薄暗闇の部屋で、手元のスタンドライトの光を頼りに、MSの図面を引いていく。
こういうのはPCでやるものだが、かつてギラ・ドーガの設計図を盗まれた教訓から、大事な設計図は手書きで書き上げる様にし始めたクセだ。
何より今現在一年戦争期と余り変わらない程度の性能を持つMSを運用しているザフトや連合に渡ってしまってはならない設計図などは手書きかネットワークから独立した端末で管理を行っている。でなければ安心は出来ない。
調度良いところでペンを置き、凝り固まった肩や腰を解す。
そのまま休憩も兼ねて新星攻略戦におけるアナハイムの被害報告書に目を通す。
アンチビーム爆雷やビーム撹乱膜によって艦砲ビームが減衰していたから被害は軽いが、それでも死者は28名。負傷者は142名だ。
特に防空用のドラッツェ部隊は壊滅的な被害を被っている。ミドロに配備された30機のドラッツェの内、帰還機は12機だ。18機の未帰還で死者は9人。他は脱出して戦闘後に回収された。
ドロワとミドロには防空用MSとして30機のドラッツェを両艦には常に配備させている。
だが自分の戦略的な読み負けが、彼らの命を対価に支払わせてしまった。
後ろを振り向けば、薄い灯りに照らされた眠っているシホの姿がある。ここのところ彼女に甘えすぎである自覚がある。プルツーが居てくれれば良いのだが、それはシホに対する侮辱だろうと思考を切り替える。
「サーペントテール…
あのカスタムジンを操っていたパイロットは普通じゃない上に自分の天敵タイプだ。それこそやはりニュータイプとしての力を戦いに振り向けているから自分は強いのであって、それは我欲の強い宇宙世紀のエース相手に通用していた。
だがあのパイロットの様に、我欲ではなく仕事に徹するタイプだと殺気が感じられず、次の挙動が読み難い。サイコフレームでもあれば別なのだろうが、現状のバイオセンサーと自分のニュータイプ能力では対処するには純粋な腕の強さでどうにかしなければならないだろう。
16年の経験。今で言えば21年分の経験がなければやられていただろう。リフリートの性能で押しきれたから良いものの、同性能のMSで戦えばそれこそ勝てるかどうかはその時次第だろう。
「……これだからパイロットを辞められないんだ」
それこそ、あの時は戦士としての充足感さえ感じていた。己の飢餓を癒してくれるだろう相手に歓喜した。あれほどまでに身を削る様な戦いは、実に5年振りの、フル・フロンタル振りの強敵だ。
それこそフル・フロンタルも別の意味でやり難い相手ではあった。
自らを器と定義し、シャアを演じるが故に機体の挙動も呼吸もシャアの物で、感じるものもシャアそのものだった。シャアの人類への絶望という怨念が宿った、シャアを模して造られた器。
ある意味シャア本人だったのだから。そして、器であるとあくまでも自分を定義する事で此方に感情を読ませない事さえしていた。そうでもなければ器が耐えられない程の怨念だった。
だから自分はフル・フロンタルに勝てた。赤い彗星を継ぐものとして。シャアが追い求めていた希望を叶えるための代弁者だった自分だから。
或いは自分が居なくともバナージならば彼を倒せただろう。人の可能性を信じるバナージはシャアと似ている。だからフル・フロンタルにも勝てるだろう。
だが赤い彗星を譲る気もなかった自分の我が儘を押し通らせてもらった。
それこそ熾烈を極める戦いの中で、フル・フロンタルの抱える闇が視えた。人類に絶望したシャアの一面。それを内包した彼は人類に絶望しながらも、それでもシャアだった。だから託された。
シャアの遺言。囚われずに生きろというメッセージ。それを聞いても、自分は戦う道を選んだのは自らが果たすべき責任を果たすためだ。
その為に自分は戦っている。子供たちの未来を作る為に。人類が互いに滅ぼしあうのを阻止する為に。そして、いずれ来るだろう人類が進化する時、その世界を見守る為に。その世界が少しでも救いのある世界にする為に。
傲慢だと言われるだろう。だが果たさなければならないのだ。宇宙世紀も150年を過ぎても人が争うことを止められないのなら、このC.E.でも同じような時が過ぎても人は争いを止められないのだとしても、せめて自分に出来ることで未来を紡ぐ。それが自分の成すべきこと想うことだ。
「アーサーも頑張ってくれたな」
敵の襲撃。しかもまさかのブライトが相手で、彼が己の能力を十全に発揮できるペガサス級に準ずる船に乗っていた宇宙世紀でも上位の艦長を相手に奮戦し、ペールギュントを守りきった。
第二砲塔に直撃を受け、左翼エンジンも切り離す程の手傷を追ったが、生き延びたのだ。誇れる戦果である。
「ブライト…」
グリプス戦役から数えて約10年の付き合いだ。此方も相手も、互いにどう作戦を立案するかは知りすぎている。特に第二次ネオ・ジオン抗争後のロンド・ベルではアムロの代わりをしていたとあって互いに一番濃く関わり、互いに己の手の内を明かしあっている。故に手強い。
なによりも船の指揮や艦隊運用はブライトから習った様なものだ。
自分はそうやって色々な人から技術や智恵を貰ってきた。
MSパイロットとしてはシャアから倣い。戦士としての気構えや軍人としての誇りはラル大尉、ドズル閣下、マツナガ大尉、デラーズ閣下、ガトー少佐等から倣い。施政者としてはハマーンに倣い。そして艦隊指揮官としてはブライトから倣い。
故に今の自分があるわけだ。
しかし改めて自分は器用貧乏な人間だと自覚する。ある程度は出来る。しかしその程度というだけで、特化型には敵わない。才能を開花させた人間には勝てない。シロッコ相手に軽くあしらわれる程度には自分は凡人だ。
自分がプラントでもやって行けているのは経験値の差と蓄積があるからだ。身体は子供の姿であるが故に力では勝てない。カナードにさえ正面からの力押しでは負ける為に柔術の応用でどうにかこうにかしているだけなのだ。相手の力を利用する。それは自身の操縦にも出る。MSの近接格闘戦時での切り札だ。
コーディネイターで高い能力を持ち、才能に富んでいて、さらに努力を怠らない相手であれば自分は負ける。今回のソレが敗北の理由だと漠然とした、しかし確かな確信がある。
そしてそれを、自分はシホに期待している。彼女の気質が自分に近いのもあるだろう。
