交差する二本の槍。実戦でないとはいえ、刃のついた得物を使用しての勝負である。そこに油断があれば、大きな怪我を負いかねないものでもあった。
互いに相手との間合いを見極め、いざ飛び込まんとしている。鋼が打ち合う甲高い音が鳴り響き、両者の闘志が激突する、はずだった。
「えいっ!」
片方の槍の柄が、相手の頭の天辺を叩いた。
どうやら大して力がこめられているようではなく、ぽこん、という可愛らしい音が聞こえてきそうなほどである。
「いってえ……! なにすんだよ、蒲公英!」
「なにって、いまは鍛錬中だから攻撃するのは当たり前じゃない? だいたい、お姉さまがいけないんだよ。この三回とも、ずーっと腑抜けたままなんだもん」
小突かれた頭を
普通に戦ったのであれば、この二人の力量には歴然とした差が存在しているのだ。馬岱にはまだこれから伸び代があるとはいえ、錦とも評される武勇を有する従姉妹には、戦場で常に他を圧倒してきた実績があった。
それなのに、である。三度の勝負のうち、馬超は少しもその名に相応しい覇気を見せることはなかった。気が散っているのは明白であり、これには馬岱も訓練にならないと首を横に振るばかりだった。
「よもや、具合でも悪いのではないか? わたしも相手をしてもらおうかと考えていたのだが、本調子でないようであれば遠慮しておこう」
「えー? 多分それはないと思うけどなあ。朝ごはんだって普通に食べてたし、元気だけが取り柄のお姉さまが体調を崩すなんてねえ……? でも、ほんとにどうかしたの?」
「なんでもないっての……! 関羽殿、戦いたければいくらでも相手をするぜ。さっきまでのは、その……あれだ! 蒲公英が相手だったから、気合が入ってなかっただけなんだよ!」
「あ、ああ、そうなのか……? それならば、いいのだが」
早口で言い訳をする馬超。関羽はその様子から別の理由があるはずだ、と思ったものの、同輩でもない相手を問い質すわけにもいかなかった。
しかしながら、戦ってみれば、その真意も見えてくるかもしれない。関羽は重い青龍偃月刀を手にして、整地された広場の中央へと進み出ていった。主人の真っ白い衣が目の端に映ったのは、そんなときである。
「これは、ご主人様」
「ああ、気にしないでくれ。たまたま、立ち寄っただけだから」
きびきびとした動作で礼を取る関羽に対し、一刀はそこまでする必要はない、と言って手で制している。
愛刀を持ち出してきていることから、関羽は主人がどこかへ出かけようとしているのだと察した。そうであれば、鍛錬を切り上げ供を願い出たほうがいいかもしれない。そんな風に考えていたとき、ふと馬超の反応がおかしいことに気がついた。
「あっ、えっ、うわわわわっ……」
一刀の姿を見るや、馬超は瞬時に顔を真っ赤に染めてしまっていたのである。どうやら挨拶の言葉さえも上手く出てこないようで、瞳はしどろに泳いでしまっていた。
そんな従姉妹の様子を観察していた馬岱は、そうだったのか、と不敵に小悪魔じみた笑みを作った。もし考えている通りなのであれば、なにもかも合点がいく。
馬超が色恋に関心がないように豪語していた一方で、その実興味があることは知っていた。ここまで接してきて、馬岱も一刀に対して好意を抱いている。
始めは単に尻の軽い男なのではないかと疑いもしたが、周囲の女性陣との関係は円滑そのものだった。誰に向けても素直であり、余所者である自分たちがすぐに融け込んでしまえたのも、一刀がそういう雰囲気を意識せずに作れているからだろう、と馬岱は思っている。
「ふーん、なるほどねえ。お姉さま、北郷さんとなにかあったんだあ……?」
「ひゃっ……!? いやいや、そんなわけ……、なあっ!?」
「なあって言われても、なあ……?」
「むむむ……。ここでわたしに振られても、困ってしまうだけなのですが……。ご主人様、ご自分で蒔かれた種なのであれば、どうにかしてください」
困惑した様子の関羽に促され、一刀は苦笑しながら馬超のほうへと向き直った。
ここで下手に茶を濁すよりかは、白黒はっきりさせてしまったほうがいいだろう。城内で会う度にこうなってしまったのではどうにもならないし、慣らすという意味でも必要なことのはずだ。
