喚声が聞こえる。戟をぶつけ合い、剣で斬り結ぶ。どちらの兵も、一歩も引き下がろうとはしない。
「董」の旗を背に連れて、華雄は戦斧を構えた。突撃をかける。騎乗したまま敵を蹴散らしていき、それを何度か繰り返した。金剛爆斧が唸りを上げるたび、数人の首が胴から飛ぶ。力に任せた戦い方だった。それだけに、兵は奮い立つ。
「これほどの大軍を相手にする機会など、そうそうあるまい。総員、気合を入れろ。腑抜けたやつがいれば、わたしがこの手で殺してやる。そうなりたくなければ、目の前の敵を殺せ」
中原の兵であれば、怖気づいて役に立たなくなるかもしれない。だが、涼州の兵は違う。辺境の地で育った男たちだけに、肝が据わっている。華雄の檄に叫び、武器を振り上げる。そうして、突撃を開始した。
再び、喚声があがった。華雄の指揮する軍勢は、董卓軍のうちの五千。総勢二万の軍であるから、四分の一を預けられているということになる。盧植の官軍一万と、天の御遣いに従う三千を合わせれば、都合三万三千の軍勢である。その三万三千が、およそ十万を擁する黄巾軍と鉅鹿郡内でぶつかり合っていた。
「詠ちゃん、華雄の隊の後方に後詰をだしてあげて。いまは押してるから平気だけど、息切れした時に支えきれなくなったら大変だと思うの」
「ええ、わかってるわ。ったく、突撃するのはいつものことだけど、たまには後先のことを考えなさいよね。ツケが回ってくるのは、たいがいこっちなんだから」
「きっと華雄も、詠ちゃんならしっかり援護してくれるって、信頼してるんじゃないかな。そうじゃないと、あそこまで前には出られないと思うよ」
戦場に身を置いていても、董卓は朗らかな雰囲気を維持している。兵たちからすれば、それは泰然としているようにも見えた。大将が慌てずどっしりと構えてさえいれば、兵はそうそう崩れるものではない。
董卓も、涼州にいる頃から何度も戦陣を経験している。黄巾軍の数は多いが、匈奴のような鋭さはない。自分が臆せず本陣にあり、華雄の勢いを維持させてやれば負けはしないはずだ。総勢が十万であろうと、一度に当たるのはせいぜい一万や二万くらいだろう。その壁を一枚ずつ剥がしていき、最後には馬元義の首を取ればいい。董卓は少しばかり厳しい視線を前線に向け、そう考えていたのだ。
「北郷さまのほうにも、気を配っておいてね。なにかあった場合には、すぐ援軍を送れるようにしておきたいから」
「そっちも了解よ。まっ、いまのところは心配なさそうだけど」
賈駆が目を向けた先では、十文字の旗が威勢よく行き来していた。数の多い前面を董卓軍が受け持ち、北郷の兵は横撃を狙って左翼を行動している。多少甘い部分はあったが、いい動きをしていると賈駆は見ていた。
将の質が、兵の練度を補っている。それを上手く取りまとめているのは、やっぱりあいつだ。小さく舌打ちをする。董卓には、聞こえていないようだ。
おのれの肚のうちが、よくわからなくなる瞬間がある。嫌な男ではない。それは確かだった。誰彼構わずいい顔をするのは気に入らないが、他人の自分が腹を立てるようなことではない。ますます、わからなくなった。
「大丈夫、詠ちゃん?」
「ごめんなさい、なんでもないの。それより、風鈴さんにも動いてもらいましょう。左右から攻め込んで、ボクたちも中央を抜くわよ」
いまは、くだらないことを考えている場合ではない。軍服の襟を正し、賈駆は伝令を呼んだ。
「前方の敵を分断するべきでしょう。まともに当たったのでは、こちらが不利になるだけです」
郭嘉が言った。一刀は、馬上から敵軍を見つめている。一万はいるのだろうか。それだけでも、自軍の倍以上の敵だった。どう戦えば、味方の損失を少なくできるのか。全員で生きて帰るというのは、考えるだけ意味のないことなのだ。
関羽の話しを思い出す。そこで、迷いは消えた。
「稟の言う通りだろう。愛紗の隊に、ここは働いてもらうぞ。縦横に騎馬を走らせて、敵のまとまりを潰す。タイミングを見て、俺たちも前に出る」
宣言する。関羽はまだまだだと言っていたが、騎馬兵はよく訓練できているように見えた。他の将では、ああはいかないはずだと思った。
すぐさま、使いの兵を飛ばす。平地だから、駆けていくのがよくわかる。
