村へ着くまでの数里の間、一刀と少女たちは軽く自己紹介を行っていた。関羽と張飛は既に先程のやり取りで知れていたので、一刀からになる。
「じゃあまずは俺から。北郷一刀、出身は日本って国だ」
「ほんごう、かずとさま……。天の国には、真名はないという話しでしたが」
関羽の頭の中では、すっかり一刀は天からの人ということになっている。興奮気味なのか、少し頬が紅潮して見えた。
日本には真名の文化は存在していないが、古風な言い方をすれば一刀は諱である。彼がそう伝えると関羽は表情を青くし、その場で頭を勢いよく下ろした。
「も、申し訳ありません! 御遣い様の諱を軽々しく口にするなど……」
ころころと顔色を変える関羽を見て、一刀は彼女も普通の人間なのだと思う。名前を聞いただけでは身構えてしまったが、目の前にいるのは生真面目な一人の少女であった。
「昔はどうか知らないけど、そんなの全然気にしてないから。俺だって知らずに、香風に失礼なことしちゃったからね。それよりさ」
一刀が促すと、金髪の少女が右手を上げて続いた。
「ではではー。風は程立と申します。天のお兄さんは知ってるかもしれませんけど、字は仲徳ですねー」
程立と名乗った少女はおどけるようにそう言ったが、その名に一刀はいまいちピンときていない。
彼も三國志のざっくりとした流れや有名所の登場人物は把握しているものの、それ以外となると自信がなかった。
「……わたしのことは、戯志才とお呼びください。そちらのことは北郷殿でよろしいですか?」
「うん、それでよろしく。みんなも、俺のことは好きに呼んでくれればいいから。雲長さんも、ね?」
一刀にもわかるほど、戯志才ははっきりとした警戒心を見せている。理知的な瞳が、眼鏡の奥から彼を覗いていた。
「稟は堅物ゆえ、まあお気に召されるな。我が名は趙雲。どうであろう北郷殿、試すようだが私の字も当ててみてはもらえぬか?」
ついさっきまで肉薄していた槍の冷たさを忘れさせてしまうほど、趙雲は楽しげである。
一刀はただ三國志の武将に当てはめて字を予想していただけなのだが、彼女たちからすれば不思議な力で読み取っているようにも思えてくる。
「子龍さん、でいいのかな? 常山の趙子龍といえば、俺の世界では有名人だよ」
「ほう。我が字だけでなく、生まれまで知られているとは……」
そこまで当てられては信じるしかありませんな、と趙雲は長い着物の袖をひらひらと振って白旗を上げた。
趙雲。その名は現代に置いて言わずと知れており、関羽や張飛らと並ぶ勇将である。一刀の知る歴史では彼らは劉備に仕え、その武勇は様々な媒体で語り草になっているほどだ。
それが美少女の姿とはいえ、いまや手の届く範囲に勢揃いしている。形はどうあれ、なんだかすごいことになっているなと一刀は頭をかいた。
「お兄ちゃん」
ちょんちょん、と不意に一刀の腕に遠慮がちな感触が生まれる。横を歩く香風が、こっちを向いてと言っているようだ。その指の感触に妹の小さな頃を思い出して、一刀の心中に哀愁の風が流れる。
「……ああ、そういえばまだ香風って真名しか知らないんだよな」
遠くを見つめるような様相の一刀からなにか感じるものがあったのか、香風は眉を落として困ったような表情を浮かべた。
一刀がなんでもないよ、と自然な仕草で彼女の髪を撫で付ける。気持ちよさそうに受け入れる香風を見ていると、一刀は胸の中に温もりがあふれるようであった。
「シャンの名前は、徐晃。字は公明っていうよ、お兄ちゃん」
徐晃といえば、曹操の下で数多の武功を上げた将軍である。蜀との戦いにおいても活躍し、関羽とも激戦を繰り広げた武人であった。
「その斧すっごく大きいけど、鈴々の蛇矛だって負けないよ」
