翌朝、一刀は主だった者を集めていた。珍しく
「という訳で香風、周倉ちゃん、おじさんのことよろしくお願いするね」
「……うん。シャンに任せて、お兄ちゃん」
今後の動きを郭嘉らと相談した一刀は、
「周倉も、油断なきようにな」
「わかってますって。わたしの健脚、ばっちり披露しちゃいますよ!」
今にも走り出しそうな勢いで、周倉は関羽に応えた。彼女の韋駄天ぶりは関羽さえも驚いたほどで、今回のような伝令役には打って付けの役回りである。
「俺たちも、別れを済ませたらすぐに出発することにする。街道沿いに南へ行くつもりだから、どこかで落ち合おう」
「うん、わかった。……それじゃあ、行ってくるね」
先行する三人を送り出し、一刀たちは埋葬地へと向かった。
墓穴に僅かに残った思い出の品などを入れてやり、各々最後の時を過ごす。
「おやっさん。どうか俺たちのこと、天から見守っていてほしい。戦うのが正しいのかまだわからないけど、精一杯頑張ってくるよ」
静かに眠る農夫から、返事があったわけではない。それでも一刀は報告したことで、少し心が軽くなったような気がしていた。
盛り土をすっかり見えなくなるまで被せ、用意しておいた合同の墓碑を立てる。涙ぐむ生き残りの少年の肩を抱き、全員で厳かに祈りを捧げた。
鳥の鳴く声に導かれて、一刀は空を見上げる。そこには晴れ渡った青空があり、まるで死者と生者、その両方の旅立ちを祝福しているかのようであった――。
村を出立した一行は、急ごしらえの
「こうやって進軍しているとさ、やっぱり緊張するもんだね」
「初陣なのですから、それは仕方のないことでしょう。あなたはあなたなのですから、変に気取る必要などありませんよ」
この纏まりの大将格ということで、一刀は乗馬させられている。側に侍る郭嘉は、前を見つめながらそう励ました。
「くふふ、お優しいことでー。ですが、稟ちゃんの言う通りですねー。なんなら、そこでお昼寝していても構わないのですよ?」
「そんな仲徳さんみたいな芸当、俺には無理だって。まあ、マイペースにやっていくしかないね」
程立が気遣ってくれていることは、一刀にもわかっている。深呼吸して手綱を握り直すと、少しは肩の力も抜けていった。
「まいぺー、とはなんでしょうか?」
「自分に合ったようにやるってことだよ、稟」
顎に手を当てて可愛らしく考え込んでいた郭嘉は、いきなり真名を呼ばれて驚いたように顔を上げる。一刀からすれば既に隠す必要もないように思えていたし、物事を進めるにはいい機会であるように感じていた。
「か、一刀殿ッ!? そ、そんな急に真名を呼ぶなんて……っ」
「ほうほう。一刀殿、ですか。へー」
飴の付いた棒を片手に、程立は心底楽しそうな笑みを浮かべる。二人の関係については薄々わかっていたことであるが、そのことをおくびにも出さないのが彼女である。
「な、なんですか、その目はっ!? ああ、もうっ! わたしにとって、一刀殿は一刀殿なんです! どうですか、これがまいぺーすというものなのでしょう!?」
発せられた大きな声に周囲にざわめきが起こるものの、それを気にしている余裕は郭嘉にはない。横腹を小突く程立の指を制しながら、彼女はそう高らかに宣言するのであった。
「――あれは、周倉が戻ってきたか」
ひと騒ぎしている一刀らとは離れた先陣。
関羽がさっと右手を上げると、関家軍は前進を止める。彼女は息を切らせる周倉を腕力に任せて引き上げると、その背につかまるように言い馬を走らせた。
「どうやら、周倉ちゃんが戻ってきたようですね。こちらも一旦休憩にしちゃいましょうか」
関家軍が停止する様子を見て、程立は一刀にそう進言する。それを受けて一刀が声を張り上げると、後続も同じように歩みを止めるのであった。
「北郷殿、先程帰還した周倉を連れて参りました」
「いやー、さすがに結構疲れましたよ! 早速、報告いたしますね」
ぴょんと関羽の馬から飛び降りると、周倉は汗で張り付いた黒髪を額から剥がすようにしている。そして息もつかぬまま、彼女はその目で確かめてきたことを説明していった。
