「――なに? 趙雲が北郷を援護するためにこっちの戦列を離れただと?」
「はっ。主への伺い立てもなしに勝手な行動をするあやつの気ままさ、我らも苦々しく思っておるのです。ましてや、あれは天の御遣いとも親しく……」
古参の者たちからしてみれば、その時々でよいと感じた判断をする趙雲が、公孫賛を軽んじているのではないかという思いがあった。
趙雲からしてみればそれはとんだ言いがかりではあるのだが、日頃から人を食ったような行いが多い少女である。それだけに、そういった目を向けられるのは別段不思議なことではなかった。
最近では、趙雲がかつての親交を使って幽州へ天の御遣いを呼び寄せていることも大きい。
北郷一刀という男は表面上人あたりもよく、北平へやって来た経緯もあって民衆からの人気もある。しかしこの頃は公孫賛に取り入って周辺から兵の徴発を行うなど、勢力の拡大に尽力している感もあるのではないか。
実際公孫賛の配下にはそのように考えている者もおり、大ぴらに口に出さずともその存在を疑問視する声もあった。
「ばか野郎。いまは戦の真っ只中だろうが。そんな風に味方の愚痴を言ってる暇があるのなら、敵兵の一人でも倒すべきじゃないのか?」
前方で戦う自軍から視線を外さないまま、公孫賛は家臣からの疑念を一蹴する。
彼女自慢の騎馬兵と烏丸の軍勢がしのぎを削り合い、いまも激戦を繰り広げているのだ。そんな時であるからこそ、余計にこのような会話をしている場合ではない。
「も、申し訳ありませぬ。それがしも前に出ますゆえ、これにて」
そそくさと引き下がった将は、自らの馬に飛び乗り部隊へと戻っていく。
様々なもどかしさから小さなため息をついた公孫賛だったが、両ももに力を入れ直して馬上で背筋を伸ばしている。
「いかんいかん。ここで油断をしてたんじゃ、烏丸に隙きをつかれかねないって」
戦いに意識を戻し、公孫賛は配下に指示を飛ばす。
戦況は互角といっていい状態であり、双方傷を負いながらも闘志を奮い立たせていた。
「敵を押し返せ! 騎馬は足を止めずに相手を撹乱しろ!」
なんとかして自軍優位の展開に持ち込もうと公孫賛が苦心している頃、件の趙雲は張飛と共に戦場を北西に駆けていた。
北郷軍には優れた将がいるとはいえ、数の面では黄巾方に軍配があがる。味方の士気の旺盛なうちに黄巾軍を叩いておこうと趙雲が考えたのには、そんな事情も含まれていたのだ。
「鈴々! あの敵が見えるか!」
「うん! あそこに突撃するのだ?」
「そうだ。列の長さからして、数はこちらとそう変わらん。ならば負ける道理はあるまい」
馬を並走させながら、張飛は目を細めて敵軍の姿を確認している。その進路と思しき先には「徐」の旗が揺れており、どうやら徐晃の軍を包囲するために移動をしているところのようであった。
馬上で一度蛇矛をぶんと震わせた張飛は、手綱を巧みに操作しつつ後ろを振り返って叫ぶ。
「みんないくよ。突撃! 粉砕! 勝利なのだ!」
――おおおおおおおおおおおおおおお!!!!!
