小野寺明日香は波香と時哉のマンションにお世話になることとなった。彼女に与えられた部屋は最後の一部屋で4畳半。
「ごめんね。ちょっと狭いかもしれないけど」
「いいえ、汐海さん達は2人で1部屋使ってるのに私がひとりで1部屋使っていいんですか?」
「いいのよ。汐海達の部屋は6畳あるんだから」
「......じゃあ、しばらくの間、お世話になります」
「ここならT大まで電車で1本だからなかなか便利でしょ」
「はい、私が今住んでるところよりも近いですし助かります!」
「小野寺は地元は鳥取だったわね?」
「はい、てか先生覚えてるんですか?」
「ええ、結構、真面目に教師やってたから。生徒の事は教えてくれた情報、全部覚えてるわよ」
「へー、すごいなあ」
「さ、私、晩御飯の用意をするから着替えてリビングでみんなと一緒にくつろいでて」
「はい!ありがとうございます」
部屋を出て行く波香を小野寺は恐縮しまくって見届けた。小野寺はしばらくここで生活することに不安な気持ちよりも楽しい気持ちのほうが大きくなっていた。鳥取から上京し一人でアパートを借りひとりで生活していた彼女にとってはとても新鮮なことだったのだ。
(ひとりだと気兼ねしないでいいんだけどやっぱり下着泥棒とか痴漢の心配をあまりしなくていいのは助かるなあ)
そんなことを考えいそいそと着替える小野寺。
(あ!別にジャージでもいいよね......)
◇
小野寺が着替えを終えリビングに入ると波香、時哉、汐海、美菜、香織が既にそこにいて全員集合していた。
「あ、どうも今日からお世話になります」
みんなの前でペコンとお辞儀をする小野寺。その言葉が終わるなりその場からぱちぱちぱちと拍手がおこった。
「久しぶり、小野寺」
「教頭先生、今日は早いですね?」
「うん、まあ今の時期、暇なんだ.....っておほん、前倒しで仕事やってるからね」
「そうなんですか、あはは」
「さあ、乾杯しましょう」
波香はそれぞれのコップに飲み物を注いでいく。
「あ!手伝いますよ!」
小野寺は慌てて席を立とうとするがそれを香織が制した。
「今日はあなたが主役なので座っててください。私がやりますので」
「うん、そうよ、かおりんにしてもらって」
波香は時哉にビールを注ぎつつ小野寺と香織に声をかける。
「はい、っていうかみなさん何か似てますね?先生の親戚なんですか?汐海さんは双子みたいですし......」
「ん?まあ、みんな遠い親戚なのよ。だから似てるの」
波香は取り繕ったように小野寺に言う。自分のクローンだと言ったら小野寺を混乱させるだろうしそれまでの経緯も説明するのが面倒だからだ。
「へぇ~そうなんですか。賑やかでいいですね。私、今までひとりだったから......」
「うっ、わかりますわかります」
小野寺の隣にいた香織はわしっと小野寺の肩を掴み小野寺の顔を見つめうるうると涙を滲ませて頷いた。
「ちょ、香織さん、どうしたんですか?」
小野寺はその香織の態度にびっくりする。
「あ!いいの。かおりんはちょっと感激症だから気にしないで」
「感激症?」
波香の言葉に小野寺は困惑する。そんな病気ってあったのかと。そして他の者達を見渡すと汐海、美菜までもがなぜか泣いていた。
「え?そ、そんなに大勢でゴハン食べるのが嬉しいんですか?」
「無論だ。ひとりで食べるよりもみんなで食べるほうがおいしい。こんなに幸せなことはない」
涙を拭いながら汐海は美菜、香織の想いを代弁した。
「あはは、みなさん、涙もろいんですね。......あ、私もなにか泣けてきた」
波香と時哉以外全員は泣き出した。夕飯前の大号泣会はもはや定例イベントとなっていた。波香と時哉はみんなが泣き終わるまで箸をつけずにじっと待つ。少し鳴き声が落ち着いた頃合いをみて波香が口を開いた。
「さあ、いただきましょう。いただきます!」
「いただきます!」
全員が合掌し各々が食事をとりはじめた。
「おいし!ホントに先生の料理の腕はプロ級なんですね!」
