第64話
主にスマフォ、携帯、デジカメなど精密機械部品の基盤を受注製造している。今期で三年連続赤字経営となっていた。今日は波香の初出社日。波香の場合、神崎喜一郎の命を受け急遽、社長に就任した為、この会社の全ての人達と初顔合わせになる。
「なるほどね」
芝生の敷地に工場と事務所が併設している。波香はそれらの建物を眺めるとそう呟いた。
事務所の玄関から入ろうとすると警備員に呼び止められた。
「あのあなたは?」
「
「あ!あなたが今日から来られる社長さんですね!おはようございます!さ、どうぞ!玄関は空いてますので」
「うん、ごくろうさま」
スタスタと玄関から事務所内に入って行く波香。事務所内ではまだ7時だというのにもう出勤している社員がチラホラ見られる。事務所内をさらっと見渡すと目があった社員には挨拶が飛んできた。
「ふうん、まともな社員もいるのね」
挨拶もほどほどに波香は社長室を探すのにあっちこっち行ったり来たりしていた。するとヒゲを蓄えたかなり年配の男性が波香に歩みよってくる。
「おはようございます。郷社長ですよね?」
「はい、おはようございます。あなたは?」
「私は総務の
「こちらこそ宜しくお願いします。あなた、役職は?」
「はい、総務部部長を務めさせていただいております」
「あら、ちょうど良かった......まずは社長室を案内してもらえます?」
「かしこまりました。こちらです」
波香は藤岡に続いて歩き、ようやく社長室へとたどり着いた。
「早速ですが藤岡部長、この会社には労働組合はありますか?」
「はい、ございます」
「......会社規定の見直しを早急に行いますので労働組合の責任者と談合の日程の調整を宜しくお願いします」
「かしこまりました」
「それとその前に各部署の部長と話をしたいのでその時間の調整をお願いします」
「はい、それは勤務中にですかそれとも勤務外にですか?」
「私はどちらでも構いません」
「かしこまりました。それと社長、全社員に社長を紹介するためのセレモニーを行いますか?」
「そのようなことは一切、不要です。それとそういう仕事の時間を止めてなんちゃらセレモニーみたいなことは私が社長でいる間は一切禁止します」
「......かしこまりました」
「それから今日より1カ月間私は工場の現場に入ります。適当なところを用意しておいてください」
「え!社長が現場に入るのですか?」
「ええ、何か問題が?」
「いえ......まだ、作業着の準備ができておりませんが」
「そんなのは後でもいいから、とにかくお願いね」
「かしこまりました」
一礼をし藤岡は社長室から出て行く。すると入れ替わりで若い女子社員がお茶を持って来た。
「失礼します」
コトッとその女子社員は波香の前にお茶を置く。
「あなたは?」
「はい、総務の鈴木といいます。今日から宜しくお願いします。郷社長」
「うん、鈴木さん宜しくね。でも鈴木さん、明日からは私へのお茶出しは無用よ?飲みたい時は自分でいれますので」
「あ、はい。わかりました。それでは失礼します」
鈴木はぺこりと頭を下げて社長室を出て行った。その姿を見て波香は1年くらい前にも自分がしていたことを思い出していた。感慨深いものである。
「......それが今は社長かあ」
◇
「
「なに?それは本当か、藤岡?」
この二人の部長はもう30年来の付き合いである。製造部長の堀切は藤岡よりも2年先輩であった。
「どういうつもりだ?」
「まあ、多分、工場現場の実態とかが知りたいのではないですかね」
「ほう、女のくせに生意気な」
「堀切さん、そういう発言は気をつけたほうがいいですよ。労基へ通報されると厄介なので」
「ふん!労働基準監督署が怖くて仕事ができるか!!」
「......多分、堀切さんが、今言ったことと今度の社長は同じことを思ってますよ」
「どういうことだ?」
「社長は大ナタを振るうつもりですね。会社規定を変えるとか言ってますし」
「あ?会社規定を変えるだと?」
「はい、さっき労働組合員の責任者と談合する日程を調整するように言われました」
「ふん、できるものならやってみろ。うちのハイビスカスはそうそう簡単じゃないぞ」
「ハイビスカス?」
「うちの組合委員長達だよ。
「ああ、あの3人ですか。ハイビスカス......面白いですね。堀切さんが考えたんですか?」
「馬鹿野郎!そんなつまんねえこと俺が考えるか!!」
「これは失礼しました」
◇
がこん!がこん!がこん!