目を合わせることもできずに、地面に視線を落としている馬超。一刀は、もはや熱すら発していそうなその頭をくしゃりと撫でた。
「ちょ、ちょっと……、一刀殿!?」
「いいから。翠、ゆっくり息をしてみて。ほら、すってー、はいてー」
「う、うん……、わかった」
撫でられてすっかり小さくなってしまった馬超は、一刀の言ったように大きく深呼吸をしていく。それを見ていた馬岱は、感心したように声をもらした。
「ほえ~。お姉さま、わたしの知らない間に真名まで預けてたんだー。それに北郷さんのことも名前で呼んじゃうなんて、仲がいいんだねえ」
「うっ……、別にいいだろッ。あたしにだって、いろいろあったんだよ、いろいろ」
「いろいろ……!? うわあ、いろいろだってー! ねえねえ関羽さん、聞いた……!?」
「そのような大声で言われずとも、聞こえているというに……。ご主人様」
意図的に不機嫌そうな声色を作り、関羽はじろりと一刀の顔を見た。
「うん、つまりはそういうことだ。翠とも、仲良くね」
「はあ……、承知いたしました……。馬超殿、我が主はこういうお人だ。苦労をするかもしれんが、諦めてくれ」
「あ、ああ……、うん……。なんとなく、あたしにもわかる気がするよ……」
落ち着きを取り戻した馬超は、頭を撫でられている感触に目を細めている。
好きだ、といってくれた人。垣根を少しも感じさせないところが、天の御遣いの大きさなのだろうか、と馬超は思う。
「ところで、ご主人様はどちらかに出向かれようとしていたのではありませんか?」
「おっ、そうだった。今日は郊外の土地で、凪たちが開墾の指揮をしてるんだ。そこにちょっとばかし、賑やかしに行こうかと思ってね」
「楽進さんが行ってるってことは、軍を動かして畑を耕してるってこと? そういえば、前の会議でそんなことも言ってたっけ」
「そうそう。糧食を確保できる土地を増やしておけば安定して兵を養えるし、新兵を鍛える場にすることもできる。それに、国を豊かにするためだったら、みんなやる気を出しやすいから」
兵を動員しての農作業は、史実の曹操らも行っていることである。
冀州での会談で、見習える部分は見習わせてもらう、と宣言してきた。ここでの曹操が既に屯田を行っているのかはわからないが、使えるものは使ってやる。そういう気持ちで、一刀は臨んでいる。
「ご主人様御自ら監督されることで、兵らも気合が入ることでしょう。よろしければ、そちらまでお供いたしますが」
「ありがとう、でも平気だ。愛紗だって、これから調練もあるんだろう? それなのに、ついてきてもらうわけにはいかないって」
「そうですか……。でしたら、お気をつけて」
関羽が残念そうにしていたのは、誰の目にも明らかなことだった。
そのやりとりを見ていた馬岱が、ちょんちょん、と従姉妹の背を突いている。せっかくの機会なのだから、代わりに名乗りを上げればいい。馬岱の表情は、そう言っているかのようである。もし自身が馬超の立場にあれば、ここにいるぞー!、と威勢よく挙手までしているところだった。
「あ、あたっ……!」
「あた……? どうかしたのか、翠」
「い、いやいや……、なんでもない……ッ! ほんとになんでもないから、また後でな、一刀殿!」
「おう、それじゃあまた後で。時間があったら、一緒に飯でも食おう」
音のしそうなくらい左右に首を振って、馬超は言いかけた言葉を引っ込めた。やはりまだ、気恥ずかしさが残っているようだった。
遠ざかっていく一刀の背中を見つめる瞳は、悔しさで満たされている。つぎこそは、上手く声をかけることができるのだろうか。小さな願いを胸に秘め、馬超はひとつため息をついた。
「ちぇー、情けないんだからー。お姉さま、それならこっちでお話し聞かせてもらうんだからね。たんぽぽだって、北郷さんともっと仲良しになりたいんだもん」
頭の後ろで腕を組み、馬岱は口元をニヤつかせている。
逃げられない。なんとなく、馬超はそう直感してしまっていた。
「うむ、調練までもう少し時間もある。わたしも後学のため、馬超殿の体験談を聞かせてもらうとしようか」