それによると、賊軍はこの先十里ほどの地点で平野に野営しており、見積もったところその数はおよそ五百。あまり厳重に警戒をしている様子ではないので、徐晃たちはそのまま留まって監視を続行しているとのことである。
「なるほど。それならば、こちらに充分勝機があるといえるでしょう。襲撃を成功させたことで、賊は浮かれているのかもしれませんね」
周倉の話が終わったところで、郭嘉はそう言い切った。素人の寄せ集めであるゆえに砦などに籠もられていては厄介だと考えていたが、これならば個人の武勇も存分に発揮することができる。
「一刀さん、この後はどうされますか? 速度を早めれば、今日中にも接敵することは可能とは思いますが」
「そうだな……。みんなも疲れているだろうし、明日早い内に一気に進んだほうがいいんじゃないか。稟はどう思う?」
一刀は暑さや緊張による疲労を考慮してそう提案した。まだ皆の前で一刀に真名を呼ばれることに慣れない郭嘉は、赤面を隠すように眼鏡の位置を指で直している。
「こほん……。ええ、わたしもそれでいいと思います。士気が高いとはいえ、こちらは素人の集団といっていいものです。遭遇してから日が傾いては行動も難しくなりますから、大休止にしましょう」
「全く嬢ちゃんをこんな風にしちまうなんて、兄ちゃんは罪な男だねえ。……あうっ!?」
すかさずいじりを加えた宝譿の胴を、郭嘉は中指でぴんと弾く。程立は落下寸前の宝譿を慌てて両手で保護し、いそいそと元へ戻した。
「ならば、わたしも先陣へ戻ってそのように伝えましょう。それでは」
あくまで冷静な関羽は、颯爽と
翌日、まだ暗さの残る間に移動を開始した一刀たちは無事徐晃らを回収し、戦闘の準備を整えていた。
「雲長さん、鈴々。聞いての通りだけど、先鋒をよろしく頼む。俺たちも、援護が必要そうになったら動くから」
いざ戦となると、彼女たちの存在は圧倒的に頼もしい。とにかく関家軍による初撃で敵の体勢を崩せるかどうかが、今回の戦の肝である。
「はい、お任せください。必ずや、賊軍の正面に風穴を開けてみせましょう」
「お兄ちゃん。鈴々も頑張るから、しっかり見ていてほしいのだ!」
二人は力強く頷き、突撃の準備のため先陣へ帰っていった。
「……それで、シャンたちはどこかに隠れてればいいの?」
「そうですねー。香風ちゃんにはともかく、賊の頭目を斬るか捕らえてもらいたいのですよ。ですから機を窺いつつ、頃合いを見てやっちゃってください」
関家軍の突撃に続くのは、徐晃による奇襲である。その人員には、腕に覚えのある村の男が十人ほど当てられた。
普段とは違って鋭さのある目つきでそれを了承すると、徐晃は目星を付けておいた進路へ向かって部隊を引き連れて行く。いよいよ、戦の火蓋が切って落とされる。一刀はそれぞれが生きて帰ってきてくれることを信じながら、刀の鞘をぎゅっと握りしめた。
「――みなよく聞けい! 無残に殺された人々の悲しみを、この戦いにて僅かにでも
出陣を待つ関家軍を前に、青龍偃月刀を掲げた関羽が馬上で口角を飛ばしている。彼女に心酔している関家軍は、その熱の込もった檄を受けて激しく闘志を燃やす。この戦いには賊討伐以上の意味がある。関羽はそう考えていた。
「姉者と鈴々についてくれば、絶対勝てるよ! 突撃! 粉砕! 勝利なのだー!」
鯨波の雄叫びを上げながら、関羽と張飛の後ろを関家軍はひた走る。特に周倉の速度は騎乗する関羽に張り付くほどで、人間離れしたものがあった。
「お、おい! ありゃあ敵だぞ!」
自分たちのほうへ向かって突進してくる集団を発見し、賊の一人が血相を変えて他の者に知らせにいく。
関家軍はその間も勢いを増し、一個の塊となって陣営の北面を突いた。
「いっくぞー!」
戦闘を始めた関羽らを横目に、周倉もそれに加わっていく。
彼女の手にした槍は、他のものと比べると随分と短い。それは以前関羽の攻撃を防いだ際に切断されてしまったことによるのだが、周倉はそれを未だ大切に使用していた。
