※この作品はR-18です。

北郷当代記   作:KKS

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「――ふっ! ……っと、あれ?」

 

 馬上の一刀は下半身に力をこめ、弓の照準を定めたかと思うと目標に向けて矢を放つ。しかしその矢尻は狙い通りに命中することなく、ふらふらっと飛翔したのち地面へと落下した。

 

「ははっ、なんだ北郷。そのような腕前では、いつまでたっても獲物など取れんぞ」

 

 見事なまでに矢を外した一刀のことがおかしかったのか、華雄は腹を押さえながら大げさに笑っている。さりとてそのことに反論もできず、一刀は頭をかいて遠く離れていく鹿の尻を眺めているしかない。

 

「むー、なんかすっごく悔しいのだ。お兄ちゃん、つぎはぜったい当ててよね!」

 

「いくら鈴々のお願といっても、こればっかりはなあ」

 

 今回の鹿狩りのために一刀は張飛を、董卓は華雄をそれぞれ護衛として連れてきていた。どことなく波長の合いそうなふたりではあったが、一刀のことを馬鹿にされているように感じて張飛はぷんぷんと怒っている。

 張飛のためにもなんとか獲物を仕留めてやりたいものだが、付け焼き刃程度の弓術では思うようにいかないのも道理であろう。

 

「ふふっ、いまのは残念でしたね。北郷さま、もう一度やってみませんか?」

 

 董卓は手綱を引いた手で口もとを隠しているが、その目が笑っていることは明らかであった。

 このままいじけてしまってもいいのだろうかと考えつつも、一刀は両手でバツのマークを形成する。もしかすれば今後の戦場でも必要となる場面があるかもしれないが、一日や二日で上達するものでもない。

 

「それもいいけど、狩りにでてきて成果もなしに帰るのはあれだろ? せっかくだし、仲穎殿が手本を見せてくれないか」

 

 少々不貞腐れ気味の一刀が弓を差し出すと、「仕方がありませんね」と董卓はそれを受け取った。

 口ではそう言いつつも、彼女自身は狩りをすることが嫌いでないのだろう。周辺を見渡す眼差しは鋭く、凛々しい美しささえ感じさせる。

 一刀がその姿に見とれている間に董卓はどうやらつぎの獲物を発見したらしく、前傾姿勢となって乗馬を駆けさせていくのであった。

 

「馬の扱いも手慣れたものだ。身体が大きいわけでもないのに、悠々と操っている感じがする」

 

「当然だろう? 董卓さまは涼州育ちだ。あっちでは馬を自由にできなければ、一人前とは認められん」

 

 董卓の乗馬の後を追いながら、一刀は「なるほど」と納得顔でうなずいている。

 涼州は西涼ともいい、漢の西北端に位置する土地であった。涼州はその土地柄匈奴ら外敵と接触する機会も多く、それらに対抗するべく自然と騎馬の技術も熟成されていった。

 そんな環境のなかで豪族として力を有する董卓も例に漏れず、馬術に関しては幼少の頃より常々修練してきたものなのである。

 

「涼州っていうと、()家もそうだよね。もしかして、馬孟起(ばもうき)殿とも知り合いだったりするの?」

 

 一刀のいう馬孟起というのは、董卓と同じく涼州にその人ありと謳われた馬超(ばちょう)のことであった。その字を孟起といい、あまりに見事な武勇を誇ったことから錦馬超と渾名されてもいる。

 

「なんだ、馬超を知っているとは驚いたな。やはりあれか、賈駆のいっていたように天の御遣いは女のことならば……という」

 

 からかうように華雄は軽口を叩いたが、そういうことができるのは一刀に対して悪くない感情を持っているからともいえよう。

 主君が率先して打ち解けようとしているのだから、なにもわざわざ邪魔をする必要もない。華雄からしてみればそのくらいのことなのではあるが、こうして雑談に興じてみてはじめてそのひとの性格というのは理解できるものである。

