第一話 迷い込んだ少年
宇宙世紀0096年――。
ラプラスの箱を巡る一連の戦いは終わろうとしていた。後の世でラプラス事変と呼ばれるだろう一連の戦いの終局。
ラプラスの箱の真相。
なるほど、確かにそれは、その時は、人の善意で刻まれたものだったのだろう。
ニュータイプが進化した人類かどうかはわからない。互いに分かり合える筈なのに、より一層互いを憎み合うこともするニュータイプが新しい人類ならば、人の中から争いがなくなることはないのだろうか?
でもそれは違うと思う。ニュータイプも人間だ。結局、ニュータイプだからと言って別の生命体になるわけじゃない。ニュータイプも人また人であるから、人と同じく争うし、分かり合えるのだと思う。
だが今、ラプラスの箱を消し去ろうと、コロニーレーザーがインダストリアル7を狙っていた。
「コロニーレーザーをガンダムで止める、か。石ころを押し返すよりはまだ現実的なのか。それでも無謀だよ」
そう呟きつつも、コロニーレーザーの射線上に愛機である量産型νガンダムを進める。
「若いなぁ。おれも歳かなぁ…」
もう3年も身を預けている相棒の力を疑う訳ではないが、サイコフレームがコックピット周りにしか使われていないこのガンダムではユニコーンの様な強力なサイコフィールドは張れないだろう。
「不安だったら、おれの後ろでフィールドを張っても良いんですよ?」
「抜かせヒヨッコ。サイコフレームもニュータイプ能力も、おれの方が先輩だ。後輩は大人しく後ろで踏ん張っていろ」
バンシィに乗るリディの生意気な軽口に軽口で返す。バンシィも右足を損失している為、ユニコーンの後ろでサイコフィールドを張らせるつもりだが、全身のフレームがサイコフレームで出来ているから当然量産型νガンダムよりも強いサイコフィールドを張れる。最低限パイロットの命は守ってくれるだろう。
「あの、ユキ大尉。やっぱりユニコーンが前に出ますから、ユキ大尉は下がって」
「言うなバナージ。おれもひとりの大人として、お前たち子供を守らなくちゃ、シャアやアムロにも顔向け出来ないんだよ」
「ユキ大尉……」
「そう悲しい声を出すなよ。年功序列だ。少しはカッコいい所を譲れって」
バナージにはわかっているんだろう。量産型νガンダムではコロニーレーザーの直撃を防げないと。おれも何となくだが、そう思っている。
だが、やらなければならない。子供が身体を張って未来への可能性を守ろうとしているのだから、大人として、子供を守るくらいはさせて欲しいものだ。
「思えば、随分長生きはしたな……」
今から17年も前、一年戦争が起こった。17年もの間、6度も大きな戦いに身を投じて生きてこれたのだから、十分生きてきた口だろう。
一年戦争の時は16歳。今33歳と考えると、十分おっさんなんだな。敗軍の兵だったせいで、10代は灰色の青春だったし、20代だってむさい軍属だったから灰色だったし。今も今で子守りの毎日だった。
だが、この人生に悔いはない。
「行け、フィン・ファンネル――!!」
ネェル・アーガマから射出された6基のフィン・ファンネルでIフィールドを形成する。ユニコーンのシールドのようにサイコフレームが使われていれば強力なサイコフィールドも張れたのだろうが、無いよりはマシだろう。
「あと60秒後にくるぞ! 気構えておけ!!」
「了解!」
「わかりました!」
二人の若者の良い返事を聞きながら、機体をユニコーンの前に位置させる。
「ユキ大尉!!」
「来るぞ! サイコフィールドを全力で展開しろ、他のことは考えるな!!」
意識をすべて、コロニーレーザーを防ぐことを――背中の子らを守ることだけを考える。
両腕を広げる量産型νガンダムを中心にサイコフィールドが展開する。ユニコーンの様な翠でも、バンシィのような黄金でもなく、それはかつて見た光だった。