ベルトコンベアで乗せられた縦10センチ横5センチくらいの緑の基盤はやがて両端をがっちりと固定され機械のアームによってハンダ付けをなされていく。その様子を波香は見ていた。その波香に恐る恐る話しかける若い女子社員がいた。
「あの、社長」
「ん?」
「今日から社長にお仕事を教える
「え?あ、うん、あなたが北条さん?こちらこそよろしくね」
その名前からして嫌な予感がし波香は香織の顔をまじまじと見た。だが波香の記憶にはない顔をしている。北条の一族ではないようだ。たまたま姓が同じだけだったのだろうか。
「じゃあ、早速、社長こちらへ来てください」
「はい」
波香の仕事は簡単でただ、ボタンを押し製造ラインを動かすか止めるかだった。ベルトコンベアの上の基盤の異常を確認し何か問題があったらボタンを押してラインを止め問題のある基盤を取り除き再びボタンを押してラインを動かす、というものだった。
「え?これだけ?」
「はい、慣れてきたらもう1ラインずつ追加していきます。最終的に4ライン見てもらえたらなって思ってます」
「はあ、なるほど......北条さんがやっているのはこの仕事だけ?」
「はい」
「そうなんだ......つまらなくない?」
「いいえ、これでお金を貰ってるんでつまらないとか.....お仕事ですから」
「......北条さん、この会社に来て何年.....ねえ、工場内って禁煙でしょ?」
「はい......あ!」
波香と香織は工場内で勤務中にタバコを吸っている社員を見つけた。会話の途中だったがラインのことは香織に任せてタバコを吸っている社員たちに向かった。
「おい、誰かこっち来るぞ」
「ああ、今日から来た女社長じゃね?」
その従業員たちは慌てた。
「ねえ、あんた達、工場内は禁煙よね?」
「ああ、そうだな」
「何が『ああ、そうだな』だよ。あんたら名前は?」
「......」
「名前を言えよ!」
「......」
「あっそ」
波香は工場内でタバコを吸っていた従業員達との会話をあきらめ香織のところに戻る。
「......北条さん、あの二人の名前を教えてくれる?」
「はい、
「そう、わかったわ。ちょっと待ってて総務部長のところに行ってくる」
「あの人達どうなるんですか?」
「クビに決まってるでしょ。会社規定にもあるから問題ないわ」
◇
波香は総務部長である藤岡のデスクのところにスタスタスタと急いで向かった。藤岡は自分の机でゆったりとしながらお茶を飲み新聞を読んでいる。
「藤岡さん、ちょっとよろしいですか?」
「はい、社長」
波香に目で促され波香の後ろをついていく藤岡。二人は校長室に入る。
「工場内で喫煙していた岡山、山川の両名を会社規定により懲戒にします」
「え!!」
「手続きをお願いしますね」
「いきなりですか?」
「ええ、彼らに注意をしたけれど全く聞き耳を持たず、会話すらできなかったわ」
「しかし、彼らにだって家族が......労働基準監督署が黙っていないのでは?」
「はあ?会社規定にそって対処するだけよ?それに労働基準監督署の就業規則にも違反しているとは思えないのだけれど?彼らは工場内で働く他の労働者に対して危険な行為をしているのよ?しかも様子から見て今日だけではなく常習者でしょ?」
「......わかりました。確かに彼らの喫煙を見て見過ごしていた感がありますので。ただちに手続きと告知を進めます」
「はい、しっかりね」
◇
「おい!岡山!山川!」
凝りもせず、また仕事そっちのけで工場の隅っこでタバコを吸っている二人のところにこの二人と同期の
「なんだ?」
「お前ら、タバコ吸ってる場合じゃないぞ?掲示板見て見ろよ!お前ら懲戒だって!!」
「なんだと!!」
岡山と山川は吸っていたタバコをその場で捨て、自分の足でもみ消すと急いで掲示板が貼ってある従業員出入口玄関まで走っていった。
そしてそこには今月末で岡山と山川の両名を懲戒にするとの旨が書かれた紙切れ1枚が掲示板に貼ってあった。
「う、嘘だろ......タバコ吸ってただけで」
「俺、家族もいるし、これからどうすんだよぉお」
2人は大いに狼狽えた。郷望美社長こと北条波香による会社の再建が今、始まろうとしている。