誰かに甘えたいけど甘える相手も居ない。そんな独り身だとうっかり鬱になりかねないので気を付けましょうね(実体験)
グリマルディ戦線終決。地球連合によるエンデュミオン月面基地の自爆放棄という結果により決着した戦いから2日が過ぎ、プラント最高評議会ではエンデュミオン攻防戦の戦闘報告が届き、事態の推移を再確認していた。
「サイクロプスか。厄介な事をしてくれたのだな、ナチュラルどもも」
「我々に使われるくらいなら味方ごとの自爆も厭わんか。やはり旧人類ともなると野蛮な思考をする輩も多いらしいな」
「だからといって、この事態の損失もバカにはならないぞ。エンデュミオン・クレーターが無価値となっては一体何のために部隊を派遣したのか意味も失われる」
「しかしこれで暫くは月基地の連合も大人しくなるのではないか?」
議論というよりかは確認事項の様な会議に出席する為に態々本国まで呼び戻されたユキは、顔には出さずとも内心は不機嫌だった。
そうでなくてもやることが山ほどあり過ぎて今はローレンツ・クレーターの月面基地を離れたくはないのに、そんな益もない会議に連れてこられている理由すらも唾棄すべき無駄足だと、声を大にして言えるのならば言いたい程だった。
正直早く帰りたくてイラついているという、ユキにしてみればかなり珍しい思考が渦巻いていた。
それを隣に居るシホは感じながら居心地の悪いソファーに座り時を過ごしていた。ユキを挟んで反対側に座るクルーゼはなんとも思わないのかとも考えながらである。
エンデュミオン攻防戦の後、事後処理と状況報告を本国に送ったの後に通告された召還要請に応じる形でユキは本国に戻って来た。作戦立案者としての説明要求という形である。
説明するも何も、本隊を囮にした敵艦隊本陣の後方を少数のMS部隊での強襲という作戦内容を一々口頭で説明する必要性は、言っておくが一切ない。それこそ報告書レベルで解決するものだ。
面倒なのはクルーゼと共にやって来た本国からの部隊は、先の本土防衛線の時に出撃していたパイロットの練度不足向上を狙ったのと、開戦以来前線で戦いっぱなしだった兵士のオーバーワークを鑑みて、本土防衛軍の人員から編成された部隊なのだ。
見立てが甘かった。戦場なのだから。そういう理由を知った事じゃないとモンスターペアレントが指揮官を呼び出せという事態にまで発展した。何故なら本土防衛軍に配属されている兵士は良いところのお坊ちゃんだったわけで、しかもコーディネイターの過激派よろしくナチュラル・アレルギーと先の本土防衛線時に屈辱を味わったパイロットが多かった為、かなり強引に敵本陣の深くにまで攻め入ったのだ。
むろん普通ならそこまでの腕もあるわけもなかった。本土防衛軍と言えば聞こえは良くとも、練度も低く今一軍人としても果たして微妙な、しかし家の立場だけはデカいという扱いに困る人材が多く。そういうプライドを満足させる場が、本土防衛軍だった。
つまりユキが図らずも敵を強襲して大混乱の中を後方から艦隊の前面にへ突き抜けて行った道を、逆進する形で敵の奥深くに入り込んだ者たちがサイクロプスに巻き込まれて塵も残さずに消滅したという事だ。
これにより本国から出撃してきた30機以上のジンが失われ、しかもアナハイム側はムサイ級3番艦ジークフリートがエンジン部に直撃を受けて片方のエンジンを切り離すという以外に目立った損失がなかったことも各方面からの攻撃材料を呼び込む形になってしまったのだ。それでもドラッツェ部隊に少なくない被害は被っている。死者こそ居ないのは幸いだが、重軽傷者多数であった。
ユキからすればそんなことは知らんし冗談じゃないと、そういう抗議をしてくる親を可能ならMSのコックピットに押し込み戦場に放り出してやりたい程だった。
温厚と優しさの塊みたいなユキであっても、戦場に居れば一人の兵士であり、戦士なのだ。
如何なる生まれであっても戦場に出てくるのならば死ぬ覚悟は出来ているはずだ。しかしそれを「息子が死ぬなんてありえない。 なのに何故ナチュラルのお前が生きているのか」なんて言われて来た日には、民を守るべき軍人であっても腹の虫の居所が悪くて当たり前だ。誇り高いジオンの兵士の家族でも、敵や戦争を憎んでも、味方の兵士を、指揮官を呼び出して恨み節を吐き並べる恥さらしなど見たことも聞いたこともない。それを知るからこそ故に、戦場で命を懸けて戦ってきた戦士に対する侮辱の嵐に、苛立ちが募るのだろう。戦争をしているのに、自分の息子は平気だと、死なないと、コーディネイターなのだからナチュラルなんぞに負けるはずがないと盲目な親の憎悪を一周廻っていっそ哀れにも思えてきた程だった。力がないから言葉でどうにかするしかなく、そして、言葉ですら通じないから罵声を浴びせるしかないのだ。
そんな生の感情を恥も知らずに表す親たちが哀れでどうしようもない、それこそ魂に重力を縛られた人間以上に救いようもない人種差別を謳わなければ自身のアイデンティティ関わるような、矮小な俗物に対して冷めた感情で接することが賢明だったのだろう。
評議会の前に設けられた遺族団との説明会議にパトリックの要請で出席したユキにはそんな感じの罵声の雨霰が降り注いだ。称賛などありはしない。
アガメムノン級2隻 ネルソン級7隻 ドレイク級3隻の合計12隻もの艦艇をただ一戦で沈め、戦場の優劣を決定づけた大戦果だった。それこそジオン十字勲章を賜り、下士官や一兵卒ならば二階級特進も可能なほどの戦果だ。
しかしここはジオン公国ではなく、プラントであり。社会はコーディネイターが強い国だ。
一言二言目にはナチュラルナチュラルと、蓄音機か何かかと思う程にナチュラルを卑下し、蔑視する発言。作戦責任者は一応クルーゼなのだが、クルーゼは身内以外にはコーディネイターという扱いなのでそういう攻撃の全てはナチュラルのユキにすべて飛んできた。スケープゴートというのならばそれまでであり、中にはナチュラルであるから本気で戦う気がないのだろうという言葉さえ出てきた辺りで珍しくパトリックからもユキを擁護するかの様な発言と退室を促す言葉によって退室できたのだが、プラントの根深い部分を目の当たりにして少々気が堪えたという部分もあった。
想像以上に根深く頂きの高い問題に、今まではまだ上っ面の部分しか見えていなかったのだと改めて痛感する。士官アカデミーや幼年学校の洗脳教育など比べ物にならない。ナチュラルへの憎悪と軽蔑が家庭内からそういった子供を育てている嘆かわしさ。ニュータイプという希望があり、人類への可能性を胸に抱いているから耐えられるし、なにより子供たちの為に戦うと決めたのだから如何なる誹謗中傷でも耐える気ではあるが。そうでもなければプラントを出てオーブにでも渡り隠居生活でもしていたい。
