※この作品はR-18です。

北郷当代記   作:KKS

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十五

 ――こんこんこん。

 公孫賛の執務室の扉を、なにかが三度叩いたようだ。なんだろうと思った彼女が椅子から立ち上がろうとした時、外からようやく男の声がする。

 

「白蓮、入ってもいいかな?」

 

 おそらく先ほどの扉の音は声の主によるものなのであろうが、公孫賛にはそれになんの意味があるのかがわからない。

 それに呼び寄せたのは自分であるだけに、さっさと入ってくれればいいのにと少女は無頓着に思った。

 公孫賛がどうぞ、と返事をすると、少し苦笑いを浮かべながら北郷一刀がその姿を見せる。

 

「なあなあ、さっき扉を叩いたのってなにか意味があるのか?」

 

「ああ、あれはね」

 

 閉まった扉を見ると、現代にいた時の癖でどうしてもノックをして確認してしまう。そのようなことを聞いて、赤毛の少女は改めて青年が天の御遣いであることを認識するのであった。

 

「――まっ、楽にしてくれよ。茶も用意させてあるからさ」

 

 公孫賛の言葉に従って、一刀は執務用の机を挟んで対面するように置かれた椅子に腰掛ける。

 彼女は気のいいお姉さんといった感じであり、青年もそのスタンスに合わせていた。

 

「それでさ、北郷は今回のことをどう思う? 烏丸と黄巾のやつら、どこかで繋がっているんじゃないかとわたしには思えるんだが。あいつら、いつも以上に粘り強くってかなわないよ」

 

 一刀らに倣い、北平城を襲った集団のことを公孫賛のほうでも黄巾軍と呼称している。ことが彼女の懸念通りであれば、幽州の情勢はより厄介な方向に進んでしまうであろう。

 

「実際に戦ってきた白蓮がそう感じたのなら、連携を考えて警戒したほうがいいだろうね。他の州ではどうなっているんだ?」

 

「聞いた限りだと、奴ら洛陽あたりにも出没しているみたいだな。黄巾軍を恐れた朝廷が、涼州から董なんとかって将を呼び寄せたって話しだ」

 

 各地で時を同じくして大規模な蜂起をみせた黄巾軍の牙は、漢の首都まで迫ろうとしていた。都が賊軍に侵されることなど許さないと躍起になった朝廷は、涼州で頭角を顕しつつある董卓をその守護に招いている。

 涼州から召喚された将があの董卓だということを察し、一刀の表情がいくばくか険しいものとなった。その名は三國志を知る者なら誰もが戦乱の発端として思い浮かべるものであり、これからの行く末に確実に影響を与える存在となろう。

 

(董卓か。そもそも男か女かすら知らないけど、ここの世界ではどんな人物なんだろう)

 

 暴虐の嵐をもたらす奸雄か、それとも豪胆であり強かでもある英雄か。しばし一刀の意識は、董卓の人となりを想像することに向かっていた。

 

「おーい、聞いてるのかー? 無視する奴にはこうだぞー?」

 

 身を乗り出した公孫賛は、手を伸ばしたかと思うと青年の片頬をつねる。

 驚いた一刀がきょとんとした目をしていると、彼女はかわいらしくぷっと吹き出した。

 

「なんだよ、北郷もこんな顔できるんだな。これは桃香にも教えてやらないと」

 

 おかしそうに笑う公孫賛の自然な表情に、一刀は少しどきりとしてしまう。肩口から腕にかけて大胆に肌をのぞかせる衣装も、いまはより魅力的に映っていた。

 この世界で出会う女性は本当に美人が多く、油断をすればすぐに惹き寄せられてしまいそうになる。その中で彼女のように主張の激しすぎないタイプはむしろ貴重であり、一刀は思わず櫛通りの良さそうな髪に手を伸ばしてしまいそうになった。

 

