一
「墓地が荒らされていないようで、安心しました。眠りについたあとくらいは、どうか静かな時を過ごしてほしい。自分はそう思います」
「うん、そうだな。あの辺りに残っていた人たちが、面倒を見てくれているようでよかった。つぎはいつ来られるかわからないけど、その時は世の中がもっと平和になっていればいいな」
原野を行く騎馬の足取りは軽い。
一刀と楽進は、馬上で在りし日を思いながら語らっていた。行きたい者だけを募って、墓参りは済ませてきた。戦うための気力を、再び養うことができたようだった。
進軍の隊形を確認しつつ、北郷軍は洛陽に向けて進発している。いまのところさしたる妨害などもなく、一刀は軍の中ほどでのんびりと手綱を握っていた。
しんみりとした雰囲気ではなく、どうせなら明るく思い出を蘇らせるべきだろう。そのほうが、いまは亡き人々も喜んでくれるはずである。そう思い、一刀は楽進に笑いかけていたのだ。
「くふふー。稟ちゃん、稟ちゃん、もしかして、お話に混ざりたいのではー?」
「えっ……!? そ、そんなことはないわよ! だいたい、わたしが割り込んでは邪魔になるだけだろうし……」
二人が会話している様子を、少し後ろで程昱と郭嘉は見ていた。
一刀たちがそういったわけではなかったが、郭嘉は勝手に遠慮してしまっている。
「稟たちも、もっと近くにくればいい。それに、まったく面識がないわけでもないだろう? だったら、あそこにおやっさんたちがいたこと、覚えていてほしいんだ」
「聞かれてしまいましたか……。わかりました、一刀さまがそう申されるのならば、お付き合いいたしましょう」
真面目な表情で返答する郭嘉のことを、程昱は楽しげに観察している。露骨に世話を焼いてやるくらいが、丁度いいのである。
郭嘉が呼ばれた流れに乗って、程昱も一刀の側に寄っていく。持ちつ持たれつ、そうやってこれまでやってきたのだ。
思い返せば、あの場所での出会いが何もかもの始まりだった。別の世界からやってきたという男。興味を引かれはしていたが、まさかいまのような関係になるとは程昱も考えてはいなかった。
予想外の出来事があるからこそ、この世は面白い。董卓との出会いと、曹操との再会。そのことで、間違いなく一刀は刺激を受けている。
日輪が真なる輝きを放つためには、いま少し時が必要なのだろう。そう思いつつ、程昱は食べかけの飴をまた口に含んだのだった。
数日の間行軍を続け、一刀たちは冀州を抜けた。漢の首都である洛陽まで、もうそれほどの距離はない。
この日先鋒を任されていたのは、楽進の一隊だった。
丘を超えたあたりで、順調そうに街道を進んでいた先頭の兵たちが、なにやら留まり始めている。異変を感じた一刀が動こうとしていたところに、共に先鋒を走っていたはずの李典が転がり込んできた。
「隊長はん!」
「真桜、なにがあった」
「それが、そのう……。ええから、とりあえず来てもらえへんやろか? 凪も困ってもうてて、ウチに隊長呼んできてー、って」
「わかった、そうするよ。案内してくれ」
困った様子の李典を見る限り、やはり先頭ではなにか問題が発生しているようだった。参軍の二人になにかあった場合には対処するように伝えておき、一刀は李典の後に続いた。
軍の最先鋒では、楽進が仁王立ちをしていた。その威勢に感化され、兵らもにわかに殺気立っている。
それらと真っ向から対峙するかのように、軍勢らしき集団が旗を掲げていた。
数でいえば、おおよそ二百といったくらいであろうか。筒袖鎧を身に纏い、槍や剣で武装している。その出自不明な軍勢の先頭に、将らしき女性が佇んでいた。
表情からは、その考えを読み取ることはできなかった。それに、まったく構えていない状態であるにも関わらず、隙きがないようにすら楽進には思えていた。道を譲る気は、微塵もないらしい。
目にも鮮やかな真紅の地に、黒で「呂」の一字が染め抜かれている。見る者を圧倒する、そんな迫力が込められた旗だった。
