ところでハヤカとはどこまで進んでるの?」
「えっと、俺はまだ中1の範囲内です!」
「は?あ、勉強じゃなくて恋のABCよ?」
「ママ!」
照れる波哉香に波香は構わずに詰問を続けた。
「手を繋ぐくらいですかね?」
「あらあら、ちゃんと守ってるのね潔い交際を」
「もちろんです!」
「キスくらいなら構わないわよ?ただしセックスはダメ。絶対。まだ早すぎる」
「ママ!なんてこと言うの!」
「うふふふ」
「せ、せ、せ、.......」
すっかり波香に弄ばれた波哉香達は再び波哉香の部屋に戻る。
「......」
「......」
波香の言葉に度肝を抜かれた2人はしばし無言のまま黙々とテスト勉強を進めていた。波哉香はきゅっと口を一文字にし言葉を発した。
「ねえ」
「な、なんだ?」
「してみる?」
「せ、せ、せっくすか?」
「バカ!それじゃなくてキスのほう」
「ああ!したい!!」
「じゃあ......んっ」
波哉香は目を瞑り我那部野の前に自らの唇をさらけ出した。
「......ごくっ」
我那部野は自分のツバを飲み込む。そして自分も目を瞑り波哉香の唇に自分の唇を重ね合わせた。
それはわずか30秒くらいであったが波哉香には10分くらいに長く感じた。
「......ハア」
波哉香は顔を真っ赤にし照れて我那部野の顔を見れないでいた。
「私これがはじめてなの」
__北条波哉香、中1の秋ファーストキス喪失。
(続く)