虹色の輝きに包まれるガンダム。
かつてはそれを見ていることしか出来なかった。
「うぐっ、ああああ!! くぅぅぅっ」
コロニーレーザーが直撃し、サイコフィールドを通じて全身が焼き尽くされるような感覚が脳髄を苛む。
ガンダムの手足が吹き飛び、頭部も熔解した。コックピットを守るために、Iフィールドを形成するフィン・ファンネルの位置を変える。
だが申し訳程度にサイコフィールドを纏うのみのフィン・ファンネルも吹き飛ばされてしまう。
人の無意識――アクシズが地球に落ちようとした時は、多くの人々の意識を集めたから、あんな奇跡が起きたのだろう。
だが、今のνガンダムにはそこまでの力が、乗っている自身のニュータイプ能力は、アムロやシャアと言った強いニュータイプのそれには及ばない。
コックピットが火花を散らす。全天モニターがあちこち弾け飛び、ノーマルスーツに刺さっていく。ヘルメットのカバーが割れて頬を切る。
ヘルメットを脱ぎ捨て、ノーマルスーツの襟を開ける。随分と息苦しい。コックピットには血が舞っている。意識が朦朧とするが、今気を失ったら後ろのバナージとリディが危ない。
「気張ってみせろよ……、ユキ・アカリ! νガンダム! お前だってニュータイプで、ガンダムなんだろうが!!」
後ろの方から強い想いを感じた。心の底から沸き上がってくる暖かさ。
これが――人の持つ心の光りなのか。
「ダメだバナージ! お前は…、此処に居ろ!! お前にはまだやることがある。……おれが行く!!」
気づいたら発していた言葉。コックピットの中が金属の結晶で溢れ、νガンダムからさらに虹色の輝きが溢れていく。
「νガンダムは――伊達じゃない!!」
白い閃光の中、虹色の輝きに包まれていく白いガンダムの姿を見た。
あのとき、届かなかったものに届いた気がした。
「これが……、刻を見ということなのか」
◇◇◇◇◇
「うっ、……ここは…?」
目の前に広がるのは見知らぬ天井だった。だが鼻孔を突く医務室独特の香りというものは理解できる。
首だけを動かせば、点滴が腕に繋がっていた。いったいどれほど寝ていたのか。自分が生きているということは、コロニーレーザーの攻撃は阻止できたのか? バナージやリディは無事なのか?
「ぐ、うぐぅ……動けないか」
身体に相当のダメージを負ったのか。起き上がれずに身体がベッドに沈む。
一年戦争、デラーズ紛争、グリプス戦役、第一次ネオ・ジオン戦争、第二次ネオ・ジオン紛争、そしてラプラスの箱を巡り戦った今回の事件。
第一次ネオ・ジオン戦争以外の戦いでことある毎にベッドで目覚めを迎えている自分は、果たしてあの世や死神に嫌われているのだろうか。
一年戦争ではガンダムに敗れ。デラーズ紛争では連邦軍を突破する味方の支援の殿の為に愛機であるGP04もズタズタにされ運良くジオン系シンパのいる連邦艦に回収され。グリプス戦役ではティターンズの波状攻撃からアーガマを守るために。
それらの戦いで軽くはない傷を負って。第一次ネオ・ジオン戦争と第二次ネオ・ジオン紛争では悲しい別れに泣き疲れて。そして今回はコロニーレーザーを受け止めた為。こうして毎度大きな戦いを経る度にベッドで目覚めるのが一種のパターンになってしまっている。
そんな風にベッドと仲良くはなりたくはないし、それならばいっそ死なせてくれれば良いものを、結局は死に場所を逸して今日まで生き残ってしまった。
コロニーレーザーを受けても生きている辺り、もはや戦場では死ねないのではと思ってしまう。かといって、拳銃で頭を撃ち抜き自殺するのは嫌だときている我が儘な死生観。死ぬならば戦場で。そういう意味では自分は何処までいっても戦うしか能のない戦士でしかないのだろう。
