天晴学園の3年生神崎恵美は高校の制服を着たまま神崎電子工業にやってきた。社長室にデンと自分の鞄を置いてため息をつく。
(私に社長がつとまるのかな)
彼女は既に高校の学業の全課程全てを終えていて志望大学の模試判定もAを保っていた。なので目下のところこの父の会社の社長が自分に勤まるのかどうかが心配事のようだ。
こんこん
恵美が社長室に入ったのを見越したように何者かが扉を叩く。
「はい、どうぞ」
「おはようございます。社長」
訪れた人物は波香であった。彼女は恵美が社長室へ入った様子を会長室で感じ取っていた。
「おはようございます」
「社長、受検のほうは大丈夫なのですか?」
「はい、T大判定Aなので。それよりも会長、いえ、師匠!」
「はい?」
「2人の時はそういう他人行儀なのやめません?」
「え、ええ、社長がそう言うのなら」
「はい!お久しぶりです!師匠!」
「メグミちゃん、おひさしぶり」
ダッダッダッガバッ!
恵美は椅子から立ち上がり駆け足で波香に抱きつく。波香もそれをよけることなく受け止めた。そっと恵美の髪をなでる。
「......メグミちゃん」
波香は未だに恵美から時哉を奪ったことを気にしていた。さらに恵美の父親、神崎喜一郎からの多大な援助を受けているので恵美には頭があがらないのだ。恵美もまた高校生活1年足らずの間ではあったが波香にはとても感謝していた。高校生活では波香にいろいろと面倒をみてもらったし、とりわけ最後のソフトボールの大会では自分のケガのせいで決勝戦を棄権せざるを得なくなった時、波香の奇行のおかげでうやむやになったのだ。ひとりっこである恵美自身、波香の事を実の姉のように慕っていた。時哉を奪われたとはいえ時哉は幼い頃からずっと波香の事を想い続けている事を知ってしまったので波香を恨む気持ちにはならなかったのだ。むしろどちらかというとそんなに好きな人がいたのにどうして私とつきあったのか?と時哉の方を責める気持ちがあったようだ。しかし長谷川真子という存在が彼女の中の時哉を恨む気持ちは徐々に薄れていった。
「私に勤まりますか?会社の社長なんて?」
「大丈夫よ。メグミちゃんなら」
「そうですかね」
「うん、それよりも受検の方が心配だわ。私が受検の方をサポートするから」
「え?本当ですか?嬉しいな」
恵美はニコニコしながら鞄から問題集を取り出した。
「じゃあ、さっそく。この過去問なんですがどうしてこの公式を使うのか納得できなくて」
「うん?ああ、それはね......」
こんこん
波香と恵美が問題集を見てあれこれ言ってる時、再び社長室の扉を叩く音がした。
「あ、は~い!どうぞ!」
「失礼します」
間宮であった。今は総務兼経理部長を勤めている。
「間宮です。社長はじめまして。早速ですが社長のご挨拶を従業員がお待ちかねです」
「え!挨拶?」
「はい、ぜひお願いします。一言でも良いので」
「え~緊張するなあ」
「......全く、しおりん、みんなただ面白がってるだけじゃないの?現役女子高校生が社長になったってことを」
波香は呆れた顔で間宮にそう言う。
「そうかもしれません。でも従業員達がすすんで社長の一言を聞きたいだなんてはじめてのことなので」
「まあ、いい事なのかもしれないわね。社長、お願いできますか?」
「は、はい。でもなんて言えばいいのか......」
「社長の思った事を言ってください。大丈夫ですよ、あなたは神崎家のお嬢様なんですから」
別にイヤミでもなんでもなく波香は率直にそう言い放った。
◇
神崎電子工業の事務所の2階に大ホールがあった。この場所は主に株主総会や全社員に緊急召集して連絡をする為に使われる場所だ。
「え~今日から、神崎恵美さんがこの会社の社長に就任されました。では、社長、お願いします」
ぱちぱちぱち
恵美が壇上にあがると拍手がおこった。
「今日からこの会社の社長をやることになりました、神崎恵美です」
ぱちぱちぱち
「えと、この会社のお仕事のことはよくわからないですがいろいろと今、勉強してる最中です。偉大な父の顔に泥を塗るようなことだけにはならないよう粉骨砕身、力を注いでいくつもりなのでどうか宜しくお願いいたします」
