ミーンミンミンミーン。
蝉がうるさく鳴いている。
学校関係者にとって夏休みも最後の日となっていた。
『優明高等学園』の女生徒の体育を受け持つ斉藤静香は自室にこもって自慰をしている。
「はあ、北条先生......はあ......んっ!」
斉藤静香は北条時哉に恋をしていた。
しかし、面と向かって話したことはあまりなかった。
夏休みに入る前に電話で同じ大学の卒業生で違う大学の体育教師をやっている親友の京本冴子に言われたことを思い出していた。
「そんなに好きならさ、この夏休みに誘っちゃえばいいじゃん?」
「うん、がんばってみるよ」
だが、誘うどころかロクに話も出来なかったのだ。
「はあ、だって、いつも気がつくと城之内先生の側にいるんだもん」
静香はそう言いつつ使用済みのティッシュをゴミ箱に向けて投げ入れた。
「......こうして北条先生を想って......シテもむなしいだけ......」
そう言って静香はしばらく黙っていたがやがて口を開く。
「明日から学校始まるし、がんばって北条先生に話しかけてみよう!話はそれからだ!」
どうやら自己完結したようである。
◇
休み中は静まり返っていた学校が騒がしくなる。
新学期の始まりだ。
「北条先生おはようございます。北条先生おはようございます。」
静香は徒歩で登校しながら時哉に話しかけるシミュレーションをしていた。
が、その静香の後方から突然男の声が聞こえた。
「おはようございます!」
ばっと振り返るとそこには見慣れたイカツイ顔があった。
「あ、あ、ふ、藤田センパイおはようございます」
そう言って静香はおそるおそる目を閉じた。
藤田はいつも朝の挨拶代わりに同じ大学出身の後輩にあたる静香の尻を鷲づかみにしていたのだ。
ところが藤田は何もしないでそんな静香をわき目に通りすぎていく。
「あ、あれ?」
「え?僕?」
「え?僕?」
「え?え?僕、何かおかしいですか?」
「え?......藤田センパイですよね?」
「はい、藤田ですけど......何か変ですか?」
「......変です。何かいつもと違いますね?」
「そ、そうですか......実は僕、夏休み中に交通事故にあっちゃって記憶がないんです。ハハハ。」
「ええ!?」
◇
「わかりました。だいたいの話は警察から聞いたことと相違ないようですね」
「はい......私、もう怖くて......今もあの時を思い出すと震えが止まりません」
波香は朝っぱらから校長室に呼ばれ校長と教頭から厳重注意を受けていた。
「......藤田先生も一命を取り止めてよかったですし、城之内先生もお気の毒でした。しかし城之内先生」
校長の話に波香は下を向いて聞いていた。
「はい」
波香はかしこまってただ頷くだけだ。
「あなたはくしくも『優明学園』の教師なんですからくれぐれも粗相のないようにしてください。このような世間に目立つようなことは今後なさらないように」
「わかりました」
「もう行っていいですよ」
「......では失礼します」
がらがらがら
波香は校長室を出た。
「ハゲハゲコンビがえっらそーーに!」
バキャ!!