そんな相手に甘えている自分が、はっきり言って彼女を一人前に出来るかどうかという意味では保証はするが、確約は出来ない。
そういう意味では自分もシャアの事を笑えない。アムロからは情けないやつとでも言われ、ジュドーなら仕方のないおっさんだと言われ、カミーユからは修正されるだろう。
…バナージは苦笑いでもするだろうか? 彼はそういう意味ではアムロ以上に優しい子だった。
「おっさんか。そうなんだよな…」
身体も心も若いつもりでいても、年齢的にはもう37歳だ。一年戦争に参加したのが16歳の頃。そこから21年が過ぎている。
15歳の少女に甘える37歳独身男性……。
「……マズい。想像以上に情けないやつだ」
手元の設計図の余白に軽く自分の事を書いて、それを書いたことを後悔する。身体も心も成長しない所為か時折こうして計算しないと自分の年齢を忘れそうになる。
その事実に気付いて想像以上に業の深い自分の情けなさに自分で引いてしまいそうになる。それはカミーユから本気の修正が飛んでくるだろう確信がある。
「カミーユ、か……」
彼を導いてやれなかったからこそ、失敗はしない。それこそ自分はもう老人側の人間で、若人に後を託す側なのだ。なのに子供の姿に、一年戦争の頃から第二次ネオ・ジオン抗争期の13年間変わらなかった子供の姿に戻ってしまった。
「心の持ち様で人の時間が止まる。或いは止まったままの時間が動き出す。或いはまた戻る。ニュータイプもまだわからないことだらけだ」
それでも自分は未来を見据えて動いているはずだ。そう信じたい。
「まぁ。この身体の利便性を捨てるのはまだ早いかな」
或いはその所為で無意識的に子供のままでいようとしているのかもしれない。
何故なら子供の姿ならば抱かれる敵愾心というのも最小限で済む。確かに子供の姿でナチュラルであるから嘗められることも承知の上だが、それはシャアやハマーンを模した威圧感で圧倒できる。
だから今は変わる必要もそれほどには感じない。それにこの身体の方が包み込まれる温かさを感じやすいのもある。
「それが原因、か。……ララァ、おれはどうすれば良いのかな?」
意識しても宇宙世紀の宇宙の様に、常に身近に感じていた彼女の気配は……ない。
いや、まったくない、わけでもない。意識を集中すれば感じられる。月にあるものから感じられるのだ。
量産型νガンダムから、その気配を感じられる。
「ユニコーン……その力を推し切れるか」
設計図にはとあるシステムの設計が描かれている。未知数の部分が多いが、このシステムをMSに組み込み、サイコフレームとバイオセンサー、インテンション・オートマチック・システムと合わせれば、それでユニコーンには及ばないだろうが、サイコマシンが完成する。プルツーがデータをくれたお陰でシステム開発も大分楽であった。
ニュータイプの力に頼るのは自分本位で完結しようとしていたが、こんなシステムやMSを開発するに至ったのは、それだけ危機感を感じたからだ。
絶対に負けられないという意志を貫くために自分に必要な力。必要なMS。そして、それが一つの可能性を開く扉になればと信じて。
「……やっぱり、おれにはこの夢を捨てきれはしないみたいだよ。シャア」
シャアの遺言。サザビーのコックピットの記録に残されていたソレ。
記録はシャアのネオ・ジオン決起とそう変わらない日時だった。つまりあの大馬鹿野郎は、自らが自分に討たれることも想定済みだった。そう言われているような気しかユキは感じなかった。
ハマーンとの決着。地球を、そこに住む人々を抹殺する。そうでもしなければ宇宙に住むスペースノイドに未来はないと言うハマーンを、赤い彗星を継ぐものとして、エゥーゴの代表代理として、戦い、討った自分がシャアの味方になれるわけがなかった。そういう立場であり、そして、願いもあったからだ。
第一次ネオ・ジオン終決直後。
月でユキは一人の女性と出会っていた。
それが、セイラ・マス。本名はアルテイシア・ダイクン。シャアの妹だった。
赤い彗星を継ぐものとして、その出逢いは必然的に避けられないものだったのだろうと今にしてみればユキは思える。
彼女と多くは語らなかったが、それでも願われたのだ。時が来た時は兄を殺してでも止めてほしいと。
結局止めたのはアムロだった。
一声でも貰えれば自分はシャアに着いただろう。それほどまでに誰かが彼を支えなければ、支えることが出来たのならば、ニュータイプの未来が開けるのだと思っていた。
しかしロンデニオンでシャアと別れてから自身の胸中に渦巻いていたのはそれとは別の使命感だった。ある意味でシャアとの決別によって生まれた物だった。それがハマーンを討った自分の成すべき事だったのだという事だ。
自分が、或いは女であったのならばシャアを支えられたのだろうか。女の様に振る舞ってみても、自分は男で、そして根っ子は戦士だ。だから自分はシャアを理解出来ても支えることは出来なかったのだ。何しろ自分だってシャアに甘えていた人間だ。シャアが求めるのは甘えさせてくれる存在だ。自分を全面的に肯定し、支えてくれる女性が必要だったのだ。
或いは彼に子供でも生まれていればまた結果は違ったのだろう。それすら奪われたシャアがアクシズから離れたのは仕方のないことだったのだろう。
そんなIFを考えた所で詮無いことだ。今はもう既に確定した未来なのだ。そして未確定の未来の為に自分ができることをする。それしかないのだ。
「だから間違えないように導いてくれよ。シャア」
自分に謝るくらいならば、最後まで導いて欲しかった。そしてニュータイプの未来を作って欲しかった。
「未練がましいと、お前は笑うか? アムロ」
そういうアイツもララァの事を完全に吹っ切れてはいなかったのは知っている。それこそシャア程でなくても支えてあげないとと思う程度には無理をしているのは分かっていた。だからどうにかしてシャアとの決着に集中できるだけの暇は稼いであげようとして。
「クェスを切り捨てたんだよな……」
彼女の事を討たなければアムロを付き纏う呪縛を断ち切れなかったとはいえ、自分は導いてあげるべきだった子供に対して、アクシズの落下阻止という事柄を言い訳に自分の余裕のなさを言い訳にして切り捨てたのだ。
言葉にしていれば伝わったか? そう言って伝わるのならば討つ必要もなかったか? 子供は図々しくて嫌いだと言ったクェスの叫びを聞いて上げれば良かったのだろうか?