「呂、か」
「んー? 隊長はん、どないしたん? もしかして、あの旗知ってたりするんか?」
「いや、さすがに呂の文字だけでは、なんともいえないな。ただ、ちょっと気になってね」
嫌な予感を振り切って、一刀は馬を走らせていく。
呂の姓を持つ将ならば、数人すぐに浮かんできた。時期と場所を考慮すれば、自ずと候補も絞られてしまう。
無双の武勇を誇る飛将軍。仮にそうだとすれば、対応によってはただでは済まなくなる可能性もあった。
どうか、当たってくれるな。それだけを願い、一刀は楽進のもとへと急いだ。
「凪、待たせた」
「隊長、申し訳ありません。あの軍勢にいきなり進路を遮られ、進むことができなくなってしまいました。それに……」
闘志を宿した楽進の目が、対峙していた人物へと向けられる。強く警戒しているようだった。
女の短めに切り揃えられた赤髪は、内に激情を秘めていることを示唆しているようでもある。
飾りにも見える長い髪が二本、頭のてっぺんから飛び出ている。そのシルエットに、一刀は思わず固唾を飲んだ。
「……お前、だれ」
「俺は北郷一刀。この軍勢の、責任者でもある。そちらが何者かは知らないが、できればこのまま穏便に通してもらいたい」
楽進の前に出て、一刀はひとまず話し合いでどうにかすることを考えた。だが、返ってきた視線は、冷ややかなものだった。感情が、あまり存在していないのだろうか。
褐色の肌に浮かんだ深紅の瞳は、少しも動じる様子はない。右手を見てみれば、特徴のある戟が鈍く光を反射していた。方天戟。一刀の中で、予感が確信へと変化していた。
「
「呂布……、殿」
気の抜けるような声で、呂布は名乗りを上げた。一刀の相貌が、緊迫の色に変わっていく。やはり、そうだった。このような場所で会いたい人物ではなかったが、相手の目的がわからない。
誰彼構わず斬りつけるような戦闘狂には見えなかったし、小首を傾げる動作には小動物の如き雰囲気さえあるのだ。だから余計に、わからなくなる。
後ろに控えている兵たちは、よく鍛えられているようだった。呂布が一声かけてしまえば、すぐさま切り合いになることだろう。それだけは、避けたかった。
「……恋は、しっきん……ご?」
「し、失禁やて……!? ええっ、どないしよ」
「黙っていろ、真桜」
微妙な部分に反応してしまった李典を、楽進が遮った。まさか呂布が、こんな状況で粗相の報告などするはずがあるまい。一刀もそう心中で突っ込みを入れていたが、眼前の呂布はなにやら困り果てた様子であった。
すると後ろから、帽子を被った少女が進み出て、ぼそぼそと何事か呂布に耳打ちをしだした。従者なのだろうか。背丈は張飛や徐晃と同じくらいで、帽子についたパンダらしき絵柄は年相応といったところなのだろう。
放浪の途中出会った身寄りのない少女を、呂布は家族同然にかわいがっていた。行く宛もなかった自身を拾ってくれた呂布のことを、陳宮は誰よりも信奉していた。
「
「………………そう、しっきんご」
陳宮が教えた通りに、呂布は発音した。
本当に、言葉の意味を理解しているのだろうか。そこにいる誰もがそう思いたくなるほどに、呂布の沈黙は長かった。
執金吾というのは、朝廷が呂布に与えた官職のことである。
都、すなわち洛陽城内を見回り、警備することが本来の役目である。
黄巾軍襲来の折、偶然洛陽に滞在していた呂布は、その類稀なる武勇を発揮していた。どうあってもそれを我がものとしたい何進は、自らの権限で官職を与えたのだ。
万一、呂布が宦官のほうに抱き込まれたのでは、おのれや太后である妹に危害が及ぶかもしれないと考えたのである。
しかしながら、呂布はそのことに対してなんの恩も感じていなかった。
ただ、家族である陳宮や動物たちに、苦しい思いだけはさせたくなかった。その一心で、こうしてやりたくもない執金吾の職をまっとうしているのである。