そう思考が逸れる程度には精神的な疲労を被り、ささくれた精神状態ながらもユキは評議会に出席した。
遺族団から軍籍の剥奪も要請されたのだが、一応プラント建設時における有識者の家とはいえ、軍事に口出しする権利はない為、パトリックはどうにか事態を治め、会議に臨んでいた。
コーディネイターとしてナチュラルであるユキを重宝するわけにもいかないのだが、しかしその能力を手放すのは惜しい。それこそ戦艦キラーであり、撃墜数もトップであるユキは一度戦場に放り込めばその戦場の戦局を勝利に導く常勝不敗の猛者なのだ。
ローレンツ基地建設の為に本国を離れさせ、程よい距離で使い倒す気でいるパトリックからすると、そういう傑物の脱落というのは、現時点ではあまりやりたくないというのが実状だった。それほどにザフト軍がユキの才能に寄り掛かっているという事実は否定しようとも出来ない程の成果が上がっているのである。
ビクトリア降下作戦により手に入れたビクトリア宇宙港を中心に勢力を拡大し、北上を続けているザフト地上軍。エンデュミオン攻防戦数日前に起こったスエズ攻防戦。別名エル・アラメイン会戦においても、ユーラシア連邦軍の大戦車部隊に対する戦闘戦術にもユキが書き起こした、地上におけるMSによる対戦車戦闘戦術論が生かされ、想定被害の1/4程の被害により敵陣地の突破に成功しているのだ。
砂漠の虎の異名を持つアンドリュー・バルトフェルドの指揮能力の高さもあるが、地上戦でのMS運用などしたことのないザフトにとって、一年戦争以来幾度となく行われてきたMSと通常兵器による地上戦のノウハウというものは、それこそ生命線と言っても過言ではない程に重宝されているのだ。
第一次カサブランカ沖海戦においてもMSを使った水中戦マニュアルや潜水母艦との連携戦闘運用も大半はユキの戦術理論が下地になっている。
ユキとしては戦争素人のザフト軍の少しでも役に立てばという思いで始めた一年戦争の戦訓を纏めた戦術理論は、それこそ兵器の差で破竹の勢いで進撃を続けるザフト軍の歩調をより強固にする程の効果があったのだ。
戦場にて不敗。さらに戦術家としても優秀すぎる。
故に軍から手放せない。ユキはそういう人物としてザフト軍での地位を築き上げていたのだ。
感情を抜きにした損得勘定でデメリットが多過ぎる故に、下手に手出しが出来なくなってしまった事にパトリックもどうしたものかと頭を悩ませることになるのは別の話である。
そんな事情で虫の居所の悪さを感じさせずに評議会で説明をしたユキ。
議員からも少々の苦言が出る。作戦は理解できるが、本隊を囮にしてまでやることなのかと。
それに対しては、ナチュラルの指揮などお嫌いでしょう? というコーディネイターの兵士に対する精神に配慮する事を口にし、一見コーディネイターをバカにした様な発言に取られかねない言葉であっても、先の本土防衛戦における映像は最高評議会にのみ公開されており、そういう発言も已む無い程だと思う議員が大半だった。
如何に勉強しても戦争処女の議員に負けるつもりはなかったユキは言葉巧みに追及を正論で打ち負かしていった。それこそ自分が戦果を上げたいだけなのではないかという言にも、ならば他に同じことが出来る人間を紹介してくれという一言で黙らせた。
如何にコーディネイターという新人類を自負する者であっても、超高速下で動き回る戦闘映像。しかも状況説明の為に用意した今回の映像でも、戦艦のエンジンに一撃を加え、爆沈する戦艦の船体装甲を蹴り飛ばして、その爆発の勢いまでも利用して加速するという頭のネジが数本イカレている戦い方で敵艦隊を後ろから最前線まで超高速戦闘で突き抜け、それこそ画面に敵が映る姿が一瞬でも減速せずに攻撃を当てるという離れ業を何事もない様に行って、さらに画面に映りもしない敵のMAすら片手間にビームライフルで撃ち抜く戦いが他に出来る者が居るなら是非そうしてくれと。
自分の戦果を盾に言い切る姿は決して傲りもなく堂々とし、事実を告げ、同じことが出来る者が居るなら喜んで戦線を離れよう。出来る者が居ないのだからしているだけだと言い切る潔さに議員たちも呑み込まれてしまう程だった。
その堂々さは虚飾でもなんでもなく、ユキ・アカリというジオン公国少佐として、そして数多の戦場を駆け抜けてきた戦士として、幾多の政治を動かしてきた統治者との触れ合いがあっての、人間としての器の大きさに圧倒されているからに他ならなかった。
それこそザビ家の猛将ドズル・ザビ、デラーズ・フリート総司令エギーユ・デラーズ、エゥーゴの指導者ブレックス・フォーラ、アクシズの摂政ハマーン・カーン、新生ネオ・ジオン総帥シャア・アズナブルと比べれば、最高評議会の面々など本来ならば軽くあしらえてしまうのだ。
無用な衝突を避けるために色々と抑えていたものが、精神的な疲労と憤り、ささくれた状況という本人にしても最悪なコンディションだった為に無意識で漏れ出してしまい。そういった威圧感、ハマーンが良く使う施政者としてのそれが漏れる程度には不機嫌さ故に心が緩んでいたとも言える。
だから自分は平時の施政者には向かないとはそういう事なのだ。指揮官として多くのことを学ばせてもらったのがドズルやデラーズであるのならば、施政者として多くのことを学ばせてもらったのがハマーンであったからだ。故に施政の場でどうしても鎌首をもたげてくるのである。
人種糾弾をする前にやることが山ほどあるだろうと。スペースノイドとアースノイドの間にも似たような確執はあったが、それでも軍事や政治の場という物でそういう話題に時間を使うことすら無駄である。ならばこそ勝つための策をし、少しでも戦争で重圧や税を敷いている民衆の事を考えた良き政治をする事が戦時下での施政者に求められる仕事なのだ。故にジオンは苦しくても戦っていけた。故にハマーンのアクシズは精強だった。故にシャアのネオ・ジオンは精鋭だった。皆が皆、一つの目的の為に戦っていたからだ。
スペースノイドの自治権獲得の為に。ザビ家復興の為に。地球に住む特権階級者に裁きの鉄槌を。
そういう一つになれる為の指針が、プラントはあろうことかナチュラル撲滅。人種差別の究極的な形に向かおうとしているのだ。
そんなことの為に戦って、いったい何になるというのだ。地球圏人口の大半を占める人種を滅ぼして、コーディネイターだけの世界を作るというのならば話は別ではあるが、そうなればナチュラルの自分は敵である。
厳しい差別意識の中でも戦っているプラントに住むナチュラルはどうなる? それこそ今の第一世代コーディネイターの親はナチュラルであるし、一定数プラントに住んでいるナチュラルは皆殺しだとでもいうのか?