シャアやハマーンの様に戦士をしながら政治を出来る程の器量があるわけでもない。
「……結局。連れていっては貰えないんだね」
シナンジュとの――フル・フロンタルとの最後の戦い。
暗黒の世界に引き摺り込まれたバナージを助けたのはララァだった。
そしてシャアとアムロとララァの魂は今度こそ刻の流れの果てに旅立ったのだろう。
「成すべき事を託す……か」
自分だって年齢的にはもう若者と言える訳じゃない。バナージやリディの様な子らこそが次代を背負っていく立場にあるだろう。
なのにあのバカ野郎は自分にまで声を掛けていった。
欲しいものはそんな言葉ではなかった。
共に往けず、その背をすら追い掛けることすら最早出来なくなってしまった。
だから女々しいと周りから言われるのだろう。初恋の失恋を引き摺って救いようのないバカだとハマーンからも言われた。
そんなハマーンにも恋にも似た信愛を抱いても、結局は互いに銃を向けあった。そこに後悔はないとしても、自身は誰かの背中を追い続けなければ生きていけない人間なのだという自覚がある。
赤い彗星に魅せられてから、自分はそんな性分になってしまって。
バナージを気にかけていたのも結局はシャアとアムロの真似事の様なものだ。
自分には人を導ける才覚などないのだから当たり前だ。それでもバナージの味方をしてユニコーンを追い続け、インダストリアル7から始まった事件の中で彼を見守ったのは自分への宿題の様なものだ。
カミーユを導いてやれなかったことへの償い。
それでも大きな悲しみをバナージには常々与えてしまっていたから、やはり自分には誰かを導いて大成させられる才覚はからっきしなのだろう。
「不毛だな。わかりきっているのに」
堂々巡りでどうしようもない思考を強引に打ち切り、視線を巡らせる。
辛うじて首は動いてくれるからナースコールでも探そうと思ったものの、そういった類の機械は無い。となれば様子を見に来た誰かに声を掛けるしかない。ちょうど気配も近づいている。暇潰しという意味では自分を見つめ直すことは無駄ではなかったようだ。
スライド式の自動ドアが稼動し、誰かが部屋に入ってきた。
「…おや。どうやらお目覚めの様だね」
「っ!?」
此方を気遣う声は優しいものだった。これで怪我人にそうでない相手ならば色々と覚悟しなければならなかったが、その言葉からすると相手は良識のある人間の様だ。
なにしろ自分はロンド・ベルであるから連邦軍に居られる様な側面も強く、アクシズ・ショックの事を黙る代わりにνガンダムだけは死守した様なものだ。連邦政府からの覚えも悪い。それほどにジオンの蒼き鷹の名は赤い彗星と同列の意味を持っている。
シャアの意志を継ぐものとして、あれほどニュータイプ神話を否定したい連邦政府の目の上のコブの自分が然るべき場所に運ばれたら、それこそ有無を言わせず頭を銃で撃ち抜かれても不思議ではないのだから。
その面。ブライト艦長には色々と気苦労を掛けてしまった。
落ち着いたらグラナダでも旨い酒を出すバーにでも誘ってあげようか。それにひと月程度ならロンド・ベルを預かれるから久し振りにミライさんたち家族との時間を作るのに尽力するのも悪くはない。
ネェル・アーガマやバナージたちの処遇。ミネバ様の件もある。個人的にはシャングリラかグラナダで匿うことも出来るが、いっそのことまた地球圏の事情が落ち着くまではアステロイドベルト辺りでまで退いて貰うことも検討しなければならないだろう。木星ならジュドーとルーも居るから、ミネバ様やバナージを預けても悪いようにはされないだろう。それほどにミネバ様は立派な方だ。その芯の強さは在りし日のドズル閣下を彷彿させる。ただ彼女も女の子なので嬉しくも複雑そうな顔をなされる事もある。願わくばもっと彼女に父の話をする機会があればと思った。