 

「いや……、ほんとにそんなのじゃないから……。みんなのいうところの天の国の歴史書には、そのあたりの名前も出てくるってだけだよ」

 

 内心嬉しく思いながらも、一刀はそれを表に出さず返答した。

 華雄は未知なる世界の歴史書というものに興味があるのか、あごを撫でつつその内容について尋ねる。

 

「ほう、天の国の……。無論そこには、董卓さまの名は大々的に記してあるのだろうな?」

 

「大々的に、か……」

 

 董卓の事績について聞かれ、さすがに一刀は言葉を濁した。ありのままに教えてしまえば怒りを買うのは当然であるし、なによりここで颯爽と手綱を操っている董卓が史実に残る暴虐な人物になるとも考えたくない。

 しばしの間黙り込んでしまった一刀を見て、なにかよくない雰囲気であることを察してしまったのだろうか。それでも華雄は快活に笑い、主君の小さな背中を瞳の中におさめている。

 

「もとより、詳細など尋ねるつもりはないさ。いま歩んでいるのは我らの道。この先を作るのも、また我らだからな」

 

「おー。華雄、なんだかいいこといってる気がするのだ!」

 

 決意を豪語した華雄のことを、張飛はキラキラと輝く目で見つめていた。一刀もその点についてはその通りだと思いたいし、どうかそうあってほしいと願いたいくらいである。

 三人が雑談を交わしている間にも董卓は弓の射程にまで迫ったようで、「はっ!」という勇ましい掛け声と同時に矢を放つ。

 狙いすまされた一矢は力強く風を切り、追っていた鹿の胴体へ突き刺さった。

 

「すごいな、仲穎殿。獲物まで一直線……って感じだった」

 

 董卓に追いついた一刀は、ポンポンと手を叩いて賛辞を表している。少女のほうは狩りが上手くいったことに安心をしたのか、幾分か表情を和らげながらそれに会釈で返した。

 

「そうでしょうか? でもこれで外してしまっていたら、先生失格ですからね。さてと……」

 

 まるで盧植のような発言をしたかと思うと、董卓は再び馬に命令して息も絶え絶えといった様子の鹿に近づいていく。

 

「そうか。しっかり仕留めてあげないと、ただ苦しめるだけだもんな」

 

 鹿のそばで下馬した董卓は、懐から短刀を取り出すとなんの躊躇もなく刃を突き刺した。狩りをしている以上当然といえば当然であるが、少女のかわいらしい風貌からはなかなか想像できない姿だけに一刀の身体にも力が入る。

 

「命をいただくわけですから、手を抜くわけにはいきません。それは狩りだけじゃなくって、どんな場合も同じだと思うんです」

 

 観念的なものであろうか。董卓の言にはなにか重みのようなものがあるように感じられ、すっと細められた(まなこ)は別のどこかを遠望しているようでもある。

 

「はい、これでお終いです」

 

 動かなくなった鹿の胴体をそっと撫で、董卓は立ち上がった。短刀にこびりついた真新しい赤い血が、命を奪ったということを余計に実感させている。

 

「董卓さま、あとはわたしにお任せください。……いつもながら、よきお手並でした」

 

「ふふっ、ありがとう。帰るにはまだ早いでしょうから、わたしは北郷さまとこちらにいます。翼徳ちゃん、少し華雄と遊んでいてもらってもいいかな?」

 

 横目に視線を送ってくる董卓に対し、ここからが本番だと一刀は背筋を緊張させた。子供扱いをされたようで張飛は不満顔であったが、持ってきていた武器をぶんと一振りすると全身に闘気をみなぎらせていく。

 

「華雄、どうせだったら鈴々と勝負しよ! 香風の斧とどっちが強いのか、たしかめてあげるのだ!」

 

