※この作品はR-18です。

北郷当代記   作:KKS

43 / 95


 北郷軍の野営地では、董卓よりの使者と思われる女性がなぜか劉備と親しげに言葉を交わしている。

 使者は恐らく妙齢なのだろうが、おっとりとした風貌がどことなく子供っぽい。しかし色素の薄い毛髪は女性がこれまで多くの経験を培ってきたことを表しており、熟れた大きな果実とともに包容力を醸し出していた。

 

「まさか、こんなところで桃香ちゃんと再会できるなんてね。久しぶりに顔を見たけど、元気そうで安心したわ」

 

 使者は丸みのある頬を緩ませて、劉備のことをぎゅっと抱きしめる。劉備のほうも彼女と出会えたことが本当に嬉しいようで、いつも以上ににこやかに笑顔を振りまいているのだ。

 

「このまえ幽州で白蓮ちゃんと話しているときに、先生のことがでてきたんです。それでまた風鈴(ふうりん)先生に会いたいなーって思ってたら、ほんとにそうなっちゃったんだもん! だからわたしだって、すごくびっくりしてるんですから」

 

 風鈴と呼ばれた女性は、喜びを爆発させる劉備のことをしっかりと受け止めている。単にそうしたスキンシップをとっているだけでも、ふたりの間で四つの柔肉がむにゅむにゅと揺れ動く。

 その光景はまさに圧巻というほかなく、師弟の再会を傍観している内の何人かは無為な妬みを必死で押し殺しているのだった。

 

「白蓮ちゃん、こういう時期に領地をもって苦労をしているんじゃないかしら。でも、あの子はなんでも人並みにできてしまうから、先生はあまり心配していないけどね」

 

「そうですよね。白蓮ちゃんは飛び抜けたところがないことが悩みみたいですけど、なんでもできちゃうってすごいことだと思うんだけどなあ」

 

 風鈴の教え子のなかでも、劉備と公孫賛は特に期待をかけられてきた存在だったのである。

 そうして公孫賛は地道に出世していき、自らの力で現在の地位を掴んだといえよう。

 劉備については、いつか大人物になるような可能性もあるのではないか。風鈴はそのように踏んでいたのだが、こちらに関してはまだまだはじめの一歩を踏み出したところと評するべきであろう。

 

「お兄ちゃん、おかえりなさい! あっちでお姉ちゃんとしゃべってるのが、お姉ちゃんの先生らしいのだ!」

 

「桃香の先生? 劉玄徳の先生っていうと、確か……」

 

 三国志の登場人物を思い起こして、一刀はその名を発っしようとする。

 その白い上着姿にピンときたのか、風鈴は劉備の肩越しに天の御遣いのことを呼んだ。

 

「この国にはない輝きを放つその姿、あなたが天の御遣いくんなのね」

 

 風鈴は惜しみながらも劉備から手を放し、落ち着いた動きで一刀に対し礼をひとつする。

 その仕草にはいままであまり触れることのなかった大人の色気があり、広く露出された胸元は怖いほどに男を誘惑する効果があった。

 

「わたしは盧植(ろしょく)。字を子幹(しかん)というものです。天の御遣いがどういった方なのかあれこれ想像していたんだけれども、案外かわいらしい男の子なのね」

 

「あはは……盧、子幹殿ですね。天の御遣いの名のほうが通っているかもしれませんが、俺は北郷一刀といいます」

 

 盧植の触り心地のよさそうな肢体に目が釘付けにならなかったのは、さきほど川で一度煩悩を発散したからというのもあるだろう。そんなことを考えている一刀であったが、盧植は穏やかな口調で話を続けていく。

 

「教え子の桃香ちゃんがお世話になっているみたいだし、先生としてはお礼を言うべきかしら。そうね……、せっかくの機会だから、わたしの真名を預かってもらえる?」

 

「子幹殿の真名を……。いいんですか、そんな簡単に?」

 

「あなたは教え子のご主人様なんだし、そう固くならなくてもいいのよ? わたしの真名は風鈴、風に鈴で風鈴。呼んでみてくれるかしら、御遣いくん」

 

 こうして少し話しているだけでも、盧植が教え子に慕われる理由が一刀にはよくわかった。

 時には導いてくれるお姉さんのような存在でもあり、本人は気にしているものの童顔気味なところが逆に親しみやすくもある。ついつい心を許してしまいそうな優しさを、無意識にこの女性は有しているのだから。

 

「ありがとう、風鈴さん。それなら、俺も先生と呼ばせてもらってもいいかな」

 

「うふふ。わたしのことは好きに呼んでくれればいいわ。そうね、なら……わたしからは、一刀くんって呼んでもいいかしら」

 

「うん、勿論。改めてよろしく、風鈴先生」

 

 お茶目に笑う盧植のせいで、彼女が董卓からの使者だということを一刀は忘れてしまいそうになる。

 こういう人物が董卓のそばにいるということは、悪雄のイメージを先行させるのは間違ったことなのかもしれない。そういう考えが湧いてきた一刀は、使者の要件について自分から切り出していった。

 

