「風や稟から、何事か言い含められたのではありませんかな、北郷殿。たとえば、わたしを籠絡してこい……とか」
趙雲のしなやかな指が、胸に軽く押し当てられた。表情からは、その意図までは読み取れなかった。魅力的な切れ長の目は、ふとしたときに威圧すら感じさせてくる。趙雲は飄々としているようで、やはり一本の芯が通っているのだ。
であれば、こちらも誠意を持った対応をするべきだろう。やや口角を上げつつも、一刀は今朝あったことを話しだした。
「その通りだよ、星。キミのような将を得られて、白蓮は幸せものだ。稟たちが、誘ってこいという気持ちもよくわかる」
「ふふっ……、そうですかな。それで、臣に請われたあなたは、どうなさるおつもりなのです?」
きっと、自分は試されている。一刀は、なんとなくそう感じていた。
挑発的な表情。胸の上で止まっていた指が、くるくると円を描いていた。
「俺のものになれといったところで、どうにかなるようなものでもないだろう?」
「はて、それはわかりませぬな。佳き男と出逢えば、多少気が移ろうこともありましょう。それが、女の弱みというものです」
「ははっ、そういうものか? だったら……」
不意を突き、細い腕を手繰り寄せる。これには、さしもの趙子龍も驚きを隠せなかったようだ。
旅の中で、誰かに惹かれるようなこともあったのだろうか。なにがというわけではないが、身体の奥底に火がついていくような感覚が起こった。
「将としての趙雲のことは、綺麗サッパリ諦めよう。だけど星、ひとりの男としては、俺はキミのことを諦めたくはない。この我儘を、聞いてはくれないか」
「ほ、本当に、北郷殿は正直なお方だ……。よろしい、殿方にそこまで言わせておいて酒の一杯も付き合わないとなれば、こちらの沽券にも関わりましょう。では、続きはあちらのほうで」
顔を赤らめた趙雲は、幾らか狼狽しているようにも見えた。それが気のせいでなければ、こういった男女のことをあまり経験したことがないようにも思える。これまで踏んできた場数から、一刀もそのくらいのことはわかるようになっていた。
警戒を解いた趙雲に連れられ、一刀は辺りを広く見渡せる望楼へと登った。もし戦に敗れていれば、こんなことをしている余裕もなかったはずである。明かりの点きはじめた街並みを見下ろして、一刀はそんな風に思いを巡らせていた。
ひんやりとした床板。その上に腰を下ろすと、先程とは打って変わって、趙雲は上機嫌そうに用意していたものを取り出してみせた。酒の入った徳利と、朱色に塗られた杯である。
「ではまず一献。無礼をしたお詫びに、ぐいっといってくださいませ」
そもそも趙雲は、ここで夜景を肴に一杯やるつもりだったのだろう。望楼のなかは大して広くもないから、どうしても女の香りを間近くに感じてしまう。
一刀は小ぶりな平杯を受け取ると、徳利からちょろちょろと注がれた澄んだ酒を一気に呷った。
「うん、いい香りもあって旨い酒だな。だけど、俺にはちょっとキツめなのかも」
鼻を抜ける芳醇な香りを堪能しつつも、喉を流れていく酒の熱さに一刀は胸のあたりをさする。こちらに来てからも酒を飲むのは付き合い程度のことであったし、あまり度数の高いものには身体がまだ慣れていなかった。
「おや、酒はあまりお得意ではありませんでしたか。とはいえ、これほどの佳き肴を目にすれば、自然と酔いたくもなるというものでしょう」
「ああ、それは間違いないだろうな。飲みたくなったときには、またお願いしてもいいか」
自身が口づけていた部分を指で拭い、一刀は趙雲へと酒杯を返す。
趙雲が良き肴と表したのは北平の風景であったが、一刀にはそれ以外のものが映っている。床に垂れる美しい青髪。つい、伸びそうになった手を押し留めた。