あのときの自分は、とにかく二人がなんの柵もなく戦える様にと立ち回っていた気がする。立場としてロンド・ベルの所属だから、並み居る敵を排除する事こそを優先しすぎていた。アムロをシャアのもとへ送り出す事を優先して、だからクェスでさえ平気で見捨てられたのだろう。
「だから、今度こそは…っ」
バナージは幸いにも周りの人々が導いてくれた。そして何よりもミネバ様の存在が、マリーダの存在があったからだろう。
そういう期待を向けられているシホや、レイ、カナード、プレアには良い迷惑かもしれないが。自分は結局はこの世界の人間ではない部外者だ。この世界で生まれ、育つ子供たちの感性が時代を作るのには必要なのだ。
その為に、その妨げとなるものは自分が排除しよう。世界の悪意を増長させている原因を見つける。そしてこの戦争を終わらせる。それがほど遠くとも諦めるつもりなどない。
「またなにか、勝手に背負っているのね」
「シホ? すまない。起こしてしまったか」
知らずの内に声に熱が篭っていたかもしれない。
後ろから自分を抱きすくめてくれるシホの体温を感じながら、ユキは首を振り向かせて謝罪した。
「そうね。結構大きな声だった」
薄いシーツ一枚だけに包まれている彼女はさながら絵画の女神の様だが。それでもまだ子供であることには変わりはなく。それでも優しく包み込んでくれるこの感覚はまごころを感じる。温かくて安心できる。そんな感覚だった。
「どうかしたの?」
「いや。なんでもない」
それは自分の問題であって、シホには関係のない事だとユキははぐらかし、椅子から立ち上がった。
「そろそろ寝るよ。明日も早い」
「その前に、何を抱えようとしたのか話しなさい」
「別に。決意を新たにしただけだ」
世界を背負うことなどできない。自分にその器はない。それでも大勢の人と共にならば或いは。
ミネバ様がおっしゃられていたことだ。自分一人で戦っていると思っていた。でもそうではない。支え合ってくれる、共に歩んでくれる人が、仲間が居れば、或いは道は開ける。
「これからも多くの命を奪っていく。それが戦争。平和への必要経費。おれは良い。割り切れるし慣れている。でもねシホ。もし苦しいのなら言って欲しい。抱え込まないで欲しい。必要ならなんでもする。だから無理だというときは素直にそう言って欲しい」
身体ごとシホに振り向いたユキは、背伸びをして彼女の唇に自身の唇を合わせる。
それは愛情とまごころというものよりも、親愛と信頼、そして不安も込められた複雑なものだった。
「…大丈夫よ。私だって赤を着る者よ。その程度でへこたれたりもしない。それはあなたも知っているから、私を手放さないのでしょ?」
「それでもまだ年齢的には子供でしょ」
「それはあなたも同じよ」
「いや、おれは――」
子供じゃない。そう言おうとしても続きはシホからの口づけによって遮られた。
「あなたは子供よ。子供でもいいの。だって、毎日大人として頑張っているんだもの。なら、どこかで子供でもいいんじゃないかしら」
「…まったく。そう甘やかされると余計手放したくなくなる。おれは色々と面倒な男なんだけど?」
「嫉妬とか抱かないところは世間一般的な面倒な男という意味では苦労はしないわ」
「そういう簡単なものじゃないよ」
自分の面倒くさい所はハマーンに色々と言われているから今更考えなくともわかる。
中途半端に子供で、そして女の様に妙な執着も持っているから愛情に不器用だという一番最悪な拗れ方をしていると。そして初恋をいつまでも引き摺る腐った女の様に軟弱者とも言われた。
そういう遠慮のなさと強かさが、彼女に想いを寄せるきっかけで。だからプルツーにも頭が上がらないのはそういう事だ。
「いたっ、し、シホ」
「目の前に私が居るのに他のオンナの事を考えた罰よ」
「い、いたいっ、ご、ごめんなさ、いっっ」
耳を噛みつかれる痛みから逃げようとしても、シホにさえユキは力負けをしてその抱擁からは逃れられない。カリッという音と共に感じる右耳の痛みは熱に変わる。
「んっ。……私の方が、面倒な女かもしれないわよ?」
「嫉妬は女の特権で、男の嫉妬は醜いだけだからするなって話らしいよ」
「それもその
「まあね」
とは言っておくが、これはハマーンではなくエマ中尉の受け売りだ。そういう意味ではヘンケン艦長には悪いことをしてしまったと素直に思う。ヘンケン艦長はエマ中尉が好きだったからだ。なのにシャアは何故か自分とエマ中尉を惹き合わせたかった様だが、あの頃は自分も余裕という物がなく盲目にシャアの背中を着いて行って甘えているだけだったとユキは思い出しながら思う。
エマ中尉も優しい女性だったが、それを余りある強かさ。大人の女性というものは彼女の様な人を言うのだろう。そしてその優しさでのカミーユのケアを任せてしまった自分たちも悪い部分があった。グリプス戦役はそういう大人の無様を晒した戦いだった。それに巻き込まれる子供というものは堪ったものじゃなかっただろう。
「また別のオンナの事を考えているでしょ。あなたはどういう女誑しなのかしら?」
「別に誑しというよりおれの方が惚れ込むタイプなんだと思うけど」
それこそララァとハマーンしか気心を許して接せられた女性は居なかった2例しかない自分の経験上で言っても仕方がないのだろうが。
それでいて心の中はシャアのことも気にかけているというか、未だに心の割合の多くを締めている。全面的に自分を預けた初めての人で、憧れの人だったからだろう。
ハマーンと話が合ったのは、ハマーンもまたそうだったからだろう。似た者同士で傷の舐め合いをしただけにも思えても、それ以上に心で分かり合えていた上に互いに言葉を尽くしたからだろう。だから互いに嫌いではなかった。少なくとも自分はそんな彼女に心が惹かれていた自覚がある。
「少し悔しいわ。そんな風な顔を、私じゃあなたにさせられないもの」
そう言うシホからは、ユキの見える顔は昔を思い出して、昔の恋を、初恋という物を思い出して恥ずかしくても誇らしいと、後悔のない綺麗な表情を浮かべているからだった。
「え? どんな顔してた?」
そう言われてきょとんとするユキに意地悪がしたくなったシホは行動する。