「うん、まあね」
波香はどやった顔で小野寺に返す。そして波香もたとえようのない幸福感を感じていた。いや彼女自身それが幸せなどという気持ちに気が付いていないのだろう。ひとりで生きてきた時は人の迷惑を顧みず好き勝手なことをやっていた。そのうち生きていくのにお金を稼ぐ為に仕事をするようになり働き始めの頃は傍若無人ぶりを発揮していたが教師という職業についてからは生徒の為に親身に働いてきた。感謝され笑顔を向けられると波香自身もいい気持ちになったのだ。そしてそれがクセになっていた。
目の前の問題や誰かに頼られたりするとその問題を早期解決しなければ落ち着かない。しかも自分で解決しないと気が済まない。一種の精神病なのではないかと波香の恋人の時哉は薄々感じていた。しかし波香が実はクローン人間だと知った時、時哉は全てに納得せざるをえなかった。人間としてのレベルを優に超すのではないかと思われる学習能力の高さと身体能力の高さ。そしてミッション?の成功に全力をかけるその姿勢に、だ。
「じゃあ、私、洗い物してそろそろ帰りますね」
「うん、かおりん、いつも悪いわね」
「いいえ、おいしいゴハン食べさせてもらってるのにこれくらい当然です」
「ハハハ、香織さんは良いお嫁さんになるよ」
「ええ、時哉さんのお嫁さんにはなれなかったですけどね」
「え!?」
香織にそう言われ時哉はギョッとして隣に座っている人から強烈なプレッシャーを感じていた。
「ん?なに?」
茶碗をカチャカチャと片付けながら波香は時哉の視線に気がついた。
「......いや、なんでもない」
「もしかしてヤキモチでも焼けば良かった?」
「いやいや、もうお腹がいっぱいなので餅はいらんぞ?郷会長?」
慌てて汐海が2人の会話に突然口を挟んできた。
「え?あはは、しおみんはそういうことに関しては知識0なんじゃないの?」
「え?そうなのか?焼き餅って焼いた餅ではないのか?」
「小野寺」
「はい?」
波香は元教え子を呼ぶ。
「あなた恋愛経験豊富なんだから汐海にそういう男女のあれこれを教えてあげてくれない?」
「恋愛経験豊富っていってもそういうのは私より先生のがはるかに詳しそうじゃないですか」
「ん?そう見える?学校では偉そうなこと言ってたかもしれないけど私、付き合った男ってトキヤしかいないのよ」
「えっ!そうなんですか!」
小野寺はそのことにすごく驚く。
「じゃ、じゃあ、私なんかでよければ......」
「私も聞きた~い」 「あ、私も聞きたいな」
美菜と香織もそういうことにはあまり知識がなく興味もなかったが彼女達も自分が幸せになる意味、方法を模索し始めたのだ。
「かおりんも今日は泊っていけば?明日は会社お休みでしょ?」
「え?いいんですか?」
「いいわよ。そんでもって6畳の汐海達の部屋で女性は全員集結。ガールズトークっていうのはどお?」
「......ぐすっ」
「......もう、泣かないでいいから」
波香はそう言うと香織に何も言わせまいとして抱きしめた。
「ナミカちゃん、俺はそっちにいっちゃダメなのかい?」
「トキヤ、あなたはひとりで越川様のDVDでも見てて」
「......いや、あれ俺、興味ないし」
◇
「つきあい始めっていうのは割と相手が誰でも楽しいものなんですよ」
「ほぅ」
「でも、それは時間がたってくるとそういう気持ちは段々となくなってきて相手の悪いところが目に付くようになります」
「ほぅ」
「それを許せるかどうか?なんですよね」
「うむ」
「小野寺それはレベルが少し高くなってないか?」
「えっ?そうですか?」
「男女関係の在り方の究極論になってる気がするぞ」
波香に指摘され小野寺は熟考する。
「あ、そうだ。じゃあ、みなさん、好きな人っていますか?」
「好きな人ってどういうことだ?意味がわからん」
汐海はすぐに反論する。恐らく彼女は好きってことが本当にわからないのであろう。
「私も~わかんない」「私もです」