地位を与えてやっても少しもへつらうことのない呂布を、何進は苦々しく思っていた。かといって、ぞんざいに扱い反旗を翻されたのでは、どうしようもないのである。
そのためこうして、城外であっても自由に行動させていた。執金吾の役目を広げ、洛陽の郊外までをその範囲とさせたのである。広大な原野を駆け回っているほうが、呂布の性に合っていたのだ。
「こいつ、なんだか怪しくはありませんか? おかしな格好をしている上に、軍勢すら引き連れているのですぞ。ここは、恋殿のお力を見せつけてやるべきではありませんか?」
「んー、………………わかった。しっきんごは、都を守るのが仕事。だから」
呂布の闘気が膨らんでいる。方天戟が動いたのは、一瞬のことだった。楽進も李典も、見ていることしかできなかった。
「うおっ!?」
一刀の内の本能が、危機を察知していた。身体が動く。左に逸れ、呂布の一撃目を回避した。
刃の風圧がはっきりと伝わってくる。前髪の先が、いくらか切り飛ばされている。
抜刀。
戦わせろと、刀が渇望しているかのようだった。
なにもわからず、賊徒に襲われていた時の自分とは違う。戦もくぐり抜けてきた。相手があの呂布であろうと、やるしかない。
火花が飛ぶ。一刀は振り下ろされる方天戟を受け止めていた。
まだ、生きている。油断をしていれば、今頃首と胴が真っ二つになっていたことだろう。
呂布の振るう武は、荒々しい獣そのものだった。女らしい身体つきに反して膂力は凄まじく、一刀の腕は早くも痺れ始めている。
兵には命を出さず、自分ひとりで戦うつもりらしい。それだけ、呂布が闘いに自信を持っているということだった。
「呂布め。隊長に手を出すことは、わたしが許さん」
左側面から突っ込んだ楽進が、渾身の力を込めて拳を繰り出していく。その一撃を、呂布はひらりと身体を捻って躱した。
そうしたことで方天戟からの圧力がなくなり、一刀は嫌な汗をかきながらも死地を脱することに成功した。
北郷軍の兵たちが、戦闘態勢に移ろうとしている。
目の前で大将が襲われているのだから、当然の対応といえる。しかし戦うことを許せば、もう後戻りができなくなってしまう。このまま呂布の兵と戦いになれば、味方の損害は相当なものになるはずだ、と一刀は思った。
なにがなんでも、それだけは止めなければなるまい。応戦し合う楽進と呂布に注視しながらも、一刀は兵たちに叫んだ。
「手を出すな。ここで戦うことに、意味なんてないんだ。呂布殿は、なにか思い違いをされているだけだ」
「といっても隊長はん、こんなんどうしたらええんよ! 呂布って子は滅茶苦茶な強さしてるし、当分落ち着いて話し聞いてくれそうにもないで!」
呂布と戦っている楽進を、李典は肝を冷やしながら見つめている。自分程度の武力では、割って入ることすらままならない。そのように、感じているようだった。
拮抗しているように見えて、その実楽進は押されていた。驚くほどの速さで突き出される方天戟を、避けきれない。腕に、足に、頬に、いくつもの小さな裂傷が刻まれていった。
「愛紗でも、鈴々でもいい。とにかく、真桜は誰か呼んできてくれるか。何人がかりになっても、呂布殿を止めるしかない。俺は、凪に加勢する」
「りょ、了解や! 隊長はんも凪も、絶対に無茶せんといてや! 約束やで!」
「わかってるよ。だから、大急ぎで頼んだ」
「はいな!」
駆け去る李典を見送ると、一刀は武器を構えて呂布に挑みかかっていった。
ほとんど時間が経っていないというのに、楽進はもう肩で息をしてしまっている。それだけ、呂布の攻勢が激しかったのだろう。
ざわつく北郷軍の兵士たちとは打って変わって、呂布軍の兵は静かに将軍の戦いを見届けていた。負けるはずがない、と考えているのだろう。
呂布は方天戟で一刀の斬撃を受け止めながら、もう片方の腕では楽進の蹴りを打ち払っている。化け物じみた強さだった。半端な腕では、かすり傷一つ付けられはしないだろう。
天下無双。そう表現するに相応しい、桁違いの武力を呂布は備えていた。