「教えてあげない。だから、そんな顔をこれから蕩けさせてあげる。あの子以外見たことはないんでしょ?」
「え? これからって、明日は」
「また休めばいいわよ」
「おい生真面目優等生」
「あなたの前では悪い子でも構わない」
顎に指を添えて顔を上に向かせてユキの唇を奪うシホ。少女漫画などであるイケメンの男がヒロインにするようなそれを自分が少年上司にしていることに内心では少しだけ理想とは違うと首を傾げるが、現実という物はそういう物で、自分がヒーローでも悪い気はしないと思う所も確かにあるのはこの腕の中にいるか弱いお姫様の為に強くなろうと必死になっているからだろう。
「折角だけど、良かったらやって欲しい事があるんだけど」
「え?」
このままベッドに押し倒してしまおうかと思っていたシホにユキは待ったを掛けた。
机の引き出しから取り出したのはハサミだった。
◇◇◇◇◇
その日、ユキの姿はL2のとあるコロニーにあった。
民間人IDでL1にシャトルで入港後、そこから更に別のシャトルでL2のコロニー郡に向かう。開戦前ではL1も連合の勢力圏であったのでプラントから入港できる中立コロニーや宇宙ステーションをいくつか経由する面倒な事をしなければならなかったが、今ではL1が中立地帯宣言を出しているために大幅なショートカットが可能だった。
腰の長さまであった黒髪を肩に掛かる程度のセミロングまで切り詰めた装いでいた。
長い髪に慣れていたシホからすれば、自分で切って整えて見せても変ではないか。気に入ってもらえるかという不安があったものの、そういう話題をユキはまったく口にしなかった。
誰かに髪を切らせるのは初めて。そういう意味では少しだけ誇らしかったものの、他人の髪を切るなどという経験はなかった為、ハサミを入れる度に緊張して手元が震えた物だった。それでも用意されていた梳き鋏もあってどうにか形にはなった。その後でベッドに押し倒した時は新鮮な魅力で、髪が長かった時の儚さというのは薄れ、しかし短くなった髪は落ち着いた雰囲気を醸し出し言いようのない色気があり、そのまま組み敷く形で交わった記憶は新しい。
新星攻略後。それをL4からプラントのあるL5に移送する任務は本国の部隊が担当しているため、特務隊であるユキは有給を使いL2へと赴いた。それに着いてくる形でシホも連れてこられたのだが、目的地がL2という連合の勢力圏という事で気の抜けない移動時間を過ごしていた。
ユキは気にするなというが、そんなわけにもいくまいと、シホは常にいつ襲われても対処できる様に警戒していた。そもそもユキはまだメディア露出が少ないが、シホ自身はプロバガンダを含めて連合にも顔が割れている。似合わないサングラスや、いつもは結わいている後ろ髪も解いているなど、出来得る限りのカモフラージュはしているが、それでバレないという保証もない。
にも関わらず、連合勢力圏のコロニーでユキは全くの無警戒で空港に入って行く。
「お待ちしておりました。アカリ大佐」
「うむ。出迎えご苦労」
ザフト式とは違う敬礼で男性に向き合うユキ。その男性が後ろに居たシホの姿を認める。
「お連れの方でしょうか?」
「ああ。私の副官だ。彼女も連れていく」
「畏まりました。ではこちらへ」
そう言ってユキから手荷物を受け取った男性の後をユキはついて行く。それを見てただの旅行でもないとシホは察する。そして一つ疑問に思うこともあった。
「ユキ。大佐って、どういうことなの?」
男性の言葉に聞き間違いがなければ、ユキは地球連合などで使われている階級で大佐という呼ばれ方をした。勿論ザフトでは扱わない表現の仕方にシホは怪訝な表情でユキに問うが。
「それは今にわかる。今は気にするな」
そうはぐらかされてしまった。
車に乗り、移動となる。プラント生まれのシホからすると、コロニーの風景はまた少し新鮮な気分を味わうには充分だった。
「天井にも街があるなんて落ち着かないわ」
「プラントの形は特殊だからな」
砂時計型の新しいスペースコロニー。その代わりに少々大型のそれはユキからして初めは新鮮に映った。そして密閉型コロニーで育ったユキからしても開放型コロニーというのはそこまでは馴染みは深くはない。それこそロンド・ベルの寄港コロニーであるロンデニオンくらいが馴染みがあるくらいである。
車で移動した先は迎賓館の様な場所だった。
入り口には銃を携えた軍服の様な服装に変わった冑を被る警備員がふたり控えていた。
ユキが近付いて行くと、綺麗な敬礼で出迎える。それに自然な形で返礼するユキ。そして入り口の扉が開かれる。
出迎えの男性に案内され、高級ホテルの様な部屋に通される。キングサイズのベッドが一つだけで大きな枕があり、天幕付きという一目で高そうな部屋だというのが見て取れる。
「荷物を置いて着換えたらすぐに出るから、少し待っててくれないか?」
「え、ええ。良いけど、ここは何なの?」
「それもこれからわかるさ」
そう言いながら服を脱いでキャリーケースから取り出したのは入り口を警備していた警備員と同じような意匠を持つ赤い服に身を包んでいく。
「それって」
そして肩の黒いマントは普段ユキが白服の上に着けているモノだったが、今着ている赤い軍服と合わせるほうが自然すぎて、おそらく元々はこの服の為にデザインされたものだという事がわかる。
腰のベルトのホルスターにサーベルを差し、立ち上がったユキの全容はそれこそ一国の要人の様な雰囲気を醸し出していた。
「待たせたな。行けるか?」
「あ、え、ええ。でも、私は?」
軍服など使うとも思っていなかったシホはパンツファッションの私服姿だ。ジャケットこそ羽織ってキッチリとした見た目だが、ユキと並んだ姿を浮かべると自分の方が場違いに感じてしまう。
「今日は客として連れて来たから気にしなくていいさ」
そういうユキが部屋を出ようとするタイミングを見計らったように部屋のドアがノックされる。
「大佐。閣下がお待ちであります。ご支度はお済でしょうか?」
「すぐに行く」
振り返って、シホを見るユキは一度柔らかく微笑んでから、そして気を引き締める顔になった。
