夜が明け、朝日が大地を照らしだした頃。北郷軍の陣内では、ふたりの少女がともに寝ていたはずの姉妹を探して歩いている。
「ちーほーちゃーん? どこにいっちゃったのー?」
妹の名を呼ぶ張角の声には、焦燥感が混じっていた。ここに来てようやく安息を得ることができたというのに、張宝がいなくなったのではそれも意味がない。
「あっ、もしかしてっ!?」
「どうしたの、姉さん?」
ひらめいた、というように声をあげる張角。なにか心当たりでもあるのかと張梁は尋ねたのであったが、返ってきた答えは彼女が期待しているようなものではなかった。
「ちーちゃん、抜け駆けして一刀のところにいっちゃったんじゃないのかなーって。むうー、わたしだって狙ってたのにい……」
「姉さん、こんなときになにを……。でも、一度あのひとのところへ行ってみましょう。ひょっとして、なにか知っているかもしれないもの」
姉のぼんやりとした分析にがっくりとうなだれる張梁だったが、あの天の御遣いには事情を説明しておく必要があると考えている。
どのような人物なのか見定めたいとは思っていても、張梁もさすがに一刀に対し恩を感じていた。
張角や張宝ほどではないにせよ、あの状態から救ってもらったのだから心が揺れ動いてしまうのも無理はない。
「よし、れんほーちゃん……いくよ」
「うん、姉さん」
一刀が居所としている天幕の入り口に手をかけ、張角は一度妹のほうへ振り返った。そうして、垂れ下がった布をゆっくりとあげると中へと入っていく。
「あっ!」
天幕内に立ったふたりは、目を疑うような光景を見せられて同時に驚きの声を出してしまう。
そこに間違いなく探し人はいたのではあるが、その寝姿が問題なのである。
「ほらあ、やっぱりそうじゃないっ。うう、ちーちゃんだけずるいよお……」
一刀に腕枕をされて熟睡している張宝は、いたく幸せそうであった。妹が初めどのような決心を持ってここを訪れたのかを知らない張角は、不機嫌そうに眉をひそめている。
「心配して損した、ってことね。姉さんが無事でよかったけど、まったくもう……」
気を揉んでいたことが馬鹿馬鹿しい。そういうように張梁は指で額を押さえながら、寝息をたてている姉のところへ近づいていった。
「姉さん、ほら……起きて」
「うん……? んふふー、だめだってば……一刀お」
身体を揺すられても張宝は、まだ夢の中といったところなのであろう。一刀にいたずらをされていると勘違いしているのか、ニタニタと笑いながら妹の手を払いのけようとしている。
「れんほーちゃんは優しすぎるんだから。こういうときは、こうするの!」
すっと前に出た張角は、妹の両頬をぎゅうっとつまんだ。本気で痛みを与えようとしているわけではないものの、そこには多少の嫉妬心も込められている。
むにむにとやわらかな頬を餅のようにこねる張角は楽しそうで、ストレス発散とばかりに上下左右に形を変えていった。
「ふえっ!? い、いひゃいって……!?」
これにはさすがの張宝も驚き、バチンと開けた両の目をしばたかせている。状況がいまだ理解できていないために、その視線は右往左往してしまっていた。
「おはよう、姉さん。その様子だと、昨晩はお楽しみだったようね」
「れ、れんほー? それにお姉ちゃんまで……」
ふたりの顔を交互に見ながら、張宝はわけがわからないといった表情を浮かべている。
「よっ、どうしたんだ?」
そうこうしている間に目を覚ましたのであろう。寝床から身体を起こした一刀は、なにやら縮こまってしまっている少女の肩を後ろから抱いた。
「わたしたちはただ、ちぃ姉さんのことを捜していただけ。……なにがあったのか聞きたいのは、むしろこちらのほうね」
「そーだよー! ちーちゃん、一刀とあんなに仲良さそうに寝てたのはどうして?」
妹に詰め寄る張角は、普段ののんびりとした感じではなく妙な迫力があった。
しかし特に非があるわけでもないということもあって、張宝は正面きって応戦をしていった。
「ちぃ、一刀にとっても優しくしてもらったの。んふふ、その意味……わかるよね?」
姉の不機嫌さの正体にいち早く気づいた張宝は、肩を抱く男の腕にキスをして親密さをアピールした。
最後までつながったわけではないものの、彼女はすっかり恋人気分を漂わせている。そのために事の詳細を知らない張角は余計に不満をあらわにし、「むー!」と精一杯眉を怒らせながら胸の前で両手を握りしめていた。
「こら……地和、あんまりややこしくなるようなことを言わないの。意地の悪いことをするなら、あのことバラしちゃうよ?」
「えっ!? あ……、だめだめっ! あれだけは、秘密にしておいて!」
