「お待ちしておりました。一刀殿、この者が賊を束ねていた頭目です」
周囲を見渡せるような丘陵地に置かれている本陣。そこへ戻った一刀が視線を向けると、男は後ろ手に縛られた腕をもがくように動かし抵抗の意思を見せていた。今にも一刀に食らいつきそうなその身体を、徐晃が大斧の柄で抑えつけている。
「おめえら、いったい俺になんの用があるってんだ……。くそっ……!」
見下ろすように男の前に立ち、青年は刀の柄を叩いてかちゃりと鳴らす。すぐ手の届く範囲に憎き仇がいると思うと、抑え込んだはずの怒りが再び湧いて出てしまいそうになった。
「用か、それなら大有だな。お前達、少し前に村を襲っただろう。覚えてるか」
「村だあ? ああ、あそこはなかなかの蓄えがあって、いい収穫になったもんだぜ」
そこまで話して頭目は、一刀の放つ怒りの視線の意味に気がついたようだ。そして嘲るように低く笑い、獰猛に表情を歪ませていく。
「ははあ、なるほどなあ。お前、あの村の住人か。こんなことになるんなら、もっと根こそぎ殺しておくんだったなあ」
「こいつ、この期に及んで……っ!」
頭目のいけしゃあしゃあとした言葉に、さすがに我慢ができず楽進は怒りをあらわにする。楽進にとってもあの村落は大切な地であったし、それは一刀の内心を代弁しているようでもあった。
「文謙殿、ここは堪えられよ。北郷殿も辛いだろうが、気持ちを押し殺しておられるのだから……」
関羽は楽進の肩に手を添え、首を横に振っている。この頭目の処遇をどうするかは代表格の一刀が決めるべきことだろうと思っているし、いまはその判断を見守ろうとしているのだ。
「なんであんなことをした、とは聞く意味がないんだろうな。でも、俺たちはただ平穏に暮らしていたいだけだった」
「日陰もんには日陰もんの暮らしってのがあるんだよ。たまたまその標的にあの村は選ばれた、それだけだっての」
頭目は村を襲撃したことについて、なんら罪悪感をもっていない。ただ稼ぎのため、ただ明日を生きていくため、殺しを含めてそういうことだと簡単に言ってのける。
確かにその言い分はある意味では正しく、筋が通ってもいるのであろう。しかしそれでは、ここに集った誰の憤りも収まるはずがない。
「……わかった、なら少し話題を変えようか」
「ちっ……、なんだよ」
冷静に話しかける一刀の声色は、抜き身の刀身を思わせるものであった。ひんやりとした切っ先を首筋に当てられたような気分になった頭目は、苦い顔で唇を噛んでいる。
「あんたたち、その黄色い布にはなにか意味があるんだろう? 狙いは、国の転覆か」
国の転覆、と一刀が口にしたことで、郭嘉たちも表情をかたくしてしまう。ただし驚いたのは頭目も同じだったようで、その様子から問が見当はずれではなかったことを一刀は確信した。
「まさか、そのようなことが……」
「お兄さんの言ったことが現実になれば、これはおおごとになりそうですねえ」
眠たげな目をしているが、程昱の頭脳はぐるぐると目まぐるしく思考しはじめている。大規模な反乱となれば備えも早急に整える必要もでてくるし、なにより一刀が世に飛躍するための切欠にできる可能性も大きい。
ほんわかとした雰囲気の裏には、そのような現実的な打算も隠されているのだった。
「知らねえ、俺はなにも知っちゃいねえ。てめえとの話しはここまでだ」
できれば
「北郷殿、いま仰っしゃったことは本当なのですか」
関羽は深刻そうに眉間に皺を刻み、頭目を睨んだままの一刀に問いかける。
正義感の強い少女だけに、心がそわそわして仕方がないというのがよく顔に表れていた。
「俺の知っている歴史の流れ、天の知識と言えば分かりやすいか」
「それって、お兄ちゃんが鈴々たちの字を当てたあれだよね!」
かつての事を思い出している張飛に、「そうだよ」と相槌を打ち一刀は続けていった。
「俺の覚えている限りでは、この時代に大きな反乱が起きるんだ。そこで話に出てくるのが黄色い布を目印にした集団、黄巾党だ」
「なるほど。それで北郷殿は、この者らがその黄巾……とかいうものに関係していると」
腑に落ちた様子で、関羽はそう応えた。
そのやり取りをじっと見ていた男は、気味の悪いものを見るような目で一刀を見ている。
「なんなんだ、お前……。どこぞの預言者って奴、なのか……?」
男のそんな質問を受けて、一刀は村を発ってから思案してきたことを明らかにするのは今だと感じていた。
ずっと遠ざけていた「天の御遣い」という称号。それを、自ら宣言することで復活させようというのである。
人々の力を集め、戦っていくにはただの北郷一刀では現状物足りないであろう。だがそこに、神秘性をもった称号を加えてやれば全く違ったものとなる。