ならばその時は自分が彼らを守る盾になろう。彼らを襲う刃を退ける剣となろう。
故にユキはコーディネイターの為ではなく、プラント自治権独立を掲げて戦うのだ。でもしなければうっかりプラントを滅ぼす方向に思考がシフトしかねないからだ。
その背中をクルーゼは愉快そうに眺めていた。仮面のお陰で表情が分かりにくいとはいえ、目元は確実に愉快に歪んでいた。
世界を憎む自分と同じ気配をその背中に感じているからだ。自分の様に憎んでいても憎み切れていない甘さを笑い、慈しみたくもなる。或いは同類相哀れむという物だろう。だから気心を許せる友人のひとりでもあり、或いは自分を止めるだろうひとりとして期待もしているのだ。
レイのため、子供たちの為に世界を憎んでも滅ぼそうとしないユキは必ず世界を滅ぼそうとする自分を止めるだろう。故に矮小なコーディネイターにその心が苛まれているのがいるのが我慢ならないというのも確かな感情だった。それでもなお折れない心に畏敬の念を禁じ得ない。その心の強さを尊く思う。自分にはない強さという物を持つ存在に軽い嫉妬すらも抱く。
短命故に世界を呪った自分は、今は定命とはいかずともある程度寿命に余裕が出来、心にも余裕が出来たとあっても、それでも世界を憎み、そして滅ぼすことを未だに止めようとしない。出なければその為に費やしてきた人生の意味をどこに投げ掛ければ良いというのか? そしてこの果てしなき欲望の世界を破壊しなければ人は同じ過ちを繰り返し続け、自身やレイの様な罪のない命が無為に生まれては世界に使い潰される。そのような地獄の世界が或いは待っているのかもしれないというのならば、一度世界を綺麗にする必要がある。その引き金はどうなるかはわからないが、ナチュラルを滅ぼし、コーディネイターも滅びれば、人が滅べば世界は変わるだろう。
人故に同じ過ちを繰り返しそうなものだが、それは生き残った。生き残らせる友人や子供たちがより良い世界にしてくれるだろう。
人の罪の清算。それは人の罪その物の自分だけが出来る、する権利があるのだから。
その為にはユキに潰えてしまっては困るのだ。世界をより混迷させる為に、戦火を広げ、人の憎しみを広げる為には。
そんな個々人の胸中など知る術を持たない一人の少女が蚊帳の外で、ユキの報告に対して虚偽がないことを告げる。
クルーゼの要請で証言人のひとりとして呼ばれたシホは気が気でなく、ハラハラする時間を送るだけだった。
最高評議会というプラントのトップや、ユキ、クルーゼが人知れず発する重圧という物を本能の部分が無意識に感じて、彼女の心を疲れさせるのには充分だった。
戦闘映像を見ながら、改めてユキの化け物さ加減を痛感する。次元が違すぎる。これが虚偽であるのならば単独で艦船を12隻も沈めた戦果は一体誰がやるのかと。
MSの攻撃力という話にも勿論あるのだろう。戦艦を一撃で撃沈する破壊力は今までのザフト製MSにはなかった火力だ。自身が開発したディープアームズでも同じ攻撃力はない。それでは機体のせいか?
違うとシホは断言できる。同じ機体でもユキならば平均の3倍の戦果を引き出すだろう。でなければコーディネイター用に設計されているジンがナチュラルの操作に耐えきれないというバカな話が生まれるはずがない。
自分もネルソン級2隻とドレイク級3隻を沈めたが、あのスピードについて行くのがやっとで、敵に攻撃している暇など殆どなかった。MAも5機程度しか墜としていない平凡なスコアだ。
命をスコアに換算出来る程度には感覚がマヒしているのを自覚する。それでも戦争ではそれが必要なことだとユキはデブリーフィングの時は出撃したパイロットに対して告げている。相手の命を想うことも尊く大切な事でもある。しかしそれは戦争が終わった後にするべきことで、今は考えても仕方がないから考えるなと。
その言葉で仮にも企業のテストパイロットであるアナハイム所属のパイロットや戦闘要員がどれだけ救われている事か。忘れるなとは言わない。ただ今だけは自分の心を守る為に割り切れという言葉。それを理解出来るまでには自分も少しは近づけたかとも思ったが、それでもその背中はまだまだ遠いのだと自覚する。
だからといってそこで諦めないのが自分だとシホは自身を解析する。生真面目なことが自分の長所で、負けず嫌いなところもある。そして、だからこそ追いつけないなどとは思わないのだ。追いつけないのなら追いつけるまでの努力をすれば良い。
その背中に追いついて、いつか超えてみたい。そういう願望がシホにはあった。
憧れ。憧憬。英雄に憧れる子供の様な純粋さ。その胸中を知ればユキは微笑ましく笑うだろう。そのシホの在り方はかつての自分だと。
◇◇◇◇◇
「大丈夫ですか? 隊長」
「…う……うん…、へい、き……」
無人タクシーから担ぎ上げるというかほぼ背負う形でシホはユキを引っ張り出して、ユキの自宅へたどり着いた。
評議会では作戦報告が終わった後に解放されたユキたちではあったが、クルーゼは残り、苛立ちが抜けないユキは挨拶に来たシーゲルとも軽いあいさつ程度に済ませ、後日また顔を合わせる約束を取り付けて街に繰り出した。繰り出したとはいっても移動用のシャトルでアプリリウスⅠから気の抜けるアプリリウス10に移り、ようやくマイホームに帰って来たユキは浴びる勢いで酒場で酒を飲み始めた。
プラントでは15歳から成人扱いなので15歳でも問題なく酒は飲めるものの、そういう上司兼戦友兼同い年でいても雰囲気がちぐはぐな少年の、着飾らない荒っぽさというのがシホには新鮮だった。
お酒は味見程度には飲んだことはあっても、親から飲ませてもらったビールはシホには苦くてとてもではないが飲めるものでもなかった。
クラシックで質素なバーの端のボックス席が定番の定位置なのか、バーに入ってから勝手知ったる店とでも言わんばかりにユキはこういう雰囲気に馴れていないので足踏みするシホの手を引いて、端の席に向かった。途中飲んでいる客に彼女か? とか、坊ちゃんが女を連れ込んだぞ、とか、からかわれる場面もあったが、そんなヤジにユキは柔らかい笑みを浮かべて仕事の同僚だと紹介してまわった。
それはそれで意識して貰えていないのかと女としてのプライドに傷が着いたのだが、あれぐらい言っておかないと明日には彼女扱いでアプリリウス10で有名になれると言われたら渋々だが反論は出来なかった。ある意味でシホを守っているのだから文句は言えないのだ。