汐海以外にも美菜、香織がそう言った。
「そうですかぁ......う~ん、好きっていうのはそう、例えばいつも一緒にいたい人かな?」
「それなら私は時哉殿だな」「私もそうかな?他にいないし」「私もです」
「なっ......」
汐海に続いて美菜、そして香織までもが時哉と一緒にいたいと波香の前でづけづけ言うのを波香は聞きづてならなかった。
「ちょっと、あんたたち」
「あ!先生、ここは私が。みなさん、そういうのはダメです。もうすでに時哉さんには先生という恋人がいるじゃないですか?だからダメです」
「恋人がいたらダメなのか?好きになってはダメなのか?意味がわからんな」
汐海は腕を組んで首を傾げる。
「私にはなんとなくその辺はわかるのですがなにしろ本気で男の人を好きになったことがないもので」
香織はおずおずと発言する。
「......確かに恋人や奥さんがいたら好きになってはダメ......っていうのは言い過ぎかもしれません。お互いに好きになってしまったら片方の人とは別れて好き同士がくっつくというのもあります。でも、一般的にはそういうのは稀です。パートナーがいる方は諦めて他のパートナーがいない人の中から探すのが普通です」
「......諦めなかったらどうなるのだ?」
「自分の好きになった人が自分のことを好きじゃないのにしつこくつきまとったらストーカー呼ばわりされて犯罪になります。場合によっては警察に逮捕されることもありますよ」
「ふうむ、そういうことなのか......後、ひとつ疑問があるのだが」
汐海は波香の方をチラッと見ながら小野寺に問う。
「私が時哉殿に何かをするたびに波.....郷会長が怒るのだがそれはなんでだ?」
「それはヤキモチです。自分の恋人にちょっかいをだされるとそういう面白くない感情になるのです」
「なるほど、理解した。郷会長、今まですまなかった」
「え?う、うん、別にいいわよ」
そう言う波香の表情は少し赤かった。自分の教え子に自分の感情を汐海に説明されるのが恥ずかしかったからだ。
「小野寺殿は殿方と付き合う時には......今の彼氏殿とは好きでお付き合いしたいということを自分で言ったのか?」
「いえ、彼は大学のコンパで知り合って彼から告白されて付き合うようになりました」
「好きじゃないのか?」
「......はい、好きではなかったですね」
「じゃあ、どうして好きじゃないのに付き合ったのだ?わけがわからん」
「見た目が優しそうだったし付き合えば好きになるんじゃないかと思って」
「ほぅ、それで結局、好きにはならなかったと?」
「付き合い始めのころは楽しかったし好きだったかもしれません。でも、時がたつにつれてイヤになっていきました」
「好きじゃなくなったと?」
「そうですね」
「あ、そうだ。会社で南という男性に『今度一緒に仕事をやりましょう、手取り足取り教えますよ』と言われたのだが」
「それはただの親切心かもしれませんが80%くらい汐海さんに興味がありますよ」
「私に興味が?しかも80%......なかなかの高信頼度だな。それは私と付き合いたい、恋人になりたいという意味だろうか?」
「そこまでは私にはわかりませんがもし汐海さんがイヤじゃなかったら食事かなんか南さんが誘ってきたら行ってみればいいんじゃないですか?行ってみて楽しかったりまた一緒にどこかに行きたいっていう気持ちになったらそれはもう、汐海さんが南さんのことを好きっていう事です」
「おお!なるほど!私が......この私が人を好きになる??あるのか本当にそんなことが......」
「あはは、そんなに考えこまなくても。年頃の人には誰にでもある事ですよ」
小野寺と汐海は熱心に議論を重ねるが小野寺は重大な間違いを犯していた。
__そう汐海は普通の人間ではない。作られたものなのだ。どこか欠如している感情。興味本位でそういうことをしてしまう可能性を小野寺は思慮にいれていなかった。
(続く)