「行くぞシホ」
「は、はい」
目的が何なのかシホには全く分からないが、必要ならば教えられるのだろうと、今は着いて行くしかないのだとわかり、ドアを開けて部屋を出るユキの背中を追いかけるしかなかった。
白い壁に覆われた廊下に敷かれているレッドカーペットの上をユキの後ろを歩くシホ。調度品一つとっても品がある。まるで別の世界に迷い込んでしまったかのように思う程、場の空気という物が違う事を察していた。
そしてすれ違う使用人や警備員の誰もが会釈ではなく敬礼するのだ。それがこの雰囲気を作っているのかと思う物の、そういう人の空気はそれが日常の当たり前という感じだった。
「今日ここに連れて来た経緯を簡単に説明するなら。シホに学んでもらう為でもある」
「私に?」
自分が敬礼されることが当たり前の様に、ユキは軽く敬礼しながら立ち止まらずに歩き、口を開いた。
「軍人とはどういう物か。戦士とはどういう物か。そして、私が何故プラントの為に戦えるのかを」
軍人に関しては自分もザフトの軍人だ。戦士という意味では畏れ多くもザフトのトップガンの末席に居る。しかし最後の何故ユキがプラントの為に戦うのか。それはプラントの自治権獲得の為ということはユキは常々口にしているが、それ以上の重みをその言葉から感じた。
一際大きな扉の前に立ち、止まったユキ。両脇に控える警備員が気鋭な動作で敬礼し、またユキもそれに返礼する。そしてドアが軋みながら開かれる。
その部屋の中に一歩立ち入ると普段とは何倍もの差のある声をユキは張り上げた。
「ユキ・アカリ、ただいま戻りました!」
服の擦れる音。靴の鳴る音が静かに響く。
「御苦労だったな、ユキよ」
「いえ。しかし先月にあたっては時間をお作り出来なかった不貞。改めまして慎んでお詫び申し上げます」
「よい。貴公の多忙さを思えば、今この場に五体満足で健勝の姿を見るだけで充分である」
「御寛大なる御言葉。このユキ・アカリ、有り難く頂戴致します」
「うむ。して、貴公の背に居る御子女は何者か?」
「ハッ! 我腹心の部下であります」
そう言ってユキは身体を横にずらし、そしてシホの姿が見えるようにする。
そしてシホもそうしてユキが話している人物の姿が見えるようになった。
ソファに座る初老の男性だが、その掘りの深い顔には老いを感じさせない精強さが滲み出ていた。
「紹介しよう。あそこにおわすはデラーズ・フリート総司令、エギーユ・デラーズ中将閣下だ。シホ、デラーズ閣下に御挨拶を」
1歩身を退き、そしてデラーズの視線がシホを向く。ただそれだけではあったはずだが、言い知れぬ重圧にシホは冷や汗が滲み出る感覚を味わった。
「若いな。だが見所はある」
「っ、シホ・ハーネンフースと申します!」
一瞬だけ緩んだ空気にシホは己の名を紡ぐ。
それもまた、デラーズの誘いだとわかった上でだ。
「一瞬の綻びを察知し、そこに己を擲つ…か。なるほど、パイロット気質だな」
今のやり取りだけでそこまでを見極められた。
只者ではないと身構えるが、それをユキが手で制し、再びシホの前に出ることでシホは重圧から解放された感覚を感じるのだった。
「ククク。ジオンの蒼き鷹も腰を据える時か。身を整えたのもその為か?」
「お恥ずかしながら。このユキ・アカリ、作戦は成功しましたが勝負に負け、そして新たに心を固めました。この姿はその覚悟の為」
まるでお伽噺か演劇を目の前で観ているような感覚だった。
住む世界が。纏う空気が違う。直ぐ目の前に居るはずのユキが途方もなく遠いとシホは思わずにはいられなかった。
「新星攻略。その手際の見事な事よ。連邦と我が星の屑を掛け合わせた三重の策。しかしそれを看破されたか」
「ブライト・ノア。一年戦争では木馬の艦長を勤め、此方でもペガサス級を用立て、私の策を看破した戦友であります。彼は手強い壁となるでしょう」
「なるほど。であれば、ソロモン攻めを看破しても天祐ではないな。しかしそれを糧に貴公は生まれ変わったのだ。ならば得るべき物も多かろう」
「はい。常勝不敗と持て囃され生じた我が慢心を戒め直す良い機会となりました」
「うむ。ならば気を引き締め、己の大義を成すが良い」
「ありがたき御言葉、頂戴致しました。つきましては閣下。此方のシホに閣下の御言葉をいただきたく存じます」
「ふむ。ならば暫く預かろう。貴公も英気を養うが良い」
「御配慮感謝致します」
深々と頭を下げ、敬礼を送り、踵を返したユキはシホと向かい合う。
「そういうことだ。シホ、失礼のないようにな」
「え、ええ」
「では閣下。失礼致します」
「うむ」
そのまま擦れ違い様に言葉を残し、開かれたドアの前で再度振り返り、敬礼を残して閉められるドアの向こうにユキの姿が消えた。
「シホ・ハーネンフースと言ったかな?」
「は、はい!」
デラーズに声を掛けられて慌てて振り向いたシホ。だがそこには同一人物とは思えない程に雰囲気が柔らかくなった好好爺然とした老人の姿があった。
「なに。そう身構えずとも良い。コーヒーは飲めるかね?」
「は、はい」
「うむ。では少し待つと良い。その間、荒唐無稽な老人の昔語りに付き合ってくれるかな?」
「昔語り、ですか?」
「
「私に、ですか?」
戦場で死んでも技術は続くように社員を育てている、そういう話は少し以前にした覚えのあるシホだったが、ここに来てその言葉が決して冗談ではないのだという空気を、デラーズの言葉から実感する。
なにより本人は無事健康に振る舞っているが、それでも先の戦いでロールアウトしたばかりの新型MSを損傷しているのだ。その前にはドラッツェもボロボロになって帰って来た。
常勝不敗。それでも傷つく時は傷つき、当たり所さえ悪ければ――。
「君もパイロットならばわかるだろうが、戦場とはそういう物だ。一騎当千の
「戦争…。戦場の栄光……ですか」
デラーズはそう呟くシホを見やる。うら若き乙女にしか見えない。それこそ街で友人と他愛のない話をしていることの方が良く似合うだろう。だがかつてのジオンがそうであったように、戦場という物は何れは未来を担う若人さえ巻き込み、戦場へと駆り立てるのだ。学徒動員などまで来れば最早それほどに追い詰められていることの証左でもある。それでも勝利を信じて戦うことが軍人としての務めではあるが。