「なっ、関羽殿までなにいってんだよ!? ううっ……ちくしょう、覚えてろよお!」
馬岱は、後にこの日のことを後悔することになる。
吹っ切れた猛将は、鬼にも悪魔にでもなれる。そのことを、限界寸前まで鍛錬場でしごかれた馬岱は、嫌というほど思い知らされるのであった。
「凪、やってるな」
「これは隊長。ですが、出歩かれるのであれば護衛のひとりでもお付けください。自分たちは、もう義勇軍ではないのですから。あなたを狙う輩が、いないとも限りません」
一刀から声をかけられた楽進は、きっちりと腰を折って礼をした。
日に焼けた肌に汗が浮かんでいることからも、精力的に動き回っていることが窺える。
「悪いな、あんまりそういうのは慣れなくってさ。それで、屯田は順調にいってるのか」
「はい、そちらに関しては問題ありません。明日にはまた、別の人数を動かしてみる予定です」
原野同然の荒れ果てた土地を、兵たちが盛んに開墾して回っている。ざっと数えて、千人ほどはいるようだった。
ここから、農作物を収穫できるようになるまでは、まだまだ時間がかかることだろう。まともな収穫を得るためには、土壌を改良し、土自体にも栄養を含ませてやらなくてはならない。今はまさに、そのための第一歩といったところなのである。
「あー、ご主人様だー!」
「桃香……? 桃香もこっちに来ているのか?」
聞き馴染んだ声。その出処を探し、一刀は周辺を見回している。
はっきりとした明るい髪色をしているだけに、目に留まればすぐにわかるはずだった。しかし、見つからない。
あたりに見えるのは、土と草とそこで作業をしている人員のみ。
「ご主人様ー? こっちだってばー! おーい!」
「あ、いた」
劉備の呼ぶ声に導かれ、一刀はぐるっと身体の方向を転換した。
道から見て、一段低くなっている田地。そこに、探し人の姿はあった。手も顔も泥に塗れているうえに、日差しを避けるために麦わら帽子までかぶっている。どうりで、見つからないはずだった。
「桃香さん、朝からずっとみんなに混じって作業してくれてるの。おかげでやる気も出てるみたいだし、沙和は助かるんだけどね」
服についた汚れを払い、劉備が道のほうへとあがってくる。身体は疲れているようだったが、いつもの笑顔は少しも色あせていなかった。
頬に飛んだ土を拭ってやると、嬉しそうに劉備は目尻を下げた。元来、こういう仕事が好きだったのだろう。血生臭い戦場などには似つかわしくない、素朴な性格なのだ。
釣られて、一刀まで笑顔がこぼれてしまう。それを見て、楽進と于禁もまた笑った。
「幽州の村にいた頃は、畑でお仕事をするか、お家で
「なんでもすごく楽しそうにされているのがいいんでしょうね。それが兵たちにも伝わっているのか、今日はいつになく順調で。我らとしては少々不甲斐ないことですが、桃香さんに来てもらってよかったと思います」
作業を中断した劉備の姿を追って、屯田を行っている兵らも一刀の存在に気づいたようだった。
わっ、と歓声があがる。いつになく士気が高いというのは、本当のようである。手を振り返すと、さらに鯨波は広がっていった。
「えへへ、凪ちゃんに褒められちゃった。ご主人様も、ほめてほめてー」
「よしよし、いい子いい子」
帽子を脱いだ劉備の髪を、無造作にかき混ぜる。楽しげにはしゃぐ度に揺れる二つの果実が、いまは目に毒かもしれない。
楽進、于禁の両人から発せられる視線が、いくらか羨まし気だった。同じようにしてやりたいところではあったが、劉備と違って二人は現場を預かる隊長格なのである。可愛がってやるのであれば、もっと相応しい場所があるはずだ。
「新兵が、こんな風にほわー、ってした空気でいられるのも今のうちなの。本格的な調練に入ったら、沙和の命令は絶対になるんだから。そのためにも隊長さん、またいろんな言葉を教えてほしいの」
「沙和は飲み込みが早いから、俺も教え甲斐があるんだよな。よかったら、凪も使ってみるか」
「い、いえ、自分は……。いくら天の国の言葉であろうと、あれはどうにも苦手です……」
現代で見聞きした情報をもとに、于禁には調練用の単語を仕込んであった。
