敵軍出現の報告から数日後。公孫賛軍と共に城から出陣した北郷軍は、北平からさらに東へ行った平地に陣を構えていた。数里離れた位置に陣取っている烏丸・黄巾連合と対面する形であり、どちらかが部隊を出せばすぐさま戦闘になることはいうまでもない。
そこで本陣に将を集めた一刀は、迫る開戦を前にして軍議を行っていた。
「先陣は愛紗殿と香風にお願いします。白蓮殿にうかがった限りでは大した敵将ではないとはいえ、なにぶん大軍ですからくれぐれも注意してください」
戦場の空気が合っているのだろうか、郭嘉は少し頬を赤らめながら流れるように言葉を発していく。その脳裏にはすでに開戦からの動きが描かれており、あとはそれを実行に移すだけであった。
「敵将というと、確か張純という者だったな。よもや土地の豪族までが、この乱に参加してしまうとは……」
張純というのは幽州に根を張る豪族のひとりで、以前より漢王朝への不満が募っていたことにより黄巾軍として参戦している。公孫賛はかの者の実力を知っているので大した脅威と捉えてはいないのだが、民衆だけではなく諸豪族までもが乱に乗じて各地を荒らしているのは重大なことであった。
「ねえねえ稟! それで、鈴々はどうすればいいのだ?」
頭の上まで手を上げながら、張飛は自身の動き方を郭嘉に問う。今回の戦で北郷軍は、募兵に応じて参加した者と、公孫賛から貸与された兵とを合わせて都合三千の軍勢となっている。そのため、これまで関羽の副将として戦ってきた張飛にも一軍が与えられることとなっていたのであった。
「鈴々の部隊には、なるべく自由に動き回ってもらおうと考えています。ですから、攻め時と感じたときにはそちらの判断で行動してもらっても構いません」
張飛の部隊は三百と少数であるが、それは取り回しのよさを考慮してのものである。郭嘉も程昱も、行動を縛ってしまっては張飛の良い部分は発揮されないと考えていた。
なので人数を絞る代わりに遊撃軍としての役割を与え、その武勇を存分に戦場で奮ってもらおうというのである。
「うん、わかったのだ。鈴々、愛紗よりすっごい戦果あげちゃうもんねー!」
総身にやる気をみなぎらせている張飛に対し、義姉である関羽は心配でたまらないといった表情を浮かべていた。
ただでさえ突撃癖がある性格をしているのに、兵の指揮を預けても問題がないのだろうか。不安げになる少女の肩に、一刀はぽんと手を置いて言う。
「妹のことを信じてあげるのも、お姉さんの大事な役割だと思うな。それに鈴々の嗅覚は、俺もアテにしているよ」
「ご主人様がそうまでおっしゃるのでしたら……。鈴々、油断なく励むのだぞ」
「もー、姉者は心配しすぎなのだあ。愛紗が苦戦してると思ったらちゃんと助けてあげるから、安心していいよ!」
そのように胸を張って宣言する張飛の頭を、隣でやり取りを眺めていた徐晃が「えらいえらい」と褒めるように撫でる。あまりに微笑ましいその光景に、一瞬戦場であることを忘れて皆の緊張が解けた。
劉備は相変わらずニコニコとしているが、気づけば関羽の顔を下から覗き込んで話しかけている。
「あんまり口には出さないけど、鈴々ちゃんも愛紗ちゃんのこと大切に思ってるんだね。姉妹の絆って感じがして、いいなあ」
「と、桃香殿……!? あまり茶化さないでください……」
「なの! 照れてる愛紗さんとってもかわいいの! 隊長さんが側に置きたくなる気持もわかっちゃうかも……」
于禁までもがその輪に加わり、軍議の方向が大きく逸れていってしまう。このままではいつまで経っても先に進めないと判断した楽進は、全員に聞こえるようにわざとらしく咳払いをした。
苦笑しながら一刀は、こういう場合にありがたい存在だと楽進のことを思う。持ちつ持たれつの関係であり、その信頼には篤いものがあった。
「それでは隊長、我らにはどのようなお役目を。隊長をお守りすることはもちろんですが、どのようなことでもお申し付けください」
「ああ、それなら凪の部隊には俺の本隊に同伴してもらおうと考えてる。全体の援護に回ろうと思えば、少しでも人数は多いほうがいい」
「はっ、承知いたしました。しっかりとお支えいたしましょう」