「ん……、どうかされましたかな」
「綺麗だなって。景色以上に、星のことがね」
趙雲の顔が、また赤く染まっていった。酒のせいではない。間違いなく、一刀の言葉によるものだった。
先程の言われたばかりのことを、趙雲は思い出していた。いつかのように、下らない男に冗談で口説かれたのとはわけが違う。少女の心臓が、早鐘を打っていた。
口に酒を含み、趙雲はなんとか平静を保とうとしているようだった。その仕草を、一刀は楽しげに見つめている。
「なんですか、そのようにじっと見つめて……。わたしのような者にも、恥じらいというものがあるのですから」
「ごめん、さっき飲んだ分の酒が回っているのかも。こんなにも、絵になるんだな。本当に、綺麗だ」
「うっ……。北郷殿こそ、ひとを煽てるのが上手すぎるのではないですかな。道理で、あの関雲長が恋い焦がれるわけです」
「もしかして、あの日愛紗の背中を押してくれたのって」
「左様、驚かれましたかな? どうにも、見ていられなかったのですよ。戦場での勇猛さを思えば、結ばれるのが遅すぎたくらいではありませんか」
再び、趙雲は杯に唇を寄せた。そこは、一刀が飲むために触れた場所だ。また、鼓動が早くなった。
動揺を隠そうとして、趙雲はさらに酒で胃を満たしていった。
「綺麗だな」
「むう……。またそのようにして、からかわれるのですから」
「違う違う。今度は間違いなく、夜景が綺麗だねってこと。騒々しくなくて、すごく落ち着ける世界だ」
ペースが乱れたことで酔いの回ってしまった趙雲から杯を奪い、一刀は月明かりを受けてぼんやりと浮かびあがる街並みを見つめていた。
高層ビルが立ち並び、そこらじゅうに電飾が存在している現代ではなかなかお目にかかれない景色であり、ちびりちびりと酒を飲むにはうってつけの肴である。
「天の国の夜とは、そんなに違ったものなのですか? それはそれで、興味をそそられますな」
趙雲は、自身にとって当たり前な夜景に目をやりながら、自然と一刀のほうへ身を寄せた。
――火照りの緩やかになった肌に風が当たり、温もりが恋しくなってしまったのであろうか。
趙雲は密かにそんな自己分析を重ねるも、結局はただの言い訳にしかならないことは言うまでもない。
「どこへいっても、この世界とは比べ物にならないくらい明かりがあるからね。それ自体は便利ですごくいいことなんだけど、こういうのが夜の本当の姿なんだろうな」
話したことで口が乾いたのか、一刀はまたひとくち酒を含んだ。いつもよりよく舌が回るのは、気の所為ではないのであろう。
「北郷殿は、天の国が恋しいと思ったことはないのですか?」
饒舌に話していた一刀であったが、趙雲がふと浮かんだ質問を投げかけるとその勢いは止まった。
難しい質問ではあったが、一刀は月を見上げながら考えをまとめているようである。
「ないと言えば、きっと嘘になるんだろうな。ここには俺を慕ってくれる大切なひとが何人もいて、期待もいつの間にかこんなに背負ってしまっている。だけど故郷っていうのは、そう単純に忘れられるものでもない」
胸の奥にちりちりとした痛みを感じながらも、一刀は杯に残った酒を飲み干すことでそれを覆っていく。
北郷一刀として、天の御遣いとして。この世界に生きる理由は、既に両の手で数え切れないほどに積み上げられているのだから。
「そう……、ですか。詮無きことをお聞きしてしまい、申し訳ありませんでした」
楽しむべき酒の場で、いらぬことを尋ねてしまったと趙雲は伏し目がちに謝罪した。その心の内側では、とある思いが強くふくらんでいる。
「ン……。温かいな、星の身体」
そうして趙雲がさらに一刀の方へにじり寄ると、異性の髪の香りがふわりと青年の鼻孔をくすぐった。
