『......ハヤカ......好きだ』
自分の顔にキスを迫り男性らしき顔が近づいてくる。唇が触れ合う瞬間に波哉香は目が覚めた。
「ハッ!......なんだ夢?......はぁ」
午前3時ちょいすぎ。波哉香は自分のベッドで飛び起きた。弟の隼から自分には彼氏がいたと聞かされてこのような夢を見てしまったんだと納得する。隼の話によるとこないだ波哉香は自分の彼氏と泊りで旅行に行ったらしいのだ。隼はそれ以上の事は知らなかった。波哉香の彼氏の名前もどんな人だったのかも。
「......ダメだ。思い出せない。どんな顔だったのかなんていう名前だったのか......どうして私は忘れてしまったんだろう」
すっかり目が覚めてしまった波哉香は自分の机に座りパラパラと次回の試験範囲である歴史の教科書をめくった。
「......もうすぐテストかぁ。うん、頑張ろう!」
そう言って今度は数学の教科書をめくる。彼女にとっては5度目の復習であった。
「反復学習こそ最強。そこから応用し想像力を養う......か」
母である波香の一言が彼女の勉強法の基本となっていた。そんなふうに独り言をつぶやきペンを走らせる波哉香。そんな彼女であるが常に心の中にはある疑問があるのだ。ひたすら勉強しスポーツにも精を出し自分の納得した結果を得られた時、そこには一体何が待っているのか?
「そういえば最近運動してないな......」
◇
「ふぁああ~」
波哉香は大きなあくびをしキッチンへと移動した。そこには既に波香が朝ご飯の支度をしていた。
「あら、ハヤカ。今日も早いのね」
「おはよ、ママ。朝ご飯手伝うよ」
「うん、じゃあ、パン焼いてくれる?」
「うん......ねぇ、ママ。ジョギングはいつ再開するの?」
北条家の日課の家族全員で朝のジョギングはここのところなぜか中止となっていた。
「そうね、またはじめてもいいけど。なんでやめちゃったのかしらね?」
「え?やらないからなんでだろうと思ってたんだけどママも知らないの?」
「知らないわ」
「...そうなんだ」
「ま、そのうち折を見て再開しましょう」
「うん」
波哉香達がそんな話をしていると隼がキッチンに現れる。もうすでに彼は学校へ行く準備を整えていた。
「ママ、お姉ちゃんおはよう。僕、今日からサッカーの朝練だからもう行ってくるよ」
「え?」「は?」
「じゃあ、いってきます!」
「あ、ちょっと!ハヤブサ!」「......」
波香が呼び止めようとするが隼はさっさとマンションを出て行く。
「あの子、サッカーなんてはじめたの?」
波香は波哉香に聞く。
「さあ?私、何も聞いてない」
ぽかんと口を開ける2人。その中で波哉香は内心ホットしていた。隼に胸を揉まれてから何か気まずい空気が流れているのを感じているからである。
「......ママ、私も部活やっていいかな?」
「部活?何かしたいことあるの?」
「剣道やってみようかなっと思って」
「剣道?いいんじゃない?ただ勉強がおろそかになってはダメよ?」
「うん、わかってる」
◇
1時限目の休み時間に波哉香は美樹に剣道部に入部しようと思っていることを打ち明ける。
「え~?波哉香、剣道やるの?」
「うん、やってみようかな?と思って。美樹もやらない?」
「え?私はムリムリ!運動てんでダメだし」
「そっかああ」
「あ、でもマネージャーでいいなら剣道部に入ってもいいよ?」
「え?そお?でも無理にはいいよ?」
「ううん、波哉香がいるならマネージャーやりたい!」
波哉香と少しでも一緒にいたい。美樹は必死になり次第にその声は大きくなっていた。
「じゃあ、上杉先輩のクラスに行こ?いつもここに来てもらってばかりで悪いし」
波哉香の提案に乗り美樹は椅子から腰を上げ、二人は上杉麗子のクラスを訪れる。
「え?いいのか?」
「はい!」
波哉香が剣道部に入部すると上杉に告げたか上杉の反応は思いのほか薄かった。
「私はもうすぐ卒業するし他に部員はいない。それでもいいと?」
「はい!......上杉先輩は高等部でも剣道を続けるんですよね?」
「......ああ、そうだな。大会とかには一緒に出場できなくとも日頃の練習、部活動では一緒に練習することは可能だな」
「ですよね。宜しくお願いします!」
「うむ。こちらこそ宜しく頼む!」
「あのー」
美樹は盛り上がってる2人に恐る恐る割って入る。
「なんだ?早瀬、お前も入部してくれるのか?」
「いえ、私はマネジャーとして波哉香の......部員のケアをしたいと思ってるんですが.....」
「お!そうか、それはありがたい!早瀬も宜しく頼む!」
「はい!」
「あの、上杉先輩、他に部員はいないって男子もいないんですか?」
「ああ、この学校には高等部も含めて剣道をやっているのは私一人だけなんだ」
「そうなんですか。まあ、他に誰もいないんじゃ気楽でいいですね」
「そんなこと言っていいのか北条。私の練習はちょっとヘビーだぞ?」
「私もちょっと体を鍛え直したかったので全然オッケーですよ」