「はあああっ! せいっ!」
「鈴々の蛇矛、受けてみろなのだー!」
青龍偃月刀と丈八蛇矛が振るわれる度、賊の命は一瞬で狩られていく。奇襲に近い状態で仕掛けたとはいえ、関家軍は倍以上の敵をどんどん押し込んでいった。
士気の差を表すかのように関家軍の兵が天幕を切り裂き、武器を手にしようとする賊を次々に討ち取っていく。
「攻め手を緩めるな。力を合わせ、確実に敵を討ち取ればよい」
最も戦闘の激しい場所で武器を振るっていても、関羽の指示は的確に飛ぶ。賊軍からすれば彼女は死神そのものであり、その恐怖は死体が増えるほどに広がっていった。
「愛紗すっごく張り切ってるけど、鈴々も負けないよ」
前方から振り下ろされる剣をあっさりと受け止め、張飛は蛇矛を横に払いその柄で賊の頭蓋を割る。張飛は荒々しくも自在に蛇矛を操り、敵を打ち倒していった。
「――みんな、ほんとにすごいよ。仲徳さん、俺たちは動かなくていいの?」
キリのように敵陣に穴を開けていく関羽たちの働きの凄まじさに、後方に控えている一刀は感嘆を上げる。
「こちらはなにか問題があった場合の保険であって、無闇に動くことには賛成できませんねー。風たちを守りながらお兄さんが戦えるというのなら、それもいいのかもしれませんが」
程立の返答は極めて冷静で、一刀の熱くなった心を平静に戻す役割を果たしている。思い直した一刀は正面を向き、再び鞘に手をやりながら戦況を見守ることに徹した。
「一刀殿、そろそろ香風も動き始めたようです」
郭嘉が指差す雑木林からは、背を低くして野営地に接近する一団がある。戦場を観察していた徐晃は、賊の動きからその指揮官を発見したようであった。
「行くよ。……シャンにしっかり着いてきて」
戦闘開始からまだ四刻(約一時間)ほどであるが、早くも賊軍は王手をかけられている。関家軍の猛攻を手当するだけで精一杯な指揮官は、横手からの急襲に気づく余裕などありはしなかった。
「こいつら、いつの間にこんなところまで!?」
そう叫んだ賊の胸に、恨みのこもった刃が突き立てられる。口をあんぐりと開いたまま倒れ込む賊の影から飛び出し、徐晃は愛用の大斧ではなく両手を空けるために携行していた剣を抜き放つ。
「……どいて。邪魔するなら、斬るよ」
徐晃は正確に急所へと刃を走らせ、数人瞬時に切り捨ててしまう。その後は辺りの敵にも目もくれず、真っ直ぐ標的目指して走り出す。味方が護衛を抑えてくれている少しの時間で、彼女は勝負をつけるつもりであった。
「ガキが! なめるんじゃねえ!」
指揮官がいくら懸命に剣を振るおうとも、それが徐晃の身体を捉えることはついになかった。彼女は隙きをついて指揮官の
「シャンたちの仕事はこれでお終い。……退くよ」
あっけにとられる賊軍を尻目に、悠々と徐晃は退却していく。彼女に付き従ってきた男たちは、その手際のそつのなさに感服するばかりであった。
徐晃によって統率者を失った賊軍は、さらなる混乱を引き起こしながら一人、また一人と地に伏せていった。この辺りが潮時だと感じた程立は、本陣を前進させながら一刀に停戦の進言を行う。
「お兄さん、もうそろそろよろしいのでは?」
その声に、一刀は耳を貸さなかった。鞘を握る手に、はっきりと血管が浮いている。それが程立には、一刀が怒りを堪えているように思えていた。
前線では、報復を代弁するかのように関家軍による苛烈な攻撃が続いている。
「お兄さん」
「むぐっ……!? あ、甘い」
程立が今まで自分が舐めていたばかりの飴を、一刀の口へ無理やりに突っ込んでいる。普通この時代では考えられないくらいの甘さが舌を通して伝わり、一刀の復讐に染まりかけていた心が和らいでいくようでもあった。
なにかムッとしたような視線を郭嘉と楽進から感じている一刀であるが、現状考えるべきことは他にある。
(そういえば、これって間接キスになっちゃうよな……。って、そんな場合じゃない!)