少女の体温が伝わってくることで、一刀も心拍数の上昇を感じている。趙雲のことを女として意識するほどに、一刀は大きく開かれた胸元に視線が釘付けになってしまいそうになっていた。
勇気を持って手を伸ばせば、あらわになった肉付きのよい太腿にも直に触れることができるであろう。そう思えてしまうほどに、少女は一刀に身を委ねているのだから。
「……北郷殿がこの世界にいる理由。そのひとつに、このわたしを加えていただくことはできましょうか」
指の付け根を噛み、趙雲はそうぼそりと呟く。少女がうつむき気味であるのは、きっと羞恥で赤らんだ表情を隠したいがためであった。それにこんな話し、とても当人に面と向かって言えたものではないというのが率直な感想だ。
「内心、そう言ってもらえることを期待していた。……なんてね」
「恐ろしいお方だ……。心を融かされるとは、まさにこういうことなのでしょうな」
ここまで宣言してしまった手前、もう退くことなどできはしない。まして、相手は女たらしの天の御遣いなのである。
趙雲は戦場でも味わったことのないほどの緊張に喉を乾かせ、一刀に杯を返すよう求めた。しかし、その願いが届くことはない。
「北郷殿、なにを……」
趙雲の言葉を無視して、一刀は手に持った杯に酒を注いでいる。そこになんとなく予感めいたものを感じ、少女は期待と高揚で瞳を潤ませていった。
「こんなにいい酒なんだから、どうせなら星と一緒に楽しみたいと思ってね。だめかな」
「まったく、意地の悪い聞き方をされるものだ……。内心、断られるとは思っておられぬのでしょう?」
趙雲の呆れたような発言に、一刀は小さな笑みを作って対応をする。そうして酒を口に含ませると、答えに蓋をするかの如く少女の乾いた唇に自らのそれを合わせるのであった。
「あっ……、ふむっ……ちゅう。んっ……、ふうっ……」
一刀が口内で咀嚼した酒を、趙雲は少しづつ味わわされている。
口内で一旦濾過された酒は角が取れたようで丸みがあり、興奮していることも相まって神秘的な味わいを醸し出していた。
(ああっ……、口づけるとはこのように身体が熱くなってしまうものなのか……。これでは、もっと飲みたくなってしまう……)
アルコールに塗れた口内は熱く、互いに求め合っている。
飲まされたのはさしたる量ではなかったというのに、趙雲はかつてないくらいの血の巡りを感じていた。彼女が興奮しているのは明らかであり、やがて飲ます酒がなくなった一刀が唇を遠ざけると、口惜しそうに僅かにあとを追ったほどである。
「そう焦らなくても大丈夫。俺だって、星のことをもっと知りたいんだから」
「ふあっ……、北郷殿……っ」
もはや趙雲に、普段のような余裕ぶった衣をまとっている
段々と少量ずつ送り込むのが億劫になってきた一刀は、さらに深く口付けると舌を使って酒を撹拌していく。
自由になった液体はぐちゅぐちゅと卑猥な音を立て、二人の性的興奮をより高めていった。
(酒を飲んでるってこともあるけど、星の口の中すごい熱さだ。それに酒に唾液が絡まって、甘みが増しているようで……)
一刀と趙雲は双方の口腔で何度も酒を行き来させ、淫靡さと濃度を高めていく。
甘美な味わいを強く備えた酒は二人にとって極上の一品となり、舌を絡ませてはこぞって出来を確かめていったのである。
「はあっ……、んっ……、星……」
「ちゅう……、ふわ……あ……。北郷殿……、わたしは、どうなってしまったのでしょうか……」
眼前で小さく瞬きをする少女のことが、たまらないほど愛おしく思える。
そんな感情でいっぱいになった一刀は、趙雲のことを強く抱きしめた。全力で疾走をした後であるように思えるほど少女の呼気は乱れ、熱気を含んでいる。
一刀は趙雲の丸みを帯びた臀部に右手を忍ばせると、小手調べとばかりに形を確かめていくのであった。