「それで風鈴先生は、董仲穎殿の命でここまできたんだよね? そのこと、詳しく聞かせてもらいたいんだけど……」

 

「あらいけない! わたしったら、桃香ちゃんや一刀くんのことですっかり頭がいっぱいになってしまっていたわ」

 

「ええっ!? 先生、それじゃあなんのために来たのかわからなくなっちゃいますよお」

 

 教え子にツッコミを入れられつつ、盧植は表情を澄ませると一刀に改めて向き直す。

 

(ゆえ)ちゃん……董将軍は、うわさの天の御遣いくんにどうしても会ってみたいらしくって、わたしをこうして派遣されたのよ。明日にでも本隊がこの近くにまで来ると思うから、そのとき一緒に来てくれるかしら? 素直でかわいらしいお人だから、きっとみんなとも仲良くなれると思うわ」

 

 盧植がつい真名で董卓を呼んでしまったことからも、両者の関係が悪くないことがうかがえる。どの道もうそこまで軍勢が来ているのであれば、礼くらいしておくのが筋というものであろう。

 そういうこともあって、一刀はその申し出を快く承諾した。

 

「風鈴先生の口ぶりから、俺も早く仲穎殿に会ってみたくなったよ。それでどうだろう、今日のところはここでゆっくりしていってもらおうと思うんだけど」

 

「そうさせてもらえると助かるわね。桃香ちゃんとも久しぶりだし、まだお話したいことがたくさんあるもの」

 

 盧植は耳にかかった髪を払いながら、慈しみをもった表情で一刀に微笑みかける。

 

「そういえば、先生はどうして仲穎さんと一緒に行動されているんですか?」

 

 劉備の疑問はもっともであり、漢の将軍である盧植が董卓の使者をしているのは不思議なことであった。

 教え子の質問に少々バツが悪そうに苦笑すると、盧植は大きな胸を支えるように腕を組む。

 

「……わたしも朝廷からの命令で、はじめ単独で賊軍と戦っていたの。そのときにちょっとした不手際があったのだけれど、どこからかそれが内部まで伝わってしまってみたいなの」

 

「些細な失敗が、本人も知らない内に大きくなる。そのせいで、子幹殿は朝廷から軽んじられているというわけですね」

 

 いまの朝廷内部がどういった状態にあるのか、少女にはよくわかっているのであろう。郭嘉はやれやれといった風に頭を左右に振ると、複雑そうに目を伏せる盧植に対し名乗っていく。

 

「我が名は郭嘉、字を奉孝ともうします。子幹殿のご高名は前々よりお聞きしておりました、以後お見知りおきを」

 

「わたしはこちらの稟ちゃんとおなじく、ご主君さまの参軍で程昱というものです。ちなみにお固そうな稟ちゃんですが、夜はご主君さまの肉奴隷同然のお方なので、気安く話しかけてもらって平気なのですよー」

 

「ふ、風……っ!? 初対面の方にそんな紹介をするなんて……っ」

 

 程昱のあんまりな紹介に、郭嘉は全身を紅潮させて怒りをあらわにしている。

 そんなことすらこれまで幾人もの弟子を育て上げてきた盧植にとっては慣れたものなのか、「あらあら」とおかしそうに口もとを隠しながらちらりと一刀に目を移したのであった。

 

「うふふ、若いっていいことね。一刀くんの閨房の才能、先生も確かめておく必要があるのかしら。なんてね、桃香ちゃん?」

 

「あうっ、先生……!? ご主人様はとってもお優しい方だけど、いきなりなんて……そんな、はうぅうう」

 

 盧植はカマをかけてみたつもりだったが、やはりというか当たりだったことに眼鏡の奥で目じりを下げる。

 それと同時に多数の競争相手を抱えるかわいい教え子のことが心配になったりもしたのだが、そこまでいくと老婆心といえてしまうのかもしれない。

 

「ごめんね桃香ちゃん。冗談よ、いまのところは……ねっ」

 

「ん……、風鈴先生?」

 

 盧植から向けられた保護者然とした視線のなかに、ほんの一瞬だけ異質なものがあったように一刀には感じられた。

 けれどもいまの盧植は変わらずにこやかに微笑しているだけであり、やはり気のせいだったのかもしれないと一刀は思い直したのである。

 

 

 

 

 

 

 翌日。昼頃になると、物見の兵が接近してくる軍を発見したという報告を本陣にまでもってきた。

 その軍の中心となる位置には「董」の旗が多く掲げられており、董卓との会談に向けて一刀は身支度を整えてはじめている。

 

「それではご主人様、あちらの陣まで同行するのは……」

 

「ああ。愛紗と稟、それに風だけを連れて行くつもりだよ。あんまり大人数で出向いても、物々しくなってしまうだろ?」

 

 楽進や張飛もついて行きたそうにはしているものの、一刀のそういった考えもあって渋々ながら引き下がっていく。

 一刀の連れて行く面子が決まったところで、盧植はパンッと手を叩いてそれぞれの視線を集める。そういった手振りが自然なことも、彼女がいかにも先生らしいところだといえよう。

 

「同行する人数は決まったようね。それなら、行きましょうか、一刀くん」

 