 鈴々が指さしているように、華雄の武器もまた長柄のついた斧であった。

 徐晃とはこれまで何度も仕合ってきたなかで、両者ともに実力を認めあっている。だがそれは裏を返せば相手の出方がわかっているということでもあり、新鮮な対戦相手をこの小さな豪傑は欲していたのだった。

 

「いいだろう。わたしの金剛爆斧、存分に堪能させてやる」

 

「よーっし、それならはやくしよ! 鈴々、うずうずしてきちゃったのだ!」

 

 獲物を運ぶ華雄を急かしている張飛はいたく楽しそうで、先ほどの不満はどこかに置いてきてしまったようである。

 配下らのやり取りを見終え、少し歩いたところの草原に腰をおろす一刀と董卓。しばらくどちらから口を開いたものか牽制しあっていたのだが、その状況に決着をつけたのは董卓のほうであった。

 

「こほん……。北郷さまは、現在起こっている乱についてどう思われますか?」

 

 憂いを含んだ双眸。しかし強靭な意思を孕んでもいる赤紫のそれを見つめ返し、一刀はおのれの考えを語っていく。

 

「いまの国のあり方に不満があって、暮らしにも不満がある。だから、それについて立ち上がりたくなった気持ちはわからなくもない」

 

 地方での蜂起から、国が崩れていった例もないわけでもない。

 どうせ下々の意見などは聞き入れられないから、直接的な手段に訴えかける。そういうことは、古今東西変わらないものなのだ。

 

「だからって、それがまったく正しいことだとも思わない。誰もがみんな、ひとつの願いを叶えるために行動しているようでもなさそうだからね」

 

 過激な手を選んだ場合、必ずどこかで被害を被る者たちがいる。

 一刀にしてもそうだったし、世の中を俯瞰すればさらに多くの事例も浮かび上がることであろう。寄り合い所帯が大きくなっていくほどに、純粋な思想は薄まってしまうものなのである。

 

「そう……ですね。ですから、この乱を主導している者を早く討ち倒さなければなりません。わたしや風鈴さんは、そういう考えをもって戦っています」

 

 できることならば、そこへ人心を集めつつある天の御遣いにも加わってもらいたい。そんな思惑を持った董卓の色白な肌にはほんのりと赤みがさし、口調も力強いものとなっていく。

 

「民が行動せざるを得なくなった状況を作ってしまったのは、わたしたちのような立場の人間の責任であるともいえるでしょう。だからこんな戦いは早急に終わらせて、国の内情を変えなくてはいけないんです。天の御遣いさまのお力も、それには必要となっていくのではないでしょうか」

 

 そうかもしれないな、と一刀は董卓に向かってうなずいた。

 世が乱れているだけに、異分子である天の御遣いが呼ばれたのであろうか。そういうこともふとした時に頭によぎるのだが、思い悩もうとも答えがでるものでもない。

 

「……仲穎殿は、戦の先のことまでよく考えているんだな。俺なんて、目の前のことをどうにかするのが精一杯でさ」

 

 自嘲気味に笑い、一刀は地面に視線を落とす。確固たる意思のもとに戦う董卓のことが、すこぶる眩しく感じられたせいかもしれなかった。

 

「そんな目先のことを解決しようにも、俺はなにかを殺すことでしか解決してこられなかった。……こんなやつが天の御遣いだなんて自称してるんだから、なんだか笑っちゃうよな」

 

 どれだけ正しいと信じた行いであろうとも、これまでにいくつもの命を途切れさせて来たことに違いはない。一刀はこんな弱音など吐くつもりもなかったのだが、董卓には話せてしまう包容力のようなものがあった。

 思いがけず天の御遣いの弱い部分に触れてしまい、董卓は一瞬の逡巡をみせる。それから気づけば、知り合ったばかりの男の身体を抱き寄せてしまっていた。

 

「北郷さまは、それでいいんだと思います」

 