そうして端のボックス席に座ると、荷物を置いてバーテンダーのもとに向かうユキを見送る。見ず知らずの大人な雰囲気で出歩ける程にシホはまだ大人ではなかった。
注文をして、完成するまでカウンターの椅子に片脚だけを乗せてテーブルに寄りかかっているというなんとも子供っぽい体勢に、やっぱり色々と凄くても根っ子は子供なのだと思い出させられる。
店に入ってくるのは男性客が多いが女性客もそれなりには入ってくる。
男性客にはザフトの白服を自慢げに見せびらかし、頭をクシャクシャに撫でられるのを嫌ったらしそうに跳ね除けながらまんざらでもなさそうにはにかんでいて、女性客とは軽いハグや頬にキスなどという軽いスキンシップから二、三言葉を告げて別れ、注文した品物を受け取り、ナプキンも合わせて手に取って戻って来た。
そうして気づく。この端のボックス席は丁度店の入り口が見える場所にありながら一番静かな場所にあり、こうして俯瞰して物事を見るには最適な席であると。
「待たせたな。適当に選んでしまったが」
「かまわないわ。それより、貴方でもああいう顔をするのね」
「ん? まぁ、私も人間だからな」
そういうユキの言葉も表情も仕事で接している。つまり普段の大人顔負けの落ち着いた表情だった。
それがなんとなくつまらないというか、悔しさを僅かに感じても何か言う前に目の前にコトリと置かれたのはグラスだった。紫色のサワーだった。
「グレープサワー。駆けつけ一杯目はこれだな」
そういうユキもグレープサワーを自身の座る席に置きながら、ナプキンで手を拭く。受け取ったナプキンでシホも同じように手を拭いてから、グラスを持ったユキに倣って、シホもグラスを持った。
「では、お疲れ様」
「お、お疲れ様です」
チンッというグラスが鳴る。そして口にグレープサワーを含んで舌に転がす。
「これ、お酒なの?」
「ほぼジュースの様なものだがな」
そう言ってユキはまた席を立つと、カウンターに向かって行って、複数の皿を手や腕に持って帰って来た。
サラダが二つの皿に乗っていて、生ハムとアクセントのアスパラの乗った皿と、マッシュポテトの乗った皿を置いて、備え付けのフォークと取り出し、ユキはそれをシホに手渡して、自分は箸を選択した。
シホは別に箸でも構わなかったのだが、上司の気遣いを無下には出来ずに受け取った。
小皿に料理を小分けにして手渡された所で、シホは少し慌てた。
「わ、私がやりますから!」
「構わないさ。今日くらいは」
「か、構うわよ…!」
同い年でも上司と部下。なら気遣いは自分がするべきであって、上司がする事ではないのだ。
それでもユキは構わないと、シホを押し留めて、構わずに自分の分も小皿に小分けするのだが、真面目なシホはそういうマナーも気にしてしまって、構うなと言われても困ってしまうのだが、その間に料理は分けられていたのだ。
「頂きます」
「い、いただきます…」
食事の挨拶をしたものの、フォークで刺したサラダのレタスを口に含むのは待った。
ユキはまた一口……とは言わずに一気にグレープサワーを飲み干した。
「ちょ、ちょっと…!?」
そんなにお酒を一気飲みをしてしまって良いのかと慌てて思うシホの言葉が届く前に、グラスに入った氷がカラリと鳴って、ユキのグラスが空になったのを知らせた。
「ん? ああ。気にしないで好きに食べてくれ」
そう言ってまた立ち上がってしまった。他の酒を注文しに行ったのだろう。
取り敢えず手持ち無沙汰になってしまったシホは、サラダを口に含んだ。フレンチ特有の酸っぱさとスパイスの香りが口の中に広がった。…旨い。
またカウンターで絡まれているユキを見る。大人たちにからかわれて、もみくちゃにされていると白服を着ている以外は普通に子供にしか見れなくて、アレでザフトのトップガンだと連合に突き出しても鼻で笑われるだろう。というより誰も信じない。プラントではユキのメディア露出というのは殆どされていない。それこそ見かけるのは今日も一緒だったクルーゼや、職場の先生的なジャン、英雄ヴェイア、そこに何故か自分も含まれてしまっている。それこそ何故自分がザフトのトップガンのひとりとして頭数に数えられて居るのかが未だに不思議でならないのだった。それでも撃墜数で言えばユキの方が倍近い数の敵艦を沈めている。それでもメディアにはナチュラルという事で取り上げられもせず、唯一このアプリリウス10でくらいでしかそういう話題も取り上げられていない。
だからこそなのだろうか? それにしてもなんだろうか。大人たちの接する態度は有名人に対するそれよりも、近所の子供でも扱うような気安さがあった。
再びグレープサワーに口を着ける。これなら飲めると思いながら、戻って来たユキは小麦色で白い泡のある定番のビールをジョッキで持ってきて帰って来た。
「貴方、ビールも飲むの?」
「ああ。普通に飲めるというか。ここのはグラスも冷えているから旨いのさ」
ゴクリゴクリと普通に飲んでいく姿に、負けた気分になる。自分がビールが飲めないからだろう。
半分までグラスの中身を飲んだユキがテーブルにジョッキを置くと、上唇に着いた白い泡を中指で拭い、その泡のついた指を半分程開いた口に含ませて舌で舐める様は、何故だかとても見てはいけないような、店の仄暗い照明も手伝っているのだろう。優艶さが滲み出るその姿に知らず、シホは見入ってしまった。
というより男のする仕草ではないのにも拘わらず、何故か板についた動きにまたこの同い年上司の不思議な部分が増えたと思うのだった。
「飲んでみるか?」
「え?」
知らずにじっと見つめていた視線をユキは、ビールの味見でもしたいのかと思って、自分の飲みかけのジョッキをスイっとシホの前に差し出した。
差し出されたシホはコレをどうすれば良いのかと悩む。ビールは苦い。そういう先入観が邪魔をするが、ユキが飲めて自分が飲めないのもなにか悔しいので、ジョッキ――意外とずっしりと重いそれを、ユキの様に片手でどうにか持って、ジョッキの端に口を着ける。
「……苦いわ」
「フフ、まだ早かったかな?」
そう軽く笑って、残ったビールに口を着けて、涼しい顔で生ハムを口に運ぶ。そういう余裕のある大人な態度が尚更負けた気分にさせられた。