「自分が誰か、わかるかな?」
さて、現実を見よう。
「……ええ」
しかし返事が素っ気ないのは許してほしい。勝手に期待して自分に失望して自己嫌悪の最中なのだから。
「ユキ・アカリ……アカリ・ユキ。いったいどちらが君の名であるのかはわからないが、ユキと勝手に呼ばせてもらおう」
気遣い、優しげに語りかけてくる声。その声を聞き間違うことはない。驚くほど同じ声。しかしそれは望んだ相手ではなかった。
視界に映るのは求めていた金髪碧眼ではない。
男性にしては大分長めの黒い頭髪に切れ目の瞳に慈愛の色を浮かべて自分を見下ろす見知らぬ人物であった。しかしその身から自然と溢れるカリスマ性はシャアやハマーンにも劣らないだろうが、白衣を着ているのを見るに医師なのだろう。でなければ怪我人の自分の様子を見にくるわけもない。
「私の名はギルバート・デュランダル。しがない研究員さ。君にはひとつ衝撃的でいて信じ難い真実を話さなければならないのだが、気分が悪いのなら出直そうか?」
「…………いえ。お願いします」
この耳に聞心地のよい声で気遣われ続けていると調子が狂いそうだが、寝ていた間に世界情勢が変わっているなんて言うのはデラーズ紛争で経験させられた苦い記憶がある。故に今すぐに事情を把握する必要があった。
「君が居るこの世界。私が住む世界ではあるのだが。君の住んでいた世界とは異なる歴史を歩む世界であると、君は信じられるかね?」
「……どういう意味ですか?」
今一目の前のデュランダルと名乗る男のいうことが理解できなかった。言葉遊びをしているのにしては、その言葉は真剣さに満ちている。嘘か真実かを見極められる程度には人生経験を積んでいる自負はあるし、ニュータイプとしての勘も、目の前の男の言葉に嘘はないと思っている。
「コズミック・イラという年号に聞き覚えがあるかな?」
「いいえ」
「そうだろうな」
コズミック・イラ。その様な年号は聞いた覚えがない。宇宙世紀も100年を数えようとしているが、旧暦である西暦の内にその様な年号があったなど、少なくとも自身の記憶にはなかった。故に否定したが、デュランダルはその言葉をさも当たり前の回答であろうという様子だった。
「簡単にだが、コズミック・イラの歴史について学べる資料とネットワークに接続できる端末を用意しよう。その対価に、君の住んでいた世界の話。言うところの宇宙世紀という世界の話を聞かせては貰えないだろうか?」
「……貴方はこう言いたいわけですか? わたしはコズミック・イラという宇宙に迷い混んでしまった異邦人だと」
今時そんな突拍子もないSFは旧暦である西暦で使い倒されて失笑ものの体験をしている。此方を騙すのに嘘をついていないのならば大した役者か異常者だ。普通なら信じない。
「良いでしょう。救ってもらった恩義もありますからね」
「名前からしてアジアの日系人の様だが。彼等と同じ様に義を重んじてくれる人間性に安堵したよ」
真剣さが抜け、人の良い笑みを浮かべたデュランダルを、直ぐに素直には受け入れられないが、ニュータイプとして非現実的な体験には事欠かなかったのだ。自分が異世界――平行宇宙に紛れ込んでしまったという事自体は可能性として呑み込めている自分が居た。
「とはいえ私も何分忙しい身でね。申し訳ないが代わりに身の回りの世話をする人物を付けよう。少々寡黙だが根は素直な子だ。出来れば友人となってくれると嬉しく思う」
「相手が拒まなければ」
それで良いとデュランダルは頷き、一度部屋を出ると直ぐに戻ってきた。
そして紹介されたのはまだあどけなさがありありと見える少年だった。
薄い金髪の長髪に整った容姿は一見して美人系の美少女に見えるが、纏う雰囲気から少年と見破った。
「レイ・ザ・バレルと言います。ギルから貴方の世話を任されました」