華奢で可愛らしい少女が、意味はよくわからずとも口汚く罵ってくる。そのギャップに打ちのめされることが、北郷軍の兵としての真の始まりともいえるのだ。
「よーし。ご主人様になでなでもしてもらったし、これで夕方までがんばれちゃうよ。それじゃ、わたし戻るね」
「帰ったら、お湯を使ったらいいぞ。綺麗な髪まで、泥だらけだ」
「はーい! 凪ちゃんと沙和ちゃんも、お仕事がんばってねー」
大きな日除けのついた帽子をかぶり直し、劉備は走り去っていった。微笑ましい。つい、応援したくなってしまうのは当然だろう、と一刀は心中で呟いた。
「全体を見て回りたい。案内してもらえるか」
「了解っ! 端っこのほうで怠けてる兵がいたらいけないし、沙和が着いていくの! 凪ちゃん、こっちはお願いね」
「むう……わかった、そっちは任せるぞ。隊長、気になったところがあれば後で教えてください。今後の参考にしたいので」
「ああ、わかった。なら、行こうか沙和」
于禁の用意した馬に跨ると、広々とした景色が視界に広がった。
まだまだ、開発不足な領地なのである。中央の情勢にもよることだが、いまは地盤を固めることを優先するべきだろう。
既存の兵も、ここでさらに鍛え上げるつもりだった。幸いなことに、将の頭数は揃っている。あとは、どれだけその下に精兵を組み込めるかにかかっている。
原野に馬を駆けさせていると、心地よい風に全身が包まれていった。道中、于禁は意外なほど真面目に仕事をこなしていた。多少のサボりであれば目を瞑ろうと思っていただけに、考えを改めさせられた形である。
「どうかしたの、隊長さん?」
「いいや、なんでも。ただ、沙和のそういうとこも、かっこいいなって」
「ええ~? どうせなら可愛い、っていってほしいんだけどなあ」
小さく頬を膨らませて、于禁は抗議をしているようだ。こういった表情であれば、可愛いと評するのが妥当なのかもしれない。
すぐに、また別の作業場が見えてくる。ふくれっ面もそこそこに、于禁は視線を鋭く変えている。
「みんな、しっかり畑を耕すの。そうすれば、それだけご飯もお腹いっぱい食べられるようになるんだから」
上官としての姿勢を見せる于禁に、一刀は頼もしさを感じていた。
その後も各地を監察して回り、もといた場所に帰ってきた頃にはかなり時間も経っていたようである。
「俺はそろそろ戻ることにするよ。それと二人にお願いなんだけど、団体行動をしている中で、統率力を発揮していそうな兵がいれば覚えていてもらえるか。段階を経て訓練していけば、何人か任せられるようになるかもしれないから」
関羽や徐晃を大将としてざっくりと隊を割ることはできるが、細かな隊を率いる人材の育成もまた急務なのである。
いまの三千から八千ほどには増やしたいと考えているから、それだけ小隊長は必要になってきている。参軍らの意見も取り入れるべきではあるが、まずは現場の楽進たちがこれは、と思った兵を見つけなければ始まらない。
「はい、わかりました。そのことに関しては、注意しておくことにします。それから、帰路には自分の隊の者を準備させてありますので、どうかお使いください」
ひとしきり見分も終えたところで、一刀は街のほうへと戻っていった。
楽進隊の兵は特に守りを重視して鍛えられているから、特級の要人にでもなった気分である。
街の門をくぐった時点で、護衛には解散を命じた。物々しく武装した人間が近くにいては、ゆっくりと散策することすらままならない。
「さて、と。さすがに腹が減ったな」
この後は急ぎの用事も入っていないから、市の状態を確かめるついでに腹ごしらえをするつもりだった。この冀県にやって来てから、張飛などはすぐに目ぼしい飲食店を食べ歩いているようなのである。その情報をもとに尋ねれば、まず間違いはないはずだった。
夕刻前とあって、買い出しに来ている者も多い。人だかりができすぎるようであれば、上手く区割りをする必要があるのかもしれない。そんなことを考えていた一刀の耳に、かすかな歌声が聞こえていた。
優しげな旋律。ひとりの少女のことが、すぐに脳裏に浮かび上がった。