一刀のいう「あのこと」というのは、無論全員の身の安全のために張宝が夜這いをかけようとしたことである。
余裕ぶっていた姉の態度が一変したことを張梁は訝しんだが、さすがにその内容まではわからない。ただそれがどうであれ、張宝が天の御遣いに心を許しきっていることだけは理解できた。
「はあ、もういいわよ……。北郷さん、ちぃ姉さんのこと……本気なんだよね?」
「俺は冗談でこんなことはしないよ。こうやって巡り会えたからできた繋がりなんだ、大切にしなきゃ罰が当たる」
あまりに真摯な態度でそう断言されたものだから、張梁としては一刀のことを信じるしかなくなってしまう。こういったある意味では強引なところも、天の御遣いであるためには重要な気質なのである。
「ねえねえ、一刀! それだったら、わたしだって……!」
先ほどまで妹と目線で火花を散らせていた張角だったが、表情を一転させると一刀の隣にぺたんと座り込んだ。
よくよく考えてみれば、なにも張宝と争い合う必要はないのである。彼女は目を閉じてちょこんと唇を突き出すと、妹たちの前にもかかわらず接吻をしてほしいと頼み込んだ。
「ちょっと、姉さん!?」
「いくら悔しいからって、それはどうなの……」
妹ふたりは姉の気ままっぷりに呆れたのだが、お願いを受けた当人は数秒だけおくと、平然と少女の顔に手を伸ばしたのである。
そしてわずかに震える
「あっ、ふふっ……んっ」
「うぐぐ……。これからは、わたしの魅力で一刀のことを独占しようと思ってたのにい……」
気持ちよさそうに唇を合わせる姉の姿に、張宝はおのれの野望を霧散させられていくのを感じたのであろう。もとより無謀な野望だったのは明らかとはいえ、恋に落ちたばかりの一途さとは斯くの如しであった。
「姉さんったら、あんなに嬉しそうにしちゃって。あれって、そんなにいいのかな」
「だってだって、一刀とああするとすっごく気持ちいいんだよ? もしかして、人和もしたくなってきたりして?」
「えっ!? いえ、そんな……わたしは……」
張宝にそう言われると、つい気になって口づけを交わすふたりのことを観察してしまう。見たこともないほどに蕩けさせられた姉の横顔に、無関心を決め込んでいた張梁もさすがに赤面してしまっていた。
自分が同じようにされてしまったら、どうなってしまうんだろう。心の緩みはそういった思考を発生させ、好奇心に居座る隙きを与えていく。
そこにトドメをさしたのは、すっかりキスを堪能した張角の言葉だった。
「れんほーちゃんも、してもらいたいの……? 三人一緒に一刀のものになれたら、お姉ちゃん嬉しいかも」
固まって立ちすくんでいた張梁は、姉に手を引かれると抵抗もなく一刀のまえに膝をついた。
――もうすぐ、この人に唇を奪われてしまうんだ。状況を冷静に捉えてしまうほど、反対に体温は沸騰してしまいそうなほどに上昇を続けていった。
「ほら、一刀……優しくしてあげてね」
「こういうときは、天和もお姉ちゃんなんだ。……人和、緊張してる?」
「し、しかたないでしょ? こんなことするの、わたしだって初めてなんだから」
どうしていればいいのかもわからないが、視線を合わせることも恥ずかしい。そのようにあたふたとしている張梁の腕をつかまえると、一刀はそっと抱き寄せる。
普段は穏やかな好青年といった印象を受けるが、こと性事に関してはどこまでも貪欲な男だった。もし彼が普通の暮らしを送っていたのならば欠点にもなったのだろうが、人の上に立っているからにはそれは長所ともなるのだ。
「名前、呼んでほしいな。俺だけ人和のこと真名で呼ぶなんて、ズルいだろ?」
耳元でそうささやかれ、少女は幾ばくか逡巡しているようだった。
「うん……。一刀……さん。あっ……」
そこにタイミングを合わせて、一刀は張梁のファーストキスを奪った。
一瞬のことで頭が真っ白になった彼女は、目を大きく見開きながら男の体温を感じている。
想像していたものよりもずっと強引で、有無を言わせない行いだった。けれども心臓は脈を打ち、脳内は行為による甘酸っぱい痺れに侵されようとしている。
「ふわう……、ん……ちゅっ」
繋がった互いの手のひらは熱く、じんわりと熱を帯びていく。思っていたよりも求められていることが嬉しくて、一刀のほうも動きがだんだん激しくなっていった。
いままでは自身がしっかりしなくてはと張り詰めてきただけに、甘えさせてくれる存在を欲していたのかもしれない。隠していた内心を解放していくかのような張梁の口づけに興奮を呼び起こされ、一刀はするりと唇の間に舌を入り込ませていった。
「んんっ!? はむっ、ちゅぷっ、ちゅるっ……」