「――白蓮殿、茶をお持ちいたしましたぞ……と、おや? これはこれは、この趙子龍としたことが来る時期を読み違えましたかな」

 

 あらぬ方向に進みかけたその場へと、ふたりの闖入者があらわれる。接近している公孫賛と一刀の姿を見るや、茶杯を乗せた盆を手に持った趙雲がこれは面白そうだとばかりにニヤついた笑みを浮かべた。

 

「いい雰囲気に水ではなく、お湯をさしてしまいましたねー。それにしても、ご主君さまの手の早さには風もお手上げなのですよお」

 

 茶瓶をくるくると回しながら、程昱は口元を手で隠して笑っている。手の早いのは同時にそれだけ懐に飛び込めているということでもあり、彼天性の性質だと少女は思っていた。

 それぞれの主君をからかいながらも、ふたりは手際よく持ってきた茶を杯にそそいでいく。すると独特のよい香りが杯から立ち上っていき、直接飲まずとも場を和やかにしてくれるようであった。

 

「ま、まあせっかくだし飲んでくれよ! というかわたしは星に茶を頼んだ覚えはないぞ!?」

 

 赤面しながら身体を引っ込めた公孫賛は、動揺を悟られまいとして一刀に茶をすすめる。

 実際彼女が給仕を任せたのは侍女なのだが、ふと通りかかった趙雲がその役目をやや強引に引き受けてしまったのだ。

 そのようなことを程昱が説明すると、こういったことがよくあるのか公孫賛はげんなりとした表情で飲みごろになった茶をひとくち啜る。

 

「うん、美味しいよ。俺の国のものとは風味が違うけど、淹れた人が上手なんだろうな」

 

「くふふー。ご主君さま、もっと風のことを褒めてくださってもよろしいのですよー?」

 

「おっ? ならばこの趙子龍のことも、存分にお褒めになっても構いませぬぞ。なに、わたしはその程度で籠絡されたりはいたしませぬゆえ心配めされるな。ほれほれ」

 

 まさに旧知の間柄ならではのコンビネーションといったやつであり、ふたりは至極楽しそうである。

 これはどうツッコんでやればいいのだろうかと一刀が逡巡していると、机に突っ伏していた公孫賛がついに爆発した。

 

「お前らいい加減にしやがれー! これ以上ぐだぐだ言うなら、力づくでも追い出してやる!」

 

 気炎を上げた公孫賛は、いまにも飛びかからんとする勢いである。これには一刀もなだめようとして席を立ったが、この流れすらも心得ているのか趙雲は変わらず飄々としていた。

 

「おお怖い怖い。風、このままでは白蓮殿に無礼討ちにされてしまうぞ?」

 

「それは困ってしまうのですよお。ならば星ちゃん、ここは逃げるが勝ちというやつでしょうか」

 

 ころころと笑うふたりは、会談の場を荒らすだけ荒らして一瞬の間に去ってしまう。

 自分に対してはともかく公孫賛にもあのような態度をとってしまうのはどうなのかと一刀は思うが、これも彼女なりの主従のあり方なのだろうと納得する。

 普段いまのようにふらふらとしているようでも戦場では卓越した槍さばきを見せるのだから、やはり趙雲は侮れない存在であった。

 それだけに公孫賛もある程度の振る舞いは大目に見て、かの勇将を手元に置いているのである。

 

「あいつらまったくなんだってんだよー。参軍があれだと、北郷も苦労してそうだなあ」

 

「そうはいってもみんなあっての俺だからね。それに風にだっていじらしいところはたくさんあるし、すごくかわいいんだよ?」

 

 軽い冗談をのろけ話で返されるとは思ってもみなかったらしく、公孫賛はつい頭を抱えたくなってしまった。

 確かに少女らあっての北郷一刀ではあるが、その逆もまた然りであるといえよう。

 

「はあ……、もういいよ……。それでさ、北郷」

 