氷も解け始めて薄まったグレープサワーの1杯目を飲み干し終わる時には、既にユキはビールからカシスオレンジ、その次にレモンサワー、その次にハイボールといういくつもの酒を頼んでは飲み干し、ハイボールを飲み干す頃には頬も赤くなり始めて、白服の胸元も開けられて着崩されていた。
「ユ、ユキ…?」
「ん? フフ、なぁに? シホが、名前で…呼ぶなんて……」
少しトロンとした顔のユキの反応も、もう酔っ払いのソレだったのだが、それでも足取りはしっかりだし、意識もまだある様に思えるものの、さすがに本格的に酔う前に店を出た方が良いのかと考えるが、連れてこられた手前、そういう話題を言っても良いものかと悩んでしまう。
というか今まで聞いたことのない甘い感じの声に。これが何時も接している上司なのかと面喰ってしまう。
「少し飲みすぎじゃない?」
「…そぉう思う? なら、まだまだ、かなぁ」
上半身をテーブルに突っ伏して、空になったグラスの縁を人差し指で擦る仕草も、本当に男のする事じゃない。それこそドラマで見たような女優がするようなものだった。
しかしそれが演技で作られたような作り物ではなく、そういう仕草が自然に、無意識に出ているような、そんな感じをシホは受けた。
そのまま酔っているにしてはスクッと立ち上がって、普通に次のお酒を注文しに行く様子のユキがシホに振り向いた。
「グラス、空いたでしょ? 何か飲む?」
「え、えっと…」
まだ一杯目を飲み終えたばかりのシホは他にどういった酒があるのかわからないのでどうしようかとも思い、それを感じたユキは人差し指でシホの額を突いた。というか軽く押し当てて触る感じだった。
「お酒よりジュースね。わかったよ。オレンジが良いんだ」
「え? あ、えっと…」
それだけひとりで納得して、ユキはカウンターに向かってしまう。
「今…、あの子……」
人差し指を額に当てられて、まるで考えを読むように――実際漠然とだが考えていた事をユキは言い当てて去ってしまった。
帰って来たユキの手にはオレンジジュースと、ピンク色の瓶と透明な液体の入ったグラスが握られていた。
「なに? それ」
「…ん? バイスっていう、日本のお酒の元? 焼酎で割ると旨いんだよ…」
ここのマスターは日系の移住者で、そういう所の凝り性が惚れ込んでる理由かな? っと、透明な液体――焼酎割りを作って、人差し指でかき混ぜて、コクコクと飲み始めるユキに、どうしてそこまでお酒に強いのか気になったシホは聞いてみることにしたのだ。
「どうしてユキは、そんなにお酒に強いのかしら?」
「ん…? んー…………聞いても、おもしろく、ないけど?」
その瞳に一瞬だけいつもの理性が戻り、そして遠い過去を思い出す様な、それこそ深い泥濘の様に濁った眼を浮かべたユキに、引くべきかべかざるかを一瞬悩んだが、目の前の不思議な上司の過去話など滅多に聞けるものでもないという好奇心が、シホを先に進ませたのだった。
そういう意思を示したシホに、ユキは作ったバイスを二回に分けて作りは飲み干して、手をパーにして上げると、カウンターから定員がバイスの瓶数本と氷の入ったグラスを二つ用意して持ってきた。
また新しくバイス割りを作って、、それも二人分。それをシホにも寄越しながら、ユキはチビチビとグラスの中身を飲み始めて、口を開いた。
「その昔、理想を夢見て敗れた兵士が居た……」
そうして語り始めたお話は、それこそ長くて、壮大で、そしてユキ・アカリという人物がどのような人間なのか知るには充分だった。
地球から最も遠いコロニー。サイド3がジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を仕掛けた。
ジオンは戦争の早期終結の為にスペースコロニーを地球に落とすコロニー落としを敢行。コロニーは迎撃され、オーストラリアのシドニーを直撃し、オーストラリア大陸からシドニーという土地を海に変えた。
戦争から1週間で総人口の半数を死に至らしめた戦争は、その後8か月あまりの膠着状態を生み、国力で劣るジオンは地球連邦軍に敗退した。
同胞や恩師を奪い、初恋の相手でさえ奪った戦争は結果的にジオンが負けた。
それでもジオンの敗北を受け入れられなかったジオンは各地でゲリラ的な抵抗を続け、そして3年後に一大残党軍が決起した。
再び行われたコロニー落としは成功した。しかし、それは連邦軍を増長させるプロパガンダに使われた。
「二度の負けでもうどうなっても良くなっちゃって、気づけば堕ちる所まで堕ち切ってた時の名残かな…」
その日の日銭を稼ぐために身体を売っていた。抱かれるだけで抱くことはしない、それなりには有名人だった自分は客を取るのにも苦労はしなかった。酒に強くなったのも、色々と媚びを売る様な仕草もその時に仕込まれたものだった。
そんな肥溜めの破棄捨て場の様な場所から救われるまで4年もの間、色々やって、そしてまた戦争の気配に立ち上がった。
「あいつが……、あの人が居なかったら。おれもここには居なかっただろうな…」
そう言いながら思い出す様に語るユキの姿は、酒による酔いの所為だけではないのだろう。憂いを含んだ様な表情は憧れか恋い焦がれる乙女に近い表情に見えた。
そうしてまた戦争になった。その中で自分の仲間と言える人々と戦場を駆ける事は毎日が充実してたという。しかし戦争は激化し、近しい人々が死んでいく。それが戦争だった。
そして戦争を終えて出逢ったのが、憧れでも、親愛でもなく、心の底から愛したいと思った人との出逢いだったと。同類相哀れむ、最初はそうだったのかもしれない。それでも次第に惹かれて、言葉も心も交わしながら、銃を向け合った。
それは道を違えてしまっても、互いに譲れず信じる者の為に刃を交え、討った亡骸を抱きしめて戦争は終わった。
だがそれですべては終わらなかった。
「裏切られた。というより、なんで声をかけてくれなかったのかていう子供っぽい理由だったかな…」
憧れの人が暗躍している。そして、それは地球潰しという形で表面化した。
責任と信念の為に、憧れの相手とも戦って。そして置いて行かれた。
「人の心の光。それはとても暖かくて、安心できて、そして、未来に繋がる架け橋だったんだ……」
涙を流しながら語るユキの様子に、何杯も酒を入れて頭もほんわりとして来たシホにも、それは未だに残る心の傷なのだとは分かった。