楽進は一刀からそう命じられると恭しく拱手し、横目で朋友らのことを見つめる。他の隊に回されることも多い二人だけに、どうすればよいのか尋ねておく必要があった。
「指図する兵の数も以前より増えていることですし、沙和ちゃんには香風ちゃんのところへ回ってもらおうかとー。なかなかの教官ぶりだということですし、指揮を執っていただくにはおあつらえ向きではないでしょうか」
程昱から指名された于禁は、半信半疑といった様子である。ただ実際、声を張り上げながら于禁が新兵を鼓舞する姿は近頃よく見られる光景であった。
一刀も少女にそのような才能があるとは思わなかったようであり、そのかわいらしい見た目とのギャップがより効果を発揮しているようである。青年から天の国の鬼教官がしばしば使うとされるワードを授けられたことにより、さらに教導に磨きがかかっているというのがもっぱらの噂であった。
「風、ほんじゃウチは凪んとこで戦ったらええんかいな?」
「そうですねー。真桜ちゃんは今回凪ちゃんの方でお願いするのですよー」
二人の所属場所が決まったことにより、北郷軍の陣容は固まった。あとは総大将格である公孫賛が、どのタイミングで戦端を開くかである。
「もうじき白蓮も攻撃を始めるだろうし、みんなそれぞれの隊で出撃の準備を整えておいてくれ。なにかあったら、また伝令を送って知らせる」
一刀がそのように軍議を締めくくると、部隊を任された将らは足早に去っていった。
賑やかだった時が終わると、開戦前独特の緊張感が再び本陣を支配する。青年は気合を入れ直すかのように、瞑目しつつ大きくゆっくりと深呼吸をするのであった。
陽光に照らされる大地を、公孫賛率いる騎馬兵が踏みしめながら駆けている。彼女の連れてきた一万五千の兵うち、二千ほどが騎兵であった。
その中でも、取り分け精強である者を「白馬義従」と呼ぶ。彼らは公孫賛と同じく白馬に跨がり、各々が武勇に長ける存在である。対する黄巾烏丸連合が三万を越える軍勢であろうと、白馬義従に誰一人として恐れを抱く者はいなかった。
「いくぞ。烏丸の騎兵はわたしたちで相手をする。こっちには天の御遣いだって付いているんだ、この戦は勝てるぞ!」
公孫賛が一刀のことを引き合いに出しながら配下を叱咤すると、鯨波のように応答が広がっていく。
すでに目視できる距離にまで烏丸騎兵も接近してきており、あちらも劣らぬ速度で平原を疾走している。
「――始まったか。風、稟、俺たちも出よう」
馬上で戦況を見つめていた一刀が参軍の両人に声をかけ、出陣の合図を送った。
本陣にある十文字の大旗印が旗持ちによって大きく左右に振られると、北郷軍の兵が次々に陣を飛び出していく。軍の両翼を担う関羽と徐晃の兵数はそれぞれ千となっており、先頭だって進む少女らのあとに隊伍を組んで続いていったのであった。
「進め! 前方に見える黄巾どもをまずは蹴散らす。よいか、ひとりで多数の相手をしようとは思うな。力を合わせ敵を打ち倒すのだ!」
関羽の激励が飛ぶと、関家軍の兵は武器を構えて敵軍に切り込みをかける。ここまでの大軍と戦うのは関羽にとっても初めてのことであり、その顔は興奮からか紅潮気味であった。
いくら黄巾軍がまともな訓練を受けていない民衆の集まりだといえども、包囲されてしまっては不利は否めない状況となってしまう。少しでも味方の損害を減らすためには、各将の采配が重要なのである。
「……沙和。シャンが突撃して敵の気を引くから、その間に何人か連れて横手に回って」
「はいなの! 野郎ども、沙和に遅れずついてくるの! ちんたらしてたら、その股にぶらさがってる情けないモノを去勢してやる、なの!」
徐晃が提案した策を了承し、于禁は百人ほど選抜して隊を離れていく。少女の罵声混じりの声に背筋を正しながら、兵たちは急ぎその後を追った。
「シャンの大斧、受けられるのなら受けてみろ。二人でも三人でも、相手をしてやる」
真っ先に敵軍と戦いはじめた徐晃は、普段と比べて大げさなほど得物を振り回している。すると挑発に乗った何人かの黄巾兵が、無謀にも少女に戦いを挑んでいった。