一刀が香風、もとい徐晃の大斧を興味ありげに観察していると、張飛が薄い胸を誇らせて蛇矛を高く掲げている。
勝負心に火がついたのか、それとも退屈を紛らわせるためか。徐晃は眼光を鋭くし、頭上で大斧を軽々と回し始めた。砂塵が舞い、路上に湧いたつむじ風さながらである。
「香風、それは危ないからやめてくださいと前にも言ったでしょう! だいたい今日だって――」
戯志才が眉間にしわを作って叱りつけたかと思うと、徐晃が目を見開いてあっ、と声をもらした。大斧が少女の小さな手を離れ、自由に空を飛ぶ。
高々と宙を舞ったそれは、運良く誰に当たることもなく丘の向こうへ消えていった。
「な、なんと……。鈴々の他にもこのような無茶をできる者がいようとは……」
関羽はぽっかりと開けた口を、手で覆っている。張飛も時折手に負えないようなことをしでかすので、彼女には他人事とは思えなかった。
何食わぬ顔をして、徐晃は飛んで行ってしまった大斧を取りにいこうとする。待ちなさい、と戯志才はそれを追いかける。
すると一刀がこらえきれずに、声を出して笑いだした。つられて趙雲も、腹を抱えて白い歯を見せて笑っている。辺りはしばらくの間、明るい空気に包まれていた――。
ひと悶着ありながら村へと到着した一行は、卓を囲んで席に着いている。村の者たちが寄り合いなどに使用している集会所を、好意で貸してもらっていた。
一刀の隣の椅子に陣取った張飛は、こういった雰囲気が苦手なのかそわそわして落ち着かずにいる。咳払いを挟み、関羽が切り出した。
「先はにほん、と仰りましたがそれが天の国の名前なのですか?」
「天の国っていうか、俺の住んでた土地自体はこの世界にもあるとは思うんだけどね」
一刀はそう言ったが、関羽を含め皆は釈然としない様子である。現代人の感覚ならば世界地図を思い浮かべればいいだけではあるが、渡海もしたことのない彼女たちにすればそこは未知の領域。
話をするにも一筋縄ではいかないことがわかり、一刀は改めて難しさを感じるのだった。
「それでそれで! お兄ちゃんは、どうやってここに来たのだ?」
かぶりつくように張飛が口を開く。日本がどこにあるかというのを考えるのは、すっぱりと諦めたようであった。
その問いに対する答えを、一刀自身は擁していない。気づいたときにはあの場にいたのだから、その前になにがあったのかは闇の中である。
彼が徐晃に視線をやると、それに応じて思い出すように静かに語り始めた。
「あのときも斧を放り投げちゃって、拾いに行ってた。うえからなにか落ちてくるなー、ってみにいったら……、お兄ちゃんがお空を飛んでた。そしたら……、ごちーんって」
「おいおい、冗談だろ……」
その時のことを再現するように、徐晃がジェスチャーを行う。どのくらいの高さで、そして速度はどれほどでていたのか。下手をすれば徐晃共々死んでいたことに、一刀は背筋が凍る思いだった。
「それが、お兄さんと香風ちゃんの運命の出会いだったのですねー」
「風、ややこしくなることを言わないでください!」
ちゃちゃを入れる程立を、戯志才がたしなめる。
「それにしても、これからどうするかねえ……」
いくら占いに出て来る天の御遣いといわれようが、一刀本人にはその自覚が一切ない。旅をするにも路銀もないし、土地勘が無いゆえに行く宛もないのである。
「でしたら、我ら二人と行きませんか? わたしと鈴々はそもそも、御遣い様を探すために来たのですから歓迎いたします」
関羽は待ってましたとばかりに誘いをかけるが、一刀はどうにも乗り気にならない。自身に救世主のような力は備わっていないと思うのは勿論、この大陸について知らないことが多すぎる。
