鹿狩りの翌日。天幕に集まった北郷軍の将たちは、一刀から董卓の軍勢と共同戦線を張ることについて聞かされていた。
床几を並べてもよかったのだが、なにぶん全員揃ったとなれば少々手狭な程度のスペースしかない。なので各々好きなところに立ったままであり、一刀も報告は手短に済ませるつもりであった。
「まったく一刀さまというお人は……。会談のときに風はあのように言いましたが、美しい女性からの誘いに目がないというのも考えものですね。ひとことくらい、わたしたちに相談があってもよろしいというのに……」
ツンケンとした口調でもっともな意見を語る郭嘉ではあったが、その仕草は見ようによってはただすねているだけともとれなくはない。
楽進から天の国の董卓について聞かされていただけに、このまま道を同じくしてよいものかという一抹の不安がある。たしかに実際に会った董卓からはそのような雰囲気は感ぜられなかったが、帷幕の臣として心配なものは心配なのであった。
「もう、稟ちゃんてば心配性なんだねえ。ご主人様が正しいと思ったんだから、きっと大丈夫! みんなで頑張って、それ以上に……大正解にしちゃえばいいんだよ!」
劉備の勢い任せな天然の明るさがどうにも苦手なのか、郭嘉は少々気圧され気味に眼鏡をいじる。
もとより食い下がろうとしていたわけではないのだろう。気勢を削がれた郭嘉は腕を組み直し、ちらりと片目で一刀のことを見た。
「桃香殿ではありませんが、主君の決定に最良の結果で応えることも我らの仕事といえるのでしょう」
「そうしてくれるとありがたいな。あちらの軍ともしっかり連携をとれるように、賈文和殿と協議しておいてほしい」
一刀にそう頼まれた郭嘉は、配下の者らしく拱手をしながら「はっ」と短く返答する。
「隊長。自分たちもみなさまにご挨拶をと思うのですが、うかがってもよろしいでしょうか?」
「もちろん構わない。月も歓迎してくれるんじゃないかな」
「んー? それって向こうのお偉いさんの真名ちがうん? 隊長はん、ほんま隅に置けへん人なんやからあ」
ぐふふ、と悪徳商人さながらの低い笑いをもらしつつ、李典は背後から関羽の肩を抱いた。
「もう、ご主人様ったらまたそうやってすぐに女を増やそうとするのですから」
「い、いえっ!? いまのはわたしが言ったのではありませんからね!?」
関羽の声真似をする李典は、「よよよ……」と下手くそな泣き真似を交えつつ演技を続けていく。あたふたとする美髪公がかわいらしいからか、劉備などは「うんうん」と率先していい客ぶりを発揮していた。
「わたしにあんなことやこんなことをしておきながら、まだ女漁りをされるなんて……。愛紗、泣いちゃいます……!」
「うわあ……。愛紗ちゃんを泣かせるなんて、ひどいよご主人様ー」
明らかに感情のこもっていない台詞に対し、「ひどいのはきみの棒読みだよ、桃香」と一刀は心の中で密かに呟いている。こうなってしまっては軍議もへったくれもなく、困り顔の関羽だけが視線をふらふらと彷徨わせているのであった。
「おっぱいなら、わたしだって負けませんから……! ほら、こうやって……」
肩を抱いていた手を前方に回し、李典は関羽の見事な乳房を下から鷲掴みにしていく。柔肉によって構成されたそこは、衣服の上からでもわかるほど柔軟にかたちを変える。
「おお……、これは」
彼女に触れたときのことを思い出したのであろう。一刀はごくりと生唾を飲み、手のひらの内に収まりきらぬ乳房の感触を復活させようと試みていた。
「愛紗のおっぱい、ばいんばいんでずるいのだ!」
「……ばいんばいん。愛紗のおっぱいは……ばいんばいん」
ぐにぐにと揉まれる乳房を羨望の眼差しで見つめる張飛と徐晃。
小さな胸には小さな胸なりのよさがある。そのように一刀は主張したいくらいであったが、如何せんそれではますますこの場をややこしくするだけであろう。
「んっ……ふあっ……あっ……。ご、ご主人様……、見ていないで、助けて……ください……!」
関羽の胸をおふざけで揉みしだいているうちに、李典もおかしな気分になってきたのであろう。その指遣いは段々といやらしさを増してきており、きゅうっと柔肉を絞り上げては敏感な突起を弾いているのである。
仲間の前で弱点を責められ、羞恥の色に染まりきった関羽の表情。さらに下着をしているためわからないはずではあるが、心持ちある一点が隆起しているようにすら思えてしまう。