「ユキ・アカリだ。ファーストとファミリーネームは名乗った通りだ。歳はいくつなんだ?」
「……8…ほど、かと…」
年齢を訊いてしまった事が盛大な地雷だったらしく、レイは顔を俯かせながら自信がない声で伝えてくれた。
「レイは両親が居なくてね。私の友人がレイと血縁関係があって施設から引き取ったのだが、正確な年齢がわからないのさ。一応書類上では10歳としているよ」
その様な事情があるとは知らず、説明してくれたデュランダルに目配せでフォローに感謝をしながらレイに謝る。
「すまなかった。知らなかったとはいえ不躾だった。赦して貰えるだろうか?」
「い、いえ、僕は……」
俯いてはいるが、嫌われてはいない様子に少しだけ安堵する。短い間だろうとも世話になる相手との良好な関係を築いておいて損はない。
「なら、赦しと友好を兼ねて握手をしてくれるかな?」
身体を動かす痛みは正直辛いものだが、心の傷に比べたら我慢出来るのだ。
ミイラ男の様にぐるぐる巻きになった右手をどうにか掛け布団から出したところでレイの両手が壊れ物を扱うかの様な柔らかさで右手を支えてくれた。
「あっ………」
「きみは…」
手が触れたレイとの交心。デュランダルからなにかを伝えられ、錠剤の入った容器を握り締めて涙を流す幼いレイ。レイとよく似た顔の男に頭を撫でられて笑顔を浮かべるレイ。ピアノを弾きながらも陰りが消えないレイ。
「なんだ………なにが……あなたは……」
「この力………」
ニュータイプ同士の交感現象。レイの心。自分が病気で、成人になるまで生きられるかどうかという身体。理不尽な世界への恨み、怒り、悲しみが流れ込んでくる。
それでも生きようと決めた意志。子供ながらに精一杯。
「強いな。君は」
「……それは。あなたもでは?」
「死ぬべき場所で死ねず。だらだらと惰性に生きてしまって。結局はなにも出来なかったおれは、君の様な強さはないよ」
生きたいから生きる。生きたくても、その時間がないと告げられてしまっても。なら死ぬその時間まで生きようと。
子供ながらに選んだ強さを、強いと想ったのだ。
「人を殺せる強さなんて、なんら強さにはならない。誇らしくもあり光栄でもあるが、仲間を守る為の強さでも、すべては守れない。おれの強さは人の本質にはなんら繋がらない」
「あなたは人の心に共感出来て、それを想い、涙を流せる人。それはあなたの強さではないのですか?」
だがそれは他人が居なければ意味がない。己本意の強さがない。そういう意味で、空虚な器でしかないのだろう。
「あなたであれば、少なくとも身の回りは守れる。ラウやギルを、守ってほしい」
「世界が違っても戦争か。……人種戦争はスペースノイドとアースノイドのそれよりも根深く、難しい」
不満が爆発した宇宙世紀の独立戦争のそれよりもさらに落とし所が果てしなく見えない戦争がこの世界で起きようとしている。
遺伝子操作で生まれたコーディネイターと呼ばれる人種。普通に生れ出るナチュラル。
レイの記憶からの断片的な情報でも、開戦すれば絶対的な勝利以外にはコーディネイターに生きる道はないのかもしれない。
「それでもあなたは、戦う方法を知っている」
「知っていて。例えそうであっても、個人で出来る事など高が知れている」
これが宇宙世紀であれば、シャアに及ばずとも使える名ではある自負はある。しかし、それでも個人で戦争をどうにか出来るわけはない。この名が意味を持たないこの宇宙では尚更だ。
「だが。それでも、出来ることをすることは出来る」
「……ユキ」
戦争はどうにもならない。だとしてもこの子の生きる場所を守ってやれることは出来る。
いつの間にか互いの心の中から戻っていた。
永遠の様で、一瞬の様な時間。