能力社会のプラントにて、若人が戦場に立つのは珍しい事でもない。故に、その危うさという物も孕んでいるとデラーズは思っている。
「戦場は華々しい舞台でもない。己と敵の信ずる正義、掲げる大義がぶつかり合う。そこには老若男女の区別はない。戦場に立つからには兵士という一単位となる。だが時として、そうではない者もおる」
「戦場を駆けるエースパイロットですか?」
「それも然り。だが単純に人殺しを楽しむ。或いは相手の尊厳を蹂躙することを愉しむという唾棄すべき者も確かに存在する」
シホは息を呑む。それはユキの背中を追いかけてきた彼女からすればまだ実感は薄いことで、頭では分かっていても、無意識のうちに考えないようにしていた事柄だった。
「…この戦争。両者にあるのは人種差別に端を発する怨恨に根差しておる。それでは戦争ではなく最早ただの殺し合いに過ぎぬ。両者が互いを殺しつくすか、戦えなくなるまで血を流し疲弊した先で、膠着から休戦となれども終戦の道はないだろう」
「それに大義を持たせる為に、彼は戦っていると。そういう事ですか」
「うむ。そうする事でコーディネイターの意識改革をする気なのだろう。戦争で勝てても、ナチュラルとコーディネイターの確執が無くならなければ、戦争が終わった世でも負けた側に対する迫害はより厳しいものになるだろう。地球軍が勝てば、プラントは以前よりも厳しい管理下に置かれるだろう。プラントが勝てば、或いは地球連合政府の要人は次々とその首を晒すことになろう」
「そんな…っ」
「それが普通の戦争でも起こることだ。そして、この今の戦争はそれ以上に悲惨なものとなろう」
しかし考え始めればそう思えてしまうところが怖いのが今の世界の実情だった。ユキが常々、この戦争はプラントの自治権を獲得するための戦争だと言っている意味が、その真意が見えてくる。
「我々もそうだった。スペースノイドの自治権獲得の為に地球連邦と戦った。だが、結果は我々ジオンの敗北と終わり、スペースノイドに対する弾圧はより激しいものに変わりはしたが、相手を打倒こそすれ滅ぼそうなどという狂気はなかった」
少なくともアースノイドだと見下してはいた者も居た。スペースノイドを宇宙人だと毛嫌いするアースノイドもまた然り。そういう確執はどちらも同じだった。しかし生まれが違うだけの話というレベルでは、ナチュラルとコーディネイターも変わらない。
それでも互いにここまで憎しみ合う様に戦う原因がある。その流れを作るものが居る。
「故にこそ、この世界を裏から操る存在を討たねば世界はこのまま滅ぶだろう」
宇宙世紀ではアナハイムの様に、そして連邦の力を誇示する為に敢えて見逃されていたジオン残党。
そういった物の視点で見れるのがニュータイプ。物事の本質を視れるものだからこそ、自身にはない視点で世界を視れたのだろう。
「時が来ればわかるだろう。呑み込むにはこの世界は複雑に過ぎる。だが心して置け。これは世界と、人類すべてを敵に回す可能性もある茨の道であるという事を」
固唾を飲む。戦争に勝つだけで、ユキについて行けばそれでいいと思っていた。彼を支えてあげれば、護ってあげれば良いと思っていたシホは、話の大きさ。それこそ自分の上司の少年がそんな大きな物事の戦いをしているとは考えもしなかった。
一個人でそこまで大きな話を処理しきれるはずもない。それこそ遺伝子を操作してあらゆる能力を付与したコーディネイターであっても不可能だ。それこそ神の様な存在でもなければ。
「故に我らは同志を集めておるのだ。このL2のコロニーで」
「連合からも、プラントからも隠れて。そんな事が出来るのですか?」
「それこそ大義の為に耐え忍ぶは我らの得意とする所だ。3年待ち、7年待ち、13年、16年、40年も。待ちに待ち続けた同志も居るのだ。我らはその時まで待つ。己の牙を磨きつつな」
地響きが伝わり、MSの足音が聞こえてくる。そして聞こえる人々の声。
「覚悟が定まらんというのならばそれも良い。今はな。だが何れは答えを出さねばならぬ。足踏みしていてはアレには追いつけん」
ベランダに続く窓を開き、デラーズはシホを手招きした。
話のスケールに圧倒されながらデラーズの元へ行くと、シホの目に入ったのはMSの姿。
「リープザク……!」
「少し違うな。リファインドシリーズというMSだ。ジオンの同志たちが40年にも渡り磨き上げた剣。それを蘇らせたMSだ。フフフ、ユキめ。良い仕事をする」
「あなた方はいったい……」
赤いRFゲルググのコックピットの縁に掴まりながら立つユキのその姿に、足元に居る兵士たちは興奮に打ち震えていた。そして声高らかに叫んでいる。
ジーク・ジオン――。
「懐かしきものよ。そして誇りでもある。我らの様な前世を手に入れてしまった人間には。何の因果か、果ては神の悪戯か。我々は死してなお再び立つことを待ち続ける。このまま世界が、或いはナチュラルとコーディネイターが互いに滅ぼしあうというのならば、我々は決起する。放っておいても良いのだ。今更地球を守る。或いは同じスペースコロニーであるプラントを助ける。どちらも出来るがどちらをしても敵になるのは目に見えている。故にこそ我らは独自に力をつけなければならぬのだ。人類が滅びるというのならば、我々ジオンの理想を再び宇宙に掲げるまで。人類があってこそ人界よ。世界があるから人が居るのではない。人が居るから世界があるのだ。それをアレは儂に教えてくれた」
そういうデラーズが視線を向ける先には、コックピットの縁で片手で敬礼をするユキの姿があり、兵たちは更に湧き上がる。
「戦士として成長し、人として成長し、政治も出来る様になった。男子、三日会わざれば刮目して見よ。とは言うが、20年も経てば立派な指導者としての器も兼ね備えたか」
その顔はまるで故郷を離れていた息子か孫が立派に育ち帰って来た時の父か祖父の様な感慨深さのある表情に見えたことは気のせいではないとシホは思う。
「指導者って。いったいユキに何をさせるつもりなのですか?」