それらはいたく男の情欲を刺激するものであったが、ここはなんとか我慢しなければならないと一刀は頭を振って煩悩を払い飛ばした。
「あ、ああ、そうだな。ほら、真桜っ」
関羽の胸を包んでいる李典の手を剥がそうと、一刀は両手を伸ばす。だがそのタイミングを狙っていたかのように、李典はさっと大きなカップを支えていた手を引いていく。
「えっ」という気の抜けた声と共に、すかされた一刀の手のひらは空いたスペースに吸い込まれていった。
「やあっ……くうっ、ご主人様……そんな、あうっ……!?」
一刀の指は柔らかな肉のつまったふくらみをむにむにと潰し、関羽の衣服にしわを作っていく。本人からしてみれば無意識にやってしまったのであろうが、絶妙な力加減で愛撫されて少女はたまらなさそうに黒髪を揺らす。
「す、すまん、愛紗! これはその……だな」
離さなければならないと思えば思うほど、その意に反して指は乳房にめりこもうとしてしまうのだ。
関羽としては顔から火が出るほどに恥ずかしいことではあったが、触れてもらえていること自体は純粋に嬉しかった。こんな場所でさえなければしっかりと甘えたいくらいではあったが、そのような想いはすぐにかき消されていってしまう。
「さすがというかなんというかー。ご主君さま、愛紗ちゃん相手に発情されるのはけっこうなことですが、ここまで大胆なことをされては……風はお餅を焼いてみたくなってしまうかもしれません」
少々不機嫌そうに飴をくわえる程昱は、かわいらしく抗議の声をあげた。一刀の女関係を許容しているといえども、嫉妬心が微塵も存在していないというわけではない。
恋人にもっとも愛されたいと願うのは人情であるし、当然のことであるともいえよう。
「お兄ちゃん。ばいんばいんじゃないけど、シャンのおっぱい……さわってもいーよ?」
「と香風ちゃんは申されていますが、どうされますか? お昼から乱痴気騒ぎをするというのは、あまりおすすめできませんがー」
「う……。ごめん、みんな……ほんとにこんなことするつもりじゃなかったんだけど……」
毒気を抜かれた一刀が乳房から手を離すと、羞恥に耐えられなくなったのか関羽はしゅんとして小さくなってしまった。
「もとはといえば、待て……真桜……!」
「な、凪い!? ウチはちょっと、女同士のふれあいってもんをやな……!?」
「問答無用だ! お前は少し反省していろ!」
楽進は何食わぬ顔で天幕を退出しようとしていた李典の後ろ首をつかまえ、その場で正座をさせている。事の発端が彼女だとはいえ、鬼気迫る表情で怒る楽進に凄まれているだけにいくぶんかわいそうにも見えてしまう。
「一件落着、でいいのかな……風ちゃん?」
「そうですねー。もとよりわたしはご主君さまの臣下ですので、そう強くはでられない立場なのですよ」
劉備に対し口ではそういいながらも、薄目をあけて一刀を見上げている程昱は虫の居所がなおったようである。夜這いをする口実ができたというわけではないが、今度の機会には心ゆくまで楽しませてもらおう。そんなことも計算にいれながら、少女はいつものように「ふふふー」と密やかに笑ったのであった。
「はあ……。なんでボクが、あんたなんかと一緒に行動しなくちゃいけないのよ。月のお願いでもなければこんなこと……」
その日何度目であろうか。深くため息をつき、賈駆はいつもの不機嫌そうな目つきで一刀のことを睨む。晴れ晴れとした朝日はすっきりと大地を照らしているというのに、少女の態度はいかがなものであろうか。
ならされた道を歩く二頭の馬は、乗り手たちの不和がわかっているのか互いに顔を見合わせているようでもあった。
「それだけ文句たらたらなのにこうして付き合ってくれるんだから、俺は文和殿のこと嫌いじゃないよ」
「は、はあっ!? 朝っぱらからなにいってんのよ、この……チンコの遣い!」
あまりにもひどい形容の仕方をされ、一刀はショックを受けた風を装ってがっくりと肩を落とす。一方で不満をぶちまけた賈駆は言いすぎてしまったと思ったのか、きまりが悪そうに馬上で頬杖をついている。
なぜこのようなことになっているのかというと、その始まりは数時間前のこと。あれから黄巾軍と小競り合いをしながら冀州北部を移動していた両軍は、その中程にある鉅鹿郡に大軍が集結しているとの情報を得ていた。総勢十万はくだらないという話でもあり、その規模と動きからみてそこに主犯格がいると彼らは判断したのだ。