レイの脇にまだデュランダルが居るのだから然程時間は経っていないと思いたい。
「治る可能性はないのか? デュランダル。この子の命、生き足掻く命が何故こんなにも理不尽な
デュランダルは研究員だと名乗った。レイに薬を渡しているなら医療関係の研究員なのだろう。ならばレイの病についても救う為の努力をしていないわけがない。
「どういう意味かな? いや。そもそも何故それを」
「説明するとオカルト的な話になるが。手っ取り早く言えば、おれは他人の心がわかる。程度によっては記憶を見れる。普段は鋭い洞察力程度しか働かないがな」
ニュータイプの事を説明するのは面倒であるし、なにより自分もニュータイプの有り様のすべてを言葉で言い表せられる自信もない。
「この子の生きる世界を守っても、この子の進むべき道を歩める時間は少なすぎる。それで幸せと呼べるのか?」
これはエゴだ。それでも病が治って生きる道があるのならば、その道を歩ませてあげたいと思う事がいけないことだとは思わない。
「……この子のそれは先天的なものだ。薬で進行を抑えるのが限界だった」
「ギル…」
悔しく絞り出す様な言葉に、レイは振り向いた。
それは確かに治る余地がなかったものなのだろう。しかし、デュランダルはその言葉を過去形で区切った。
「だが、希望はある。いや、やって来たと言えるのだろう。荒唐無稽過ぎて、技術者として、このようなことが素直には受け入れられないが。それでも未来を作れる可能性を秘めている」
「荒唐無稽でも起こってしまえば事実として残る。その事実を受け入れるか否かも可能性だが。それを殺すのは悪質だろう」
でなければ、ニュータイプなどやっていられない。世間一般常識でニュータイプの力などオカルトの妄想だと言われてしまうだろう。しかし当事者にとっては事実なのだ。それでも連邦政府は自らの権益を守るためにアクシズ・ショックの真相を闇に葬った。
地球に住む人々に絶望しても無理はない。
「悪質か。可能性に賭けるといえば聞こえは良くとも、結果が悲惨では意味がない。ならば可能性は可能性としておくこともまた必要ではないかな?」
「その可能性で、目の前のこの命を救えるのなら、おれはその可能性に賭ける」
可能性を信じて、推し通したバナージを見たからだろう。そう思えるのは。
「君の身体。普通の人ではないその身体のメカニズムが解明できれば。或いはレイを治療する術になるやもしれん」
「ギル…!」
「どういうことだ?」
ニュータイプであるから、オールドタイプではないが、それでも不治の病を治療できるようななにか特別なものはないはずだ。
「君は普通ならば瀕死の重症だった。プラントの再生医療でも匙を投げる程の肉体の損傷を治療する未知の金属物質と再生能力。細胞単位で、いやおそらくはもっと深い部分さえにも及ぶかもしれない。君には実感はないだろうが、レイならば彼の存在がパンドラの箱の様なものであると、理解できるだろう」
「コーディネイターの出生率の回復が見込める。そういうことですか?」
「可能性の段階ではあるがね」
自分の身体に人の出生率を作用する様な物質はないとは思うのだが。
「現に君は、普通ならば動かせない程の傷でレイの手を握った。お世辞でもなく、君の身体はそれほどの傷を抱えていたが、それでも動かせるほどに回復している。君の身体は特殊なのだよ」
「そのデータ。今見せてもらえますか?」
自分の身体に未知の金属何て言う気持ちの悪い状況は放置したくない。そんな状況で横になってなどいられない。
「流石にそんなワケわかんない身体で寝ていられませんし」
「なにかと専門知識が多い情報だが」
「本職ではありませんが知識はあります」
「わかった。少し待っていてくれ」
そう言って、デュランダルは席を外した。