「ほぅ、それは頼もしい事だな」
「上杉先輩、私も入部してもよろしいでしょうか?」
「私もお~!」
いつのまにか波哉香の背後には今川伊吹、武田美乃梨が突っ立っていた。
「おお!?なんだお前ら!?私が熱心に誘っていた時には歯牙にもかけない態度だったのに!......北条が入るからか?」
「まあ、そんなところです。古の戦国時代、私達の祖先は同盟関係を結んでいました。現代も当然、仲はよろしいですので」
日頃、波哉香とは犬猿の仲の伊吹はいけしゃあしゃあとそんなことを上杉にのたまった。
「おお、そうなのか!それはナイスだ!一気に盛り上がってきたな!」
思いもよらない入部希望者に上杉は嬉しそうだ。
「ちょっと!」
「あら、なにかしら?北条さん?」
「美乃梨ちゃんとはわかるけど今川さんと仲良かったっけ?」
「私とあなたは定期試験でお互いに切磋琢磨している仲ではありませんか?それでも仲がよろしくないと?」
「......はあ。......まあいいよ。そういうことにしといてあげる」
「あら?そういうことにしといてあげる?変な事を言いますね。北条さん」
「はあ?変なのは今川さんでしょ?......はあ、これからあんたと部活で顔を合わせるわけだ......なんだか憂鬱になってきた......」
「うふふ、剣道でもお互いに切磋琢磨しましょう」
「......そうか、わかった。今川さん剣道で私に勝つつもりなんだ?」
「まあ、楽勝でしょうけど一応みなさんの目の前で証明しておいたほうが良いと思いまして」
「はあ?私があん......今川さんに負けるわけないでしょ!?」
「あら?北条さん剣道の経験おありなのかしら?」
「ないよ!今川さんはあるの?」
「ありませんわ」
「なら条件は互角じゃん!?」
いつのまにか波哉香と伊吹の言い合いはヒートアップしていて上杉のクラスメイト達は下級生の小競り合いにニヤニヤしながら注目していた。
「おいおい、仲良く頼むぞ!私達は仲間なんだから」
周囲の目を気にしつつ上杉は2人をなだめるが波哉香と伊吹は周りに注目されているとはいざ知らず、構わずに話を続ける。
「仲間ですか?違いますね!ライバルです!今川さんは私に勉強では勝てないから剣道でリベンジしようとしているんです!」
「あら!?聞きずてなりませんわね!去年の期末試験では私が学年1位でした。勝てないからっというのは訂正していただけますか!?」
「そんなのたまたまでしょ!それ以外は私がずっと1位だったんだから!」
「たまたまで1位はとれません!それなら、お言葉を返すようですけどあなたが1位をとり続けていたのはたまたまだったのですわね!」
「ずっと取るのはたまたまじゃないよ!」
「ずっとと言っても1学期2回、2学期1回の合計3回ですわよね?確率的にはたまたまでも通用いたしますわ」
「......もぅ!!いつも屁理屈ばっかり!!」
「仕掛けてくるのは私ではありませんわ」
「は?どう考えても今川さんでしょ!」
「あなたでしょ?北条さん?」
「ぐぬぬぬぬぬ」
「.......ふんっ」
きんこ~んかんこ~ん
「え~と、北条に今川?次の授業が始まるから自分のクラスに戻りたまえよ?な?」
2人の対応をどうしたらよいかわからなくなった上杉は予鈴が鳴ったのをしめたと思い2人を自分のクラスに帰るように促し2人は渋々と自分のクラスへそれぞれ帰っていった。
「ん?武田?お前は戻らなくていいのか?」
「んあ!そうだった」
波哉香と伊吹の言い争いを終始ニコニコしながら美乃梨は見ていて自分のクラスに戻るのを忘れていた。
「ははは。武田は変な奴だな」
「あっはっは。そうですか?あの2人を見ていると面白いもので」
「自分の知り合いや友達があんなふうにしていて普通はハラハラするものだろう?」
「私にはじゃれあっているように見えますよ?まったく羨ましいこってす。あっはっは。では私もこれにて」
美乃梨はぺこんと頭を下げて自分のクラスに戻って行った。
「うむ、武田美乃梨か......細かい事は気にしない、豪快そうな女傑だな......ああ、なぜ私はあいつらよりも2つ歳上なのだ......あいつらと団体戦とか楽しみたかった」
上杉は自分の運命を呪いながら自分の机に突っ伏したのであった。
◇
「ふぅ......」
波香の夫であり私立『天晴学園』の教頭でもある北条時哉はため息を漏らし自分の机の椅子に腰を下ろす。というのも新しく赴任してきた校長とウマが合わないのだ。いやウマが合わないというか嫌がらせをしている感じを時哉は受けていた。
全生徒の学力が低下しているので各先生達への生徒に対する指導方法を見直す方針を時哉に打診してきたのである。
「俺一人の力ではどうにもならんよなあ......それにデータ見た限りではそんなに学力が下がっているとは思えんし」
再び席を立ち缶コーヒーでも買いに食堂へと足を運ぶ。
......ちゃりん.......ぴっ!.......ガコっ......