 会話を仕切り直すような公孫賛に、一刀はそういえばまだ本題を聞いていないことを思い出す。要件が緊急でないことくらいは少女の様子から読み取れるが、一刀には呼び出された理由がここまでピンときていなかった。

 

「明日の昼前からでいいから少し付き合えよ。一緒に街を見て回ってほしいんだ」

 

「ふたりして街へ行くの? まさかデートのお誘いではないだろうけど」

 

 青年の口から出た「デート」という単語の意味がわからず、公孫賛は首をかしげる。そういえば少女たちとまともにデートのひとつもしてあげられていないなと一刀はぼんやりと考えるが、赤毛の少女がそのことを言っているはずはないだろうとも思う。

 

「いや、別に変な意味じゃないからな!? ただ、民たちを慰撫してやろうと思ってだな……」

 

「ああ、そういうことか。それなら喜んで付き合うよ」

 

 公孫賛からはっきりとした目的を聞いて、一刀はようやく得心がいった。襲撃を受けて北平の民衆もなにかしら不安を抱いているであろうし、力になれることがあれば協力したい。

 すぐに快諾した一刀に今度は屈託のない笑顔で返すと、公孫賛は残った茶を一息に飲み干すのであった。

 

 

 

 

 

 

 ――翌日。空はよく晴れており、出かけるにはうってつけの気候である。

 待ち合わせ場所に先に到着していた一刀は服に汚れがついていないか確認し、髪に乱れがないか手で触って確かめていた。別段個人的な用で遊びに行くというわけではないが、多少意識してしまうのは無理もないことであろう。

 

「よっ、北郷。待たせたか?」

 

 そこに発案者である公孫賛が現れた。少女は普段どおりの格好をしているが、香で匂い付けをしてきたのかふと良い香りが一刀の鼻孔を抜ける。

 

「全然。それじゃ行こうか」

 

「おう。よろしく頼むぞ、天の御遣いさま」

 

 先行して歩きだした公孫賛に歩調を合わせ、一刀もすぐ隣でついていく。北平の街も現在は落ち着きを取り戻し、住民たちは平穏な日常を送っていた。

 

「こりゃあ御遣いさま! よろしければうちの店によっていってくださいな!」

 

 この地を治める公孫賛に負けぬほど、黄巾軍を撃退した天の御遣いの名声は高まっている。民たちは一刀の特徴的な装いを見つけるとこぞって声をかけ、感謝を述べる者も多かった。

 

「天の御遣いが人気になっているとは聞いていたけど、ここまでとはなあ。これじゃあわたしの影が薄くなってしまいそうだよ……」

 

「おいおい白蓮、慰撫に行こうっていった張本人がそんな風になってたらどうしようもないぞ。ほら、笑って笑って」

 

 公孫賛と一刀が並び歩いている様子は、民たちに大きな安堵感を与えている。青年にそう促されると、少女は笑顔を作り周囲によく見えるように高く手をふった。

 

「その調子で頑張ろう。みんな白蓮の元気な姿を見れば、きっと安心してくれるさ」

 

「おう! わたしだって北郷に負けないからな!」

 

 妙な対抗心を燃やした公孫賛は、それからしばらく張り切って民たちに声をかけて回った。普段からこういった接し方をしているためか、時には叱咤や激励の言葉をかける者すらいたほどである。

 それらの意見に耳を傾け真剣な表情で受け止めている少女を、一刀は尊敬の混じった眼差しで見つめていた。

 

「――なあ北郷、腹は空いてないか? 少し休憩しよう」

 

「ん、そうだね。そろそろいい時間か」

 

 言われてみれば、虫が鳴き出しそうな程度には腹が空いてしまっている。それではどうしようかとあたりの店を一刀が見回していると、ちょうど点心が蒸し上がったのか店主が蒸籠のフタを開けて確認をしているところと遭遇した。