飴を咥えたまま首を振り、一刀は思い直したように戦場を見つめる。逃げ惑う賊軍らは容赦なく叩き斬られ、その血を撒き散らすばかりである。
これ以上事が進めば、最早これは虐殺。それは例え、いくら憎い相手であっても望むべきことではなかった。
「どうですか? 甘いものを摂ると、気持ちが落ち着くのですよ」
「ごめん、ありがとう。俺、雲長さんのところへちょっと行ってくるから!」
そう言うと、一刀は断りも入れずに先陣へと疾駆する。
――穏やかそうに見えて、意外と激しい部分もある。お兄さんのそんなところに、稟ちゃんも惚れてしまったのでしょうか。
そう思いつつ、程立は一刀から受け取った飴を見つめる。そうしてほのかに背徳の味が追加されたそれを、彼女は再び旨そうに舐め始めた。
「凪、そっちは鈴々の方へ頼む」
「はいっ!」
いきなり陣を飛んで出た一刀であったが、楽進は遅れず追従している。全てを聞かずとも、楽進には今どんな行動をするべきかが理解できていた。二人は左右に別れて先陣へ向かい、関羽と張飛の元へ駆ける。
「――雲長さん! この戦い、ここまでにしよう」
一刀の声に気づいた関羽は、得物をひと払いすると素早く下馬した。気が昂ぶっているためか、その顔は上気して赤らんでいる。
「本当に、よろしいのですね?」
「俺たちが獣になってはいけない。それじゃあ、きっと意味がないんだ」
関羽にそう語りながら、一刀は襲い来る賊の剣を避けた。その刺突は、修練中に見た楽進の打撃に比べれば鈍く感じる程度である。流れのままに腕を取ってそのまま投げ飛ばすと、近くにいた関家軍の兵に取り押さえておくように一刀は頼む。
「剣士たる者、抜かざる勇気も持て。そう、爺ちゃんにも教えられたからね」
実のところ、関羽は停戦の指示のない場合、徹底的に殲滅する覚悟を持って戦場に立っていた。禍根を断ち、村の衆の無念を晴らす。そのためには、それが最善の手ではある。
しかし、それは彼女にとって仕えるべき人物に求めているものではなく、その時は一刀との決別もやむ無しと考えていた。
「北郷殿……。ええ、その通りですね。周倉はいるか!」
「はいっ! なんでございましょうか!」
関羽は側で戦っていた周倉を呼ぶと、関家軍を停戦させるよう命を下す。そして賊軍に目を向けると、気迫の込もった
「賊徒ども、よく聞け。貴様らの頭目は我らの手に落ち、既に大勢は決している。武器を捨てれば命は取らぬゆえ、大人しく降伏せよ」
関羽の降伏勧告を受けて、最後まで粘っていた賊たちがついに武器を地に落とす。討ち取られた者の他に、指揮官が絡め取られてから逃散していった者も多く、残ったのは五十ほどでしかなかった。
残党の捕縛を済ませた一刀たちが本陣へと帰ると、そこには徐晃によって縛り上げられた指揮官の姿がある。
その頭を覆うのは黄色い布。陰りゆく世の中に、嵐の吹く時が刻一刻と迫っていた。