「きょーとーせんせっ!」
がしっ!!
時哉が自販機から缶コーヒーを取り出し腰を上げた瞬間一人の女生徒が時哉の二の腕に抱きついてきた。
「うわっ!!き、きみは1年の?」
「んもう、まだ名前覚えてくれないんですか?私は1年A組の
「しまづさん、ちょっと離れてくれないかな?」
「え~!なんでですか?」
「いや、困るから。こんなことされたら......ね?」
「じゃあ、離しますからぁ、今度デートしてください!!」
「え?いや、それも困るよ。俺は君の先生なんだぞ?それに俺は結婚して奥さんもいるしキミくらいの娘もいる」
「そんなの私、気にしません!」
「いや、俺が気にするんだって!」
「ぶ~」
「とにかく離れてくれ!」
時哉はガッと強引に島津から腕を振りほどいた。
「きゃっ!.....もう!きょーとー先生冷たい!」
「冷たいってな......いや、もうマジで勘弁してくれ」
「ぶ~、でも私絶対諦めませんからね~」
手を振りその場を去って行く島津。それを見ながらやれやれといった感じで時哉はがっくりと肩を落とす。
「やれやれ、こんなところを誰かに見られたら......」
「見ましたよ、教頭先生」
「げっ!!......小野寺か」
時哉と波香の元教え子であった小野寺明日香が生徒の出席簿片手に時哉を見て不敵に笑っていた。
「とりあえず、奥さんに報告しますね」
「やめてくれ!!頼む!!」
時哉は瞬時にその場で土下座をする。そのあまりの速さにあっけにとられ小野寺は爆笑した。
「あははは!しませんよ、報告なんて。第一向こうから一方的に来てたじゃないですか」
「なんだ最初から見てたのか?」
「ええ、私もこの自販機でジュースを買おうと思って来てみたら......です」
「......その時に声をかけてくれればあの子も俺に抱きついてきたりはしなかったと思うが?」
「いえ、私が見た時にはもう抱きついてましたよ」
「......」
「......ちゃんと対処しないと面倒なことになりますよ?」
「そうだな......キミも昔ストーカーに追われて嫌な思いをしてるんだったな」
「その時はおうちにかくまっていただいて助かりました」
「いやいや、うちの奥さんがしたことだから。俺は何もしてないよ」
「いいえ。そんなことはないです」
「......しかしな、あの......島津とか言う子、どうしたものかな?」
「さっき会話を聞いちゃった限りでは随分と諦めが悪そうな子でしたね」
「ふつう、教師や結婚してるおじさんを好きにはならんと思うのだが......」
「......教頭先生、イケメンだしかっこいいから」
「......素直に喜べんわ。浮気などバレるようなものなら自分の命が危ない......」
「あはは、確かに奥さん......波香さんならやりかねない」
小野寺は苦笑しながら時哉とともに職員室へと戻る。そして自分の机に戻ると自分の机の上に手紙が置かれていた。
「ん?なんだろ?」
首を傾げその手紙の裏面を見るとそこには
『親愛なる小野寺明日香様へ』
と書かれていた。
急いで封筒を開けると1枚の便せんが入っていた。
__しばし、無言でその便せんを見つめる小野寺。彼女はしばらくの間自分の椅子から動けないでいた。
(続く)