「預言者なんかじゃない。俺は、天の御遣いだ」
一刀が進んでそう名乗る姿を、楽進は口を真一文字にして見つめていた。その名を持ち出したことによる決断の重さが、彼女にはわかってしまうのである。
「今回のケリは、俺自身の手でつけなくちゃならないと思っている。あれだけのことをしたんだ、ここであんたを斬らなければ、誰の納得も得られないだろう」
頭目の横手に回り込み、一刀は得物の柄に手をやって鯉口を切る。その様子を少女たちだけでなく、村の者たちや関家軍までもが注視していた。
こうなることをなんとなく予想していたのか、頭目は目を伏せてついに神妙な態度をとっている。
「せめて上手く斬ってやれればいいが、期待はしてくれるなよ」
人を斬るために刃を抜くのは、一刀にとってこの世界に来た日以来のことであり、緊張のためその手の中には汗が滲んでいる。ある意味、これは岐路だと一刀は思った。毅然とした態度を保ったまま、この悪党を斬り伏せることができるのか。それができるかどうかで、これから自分の行く道は変わってくるのだろう、と直感してもいる。
意を決して鞘から抜き放つと、三尺強(約70cm)の刀身に日光が反射してきらきらと光って見えた。その輝きはポリエステル製の上着と合わせて、まさに一刀が天の御遣いであることを示しているようでもある。
「わかりました、北郷殿。この関雲長、あなたのお覚悟をしかと見届けましょう」
そう言った関羽に頷いて返すと、一刀は武器に目を落とす。
戦うことを皆に誓った瞬間から覚悟をしてきたつもりであったが、いざ無抵抗の人間を殺すとなるとどうしても躊躇が生まれてしまう。
(どんな経緯のある刀かは知らない。だけどお前は今、俺と共にあるんだ。だから、少し力を貸してくれ)
祈るように瞑目して刀に思いを込め、一刀は得物を頭上高くにかかげた。
そして周囲の人々が息を呑んで見守る中、天の御遣いはかっと眼を開く。
瞬時に腕へと力を込めると、刃は
ぴゅっという風切り音と共に、刃は吸い込まれるように首筋を捉えていく。いとも容易く肉を切ったかと思うと、ごりっとした感触を一刀の手の中に残しながら骨をも断つ。
頭目は「ぐえっ」という潰れた声を出すと同時に意識が途絶え、力の抜けた胴体は糸の切れた人形のように崩れ落ちていったのだ。
「お兄ちゃん、へーき?」
徐晃ののんびりとした口調には悲哀が見え隠れしており、一刀の胸の痛みを認識しているようでもある。優しい男だと知っているだけに、その一撃には感化されるところがあった。
「大丈夫ですよ、香風ちゃん。こう見えて、お兄さんは強いお人です。そうでなくては、ここまでたどり着くことすらできなかったでしょうから」
程昱の視線の先には、胴から離れた男の首がごろりと転がっている。村人たちの掲げた仇討ちという目的は達成されたが、程昱からすればこれは始まりなのであった。
ともあれ仇の首魁が討ち取られたことで村衆からは歓声と嗚咽、そして事を成し遂げた一刀に対する称賛の声が大きく広がっている。
「賊の頭目は、いまここに天の御遣いが討ち果たした! みんな、勝どきをあげろ!」
心をひとつにするのならばいましかない。そう確信をしている天の御遣いは、刀を握った腕を振り上げながらそう宣言した。
「北郷さん、よくやってくれた! 俺たちゃこれから、なにがあろうとあんたについていくからよ!」
「お頭ほどじゃないが、なかなか気骨のある大将だ。気に入ったぜ!」
村人と関家軍の男たちが一緒になって拳を天に突き上げ、
その熱気は凄まじく、これからの新たな未来を大いに照らしてくれることであろう。
(これでもう、後戻りは出来ないな)
自らを呼ぶ声に誘われ、武者震いとはこういうことなのかと天の御遣いは実感していた。
一刀にとって二度目となった殺しの味は、苦く胸の中に刻まれている。それはある意味、まだすんでのところで踏みとどまれている証拠ともいえよう。
そんな血刀をぶら下げて熱に浮かされたようにしている一刀に対し、意を決したように関羽が布を差し出している。
「気迫が伝わってくるような一撃、お見事でした。よろしければ、こちらをお使いください、ご主人様」
「ご主人様? 雲長さん、その呼び方は……」
短い言葉ではあったが、その中には関羽なりの多様な思いが折り重なっていた。
今ここにいるのは、かつて一刀のことを「御遣い様」と呼んだ少女ではない。当時とは違って男が天の御遣いを自称しようとも、関羽が仕えたいと本心から思えるのは北郷一刀という一人の人間であった。
手を伸ばしたまま関羽と視線を交わしている一刀は、彼女の確固たる意志をひしひしと感じている。一刀が布を手にしてそれを受け入れたことを表すと、関羽はおもむろに口を開いた。