「にゃー。愛紗、お兄ちゃん困ってるみたいなのだ」
張飛はまだ幼い部分が残っている反面、人の気持ちには敏感なようであった。
「鈴々……」
一刀が伏し目がちになっていることに関羽は気づく。張飛は気まずい雰囲気になってしまったのを察して、バツが悪そうに下を向いて足をぶらぶらさせている。
「ならお兄さん。なにかの縁ですから、風たちと一緒に仕官の口を探して放浪するというのもありですかねー。香風ちゃんはすでに懐いちゃっているようですし」
旅仲間から意外な提案が出たことに、戯志才は怪訝そうに眉根を寄せた。のんびりとした口調で話す程立であるが、そこには複数の思惑が織り込まれている。数日前から夢に度々現れている太陽、それが程立の頭の片隅に引っかかっていた。
大きく、優しげに世を照らす日輪が何を啓示しているのか。今しばらく、天の御遣いというのが如何様な人物なのか確かめてみたい、程立はそう考えていた。
「おう兄ちゃん。だからって、好意に付け込んでおイタはいけねえぜ?」
程立が、さも頭の人形が喋っているというような演技をしている。目を細め、声も一応作ってはいるのだがほとんど元のままだ。ばればれを通り越した一人芝居に、先程まで渋面を作っていた一刀の口元が綻む。
「これ風、北郷殿が不審がっているではないか」
「おおっ。星ちゃんにとんとんされてしまいました」
趙雲が、程立の頭に軽くツッコミを入れる。じゃれ合う二人をよそに、再び一刀は腕組みをして考え込んでいた。どちらと行くにせよ、また賊と戦うような危険はあるだろう。
史上の英雄が女性になっているような世界で憶測を立てて意味があるのかわからない。しかし、関羽と張飛が劉備とまだ出会っていないのであれば、大規模な乱がこの先待ち受けている可能性はあるだろうと一刀は思う。
「ま、あとは北郷殿のお気持ち次第。……それにしても、腹が減りましたなあ」
朝からなにも食べていないことを思い出し、趙雲は本音をもらした。それを知ってか知らずか、集会所の戸が開いて男の顔が覗いている。
「あんたら、腹は減ってねえか? 暗くなっちまう前に、飯にしようや」
飯、という言葉に反応したのか張飛の腹がぐうと鳴った。それを返事と取って、男は髭面に豪快な笑みを浮かべる。
窓から外を見渡すと、もう日がすっかり落ちかかっている。張飛と徐晃が、子猫のような視線を一刀に向けた。気分は完全に、食事に傾いているようである。
「北郷殿。あまり思い詰められても、結論はすぐに出ないでしょう。ここは恩情に預かっては?」
「……うん、そうだね。そうしよう」
戯志才はそう言うと席を立った。一刀たちも続いて、集会所をあとにする。村の長が珍しい来客に対して、食事を用意してくれていた。数々の料理を目の前に、張飛の表情が輝いている。
「長老さん、ありがたくいただきます」
「どうぞ、ゆるりとしていってくだされ」
一刀が感謝すると、長老は白髪頭をなでて好々爺然とした表情で目尻を下げた。食べてもいいことがわかるや否や、驚くようなペースで張飛は皿を空にしていく。
「鈴々、行儀が悪いぞ!」
関羽の説教もどこ吹く風、小さな大食漢は箸を動かし続ける。
「これはこれは。張翼徳を肴に、酒が飲めそうなくらいですな」
用意されていた徳利から、素焼きの杯に濁った酒を注ぐ。張飛の食べっぷりを横目に、趙雲は面白そうに酒杯を傾けた。
「あはは……。仲徳さんたちも、取って欲しいものとかあれば言ってね」
反対側に座る程立らに向かって一刀が言った。集会所で会話している時には突き刺すような目つきなことが多かった戯志才も、旨いものを前に気が緩んでいるようである。
賑やかな時間は、楽しげに過ぎ去っていくのであった。