 一刀の耳に、優しい声音が響いている。少女は香をつけているのだろうか。主張の激しすぎない匂いが、ふわりとした抱擁と相まって一刀のささくれ立ちそうな心を癒やしていく。

 

「この地に根ざしている諸侯なら、北郷さまのような悩みを持つことすらないでしょう。それは、わたしだって同じことです」

 

 穏やかにゆられつつ、少女の胸の中で一刀は頭を縦に動かした。

 この場に賈駆が居合わせていれば、大層機嫌を悪くしたことであろう。それは単に幼馴染が気に入らない男とベタベタしているからではなく、深く心を通じ合わせようとしていることに他ならない。

 

「だから、悩んで悩んで悩み抜いて……それでも歩みを止めないことが大切なんだと思います。それが天の御遣いさまの、北郷さまの道となっていくんですから」

 

 奇しくも董卓は、華雄と似た助言を苦悩する御遣いに与えた。

 進むことを止めてしまったのでは、それまでの全てが水泡に帰してしまう。散らしてきた命があるのならば、それに恥じない生き方をするべきだと董卓は心に決めていた。

 その胸元。一刀は唇を噛み締めて、溢れ出しそうになる感情を抑え込もうとしている。

 わずかに震えてしまう背を撫でる手は優しいが、これ以上弱いところを見せるわけにはいかない。なにより、そう言ってくれる董卓の想いに応えたいと、一刀の心は叫んでいた。

 

「敵わないな、仲穎殿には。だけど……うん、もう……大丈夫だ」

 

「そう、ですか……? えへへ……、もう少しこうしていたかったのは、わたしのほうなのかもしれませんね」

 

 上体を起こした一刀にそう告げると、やはり恥ずかしかったのか「へぅ……」と董卓は頬を両手で包む。

 そういうギャップが男心をくすぐるというのを、本人は知らずにやってしまっているのだから末恐ろしいものである。

 

「これからは、月と呼んでくださいませんか? この出会い、たとえ偶然であったとしても……大事にしていきたいんです」

 

 少女の長い睫毛(まつげ)はふるえ、両手はきゅっと胸の前で結ばれていた。緊張してしまうのは、きっと気のせいではない。意識し始めた相手であるからこそ、感情は振り子のように左右してしまうのであろう。

 

「ゆえ……、月……。うん、きれいな真名だね」

 

「うふふ、みなさんにもそう言われているんでしょう?」

 

 一刀に初めて真名を呼んでもらい、董卓は喜色を浮かべて朗らかに笑った。つい賈駆のように意地の悪い表現をしてしまうが、それは互いの距離が縮まった証拠ともいえるであろう。

 

「勘弁してよ……。それと月、今日はありがとう。個人としても軍の代表者としても、改めてよろしくお願いする」

 

「いえ、こちらこそ有意義な時間をいただけましたから。がんばりましょうね……北郷さま」

 

 董卓が気持ちを新たにした一刀の手を取ったことで、ここに両軍の同盟関係は成立した。

 ともかく彼らの目指すところは、国を分断しかねない騒乱の鎮圧である。それを成した先になにが待ち受けようと、この時はただ我武者羅に走り抜けるだけであった。

 

「そろそろ、華雄たちのほうも決着がついたころでしょうか」

 

「どうだろうな。……ふたりが呼びに来るまでは、俺は月とこうしていたいんだけど。嫌じゃなければだけど……さ」

 

 一刀は董卓のほうに肩を寄せ、遥々と広がる地平線へと手を伸ばす。

 対等な存在でありながらも、守ってやりたいと思わせる少女である。朱色をした唇が、やけに魅力的に映えていた。

 

「嬉しいです、北郷さま……」

 

 同じように手をかざし、董卓は雲の流れる青空を見上げる。いまがどれだけ曇天(どんてん)に覆われていようとも、いつか必ず国全体を晴らせてみせたい。そう誓うのと同じくして、異邦人を遣わせてくれた天に少女は感謝の祈りを捧げるのであった。

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