「たいみんぐ、というのは頃合いのことなのでしょうか? まあ、それはいいとしまして。愛紗ちゃんが敵を崩している間は、香風ちゃんに先鋒をお願いしましょうかー。こちらは全体に注意しつつ、前進に備える。そんなところでしょうか、ご主君さま」
「ああ、それで間違いないだろう。あの子なら、上手くやってくれるはずだ。誰かいるか、徐晃の隊まで走ってくれ!」
攻守に優れた働きを求めるならば、徐晃だと考えていた。関羽のように激しい采配をするわけではないが、常に相手をよく観察できている。感情の起伏が表れにくい人物なだけに、守備をさせるにはうってつけであった。
本陣からの命を受け、徐晃の部隊が前進していった。董卓軍による苛烈な攻撃をどうにかしようと、黄巾軍のほうはどんどん兵を前線に送っていた。それを左翼から押し込むように、一刀の兵が圧力をかける。
「無理はしなくていい。シャンたちの仕事は、近くの敵を引きつけておくこと。守るよ、槍隊前に出て」
馬腹を蹴り、徐晃は敵軍を睨んだ。槍兵を壁のように配置し、自らは巨大な斧を振り回した。叩き潰し、豪快に切断していく。あたかも、嵐が通り過ぎたかのようだった。
関羽。赤兎馬のたてがみを、そっと撫でた。闘志が湧く。大声を張り上げ、騎兵に出陣を知らせた。
騎馬隊の先頭が、赤く染まっている。赤兎の馬体か。それもあるが、それだけではない。荒れ狂う青龍が、黄巾兵の身体を破り裂いているのだ。
突撃を受けた敵兵は、悲惨というほかなかった。馬上の者は叩き落とされ、蹄に踏み潰されていった。幾人の血を吸ってもなお、青龍偃月刀はとどまるところを知らない。敵陣を荒らし回っているうちに、将らしき姿を見つけた。
「お前はこの者らの将か。いや、この際何者でもよい。斬ってしまえば、同じことだからな」
猛進してくる赤兎馬に気づき、黄巾の将は剣を構えた。関羽は聞かなかったが、その男は張曼成といった。まともな馬では、赤兎馬から逃げることすらかなわない。打ち合えたのは、わずかに一合だけだった。
関羽が武器を水平に薙ぐ。その動きをわかっていたのか、愛馬はさっと首を下げた。張曼成の胴が、ばっさりと割られている。どっ、と落ちていくその身体を、周りの兵たちは唖然として見ているだけだった。
「行くぞ。さらに敵を混乱させる。一塊となって、追い散らすぞ」
騎馬隊が、さらに敵をかき分けて進んでいく。恐慌状態になった兵など、使い物にならなかった。たった百騎の集団が、大軍を浮足立たせている。ここが全軍を押し出す好機だ。十文字の大旗印が、総攻めの合図を送っていた。
「稟と風は、俺の兵の指揮を頼む。弓矢で向こうの動きを鈍らせてやってくれ」
「一刀さまも、出られるのですか」
「ああ、そのつもりだ。大将が先陣にいたほうが、士気も上がるだろうしな。何人か見繕ってくれ、凪の隊と合流して攻撃を仕掛ける」
以前のように、張飛とふたりで斬り込もうというのではない。郭嘉は身を案じているようだったが、一刀はそうするべきだと思っていた。
北郷の血が、熱く滾っている。寡兵で大軍を相手に立ち向かう、この上ない状況といえる。祖先たちだって、勇猛に戦い運命を切り開いてきたはずだ。だから、俺もやってみせる。深く深く、息を吸った。覚悟を決めて刃を抜けば、あとは勝つまで戦うだけだった。
「そうだ桃香、何人か指揮してみるか」
「えっ、わたしに? そんなこと、できるのかなあ」
側仕えをしている主君が離れると、劉備の手は空いてしまう。最前線に連れていくわけにもいかないから、一刀はそう持ちかけた。
優しい少女だったが、勇気がないわけではない。それに、兵たちからも慕われている。怪我人がいれば手当をしてやるし、雑事も率先してともにこなしてきていた。劉備のためならば、と力を発揮する兵もいることだろう。
盧植の門下であったから、軍学についてまったくの素人ということでもない。本人は不安そうだったが、一刀は劉備なら大丈夫だろうと思っていた。
「桃香ちゃんがお手伝いしてくれるようになれば、風たちも楽ができるのですよ。その分、他のことに目を向けられますからねえ」
「さすがに放っておくようなことはしませんから、安心してください。一刀さまがお決めになられたことですから、しかと補佐しましょう」