「いいなあ、人和。ねっ、一刀っ……つぎはちぃともしてよね?」
ねっとりと舌を絡ませ合う姿を見せつけられ、張宝は自分も早くそうされたいと思っているのだろう。昨夜の出来事はあまりに夢心地であったがために、少々現実味に欠けていたともいえる。
「ちーちゃん、それでほんとは一刀とどこまでしたの?」
「秘密だってば! でも、一刀ってばすっごく激しかったんだから。あんなこととか、こんなこととか、それはもう……」
ニヤけながら話す張宝は、わかりやすいくらいに勝ち誇っていた。
得意気に言う割には詳細がなにもないことに張角は疑問をもったが、妹が気になる男と一夜を過ごしたのは紛れもない事実なのだ。一歩リードされていることは悔しいが、同じ土俵にあがったからには後塵を拝すつもりはない。
「ふーんだ。わたしだって、すぐに追いついちゃうからね。それにれんほーちゃんだって、ほら……」
頬を上気させながら男の抱擁を受け入れている張梁は、姉たちから見てもどこかそそる部分があった。
このままいっそ、雰囲気のまま乱れに乱れてしまおうか。ふたりが背筋を貫くような視線を感じたのは、ちょうどそんな時であった。
「び、びっくりしたあ……!」
張宝が振り返って入り口のほうを確認してみると、そこにあったのはつい昨日見知った顔。
これでもかというくらい不機嫌さをあらわにしている賈駆が、張梁と唇を重ねている一刀のことを睨みつけていたのだ。
「ね、ねえ一刀、あそこ……ほら」
「ん……? なんだ、詠か。集まる時間には、まだ早いはずだけど」
「なんだ詠か……、じゃないわよ! ほんっとあんたは、チンコが本体なんじゃないの?」
「どうかしたの詠ちゃん、言葉が汚いよ? わたしも、北郷さまに挨拶を……」
賈駆と同じように、一緒に訪れていた董卓が中の様子を目にした。口づけを中断させられた張梁は、くてんと男の肩に頭を預け物足りなさそうな表情をしている。
薄紫色をした短めの髪を撫でる一刀の手付きは慣れたもので、行いを察した董卓は恥ずかしそうにうつむいてしまっていた。
「おはよう、月。こんなところで申し訳ないけど、この子たちが昨日保護した三姉妹だ。張角、張宝、張梁っていってね」
「まったく、御遣いさまは手を出すのがお早いようで。月、これがこいつの本性なの。わかったら、あんまり深入りしたらいけないんだからね!」
「へう……。でも、英雄色を好むっていうくらいだよ? それに詠ちゃんだって、夜はあんなにたくさん北郷さまのお話しをしてくれたのに……」
「あ……、ちがっ……。あれはただ、月にあったことを報告しようとしただけでっ!」
董卓を支える参謀であると自負している賈駆であるが、顔に出やすい性格だけは如何ともし難いものであった。
賈駆が昨晩饒舌に道中のことを語ってくれたことから、一刀との関係が良化したのだと董卓は喜んでいた。基本的に他者に対して素直でない幼馴染であるから、いまのような言動も好意の裏返しなのではないかと思えてしまうのだ。
だいたい、無関心な相手であれば、それがどんな関係を築こうが怒る必要はどこにもないはずである。
なので、賈駆が苛立ちを見せて怒っているのは、一刀に興味が向いてきているからなんだ。董卓はそのように理解しているし、事実それは大きく外れてはいなかった。
「詠ちゃんはこんな調子ですけど、朝ごはんにご一緒させていただいてもよろしいですか? どうせ後から行くのであれば、お邪魔させていただこうと思っていたんです」
「ああ、それで構わない。外で少し待っていてくれないか、さすがに……このままではね」
寝間着にしている衣からは胸板がのぞき、張宝が枕にしていたこともあって袖の部分はしわだらけになってしまっている。配下の者と急ぎの用件で会うならともかく、これで董卓と同席したのではいささか礼を欠いてしまうであろう。
「わかりました、お待ちしていますね。ほら詠ちゃん、行こう?」
「うう……。月がどんどん、北郷に毒されていってるようだわ……」
董卓に手を引かれて出ていった賈駆は、呪詛を発するかのように口をわなわなと震わせていた。
残された一刀は表情を引き締めると、ぼうっとしたままの張梁を張角に預けた。今日は三姉妹から、これまでのことを聴取するつもりでいる。
「軍議のときには呼ぶことになるだろうけど、ありのままを話してくれればいい。辛いかもしれないけれど、よろしく頼む」
心を許した男にそう願われては、少女たちに断る理由などなかった。別に懐柔を狙ってしたわけではないが、それを自然にこなせるのがこの御遣いの強みでもあった。
正装として着慣れた制服に身を包み、刀を持って天幕を出ていく。その背中を追うように、三姉妹は後に続くのであった。