小さな猛将の号令に雄叫びを上げた張飛軍の兵たちは、つぎなる獲物を求めて戦闘態勢へと入る。負けじと気炎を上げる趙雲配下の兵の声と合わせて、一帯の空気がびりびりと振動するほどであった。
「別方向から新たに敵襲! 騎兵もいるようです! どういたしますか!?」
「仕方があるまい……。ならば我らはそちらに向かうぞ!」
その部隊を率いていた黄巾軍の指揮官が声を張り上げる。
隊を反転させている間にも、猛火の如き勢いのまま趙雲と張飛の手勢は迫った。
剣を武器とする者は抜刀し、槍を持つ者は敵を打ち伏せるための構えをつくる。そうして敵軍と肉薄するや否や、それぞれの隊の将に続いて突撃を開始するのであった。
「いっくのだああああああぁあああああああ!!!!!」
「いざ、敵軍を切り裂かん。騎馬の者はわたしついて参れ!」
黄巾兵をなぎ倒す二人の姿に押され、味方の士気はどこまでも上昇していく。そして当然、その武威は敵する者らに圧倒的な恐怖を与えることにもなるのである。
「う、うわああああぁああああ! だめだ、こいつら強すぎるぞ!」
「この前城攻めに行ったやつらがいってたのはこいつらのことかっ! なんとか囲め! 一対一じゃ相手にならねえぞ!」
黄巾兵は互いに頷きあうと、決死の覚悟で張飛の四方から迫った。
十数人で一度に攻めればどうにか一矢報いることができるだろうという考えのもとの行動であるが、それを受けてなお少女の表情に焦りはない。
「そんなんじゃこの
下馬して徒立ちになったかと思うと猛獣のような雄叫びをあげ、張飛は回転しながら包囲の一角へ向けて丈八蛇矛を投擲する。遠心力によって加速したそれは、元々の重量と合わせてぶつかった数人をなぎ倒した。
少女自身もすぐさま弾丸ほどのスピードでそこに向かって突進し、万力を込めた素手でよろめく一人のみぞおちを打ち抜く。
「さあ、どんどんかかってくればいいのだ。もちろん勝つのは鈴々だけどね!」
蛇矛を拾い上げてまた一人屠り、こうして張飛はいとも容易く包囲網を打ち破ってみせた。
仲間を討たれた黄巾兵は、半ば狂乱しながら剣を振り上げる。ただしその反撃は、決して少女の身体を捉えることはできなかったのだった。
そこから少し経ち、北郷軍本隊では、張飛と趙雲による働きで黄巾の別働隊を撃破したという報告を一刀らが受けていた。
「――鈴々ちゃんのようにかわいらしい女の子に言うのもなんですが、その武勇まさに
「万人の敵、か。俺の世界での張飛もそう評されていたけど、鈴々もまったく引けを取っていないな」
感嘆によりため息をもらした一刀は、視線鋭く戦場を見つめる郭嘉のほうを向く。
「ええ、そこに関しては当然わたしも信頼していますよ。それに趙旗も隣に見えていますし、星もこちらの援軍に来てくれたのでしょう。一刀さま、いまが好機です」
「あまり戦闘を長引かせてしまうと、今度はこっちが不利になりかねないか……。よし、どう動こう」
現在北郷軍は、関羽をはじめとした将の勇猛さと兵卒の高い士気により黄巾軍を押し込んでいる。
その優位さを保持しているうちに敵本陣まで潰走させてしまおうというのが、郭嘉の考えであった。
「このまま総攻撃を続け、黄巾兵を烏丸の戦場まで押しやります。敗残兵が無闇に動き回ってくれれば、それだけ白蓮殿が隙きを突きやすくもなるでしょう」
「なるほどー。それでは、急ぎそのように各隊へ伝令を送りましょう。ご主君さま、愛紗ちゃんの部隊が一番余裕がありそうですし、そこを中心として陣形を組み直してもよいでしょうかー?」
「風がそう見ているのなら、俺に異論はないよ。いこうみんな、ここが正念場だ!」
一刀の号令が飛ぶと、兵たちが呼応して拳を突き上げる。
各々疲労がないわけではないが、勝っているという状況だけに精神的には多少楽なものがあった。
そして北郷軍は関家軍を中央に置き、魚鱗に近い陣形を組み直している。左翼に徐晃、右翼に張飛・趙雲による二部隊を据え、一気に敵陣を突き崩そうという構えであった。
陣形が整うと、各将はそれぞれ部隊を前進させていく。
戦の趨勢は、いよいよ決着を迎えようとしていた。
「敵を左右から挟撃しろ! 馬の扱いならこっちも負けてはいないはずだ!」
北郷軍がさらに攻勢を強めようとしている頃、公孫賛軍のほうではいまだ膠着した戦いが続いていた。
なにぶん、敵も味方も同じく騎馬を得意としている集団なのである。それゆえどちらかが圧倒するということもなく、ほんの油断が優劣に繋がるという状態であった。
公孫賛自身も前線に出ては剣を振るい、果敢に敵兵を討ち取ってもいるのである。
「ん……、なんだ? 北郷たちが戦っているほうに動きがでてきたのか」