 釣られるように覗き込んだふたりと目があい、店主のオヤジはニンマリと笑う。そして日頃のお礼にと肉餡の詰まった点心を包み、公孫賛に手渡したのであった。

 

「いやいやタダはだめだって。ここはわたしが払うから、北郷ちょっと持っててくれよ」

 

「オッケー、よっと……。それにしても、みんな元気そうでよかったな」

 

 生真面目に対価を払う少女に笑いかけながら、一刀は先までの光景を思い出した。手にした包からはうまそうな匂いが漂っており、それに反応してにじみ出た唾液を青年はごくりと飲み込んでいる。

 

「こうして近くに天からやってきた人間がいるんだ。そいつが自分たちを守ってくれたとなれば、おかしな方向に行くやつも少なくなるさ」

 

 そう言いつつも一刀から受け取った点心をひとくち齧り、公孫賛は幸せそうに頬を緩めていた。こうした当たり前のことを守るために戦っているのが、彼女という人である。

 

「あー、そのことなんだけどさ。ちょっと白蓮に相談しておきたいことがあって」

 

「ん? なんだよ?」

 

 実は北平を黄巾軍から守ってからこれまで、北郷軍として共に戦いたいという者がちらほら出てきていた。そのこと自体は一刀にとって誠にありがたい話ではあるのだが、まさか領主に無断で民を徴発などできようはずもない。

 これは郭嘉や程昱からも早急に折り合いをつけるべきだと念を押されていることでもあり、話の流れに乗って一刀は切り出したのである。

 

「うーん、そうかあ。まあそうなるのもおかしくはないよなあ」

 

「だめならしっかり話をつけて帰ってもらうから、そこは心配しないでくれていい。ただでさえ食料だったりを工面してもらっている分際だし」

 

 これにはさすがの公孫賛も悩んでいる様子であるが、こればかりは断られても仕方のない相談だとは一刀も思っていた。参軍たちからはなんとか話を通してほしいとは言われているが、簡単な問題ではない。

 そうして湯気の落ち着いた点心を咀嚼しながら、青年は回答を待っている。公孫賛は瞑目し、眉間に指を当てながら投げかけられたことについて思案していた。

 色々と問題があるようにも感じるが、一刀には恩もあるわけであり支援してやりたいという気持がある。

 話している限りでは国の転覆など狙っているようには思えないから、あとは自身の裁量にかかっていると公孫賛は思った。

 

「…………わかったよ。でも、あんまり無茶苦茶にはしてくれるなよ?」

 

「えっ、ほんとにいいの……?」

 

「ああ、後になって反故にしたりはしないから安心してくれ。黄巾軍に回られるならともかく、北郷のところなら要はわたしの味方だろ? それなら願いを叶えてやったほうが、反発も少ないだろうしさ」

 

 少々渋面を作りながらも、公孫賛は複雑な気持ちを点心と一緒に丸呑みしていく。一刀からすればありがたいの一言に尽きるのだが、厚遇してもらうからには働きで返さねばならない。

 

「恩に着るよ、白蓮。ありがとう」

 

「いいって。ほら、これ食ったらもうひと回りするぞ!」

 

 少女に急かされながら、一刀は残りの点心を頬張った。腹が満たされると、自然につぎの行動をするためのやる気が湧いて出てくるものである。

 

「よしっ、今度はあっちの方に行ってみるか。ほら、白蓮」

 

 無意識に一刀は少女の柔らかな手を掴み、そのままずかずかと歩きだした。急なことであり公孫賛は驚いたが、こうして先導されるのも悪くないと思ってしまっている。

 

「まったく、仕方のない奴だな……」

 

 なんとなく劉備が青年のことを慕う理由がわかってきたような反面、いま浮ついているわけにはいかないという自戒の思いも公孫賛のなかに浮かんでいた。

 ただそんな微妙な気持ちを知ることもなく、しばらく一刀は少女の手を握ったままでいたのである。

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