残されたのは自分とレイだけだ。繋がれた右手に僅かに力が込められていた。震えてもいる。喜んで良いのか、泣いても良いのか。感情がぐちゃぐちゃで渦巻いている。そんなレイの頭を撫でてやる。
「ユキ……?」
「可能性は可能性。それでも希望があれば人は生きていける」
部屋の景色が宇宙に変わっていく。
「希望は人それぞれだが。君の希望は、明日を生きるか」
「あなたの希望は、ないんですか?」
レイの問いに、直ぐには言い返せなかった。
「スペースノイドの自治権獲得を夢見て戦って」
静かだった宇宙に奔る閃光。焼かれていくソロモン。爆発するエルメスの光に呑み込まれる。
「結局は連邦に口実を与えて」
衝突するノイエ・ジールとガンダム試作三号機。テレビに映るバスクの演説。
「希望を見出だしても、奪われて」
暗がりにいる自分を引っ張りあげるクワトロの姿をしたシャア。そしてコックピットで感じたカミーユの気配の消失。
「わかりあえても、止めなければならなかった」
激しくビームサーベルを振るう白いキュベレイと、刃を交えるのは紺色のΖプラス。
互いにオーラを纏い、武器を使い果たして、最後はオーラの刃がキュベレイを切り裂いた。
「それでも、心の中では信じていた」
アクシズを押し返そうとするνガンダムに手を伸ばした。それでも届かなかった。虹の向こうに消えていく魂を抱いて、行ってしまった。
「だから託した。ニュータイプの希望を」
視界を駆け抜ける赤い閃光と見間違う様な機体。それを追う蒼いガンダム。
互いのビームサーベルが激突し、フィン・ファンネルが追い詰めるが、放たれたビームに撃ち落とされる。
コア・モジュールである機体がないのに動くサイコマシンを白き一角獣と黒き獅子が止める。
刻の果てを見ても、希望を見失わなかった強い意志が、亡霊を打ち倒し、ビームサーベルが赤い機体を貫いていた。
すべてを呑み込む光の中で、ようやく魂が重力から解放された。
「壮絶でいて、熱に満ちていて。悲しいものですね」
「それでも無駄だったとは思わない。だからこそ、また前に進める。明日を願って」
「明日……。明日を願って、良いのですか?」
「それが命あるものの特権さ。人に造られた命でもね」
思い浮かべたのはクローンニュータイプの少女たち。
救えた命。救いたかった命。救えなかった命。
それでも彼女たちだって明日を願って生きていた。
「僕も……生きていたいです」
「ああ。……おれもさ」
光が広がっていく。暖かい熱が、身体を満たしていく。
「人の心の光。宇宙の意志。生命の持つ暖かさ」
「この光が、たとえ宇宙を虚無が満たしても新しい命を生んで、次の生命に託されていく。人は、そんな世界への戸口に建っているだけだ。進むか否かは、その意思の自由だ」
◇◇◇◇◇
「人の意思か。その力が果たして、人の運命さえ変えられる程のものか……」
ユキ・アカリ。その遺伝子は盆百だ。秀出た才能もない。見るべきところも特にはない。
だがナチュラルでありながら我々コーディネイターとも違うなにかを、変化――或いは進化を果たした人間だとでもいうのか。
それが進化した人類。ニュータイプという存在か。
「まさかな――」
断片的ではあったが、彼がどういった人間であるかは理解できた。
そして彼は使い方を間違えば身を滅ぼす劇薬だ。
とはいえ、捨てるのも惜しい。なによりレイが嫌がるだろう。私もレイには嫌われたくはない。
「待たせてしまったね。……おや。レイは寝てしまったか」
「ええ。初対面の人間に緊張して、疲れてしまったのでしょう」
目尻から涙を流しながら、ベッドに上半身を伏せて穏やかに眠っているレイ。
そんなレイを我が子の様に慈しむ手つきで、頭を撫でているユキ・アカリ。
始めはレイとあまり変わらぬ年頃かと思っていたが、とんだ詐欺師である。或いは魔女か。