左手が温かかった。重ねられた右手が光っているように見えたのは気のせいだ。それでも、とても安心する。それはいつも目の前の上司から感じているモノだった。
「だから、次のニュータイプを助けてやってくれという願いに従って、おれは待った。そのニュータイプが現れるのを」
そして現れたニュータイプは、宇宙の宿命を背負った血を持った少年だった。
改めて戦争の軌跡を追いながら、いくつもの悲しみと奇跡を見た。そして宇宙の真実を知った時に抱いたのは。
「希望。曖昧だけど、確かにある熱。可能性は誰の内にも秘められている。その可能性を自覚できるかどうかで、人は未来を作ることが出来る。だから――」
託してきた。成すべきと思うことを成してくれる相手に。
そして自分は、今、ここに居る。
ここにいて次の願いを聞いた。
「戦争になるなんて、子供にも分かっていた。どうしようか指針がなかったおれに、あの子は新しく生きる意味をくれた」
世界を見て回って、戦争の機運を肌で感じ、そして、最後の願いを聞いた。
「自分で夢を見せておいて、もうそれに縛られるなって。今更謝られても、どうしろっていうんだよ。バカみたいじゃないか……」
それこそ16年間も追い続けた夢に、もう大丈夫だと。縛られるなと、すまなかったと、一方的に謝られて、こっちの言葉も聞く気も持たずに最初から姿がどこにもなかった大馬鹿の言葉を聞く必要もない。
「だからおれは、出来なかった宿願を果たす。スペースコロニーの、宇宙に住む人々の為に、連合から独立自治権を得るために戦う。そう決めたんだ」
酔っている事さえ感じさせない強い意志に当てられて、シホも酔いが醒めた。
「だか、…ら、たたか…う、の……」
力尽きたと言わんばかりにテーブルに突っ伏したユキはそのまま寝息を立てはじめてしまった。
「…………これ、どうするのよ」
寝てしまった同い年上司と、飲み散らかされたグラスの数。確実に酔っぱらって寝に入ったユキを見て、途方に暮れそうだったシホは、取り敢えず会計を済ませて、タクシーを呼んでもらった。住所はマスターが教えてくれたので、そこまで送り届けるまでだった。
そうして半分まだ寝ている様子の上司をどうにか玄関口まで連れていき、カードキーでロックを解除して貰いながら部屋まで送り届けて一息ついた。
「何もない部屋…」
備え付けの調度品以外にはこれと言って飾り気のない部屋だった。ただ部屋の隅に山積みになっている本の山だけが存在感を放っていた。
「これ。ユキの論文書……?」
それこそ今まで5年間ユキが世に出してきた戦術書や各論文書の数々すべてがそこに在る。
「これ全部、この子の戦争の軌跡…」
それこそ眉唾物のような、そんな戦争の経験をしたのに年齢が伴っていないだなんて気にならない程に、そこには知識が文字通り山の様に積みあがっていた。
他には机の上に放置されている紙があった。
「これは、MS?」
それは書きかけの設計図だった。
ジンに比べてスリムな印象のあるMS。それでも縮図から逆算すればジンよりも一回り大きなMSで、その背中のバーニアの数や、機体各所のアポジモーターだけで、このMSの機動性が並のMSのそれではない事だけでも伝わってくる。
「MSN-06…シ、ナン…ジュ?」
これが新しいMSなのだろうか。これは普通のMSでもない。それこそユキの設計するMSはザフトのMSに近い印象はそのままなのだが、このMSは何もかもが根本的に異なっていて、そしてそれが特別な意味で作られていることがわかる。
「あの機体の、後継機…?」
今まで一度も動いている所を見たこともない赤いMS。ジンよりも一回り巨体のMS。その特徴とはまた別の意匠ながらどことなく似ているMS。
「サイコ…フレーム? ミノフスキー…核融合炉!?」
設計図に掛かれている情報をなんとなく目で追っていけば、とんでもない情報にシホは目を見開いた。
MSに搭載可能な核融合炉。その研究はプラントでも半ば諦めかけられているというのに。
「みーたーなぁ…?」
「きゃああっ!?」
背中にトンっと感じた重さと、定番なセリフ回しだというのに恥もなく飛びあがる様に驚いてしまったシホは、背中からずれる重さに慌てて振り向いて支えようとして、重力に体重の乗った重さを支えられずに倒れた。
「いたた…も、もう。急に驚かさないでっ」
膝を打ち付けた痛みに抗議を訴えるシホだったが、下から伸びてきた腕が首に回されてきて言葉を切る。
赤い頬。服の肌蹴た首筋まで赤いのはアルコールが回っている証拠だ。しかしそこにあるいくつもの赤い痕は、それこそ虫刺されなどではない。
「ゆ、ゆ、き…?」
「んんー…? なぁに?」
甘ったれな声を出しながら、それでも次の言葉を待っている節のある上司に対して、シホはその腰と背中に腕を回した。
「あは、だっこなんて。ちからもちだねぇ…」
「お、おも、い…っ」
腹筋と背筋でどうにか立ち上がったシホは子供の様に喜ぶ無防備なユキに世話が掛かる上司だと思いつつ、そのままベッドに寝かせた。それで少しは優位に立てたかと見当違いの事を考えながら、さすがに制服姿で寝かせたら皺になって大変だろうと、脱がせるだけ服を脱がすことにした。
上着を脱がせて、靴とズボンも脱がせると、露わになった太腿に、首筋と同じような赤い痕を見つける。
「…こ、こんな、ところにも……」
「んー……」
それが何なのか、シホも知らないわけでもなかった。ただしそういう関係だと気づいても、これは立場が逆というか、彼女の独占欲が強いのか。判断に困るものだった。
肌蹴たシャツから覗く腹部にも同じように跡があちこちにつけられている。
所有を示す証。それになんとなく指を馳せる。なぞり上げるとその身体がピクリと震える。
しっとりとした触り心地の良い太腿。汗ばんだお腹や、熱い首筋。そうしてなぞっていくと漏れ出す甘い吐息を吐き出す小さな唇に視線がいく。
その唇に、自分の初めてを奪われた。
「今は、どんな味なのかしら…」
近づく唇から漏れる熱い吐息は、さすがにアルコールの濃い香りがする。
それでも、その唇に吸い付く様に軽いキスをすれば、少し苦かったのはビールの味。
それを口直しする様に口の中に舌を伸ばすと、唾液が甘露の様に甘くてトロトロだった。
「ん…おいしい、かも……」
これがいつもの冷静な自分ならばこういう事などせずに、したとしても変態だと引くようなものでも、今は良いかとシホは決めて、口の中を吸い出すように貪り始めた。