遠くに見える黄巾軍の旗が、押されるようにゆらゆらと揺れていた。
その様子は味方を鼓舞するためのものではなく、戦闘の劣勢によるもののように公孫賛は受け止めている。となれば、ここで打つべき手はひとつ。
「後方に控えさせてある予備の軍勢もすべて前面に押し出せ! 矢もありったけ使って、敵を一気に仕留めるぞ!」
公孫賛の下知を賜った伝令が駆け回り、全軍に総攻撃の準備をするように伝えていく。
やがて万を越える兵力が集結すると、土煙を上げて烏丸の軍勢へと向かっていった。
「全員腹をくくって攻め抜け! いいか、一人でも多くの敵を倒すんだ!」
平地を駆ける白馬の軍勢は勢いを増し、大きな一個の塊となって烏丸の軍勢に突撃をかける。中でも白馬義従による統制のとれた攻撃は圧巻であり、これには烏丸側に多くの死者が出たのであった。
「周倉、しばらく手勢の指揮を任せてもいいか。まずはわたし自身が切り込んで、敵の先陣を崩してこよう」
「お任せください、雲長さま。青龍偃月刀の冴え、わたしもここからしっかりと拝見していますから」
公孫賛軍の戦っている場所から北西に行ったところでは、周倉の返答を聞いた関羽が兵の間を縫って愛馬を走らせている。
赤兎馬の一歩は大きく、関羽はぐいぐいと敵との距離を詰めていった。
その姿を恐れた敵の放った矢をこともなげに払い落とすと、関羽は戦闘を開始していったのである。
「沙和、お兄ちゃんが言ってたかけ声ってなんていうのか覚えてる?」
「ちぇすとだよ! ちぇすと!」
左翼の徐晃軍。そこではぼんやりとマイペースなやり取りが続けられていた。
徐晃の質問に大声で応えつつ、于禁はこうしていると緊張も多少は紛れるのかもしれないと思っている。
「そうだった……。うん……、シャンたちもそれを使おう。音頭は、沙和に任せる」
「ええーっ!? そこは香風ちゃんがやるんじゃないの!?」
急に回ってきた役割に于禁は驚いているものの、徐晃はふるふると首を振ってそれを否定した。
どうやら、なにがなんでも自分ではやらないつもりらしい。
やれやれといった様子の于禁はようやく納得すると、兵らに向けて訓練時のような怒声を振りまいた。
「ちぇすとおおおおぉおおおおおおお!!!!!」
兵らは于禁の「ちぇすと」を反駁し、気合たっぷりに声を張り上げる。
それを見て小さく笑った徐晃は、大斧で攻撃の目標を指示するのであった。
「――休まず矢を放てっ! 敵に反撃する機会を与えるな!」
「ウチかてちっとはええとこ見せたる! どんどん矢ァ持ってき!」
キリのように敵陣を穿っていく前衛を援護している後衛で楽進と李典は叫ぶ。
少女ら自身も渾身の力で
その楽進のもとに、報告を携えてやって来た兵がひざまずいた。兵はぱっと顔をあげると、はきはきとした声で詳細を語る。
「お味方、敵陣先鋒を破られた模様です!御遣いさまの御本陣も、このまま前進される様子!」
「そうか。ならば我らも隊長の後に続いて前へ進むぞ。全員移動の準備をとれ」
首肯した少女は、ちらりと本隊の大旗印を見やった。そして弦にかけていた矢を外すと、兵たちに指示を出し始めたのである。
その報告にあったように正面を突破した関羽らは、ごりごりと開けた穴を拡げていくように東進を続けた。
郭嘉の狙い通り北郷軍によって崩された黄巾兵は助けを求め、奮戦中の烏丸の陣を目指して逃げる者も現れはじめている。
時間の経過と共にその数は増加していくばかりであったが、黄巾軍主将である張純はそれを制止することができずにいた。
「なんだこのざまはっ……! このような弱腰で、奴らはほんとうに朝廷に勝てるとでも思っているのか!」
本陣で歯ぎしりする張純は、怒りで口から
男の中ではこんなはずではなかったという思いも大きく、公孫賛どころかよくも知らない天の御遣いの軍勢にいいようにやられているというのが怒りの中心であった。
しかし周囲の黄巾兵も怒鳴り散らしているだけの張純には嫌気が差してきており、ただこのあたりで名のある豪族だからと総大将になっているのだと陰口を叩くものまで出始めている始末である。
「ええいっ、これ以上この者らに任せていては勝てる戦も勝てんわっ!」
そう言って床几から立ち上がると、張純は自らの連れてきた手勢の内から一千に招集をかけた。そして出撃の態勢を取ると、近くにいた者に本陣を守っておくように命じてさっさと出ていってしまったのである。
「走れ走れ! 気取られる前に敵に槍をつけるのだ!」
張純の軍勢は、大将に急かされるままに森の中を進む。
その狙うところはただひとつ、天の御遣いである北郷一刀の首であった。