「これが君の身体データだ」
「どうも」
私からタブレット端末を受け取った彼は早速データに目を通しながら、しかしレイを撫でる手は止めなかった。
最初はぎこちない手つきで端末を動かしていたが、慣れればデータを読むスピードは早かった。
「……まさか、…いや……サイコフレームの……そんなこと……なら……」
独り言を漏らしながらデータを閲覧しては驚き、そして納得したのか一息吐き、端末を私に返そうと差し出してきた。
「ありがとうございます。お陰で眠れはしそうです」
「そうか。それと、その端末は君の自由にしてくれて構わない」
「では遠慮なく。それと、レイの話ですが」
「レイは私も我が子の様に思っていてね。可能性があるのならば、私も尽力するつもりだ」
「それがオカルトで解決出来そうだとしたら、あなたは怒りますか?」
オカルトと言いながら、彼の目には確信があった。いったい彼の何がレイの命を救えると確信させるのか。もしレイを救えるとするのならば、それは我々人類に対するある意味での神の如きワザか。或いは悪魔の契約か。
「自分の子の不治の命を救えるという可能性を提示されて、それに飛びつかない親がいるとは思えないな」
「悪魔との契約。だとしてもですか?」
「君は意地悪だな。でなければ悪趣味だよ」
「そんなつもりはありませんよ。ただ、用意して貰いたい物があります」
「金なら惜しむ程でもないが。君はそういったものを欲しているわけではないのはわかる。しかしなぜ、私にそれが用意出来ると思うのかな? その物がどういった物かはわからないが、私に用意出来ない代物であるとは考えない程でもないだろう」
そう言って、彼の一点の曇りのない、吸い込まれそうな宇宙の深淵の様な瞳を見つめる。
「別に考えていないわけでもありません。ただ、『確信がある』と、そうとしか言い様がないですね」
「面白い事を言う。しかしビジネスではナンセンスだな」
「私は命の売り買いをする訳じゃありませんから。ただ救うのに必要な道具を揃えて欲しいと、お願いするだけです」
どうやらレイをいたく気に入ってくれた様だ。視線を下に落とし、レイを変わらず撫で続けるその様は、見た目通りの年端もいかない子供と思う前に、先ず強烈に印象付けるだろう。
まるで母親の様だと――。
「君とは良い友人になりたいものだ」
「互いに語り合い。そして名を呼び会えば、それが嫌でないのなら、友になれるそうですよ。同じものを目指せれば、同志と」
「そうありたいものだ」
その眼差しが、レイから私に向いた時、息を呑んだ。
レイから視線を外した瞬間。その目は子供の顔でそこまでの表情が出来るのかと言うほどに鋭い、闘士に満ちた瞳だった。
「事態は一刻を争っている。MSの配備が始まっているのならば、開戦もまた時間の問題だ。故に今語るべき事を話そう」
「良いのかね? 私の用意した資料のみで、この世界を判断して」
それは些か人を信じすぎている。無警戒であることは必ずしも受け入れられるとは限らないのだ。
「それに私に話したところで一介の研究員でしかないのだから意味はないだろう」
「ただの一介の研究員であればそうだろう。が、しかしあなたはそうではない。政治をする人の目をしている。あとは匂い、とでも言っておこう。あなたに近い人間を知っていたからとも言える」
「それは是非とも会ってみたかったものだ」
「既に故人であるから叶わないが。先ずはMSの運用ノウハウと、我々の戦争を語るとしよう」
そして彼は語り始めた。この世界にとっての劇薬を。
それがこの世界の運命の別れ道だったのだろう。
to be continued…
性懲りもなく新しく書いてしまいました。ちょっと通院しながら書くので頻度はそこまでじゃないですが応援してくれるとうれしいです。