「アレはその器足り得る。我々が決起の暁には彼が我らを率い、そして世界を手に入れよう」
「武力で全てと戦う気なのですか!?」
「必要であればそうする。そうでなくともこの世界の闇を正義の剣によって断たねば人類は滅びるやもしれん。そうなったとき、最早連合もプラントも両者自身を止める術すら持たぬであろう。故に力のある第三の勢力が必要なのだ。我々然り、そしてオーブ然り。世界を二分にしない様にするためにもな」
デラーズの目は本気だった。その本気さは何から来るものなのか? それを今のシホには理解できなかった。
デラーズの視線に気づき、再び敬礼をし直すユキ。
それを受けて、デラーズもまた敬礼を返し言葉を贈る。
「ジークジオン――!」
ジオン。その名の意味を知るところから始めなければならない。
「そのジオン、という名は、なんなのですか?」
そのシホの言葉を受け、敬礼を解いたデラーズは向き直る。胸を鷲掴みにされたかのような重圧がシホに襲い掛かるが、それでも一度経験した重圧であるが故に少しだけ身持ちを柔らかく対応させられた。
「ジオン。それは始まりであり、我々の戦う理由であり、そして故郷でもある」
「故郷?」
「宇宙世紀。ジオンの名はその宇宙から始まった。増えすぎた人口で地球の資源は枯渇し、そして温暖化の問題も含めそれを解消する為に、人々は宇宙へと巣立った。とは聞こえの良い連邦の描く滑稽さよ。実際は棄民政策として地球から口減らしを行い、特権階級の人間だけが地球に残った。そして宇宙に上がった人々を支配した。それを変える為に立ち上がったのがジオンである」
そう語るデラーズの言葉は、歴史書と似ている、それこそプラントも同じく地球に支配されて、それに対して食糧生産制限の廃止と自治権の獲得を目指したものが始まりだった。
「だがこちらの宇宙ではそこにスペースノイドとアースノイド以上に溝の深い人種差別。傲りと嫉妬という人の負の想念が世界を狂わせておる。そして戦争に勝つために、それを煽る者たちの存在が更に戦火を拡大させる」
相次ぐテロと激化するコーディネイター差別。ただ自分たちの生きる為の権利を得たいが為だった。それを踏みにじったのは誰だ?
「こちらもあちらも、アースノイドは度し難いものだが。コーディネイターに非がないわけでもない。それこそプラントに住まうコーディネイターは自尊心を制御出来ず、自らの与えられた能力を自身の力であると誤認しておる。故に戦争は起こるべくして起こるは必然であった」
ナチュラルの嫉妬心とコーディネイターの傲りが必要以上に互いを憎みすぎてただの独立戦争ではなく種族根絶戦争になりかねない最悪な事態を避けるために備えるのだ。
連合でもプラントでもない第三者でなければこの戦争は止められない。それでもまだ希望と可能性を捨てずに立ち向かっている若人の為に今は雌伏の内であると、デラーズは自らを戒めていた。
「ブルーコスモス、プラントのザラ派。無辜の国民を隠れ蓑にした両者の殺し合いは関係のない者たちも巻き込み、何れは世界そのものを巻き込み果てるだろう。互いに相容れぬというのならば、己の領分で争えば良いだけの事。しかしその分を超えて世界を巻き込み戦争になり、その相容れぬという感情を押し付け洗脳する。それは悪質ではないかね?」
「………」
アナハイムに居るから自分は良い。それでも士官アカデミーではそういう教育が期を経る度に酷くなっていると聞く。
そしてプラントに住むコーディネイターの中でもその人酷さが顕著である所にも居ればこそ。ああはなりたくはないと嫌悪する。
「必要なのだよ。両者を物ともせずに立ち向かえる存在が。三竦みを作ることで世界のバランスを保つ。今アレがザフトで立ち回っておるのは連合の強大過ぎる武力を削り、その三竦みの関係を成立させるための布石よ」
「そんなことまで考えて……。なら、コロニーサイド共栄圏構想は」
「その三竦みの状況の後に、世界を維持するシステムだろう。その気になれば彼奴だけでもこの戦争は終わらせられる。それを出来る程の事を我々もしてきた」
「この戦争を終わらせるって。そんなこと」
今でさえ連合は戦力でザフトを上回っている。兵器の性能差で勝っている。それでも物量差は覆せていない。
戦争を終わらせるなどという状況にもならない。それこそ敵をすべて倒さなければ。
「アレは月を手にした。そこにマスドライバーを建設し、地球に向けて打ち込み対空防衛網を壊滅させ、コロニーか、或いは小惑星を地球にぶつければ直ぐにでも決着は着けられる。かつて我々ジオンの成した作戦と同じ道を辿り、そしてさらに必要な攻撃を加えれば地球を寒冷化し、人の住めぬ土地とすれば連合はスペースコロニーに頭を下げざる得なくなる」
「そんな………」
その様な、いくら何でもそのような作戦の許可が下りるものなのだろうか。
「ユニウスセブンを攻撃された怒りは治まらぬ民衆や過激派に言い寄れば良いだけだ。アレがそういったことを嫌う気質だったのが幸いだという事だ」
ただ理想に準じていた頃ならばそれで決着が着いていた。だが今のユキは何があっても地球に対してコロニー落としやマスドライバーでの攻撃などは決してしないだろう。その大規模破壊兵器考察論に一切巨大質量兵器や、その発想を生むだろう衛星ミサイルの開発研究も一切していないところを見ると、苦しい道のりであっても正攻法で勝つことを最優先としている
多くの物を抱え込んでいる。その小さな腕に抱えきれないものを抱えてなお戦う。
そのあり方が、とても尊くて、悲しいと、無意識に流れ落ちる涙に気づかずにシホは喝采を浴びるユキを見つめ続けた。
最初は自分よりも先にビームの小型化を実用させた人物だから興味が沸いた。
その才能を羨み、負けてばかりもいられずにいつか追いついてみせると意気込み。
その才能の底知れなさと遥か高みにある存在感に圧倒されて、その姿に憧れて。
…その弱さを知って。支えなければ、護ってあげなければと思って。
それでも計り知れないものを相手に戦っている悲しいそのあり方が尊く。
だから――。
「バカよ。…ホントに、あの子は」
そしてすべてを背負い込んで、彼はいったいどうするのだろうか?