「はぁ…、ん…っ」
ひたすらユキの口を舐っていたシホの胸に添えられる手は、自分の手よりも小さな手で、温かくて、安心する手だった。
「つづき…、する?」
半開きの目で、慈愛の目を浮かべながら動く小さな手から伝わる快楽に、シホは身を任せたくなる衝動を敢えて抑えた。
「したいのは、あなたでしょう?」
続き、そう言われて思い出すのは、出撃前のやり取りだった。大人のキス。その続きが何なのかわからないわけじゃない。
さぁ、どう出てくると。こんな酒に酔っぱらって、一夜の過ちを犯すような、物語でも時々ある様なあまり褒められた状況じゃない上に、互いに仕事の上司で部下。そしてコーディネイターとナチュラルという隔たり。それを目の前の相手はどう乗り越えてくるのだと期待して。
「ひゃっ!?」
視界が一回転し、今まで上から見下ろしていた視界が、下から見上げる形に切りかわった。
「……あなたでも、そういう目が出来るのね」
慈愛に満ちた目から、獲物を狩る様なぎらつく眼差し。欲情を秘めた目は、シホもここ最近で何度も晒されてきた。15歳にしては成熟した身体と、男所帯の軍ではそういう視線だって仕方がないことだと思ていたが、それはアナハイムでは一切なかった。そして本土防衛軍では露骨に多くなり、その手の視線は鬱陶しい上に気分が良いものでもなかった。
「キライになる?」
そういう感情を読み取れるユキは聞き返した。それならそれで構わない。今この互いにおかしな状況はアルコールによるものだとしてそのまま眠ってしまうこともできる。
「さあ。でも…」
何故だかそれをシホも読み取れて、言葉を切り、腕をユキの首に回すと、肌蹴た首筋の、まだ痕も着いていない場所に吸い付いた。
「んっ…」
吸い付かれるという少しこそばゆく、ピリッとした感覚に、ユキの口から声が漏れる。
「ちゅ…っ。…キライな人に、ここまではしないわよ?」
口を離した白い肌には赤い真新しい痕が刻まれた。それを自分が着けたのだと思うと、少しだけ誇らしい。連合が血眼になって銃弾を浴びせるザフトのトップガンに傷を残したのだという自慢が出来そうな気分に内心高揚を感じていた。
「愛してるって、言えば許してくれる?」
「なんだか安っぽい感じがするからダメね」
それこそ愛しているという響きはキライじゃないものの。こういうベッドシーンのある様な漫画やドラマで使い古されていて、何故だか安っぽかった上に、それで気持ちを受け取れる程、シホ自身価値観が大人ではないことを自覚していた。
「好きって、言ってくれたら、いいわよ」
「言葉だけ?」
分かっていてそういう事を聞いてくる聡いところは好きじゃなかった。全方位受け身体質のクセに、攻める時はSっ気も出てくる。まるで獲物を弄ぶかのように。鷹を名乗るなら思い切ってその勢いのままに仕留めに来ても良いだろうと思わなくもない。
「心もくれるのかしら?」
「欲しいならね」
それこそズルい言い方だ。心を通わせた愛か。ただ肉体を重ねるだけの愛か。愛される事が初めての自分にそれを聞くのかと憤りそうになるものの、それ以上にもう身体が互いに限界だった。
「…始めて」
「経験がまだ拙いから、出来るだけ頑張る…」
互いにキスを交わして。服を小さな手が慣れたように脱がし始めた。
女性デザインなどない赤服の上着を脱がせれば、そこは軍で支給されている蒼いシャツがある。互いに同じようなシャツで見つめ合い。細い指が赤いズボンを止めているベルトを外す。
「レースのある黒。ちょっとエッチな下着」
「いいでしょう、なにを着てても」
「ん。まぁね。でも、ちょっとだけ燃えてきそうかな?」
「ちょっとだけなの?」
「でないと抑えられそうにないよ」
靴を脱がせた白い足を肩に乗せる様に担ぎ上げ、その陶器の様に白く細い脚に舌で舐め上げながら、蒼いシャツを捲っていく。
「私だけ恥ずかしいわよ」
「それは女の子の特権じゃないかな?」
下着姿で均衡のとれた身体は何時か言ったか、作り物みたいでコーディネイターの身体は綺麗とは思うが興奮はしないという同期の特殊性癖持ちの友人の言葉を思い出したが、そんなことはないとユキは思う。
「な、なに?」
「綺麗だなぁって…」
「っ、バカ!」
「フフ、ごめん。……好き、だよ」
「っっ…バカ。ズルい」
そんな乳繰り合う様に始める行為は。一方的に抱かれるよりも、受け身になるよりも、心が温かくて、こそばゆく、そして淫らで、時間も忘れて絡み続ける程のものだった。
◇◇◇◇◇
私が目覚めた時、私はカプセルの中で眠っていた。最初は何事かと思った。
何故なら自分は撃たれて、肉体という入れ物を失ったからだ。それでも精神――魂と呼べるものは少しの間だけ現世に留まった。まだやるべき事があったからだ。
しかしそれも終えて刻の橋を渡った筈だった。
しかし気づけばまた生まれた時の姿でカプセルの中だ。
刻の橋を渡った筈が、過去に戻ってきてしまったのかと落ち込む間も無く、いや落ち込んでいては仕方がないと、過去に戻ってきてしまったのならば上手く立ち回れば何かを変えられるのではないかと奮起したのだが、私を起こしに来たのは知らない人間だった。
私が目覚めた事に驚いている様子だった。
生み出してから今日まで目覚めた事はなく、破棄される予定だった等と知りたい事を勝手に教えてくれた男は下卑た笑みを浮かべながら襲い掛かってきたが、折角キレイな身体に生まれ変わったのにあんな経験は二度と御免だった。
男を突き飛ばして逃げる。研究所の様な施設なのだろう。
しかも身体に感じる重力はコロニーの様な人工的なそれに近い。地球だと困っただろうが、宇宙ならばいくらでも逃げ場はある。
身体も強化されたそれで違和感なく動いてくれる。子供の姿なのが少し不憫だったものの、無いものねだりをしても仕方がない。
だが地理に疎い私は徐々に追い詰められ、やがてはガードマンに取り押さえられてしまった。いくら強化された身体であっても大人数人掛かりでは抵抗仕切れなかった。
そのあとは他人行事に犯される自分を眺めながら次の脱出計画を立てることで無意味な時間をやり過ごした。
目覚めて暫くして研究所が襲撃された。
録な防備もなかったのだろう。私に研究所を守るように命令してきた。