ぱちぱちぱち
「えと私の挨拶の為に社員のみなさん自ら、足を運んでいただいてありがとうございました。おのおのの皆さんどうかお仕事、頑張ってください!」
ぱちぱちぱち
現役女子高生の檄に男子の従業員達は奮い立ち足早にその場を去り各々の持ち場へと戻っていった。
「さ、行こうか?小西さん」
社長の挨拶を一里塚と菊池は並んで聞いていて挨拶が終わった早々、材料調達に取引先へと向かう為に菊池は一里塚に向かってそう言った。
「あの、菊池係長......じゃなくて菊池さん」
「え?」
「できれば他の人と行ってくれませんか?」
「え?どうして?僕がなんか気に障るようなことしたかな?」
「いいえ、違うんです!」
「ん?じゃあ、どうしてですか?」
「これ以上、菊池さんの側にいたら私......」
「ん?」
「もうダメです」
「何がですか?」
「菊池さんのこと好きになりそうなんです!っていうかもう好きになっちゃってます!こ、こんなのダメじゃないですか!」
「......こ、小西さん」
「......好きすぎてつらいんです。亮く......私の旦那さんにも申し訳ないし」
「......そうだね。じゃあ、申し訳ないけど他の人をあたってみるよ」
「ごめんなさい。こんな私の我侭で......私情を仕事に持ち込むなんて」
「ん、いや、いいんだ。じゃあ、僕は行くね」
「......はい」
一里塚はしばらくの間、大ホールで一人で立ちすくんでいた。
「ん?」
そこへ波香はやってきた。手帳と愛用のボールペンを忘れたので取りに戻ってきたのだ。
「どうしたの?......一里塚さん?」
「あ!な......なんでも......ないです」
「??泣いてるの?」
「......」
「私で良かったら話だけでも聞くけど?」
「う~~~~」
一里塚は誰かに話を聞いて欲しかった。が、それが波香となると話していいものかどうか悩む。今までの経験から波香に話したら大事になるような気がしてならないからだ。
「あ!なんか懐かしい。この感じ」
波香は一人天井を見つめそう言う。
「え?何が?」
きょとんと一里塚はそう問う。
「ん?うん、この会社に来る前は教師やってたって言ったじゃない?」
「うん」
「その時、よく生徒の相談にのってたのよ。勉強の仕方とか恋愛とか」
「へ~~、じゃ、じゃあ」
「うん?」
「......やっぱやめとく」
「なにそれ?はあ......まあ、話したくなったら話して?」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、いきましょ?」
波香は一里塚を促す。
「はい」
波香と一里塚は大ホールを出て階段を降りた。すると廊下の窓から会社の軽トラックが前進しているのが見えた。運転しているのは菊池であった。その軽トラックが見えなくなるまで一里塚はただ見つめていた。
「一里塚さん、もしかして菊池のことを?」
「え?え?え?な、なに?」
波香は山をかけてそう言うがその後の一里塚の態度で確信した。
「......好きなの?」
「え?え?そ、そんなわけないじゃん!」
「なにそれ?ツンデレのつもり?今時はやらないわよ?」
「だからそうじゃないって!」
「ふうん」
「もう!」
「あはは。でも好きならしょうがないんじゃない?」
「え?しょうがないって何が?」
「自分の人生にウソをついて生きていても仕方がないってこと」
「なにそれ?」
「好きだって言えば?」
「......実は言っちゃった」
「ほぅ、で、菊池はなんて?」
「私が『好きなので一緒にいると辛いから他の人と仕事してください』って言ったら『わかったそうする』みたいな」
「ふうん、ま、それでいいんじゃない?」
「そ、そうだよね!?」
「私もトキヤに浮気なんかされたら『殺す』と思うから」
「え!?......はあ」
怖い顔で一里塚を見つめ波香はそう言った。
___そんな波香を見て一里塚はこの人ならやりかねないと思い、全身に鳥肌がたつのであった。
(続く)