世界を平和に出来たとして、なら彼の平和はどうなるのだろうか?
悪夢と恐れられ、鷹と憧憬と畏敬を集める彼は、いったいいつ、安らげるのだろうか。
「……私は、あの子に何をしてあげれば良いの」
こんな小娘ひとりが、世界を相手に戦っている彼に、いったい何が出来るというのか。
「できることは多い。それが例え小さなことであってもだ。塵も積もれば山となる。君も戦士ならばまずはアレに追いつくことを考えればよい。技術者ならばその技術を盗め。戦術を模し、その戦略眼を視よ。さすれば自ずと道は開けよう」
「彼に追いつき、追い越せというのですね?」
「生半可なものではない。彼奴は現実を見ながらも理想に殉じる姿勢を知るものだ。そして理想を追いかけるその姿は正しく彗星の如き輝きを放ち、鷹の如く
「それは…っ」
シホはそう締めくくったデラーズの言葉に息を呑んだ。それではまるで――。
「させません。私が命に代えても必ず彼を死なせはしません! 彼の副官だから、部下だから、友人だから、肌を合わせたからでもありません! 私はっ!!」
死なせない。死なせるものか。死なせてはならない。
「ならば精進せよ、シホ・ハーネンフースよ。その想いを成すために強くなることだ。力がなければ、成すべきことも成せん。それが戦場という物だ」
「心得ております。そして再び身に刻みました。貴方様と出会えました縁。無駄には致しません」
「うむ。その曇りなき眼で世界を見定めよ。さすれば真の敵も視えて来よう」
「ハッ!」
立ち上がり、ザフト形式ではあるが敬礼するシホに、デラーズもまたジオン形式での返礼を送る。
「ククク。しかし、歳は取ってみるものよ。アレは良い伴侶を見定めたようだ」
「はっ、伴侶って、そそ、そんな、ままま、まだ、そんな…あぅ……」
真面目な話の空気が一瞬で消し飛ぶほどの話題の切り替えに、そしてその内容に虚を突かれたシホは狼狽え、そして頬を染め上げて弁明しようとするものの、そこに好々爺の顔をしたデラーズ続ける。
「はっはっはっ! 初々しいな。しかしアレも罪作りな男よな。それでいて楽しみでもある。ああ見えて実際子供でな。ソロモンや茨の園では彼奴に癒されたり、勇気づけられたりしたものも多く、高嶺の花の様に大事にされておったのだよ。16、19にもなっても兵からすれば弟や息子、孫の様な年頃の少年は忍耐という過酷な状況にあって、皆の希望でもあった。アレにせめてでも良い暮らしをさせてやりたいと。ジオンの蒼き鷹として名を馳せた彼奴は連邦の支配する地球圏においてそのような生活が営める様な甘さはない。故にこそ大人は奮い立てるのだ。我が子の為ならばと耐えれるのだ。あの無垢な顔が笑顔である為に命を懸けられたのだ」
昔を懐かしむ様にデラーズは外に見えるMS達と兵士たちを見やる。RFシリーズとして蘇ったジオンのMS達。そしてそれを操るのはこの世界の若人たち。或いは大人たち。自分の様に前世は無くとも世界を憂い志を同じくする者達。その中でもザフトでも異彩を放ち、大佐の地位として赤い彗星を演じるその姿の求心力は確かに人誑しであり、ザフトとして月に一度来られるかどうかという頻度であっても将兵に慕われ好かれているのだ。お陰で組織を纏めるのにも苦労は少ない。
「…同じなのですね。今の彼も、子供たちの為と言いながら戦うときもあります」
そういう意味ではまだまだ自分は子供なのだろうとシホは思う。それは大人にならないとわからない感覚なのかもしれない一つの行動原なのだろう。
女誑しというより人誑しの才能がある。そして自分の姿を打算で計算しているからなお質が悪い。
それでも構わない。それで彼の理想が果たされるのならば。
「エギーユ・デラーズ司令。お願いがございます」
「うむ。申してみよ」
覚悟を固め、まっすぐと自信を貫く曇りのなき力強い瞳に、デラーズはかつての腹心の部下たちを思い出していた。
ひとりは言うまでもなく、まだその年若さながら理想に燃え突き進む向こう見ずさながらデラーズ・フリートを支えていたジオンの蒼き鷹ユキ・アカリ。
そしてもうひとりは穢れのなき水流の如く清らかで、そして青くとも武人の鑑であり鬼神の如き働きで星の屑を成したソロモンの悪夢アナベル・ガトー。
それらジオンの戦士たちと同じ気質を目の前の少女から感じられたデラーズは彼女の覚悟を受け取った。
to be continued…