表向きには素直に従って、私はメビウス・ゼロという準サイコミュ兵器に近い武装を施された機体に乗って出撃し、ザクに似たジオン系のMSをやり過ごして離脱した。はじめから命令を聞く気などない。
私に命令出来るのは
星と地球と月の位置からL4に居る事を知った私はL2に向かおうかとも考えた。ジオン共和国ならばネオ・ジオンの一兵士でも無下に扱われないだろうと思ったからだった。
そう決めて行動しようとした所でレーダーに反応があった。先程研究所を襲ったMSだった。変わった形だったが、ジオン系MSならば敵という可能性は極力は低いと思う。これでティターンズだったのならば考えなければならなかったが。
通信を入れられ、慣れない計器にてこずりながら通信を交わした相手はサーペントテールという傭兵だった。
研究所は非合法の研究を行っていてその処理を依頼されたのだとか。身構える私だったが、機体を処分すれば個人までは処理をする迄には及ばないという事だった。それで良いのかと思いながら彼の母艦に一度移動した後に機体は爆破して処分した。
サーペントテールという傭兵団は悪くない場所だった。ガランシェールの様な人の温かさがあった。
彼らの拠点であるL3で私は別れた。私みたいな薄汚れた存在が居るべきではないと思ったからだ。
プチモビを一機拝借し、L3のコロニー郡の中でもガードが緩かったヘリオポリスというコロニーに忍び込んだ。
潜伏生活をしていればアンダーグラウンドにも明るくなる。ブローカーにプチモビを売って、ヘリオポリスでの身分を手に入れ、そこまで来て漸く落ち着いた所で世界に目を向けられた。
予想以上に高く売れたプチモビのお陰で当面は困らないものの。まさか宇宙世紀ではない宇宙に居るとは思わなかった。
それにしてはプチモビや、戦争のニュースではジオン残党軍の開発したドラッツェという廃品利用MSが活躍しているらしいが。
とにかく見た目が子供である自分が働ける場所を探さなければならなかった。しばらく困らないと言っても資金は有限なのだから稼がなければならないものの、だから何が出来るのかといわれてもアングラ系の仕事は辛くとも身の入りは少ない。戦うしか能がない自分が稼げるとしたら、また身体を売るしかないのだろうかと思い詰めても、中々足は出なかった。
こんな薄汚れた自分でもきれいだと言ってくれたふたりの男の影がチラつくからだろう。
穢されてしまったが、これ以上進んで汚れたいとは思わない程度には自分の中でもその言葉が歯止めになっているらしい。
バナージは姫様と上手くやっていけているだろうかと心配になりつつ、それでも姫様ならばバナージを良き方向に導いてくださるだろうと思う。
そしてもうひとり、自分をきれいだと言ってくれた男を思い出した。
ユニコーンを取り返しに単機で突っ込んできたジェガンのパイロットだったニュータイプの男が伝説のジオンの蒼き鷹だった。
クシャトリアが、シナンジュが僅かに押される程の強さだったものの、機体性能の差からシナンジュに敗れ、ユニコーンと共に回収された。
そしてバナージと共にガランシェール預かりになったことが切っ掛けで出逢う事になった男は、私の目を宇宙の様に澄んだキレイな目だと言ってくれた。
その時は変な事を言うやつだとしか思っていなかった。
フル・フロンタルはあわよくばバナージと蒼き鷹を味方に着けたかった様だが、ロンド・ベルの襲撃でそれは失敗に終わった。
NT-Dを発動したユニコーンを止めるべく、ネェル・アーガマから出撃したガンダムが見せた光が宇宙を包み、ユニコーンを鎮めた。
その光の方こそ綺麗だと思いながら、私は損傷したクシャトリアごとネェル・アーガマに回収されて捕虜となった。
バナージが見舞いにやって来た後に蒼き鷹もやって来た。
そこで私は死んだと思っていた姉妹の姉の話を聞いた。その姉が大切に扱われていることにも安堵する。自分の様な汚れた人生を歩まずに良かったと安心した時に何故か鷹は謝りながら私を抱きしめた。涙を流しながらだ。
そこには同情という物はなく、純粋に想われて流された涙にどうしてよいものかと悩んだ。それからアルベルトがやって来るまでは傍にいてくれた鷹との次の再会はバンシィに乗ってからだったが、今は良いだろう。
ともかく生活する為に色々やった結果、モルゲンレーテとアクタイオン・インダストリー、そしてアナハイム・エレクトロニクスが合同で開発する新型MSのテストパイロットとしてどうにか職業を手に入れた。所属は一応アナハイム枠になる。何故ならアナハイムの方が入り易かったというか、何故か入れたのだ。
ただアナハイム側からやって来た技術者の中にまさかの人物を見つけて私は言葉が出なかった。
「報告には聞いていたが。まさか生き残りが居たなんてな」
「ね、姉さん…?」
「フッ。まぁ、それでも構わないけどね」
クローン・ニュータイプの二番目の姉妹。プルツーは最後に見た時と同じように変わらず偉そうだった。
「なぜ……」
「そういうお前も生きていたのには私も驚いたよ。それこそ目覚めたクローンはワタシだけだったはずなんだが?」
「私は……」
そう睨んで来る姉さんに自分の経緯を語ることになる。それを聞いた姉さんは納得した様に頷いて、私にこのままヘリオポリスに留まれという。
「どうしてだ? 私は」
「アイツに会わせても良いが、それだとオマエがズルズルと引きずり込むだろう」
「鷹の事か…」
正直私は鷹に対して多くを語っていない。それでも同情もなく優しく接せられたのは初めてでどうすれば良いかわからないうちに別れてしまったのだ。あれはそう、まごころから来るものだったと思う。
「どうしたいか宙ぶらりんなお前をアイツに会わせても毒だよ。だから今はここでMSの開発に専念でもしてな。どうしたらいいかわからない人形にはちょうどいいだろう?」
「私は…」
挑発してくる高圧的な姉さんに反論も出来ず、私はヘリオポリスに残ることになったが、ひとりだけの社員寮は寂しいと思えるくらいに広かった。姉さんとも一緒に行けない。そして同じ会話を共有できるだろう鷹にも会えない。独りぼっちの寂しさというのは中々堪えるものだった。
だがこのヘリオポリスにもニュータイプは居る様で、何故か二人から鷹の気配を感じて日増しに気になってしまうのだが、姉さんが会うなと言ったのだから会わないようにしようと決めて、今日も私はひとりの部屋で過ごした。
to be continued…