「いまよりは、愛紗とお呼びください。どうか我が真名、ご主人様に受け取っていただきたい」
この人に、真名を呼んでもらいたい。関羽の心が、そのことを強く求めている。
「そっか……。ああ、受け取った。愛紗、これからも頼りにさせてもらう」
血を拭った刀を鞘に納めながら一刀が真名を呼んだことを皮切りに、関羽は拳を包み込んで恭しく
「雲長さんに遅れを取ってしまいましたが、この程仲徳の真名もお兄さんにお預けしたいと思うのですよ。宝譿共々、風のすべてをお兄さんに捧げるつもりです」
「今日は、風にもよく助けられたね。こんな俺でよければ、側で支えてくれれば嬉しい限りだ」
普段とは違い真面目な態度でもって事に臨んでいる程立は、関羽と同様に拱手をして一刀に深々と頭を下げている。それは外から見れば、紛れもなく臣下の礼をとっているようであった。
程立の意図に気付いた郭嘉もそれに倣うと、楽進と徐晃、それに張飛も加わって一刀の前方を囲む。
「なんだ、みんなして。俺は別に、家臣がほしいわけじゃないんだ。ただ、同じ道を行く仲間になってくれればそれでいい」
「志を為すためには、分別すべきところはしっかりとするべきだ、と風は思うのですよ。お兄さんさえよろしければ、風もご主人様とお呼びしたいくらいなのですがー?」
一刀の言わんとすることは、程立にもわかっている。しかし、この場で北郷一刀こそがこの集まりの筆頭であることをはっきりさせておかねば、後々になって
なので、現状最も兵力を有している関羽が率先して忠誠を誓ってくれたことは、程立としても喜ばしいことだったのである。
「なるほどな、そういう考え方もあるか……。でも、風にご主人様って呼ばれるのは、ちょっとむず痒いかも」
程立の提案をやんわりと断りながら、一刀は少女たちに楽にするように言う。例え正反対のことでも、よいと思ったことならば素直に受け入れる柔軟さがこの人にはあった。
それは程立らを信頼している証でもあり、建前上は主従ということにしておいて、後は自身の裁量次第でやっていけばいいという考えを持っているからでもある。
「一刀殿。いえ、これからは一刀さまの方がよろしいのでしょうか。……凪はどう思います?」
「そうですね……。この部隊の長となられるわけですから、隊長というのはどうでしょう。自分は、そうお呼びするつもりです」
いかにも真面目な二人らしいやり取りであり、一刀は微笑ましくそれを見ている。
「……お兄ちゃんは、お兄ちゃん?」
人差し指を下唇に付けて徐晃が首を横にかしげると、肩先まである若紫色の髪がふわりと揺れる。その愛らしさに引き寄せられて、一刀はくしゃっと彼女の頭を撫でた。
「香風がこれからもそう呼んでくれるのなら、俺は嬉しく思うよ。立場がどう変わろうと、気なんて使ってくれなくていい。上に立ったせいで仲がぎくしゃくするなんて、そんなのは御免だ」
一刀がそう言うと、徐晃は赤みを差した頬を隠すように「うん」と短く頷く。その様子を指をくわえるようにして見つめていた張飛であったが、一刀が手招きするとぱっと笑顔を咲かせて駆け寄った。
「ねえねえ、お兄ちゃん。それ、してほしい。鈴々も、徐晃みたいになでなでされたい、かも……」
「いいよ、もっとこっちにおいで。今日の勝利は、みんなのおかげだ」
恥ずかしそうに見上げる張飛の願いを、一刀は存分に叶えてやる。
さらっとした線の細い髪を指でかき分けられると、張飛は心地よさそうに表情を崩していった。
「なるほど、お兄さんは香風ちゃんや翼徳ちゃんくらいの年頃の子がお好みですかー」
「ご、ご主人様っ!?」
義妹のことでもあり、関羽は上擦った声で今しがた主君と認めたばかり男を目線で非難する。このあたり、いくら関雲長といえども平静でいられない部分もあった。
「雲長殿も観念されたほうがよろしいですよ? この御方は、女性とあらば目がないのですから。ですよね、凪?」
便乗するように、郭嘉は棘のある物言いをする。郭嘉に追従してしきりに頷く楽進はいたく真剣そうで、そちらの意味でもこれからのことを思案しているようであった。
「あっ、一刀さん!」
楽進が叫ぶ。逃げ場をなくした一刀は、がむしゃらに丘を駆け下りていった。
「一年ちょっと前は単なる学生だったのに、今じゃ関雲長たちを従える天の御遣いか」
走りながら、一刀は胸に湧き立つ思いを独白している。
これ以上ないくらいの数奇な運命であるが、やってやろうという気持ちも大きい。
「これからだ、本当の闘いは。なにを為せるかは、きっと俺しだいだ。だから負けるなよ、俺」
口を開きつつある乱世に飛び込んでいく覚悟は決まった。それでも何もかもが、まだまだ始まったばかりである。