「ええ、風鈴先生。陣までの案内、よろしくお願いします」

 

 盧植の乗る馬を先頭にして、四頭の騎馬が後に続く。正規の官軍である董卓らの軍は装備も行き渡っており、いかめしい男たちが物珍しそうに天の御遣いのことを観察している。

 

「むっ、盧植殿が戻られたか。ということは、その男が……」

 

「ええ、そうよ。華雄(かゆう)ちゃん、天の御遣いくんが到着されたことを董卓将軍の陣屋に伝えてきてくれないかしら」

 

 大きな天幕の付近で馬を止めた盧植は、近くで武器を振っていた女性に声をかけた。

 華雄と呼ばれたその人物はいかにも武一辺倒といった面構えをしており、短く切りそろえられた髪が快活な印象をより強くしている。

 

「ああ、少し待っていてもらえるか」

 

 華雄は鈍く光りを反射させる剣を鞘にしまうと、天幕のなかへと姿を消していく。またもや有名な人物を見知った一刀ではあったが、その相手が演義において関羽に斬られているためやや複雑な心境ではある。

 馬をつないでそのまま数分待機していると、天幕の入り口からひとりの少女が現れた。これまた美少女と形容していい容貌の持ち主ではあったが、幾分釣り気味の両目がややキツめであろう性格をにじませている。

 一刀のことをキッと見つめていることからも警戒心があるのは明らかであり、才気走った切れ長の眉は何者をも寄せ付けないと宣言しているようでもあった。

 

「おい。名乗りもせずにジロジロとご主人様のことを見ているなど、失礼ではないか」

 

 こういう場合において、黙って我慢していられないのが関羽という少女の気質なのである。

 しかし、普通の人間であればそれだけで震え上がってしまうような怒りの視線を受けてもなお、少女は翡翠色の髪をいじるばかりで態度を改めようとはしなかった。

 やや横柄であることに加え、自身の目的のためならば損得を考えない性格なのであろう。

 結局その場は盧植が間に入ることで収まりがついたのではあるが、お互いにいい初顔合わせとはいえない結果となってしまった。

 

「ごめんなさい、一刀くん。この子も悪い子ではないのだけれど、ちょっと周りが見えなくなってしまうときがあるの。ほら詠ちゃん、ご挨拶を」

 

 盧植に背中を押される形ではあったが、少女はかけた眼鏡を触りながらようやく閉ざされた口を開いていく。

 

「……ボクは賈駆(かく)賈文和(かぶんわ)よ。あんたが例の、天の御遣いとかいう男なんだよね?」

 

「北郷一刀だ。董仲穎殿に招かれてここまで足を運んで来たけど、文和殿にはあまり歓迎されていないようだ」

 

 天の御遣いの本名にはあまり興味がないのか、賈駆はふんと鼻を鳴らして腰に両手を当てている。

 郭嘉が後ろから袖を引いていなければ、またもや関羽の怒りに火がついていたのは必定であろう。

 

「そんなの当然でしょ。わたしは天から来た人間だなんて得体の知れないやつ、あの子に近づけたくなんてないんだもの」

 

 賈駆はよほど董卓に入れ込んでいるのか、その言葉ひとつひとつに敵対しているかのごとき刺々しさがある。強い絆で結ばれているのはよいことではあるが、それでとばっちりを受けたのでは一刀たちからしてみればたまったものではない。

 

「まあまあ、そうツンツンしなくてもいいんじゃないでしょうか。なにもご主君さまだって、出会ったばかりの女の子を取って食うほどの鬼畜ではありませんからー」

 

 飴を舐めつつ、やんわりと矛を収めるように程昱は言葉をかける。だがその程度で警戒を緩めるほど、この賈駆は穏やかな女性ではなかった。

 どうやら彼女なりに天の御遣いについての情報は集めていたようで、その口調は益々攻撃的になっていく。

 

「御遣いが色に溺れて女を多数侍らしているっていうのは、どうやら真実らしいわね。ボクからしてみれば、女の間をふらふらとしている男なんかに尽くせるのが不思議でならないわ」

 

「ちょっと、(えい)ちゃん……!?」

 

 今度は盧植が止める間もなく、賈駆による無遠慮な口撃(こうげき)が行われてしまう。これにはさすがの郭嘉も冷静ではいられないようであり、糾弾するような目つきで賈駆と視線をぶつけ合っていた。

 そんな一触即発の状態に陥った天幕前に、内側から小柄な少女がゆっくりと姿を現した。

 

「だめだよ、詠ちゃん。お客様との諍いは、そこまでにしておいて」

 

 鶴の一声というのは、まさにこういったことをいうのであろう。

 薄い(すみれ)色の髪をもつ少女の声に賈駆は一瞬で黙り込み、盧植はほっとしたような面持ちで胸を撫で下ろしていた。少女の後ろに控える華雄は直立して睨みを利かせているので、どこか仁王像のような迫力さえ有している。

 やがて、この出会いこそが彼らのその後に多大な影響を与えることとなっていくのだが、それはここにいる誰もがいまだ知りようのないことではあった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。