決戦に向けて準備を整えるなかにあり、物資を充分なものとしておくのはなによりも重要なことである。その一環として天の御遣い自ら街へ調達にでると聞き、董卓はあえて補佐として賈駆を遣わせたのであった。
「詠よ」
「えっ……?」
賈駆があまりにも小さい声でぼそりと言ったからか、一刀には空耳かと思えたのであろう。それに彼女とは真名を許されるような仲になった覚えもないし、勘違いで呼んだ日には修復不可能なくらいの亀裂がはいってしまうことは必定であった。
「えっ……、じゃなくって……詠! ボクの真名、詠だってことくらい……知ってるでしょ!? ほんっと、あんたといるとどうにも調子が狂うわ……」
いらついた様子で頭をがしがしと掻きむしる賈駆を見ながら、一刀は馬を近寄せていく。
どうせならば、彼女のかわいらしいところをもっとそばで見ていたい。そんな心境になりながら、賈駆からほとんど投げやり気味に預けられた真名を呼ぶのである。
「詠」
「う……。あんたにそう呼ばれると、なんだか背中がぞわぞわするわね……。やっぱり、預けるのはやめたほうがよかったのかも」
軽く身体を武者震いさせると、賈駆はそんなことを口走った。一刀はなぜいきなり真名を許されたのかを理解していないので、少女はひとりで懊悩してしまっていることになろう。
「聞くのもちょっと怖いけど、なんで真名を許してくれたんだ? いまだって、なんだか嫌そうだし」
「……いくらあんたが気に食わない男でも、あの子の大事な同盟者であることに変わりはないの。こうしてボクを一緒にいかせたのも、月のおせっかいのひとつでしょ? だったら、ボクはその思いに応えてあげたいっていうだけ」
「ほんとに、月のことが大切なんだな」
「そんな当たり前のこと、答えるまでもないわ。あの子のことを悲しませたりしたら、ボクはあんたのことを許さない。それだけは、しっかりと覚えておいて」
曇りのない瞳で一刀のことをキッと見つめて、賈駆はそう宣言した。
「わかってるよ。詠からもちゃんと信頼してもらえるように、これから頑張るつもりだから。それに真名を預けてくれたのは月のためかもしれないけど、俺は詠のことをもっと知りたいと思う」
「あ、あんたは、またそういうことをさらっといって……。いいわ、だったら……陣に帰るまでボクのことちゃんと守ってよね。そうしたら、少しは認めてあげるかもしれないわよ?」
わずかに照れを含んだ賈駆の言葉に「もちろん」と返し、一刀は鯉口を鳴らす。
ツンツンとしているようであっても、少女は意外と守りの面で脆い部分がある。そうしたところはかわいらしく思えるし、もっと色々な表情をさせてみたいとさえ考えさせてしまう。
「それじゃ、ちょっと急ごうか。できることなら、日が落ちるまでには帰りたいからね」
「ええ、そうしましょ。あんまり遅くなったら、またあんたのとこの変な参軍におかしな勘ぐりをされてしまいそうだもの」
それぞれの思惑を乗せて馬は走る。だが、先ほどよりかは乗り手たちの間にある雰囲気が和らいだことを、互いの乗馬はよくわかっていた。
駆ける
「――はっ、はっ、はっ」
ぜえぜえと辛そうに息をしているひとりを励ましながら、他のふたりは気力を振り絞ってただ前へと進んでいる。三人ともにかぶっている外套は泥に汚れ、ところどころなにかに引っかかったように破けていた。
それも当然であろう。三人はあえてひと目のつきにくい森のなかを動き、なにかに怯えているように周囲を警戒している。
「ゆっくりしている暇はないわ。なるべく、遠くまでいきましょう」
頭まで深々と隠した外套の隙間から、ちらりとその横顔がうかがえた。
美しいというよりかは、かわいいと表現したほうが適当なその容姿。まだ三人は年も若いようで、なんとか強行軍にも身体がついてきてくれているようであった。
「がんばろう……。わたしたちはもう、あそこには戻らないって決めたんだから」
疲労のために消え入りそうになってしまいそうな声ではあったが、そこには確かな力が宿っている。
いつかまた、青空の下で人々に堂々と向かい合っていたい。それだけを希望に、少女たちは険しい道のりを歩み続けていくのであった。