びゅうびゅうと空気を切り裂きながら唸る大斧は、その形からは想像できないほど徐晃によって素早く繰り出されていく。雑兵程度では隙きを突くことなどほとんど不可能に近い状態であり、一呼吸する間にも鮮血が舞い上がっていった。
「まだまだいく。はあっ……!」
徐晃の活躍により混乱する黄巾軍を、彼女配下の兵たちが間髪を入れずに襲う。将の奮戦から勇気を得た兵たちはよく働いている。あっという間に前面を崩した徐晃の軍は、数に勝る敵軍をぐいぐいと押し返していった。
「香風のほうは順調に進んでいるようですね。一刀さま、我らは愛紗殿の援護に向かいましょうか?」
「ああ、そうしよう。弓兵は攻撃の準備を行え! 射撃をしたらすぐに離脱するから、みんなそのつもりでいてくれ!」
関家軍を影にして敵軍の側面に移動しながら、一刀の本隊は射撃の準備を行っている。追従している楽進率いる天衛兵も、それにならって弓に矢を番えていった。
「いまだ、撃て!」
白刃を天に向けながら一刀がそう叫ぶと、引き絞られた矢が勢いよく射出される。熟練した弓兵というわけではないために射撃による効果はほどほどであったが、敵軍の士気を削ぐには充分であった。
一瞬の静寂の後、黄巾軍からいくつもの悲鳴があがる。意識の逸れた彼らを待っていたのは、関家軍による猛攻であった。
「ご主人様が作ってくだされた機を逃すな! お前達の力を存分に見せてやれ!」
赤兎馬が巨大な馬体をしなやかに動かし、関羽と人馬一体の攻撃を行う。青龍偃月刀の刃先は敵兵の血で赤く染まり、その
「わたしたちも雲長さまに続くよ! はああああっ!」
地上で短槍を振るう周倉は、素早い身のこなしで敵に接近しては葬っていく。彼女に続いて雄叫びを上げながら関家軍は勇猛に突撃を行い、黄巾兵を討ち取っていった。
関羽の放つ闘気は次第に手勢にも伝播していき、苛烈に敵兵を飲み込んでいくのである。まさに十文字旗の軍勢は数倍の敵に対し序盤では優位に立つことに成功し、攻勢を緩めることなく進軍を続けるのであった。
その頃、遊撃軍を任されている張飛は、趙雲と協力して烏丸の徒士兵に攻撃を行っていた。いくら騎兵に優れる烏丸といっても軍勢全てに軍馬を行き渡らせるわけにもいかない。馬を増やせばその分糧食が多く必要になるのであって、軍全体のバランスが非常に難しくなるのである。
「鈴々め、猪突しているだけのように見えても以外と呼吸を心得ているな。どれ、こちらも負けておられんぞ! 皆、御遣い殿の軍に劣らず奮戦せよ!」
別面から攻撃している張飛の動きを見ていた趙雲は、感心しながらも槍を動かす手を止めない。彼女の愛槍である龍牙は切裂のような左右の装飾を優美にはためかせ、迫りくる敵兵を貫くのであった。
そしてどうやら張飛は天性によって戦の機微を感じ取ることができているのか、攻防の緩急をつけながら敵の戦力を減らしていっている。攻めるとなれば火の出るように攻め、守りに入れば味方をよく守り軍勢をまとめ上げていた。
「いけないっ、矢が飛んでくるのだー! みんな、盾を構えて!」
敵軍が遠距離攻撃を仕掛けようとしていることに気がついた張飛は、兵にそう叫んだ。すぐさま彼らは盾板に身を隠し、攻撃が止んだのと同時に突撃を再開する。
蛇矛で飛来する矢を打ち落としていた張飛は一足先に敵兵と切り結んでおり、あまりの武勇に震え上がる烏丸兵を地に臥せていった。
「これ以上はさすがに保たん。退け、退くのだっ」
猛将二人からの攻撃を受けて戦線を支えきれなくなった烏丸の将が、悲痛な声を張り上げながら撤退の指示を出している。
すかさず追撃の体勢に入ろうとしていた張飛に合流した趙雲は、このあたりでもうよいだろうと勇む少女をたしなめた。
「待て、鈴々。どうせあやつらはもう戦うことはできん。それよりも、我らも北郷殿の援軍に参ろうではないか。烏丸の兵は白蓮殿がなんとかしてくださるだろう」
「あっ……、うん! いこう、星。鈴々たちで、黄巾をやっつけるのだ!」
張飛の了承を受けて、趙雲は公孫賛へ向けて伝令を飛ばす。趙雲の手勢二千と合流した張飛は戦意を高揚させつつ北に向かって進軍し、まだ多数の兵力を有している黄巾軍の攻略へと向かうのであった。