「……うん、わかった。わたしも頑張るから、気をつけてね……ご主人様!」
「期待してるよ、桃香。それじゃ、行ってくる」
騎乗した一刀は、十人ほどを引き連れて楽進のところへ向かった。すでに出撃の準備が整っていたから、部隊が進軍を始める。前方では、いまも徐晃の隊が奮戦を続けていた。隣では、精鋭を伴って張飛が攻撃に出ている。休む間もなく血飛沫が舞い、黄巾軍の伸びた陣形は崩壊しかけていた。
右翼から行動を開始した盧植の兵は、巧みに敵兵を狩っていく。弓兵による斉射をかけたかと思うと、すぐさま槍兵を繰り出し白兵戦に持ち込んでいった。大将自体の武勇はないに等しいが、その分戦術は老獪だった。
敵が逃げ腰になったとみるや、歩兵を包み込むように動かしていく。じわりじわりと締めるように包囲を狭めていき、黄巾軍に反撃を機会を与えようとはしなかった。
「董」の旗が、中央で躍りに躍っている。華雄隊の突撃の勢いは、まだ消えてはいない。開戦してから、千や二千は討ち取ったのだろうか。華雄も兵も、返り血を大量に浴びていた。
「左翼の一刀くんも、突破に成功しているみたいね。こちらも遅れずについていきましょう」
盧植が腕を上げ、兵らに前進することを伝える。右翼の戦いは、順調に進行していた。
近くにいる敵兵を、手当たり次第斬っていく。天の御遣いが前線に現われたと知ると、北郷軍の兵の士気は俄然高まった。撹乱を終えた関羽も隊に戻り、千人の兵を操っている。敵軍は多いが、味方の死傷者はまだあまりでていない。それだけ、軍としての練度が上がってきている証拠だった。
また一度、攻撃をしかけた。先を走る一刀の馬を追い、楽進も敵を倒していった。騎乗している敵を腕力に任せて打ち倒し、ついで武器を奪った。あまり得意ではなかったが、長物も使えないわけではない。槍で打ち据え、突き殺してしった。
一刀のほうもよく刀を振るい、黄巾兵を馬上から叩き落としている。日は、まだまだ高い。できるならば、この日のうちに決着をつけてしまいたい。董卓と盧植も、そう考えているはずだった。
「押しているからといって、油断はするなよ。凪、斥候を出しておいてくれ。伏兵がないか、探っておきたい」
「承知いたしました。すぐにそうします」
楽進が兵を数人呼び、周囲に向けて散らばらせていった。半時間ほど後、そのうちのひとりが当たりを引いて帰ってきた。存在がわかっている伏兵ならば、対処はできる。一刀は伝令を各隊に派遣し、戦闘に戻っていく。戦場のわきにある山から喚声が起こったのは、その少し後だった。
二千の黄巾軍が、味方を救援しようと走っている。まず騎馬兵が、徐晃の部隊に噛み付いた。すぐさま徐晃は対応し、百人ほどを連れて防戦に向かう。前線は、于禁に委任した。
伏兵を、誘い出した形となっている。張飛も隊を転進させ、そちらの迎撃に当たる。抜けた持ち場には、交代するように徐晃隊が入った。
「来ましたねー、稟ちゃん。風たちで、伏兵の横を突いちゃいましょうか」
「ええ、そのつもりよ。桃香殿も、お覚悟を」
「うん、行こう。みんな、徐晃ちゃんの部隊を助けにいくよ。きっとここが踏ん張りどころ、だから頑張っちゃおう!」
劉備の願うような出陣の掛け声に、兵たちは沸き立った。芯の強い女性なのだ。任されたからには、なんとかやってやろうという気持ちで臨んでいる。
郭嘉と程昱も、劉備の健気な姿勢に感銘を受けていた。だから、未完の大器を寄り添うようにして、両側から支えてやった。
奇襲をかけたつもりだった黄巾軍は、予想外の防戦に戸惑っていた。山肌を駆け下りてきたから始めは勢いがあったが、それをいなされてしまうと攻め手が乏しくなってしまう。徐晃が守り、張飛が敵を揉む。将の気迫が、兵にまで乗り移っていた。
中央の董卓軍本隊にも、その情報が届いていた。やはりそうか、という感じで賈駆はやってきた知らせを聞いていた。
「月、報告があったわ。黄巾のやつら、北郷たちのほうに兵を伏せていたみたい。苦戦している様子ではないけど、援護に二千ほど回してもいい?」
「うん、そうして。この後のこともあるから、もう少し多くてもいいんじゃないかな」
董卓軍の本隊でも、出撃の準備が始まっている。鉅鹿での戦いは、決着のときが近づこうとしていた。