波香はしばらく歩くと自分の持っていた教育用資料を壁に思い切りたたきつけた。
「......しかも、藤田のクソ野郎が無事だったとわね、どうしたものかしら」
そう思いつつも自分の席に戻るため職員室に向かうと廊下でバッタリと藤田と静香に出会った。
「......ゲッ!」
「おはようございます!」
「あ!城之内先生おはようございます!」
「おはようございます」
そう挨拶を交わすと藤田と静香は職員室へ入っていった。
「あ、あれ?」
波香は拍子抜けになった。
藤田に何か言われるのを覚悟していたのに藤田は静香と楽しく談笑しながら波香には目もくれずに職員室に入っていってしまったからだ。
「......斉藤先生に鞍替えしたってこと?気に入らないわね」
波香は藤田が記憶を失ったことを知らないのでそう思った。
「あははは、藤田センパイおもしろい!」
「ハハハ、そうですか?アハハ」
波香が職員室に戻っても藤田と静香はお互いの席で談笑していた。
「ちょと、あなた」
波香は藤田に話しかけた。
「え?僕ですか?」
「はあ?僕?」
「......ハハハ、変ですよね?さっき斉藤先生にも言われたんですけど......実は僕、夏休み中に交通事故にあってどうやら記憶喪失になってしまったみたいで」
「はあ?本当なの?それ?」
「はい、なぜか車はないのに車のローンだけ残っていてアハハハ。おかしいですよね」
「......別に面白くないけど?」
「アハッハ、そうですよね、アッハハ。自分、もう笑うしかなくてアハハ」
「......そうね、笑うしかないわね。アハハのハ」
「アハハハ、面白い!アハハ。......あの、あなたは?」
「城之内よ」
「城之内先生ですね!覚えておきます!」
「忘れていいわよ」
「アハハ」
◇
「こんばんは」
「お、斉藤先生いらっしゃい。汚いところですがどうぞ」
「お邪魔します」
静香は藤田の家に夕飯の買い物袋を持って訪ねてきていた。
「おにいちゃん?お客さん来たの?」
「うん、
「あ、あのこんばんは。妹です。いつもおにいちゃんがお世話になってます」
藤田の妹が深々と頭を下げた。
「え?いいえ、私のほうこそセンパイにはお世話になってます」
静香も深々と頭を下げた。
「今日はわざわざ晩御飯を作りに来ていただいてありがとうございます」
藤田の妹はもじもじしながらそう言った。
「いいえ、大したものは作れないですけどセンパイが記憶喪失だからこれくらいのことはしてあげようかなって。妹さんも記憶喪失のおにいさんと2人きりの生活じゃ大変でしょうから」
「すみません」
藤田は妹と静香の会話を黙って聞いていたがやがて口を開く。
「さあさあ、立ち話もなんだから中に入ってください。萌美もな?」
「はい」
「うん!」
藤田が先頭になって家に入っていく。
藤田の後ろで妹と静香は話をひそひそとしていた。
「あ、あの......おにいちゃんのこと好きなんですか?」
妹はおそるおそる静香に話しかけた。
「え?......自分でもわからないけど今のセンパイはいいなって思ってます」
「そうですよね!前よりいい感じですよね?」
その話が藤田には聞こえてたみたいで振り返ってこう言った。
「記憶を無くす前の僕ってそんなにヒドイ奴だったのか?」
「え?そ、そんなことないよ!ね、斉藤さん?」
「え?ええ、そうですね」
慌てて藤田の妹と静香はそう答えたのだった。
◇
次の日。
藤田と静香は職員室で昨日の夕飯時のことで盛り上がって楽しく談笑していた。
「ちょっと、藤田先生」
波香は2人が楽しく談笑しているのにもお構いなしに藤田に話しかけた。
「は、はい!?あ、城之内先生、おはようございます」
「おはようございます」
「それで僕に何か?」
「......そんなイカツイ顔と分厚い胸板して僕って......変じゃない?」
「アハハハ、変ですか。アハハ」
「......電話がかかってこないんだけど?」
「はい?......僕が城之内先生にですか?」
「ええ、電話番号教えたわよね?」
「それがスマフォも海のもくずと消えてしまって......残ったのは本体価格のローンだけです。アッハッハ」
「......つまらないわよ」
波香と藤田が話していると静香が突然、話に割り込んできた。
「あ、あの!」
「何?斉藤先生?」
「......藤田センパイまでとらないでくださいね!」
「はあ?何を言っているの?」
「城之内先生は北条先生と仲がいいじゃないですか!」
「はあ?トキ......北条先生と?」
「いつも一緒にいますよね!」
「それは......北条先生は私の良き相談相手です。異性として見てはいません」
「......そうなんですか」
「......はあ、まったくこの学校は頭のおかしな先生ばかりね。生徒たちのほうがよっぽどまともだわ」
波香は自分が一番イカレていることを棚に上げて、はき捨てるようにそう言い自分の席に戻っていった。