※この作品はR-18です。

北郷当代記   作:KKS

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二(詠、月)

 吹き抜ける風に、冷気が含まれている。

 天の御遣いの軍勢と別れてから、もう半年以上が経過していた。

 あれから董卓は陣所を洛陽の西、河東(かとう)郡に移していた。将軍たちには連日のように兵を走らせ、常に気を引き締めさせている。それは軍馬についても同じことであり、日頃から駆けさせておかなければ、急事の際には使い物にならなくなってしまうものだ。

 現在の洛陽には、かの袁紹と袁術も駐留している。漢朝の名門を自負する袁家の両人は、宦官嫌いとしてもよく知られていた。

 大将軍何進は、宦官らを除きその手に権力を集中させることを狙っている。そのために、自身の力となりそうな者を都に招集していたのだ。董卓のところにも、その要請は度々来てもいる。

 袁家の姉妹は、太后の縁者として成り上がった何進のことも快く思ってはいなかったが、いまのところ協力の姿勢を保っていた。ふたつの勢力の均衡は、なにかのきっかけがあればすぐにでも崩壊してしまうだろう。そこに、付け入る隙があった。

 何進や宦官たちの動きは、この河東郡にいる董卓にも伝わっていた。洛陽にいる盧植が、なにか変化があればすぐに書簡を寄越してくるのである。しかし、この日は駆けてきた伝令の様子が違っていた。

 疾駆するのは、騎兵の集団。いくつもの土煙が上がっている。その先頭を、見事な手綱さばきで突っ走っている女がいた。

 

「どけ、どけえっ! ウチらは、都の盧植将軍からの急使や! 仕事を邪魔するやつがおったら、ぶった斬ってでも進ませてもらうからなあ!」

 

 女の気迫と荒々しい言葉遣いに、精強な涼州兵ですら腰が引けてしまっている。陣所の門番を任されている部将さえも、その進軍を憚ることはできそうにもなかった。

 女の後ろには、十頭ほどの騎馬が続いている。

 

「なんだろう、陣のなかが騒がしいわね。月、ボクちょっと見てくる」

 

「うん。お願いね、詠ちゃん」

 

 陣屋内で董卓と話していた賈駆は、そう言って立ち上がった。

 最近はそうでもなくなってきていたが、初めの一月くらいは胸にぽっかりと穴が空いてしまったような気分だった。むしゃくしゃする。それでも、言葉をぶつけたい相手が側にはいなかった。

 たまに自分だけになると、隠れて声に出してみることもあった。一刀。名を呼んでみると、不思議と安心することができた。こんな気持を、董卓も抱いているのだろうか。ぼんやりとそう思いながら、自らの指で火照る身体を慰めた夜もあった。

 

「……む、賈駆か。お前がいるなら丁度いい。こやつが董卓さまに用があるというのでな、後は任せていいか」

 

「はあ……、月にぃ? それで華雄、そっちの寒そうなのは誰だっていうのよ」

 

 賈駆が陣屋から出てみると、そこには華雄と先程の女の姿があった。引き締まった肉体が、露出の激しい装束からのぞいている。胸に至っては布のさらしを巻いているだけであり、締め付けられた柔肉が存在感たっぷりに鎮座していた。

 雰囲気を見ただけで、張遼がただ者でないことはわかった。警戒する賈駆に対し、張遼は表情を崩して話しかけた。

 

「寒そうなんて、ひょっとしてウチのことか? そんならウチは張遼、盧植将軍に頼まれて、ここまで馬を飛ばしてきたって次第や。書状も預かってるし、確かめるんなら確かめてや」

 

「あんたが、風鈴さんの? ちょっと貸して……。うん……、これなら間違いなさそうだね。ボクは賈駆、案内するからついてきて」

 

 董卓と挨拶をしてから一言二言交わすと、張遼はすぐに報告をはじめた。

 

「簡潔に伝えるけど、ええな? 今朝、大将軍が死んだ。それも、嘉徳殿の真ん前でな。何進め、散々宦官どもをどうにかしたるって意気込んでたくせに、まんまと罠にかかりよった」

 

「何進将軍が……!? それで、洛陽の様子はどうなっているんですか」

 

「さあなあ……。ウチはすぐに出立したから詳しいことはわからんけど、大混乱なのは間違いないとは思うで。呼ばれたときには盧植将軍も兵の準備しとるみたいやったし、なにより袁家の連中が黙っとらんやろ。せやから十中八九、闘いにはなってるやろなあ」

 

 何進が殺されたと聞いて、董卓の表情が変わった。ある意味、この時を待ちかねていたといってもいいのである。

 朝廷内部を浄化するのであれば、かねてからのさばる宦官だけでなく、太后たる妹の地位を利用して、権力を振りかざしている何進も除かなくてはならないと考えていた。その二つが潰し合ってくれているのであれば、これはまたとない機会だといえよう。

 

「こうなってくると、陛下がどうなされているのかが気になるわね。誰かが手に入れて囲ってしまう前に、ボクたちも動かないと。あの袁家に取られてしまえば、相当厄介なことになるわよ」

 

「そうだね……、うん。詠ちゃん、すぐに出陣の準備を始めて。動かせる兵から順次動かしていくけど、先陣は華雄の騎兵に任せようと思う。わたしたちも遅れないように、急いで洛陽へ向かうよ」

 

 陣所を構えているこの地から兵を全力で駆けさせれば、半日もかけずに都にまで到着できるはずだった。

 袁紹も袁術も、洛陽へは大した数の兵を連れてきてはいない。だから先手を取れば、事を上手く運べるはずなのである。反対に時間をかけてしまえば、他勢力の介入を許してしまう恐れもあった。

 

「張遼、だったわね? あんたは、これからどうするつもりなの。洛陽に帰還するっていうのなら、ボクたちに同行してくれてもいいけど」

 

「おっ、やっとこっちのこと聞いてくれたなあ。ふふん、そうやなあ。どや……、いっちょウチのこと使ってみるか、董卓将軍?」

 

 豪放な笑みを浮かべる張遼。堂々と伸びた背筋には、武人としての自信が現れている。

 

「それは、わたしたちに協力してもいい、ということですか張遼さん」

 

「おう、ええでええでぇ! ちょっとばかし前に盧植将軍から聞いたんやけど、あんたらは洛陽行ってやりたいことがあるんやろ? それになんやろな……。優しそうな顔してるっちゅうのに、なんでかあんたからは戦の匂いがプンプンする。そういうのは、嫌いやないで。闘うことは、ウチの大好物やからな」

 

「戦の匂いがするって、なによそれ? まあ、そっちにやる気があって月がいいっていうのなら、ボクに異論はないんだけどね。あんた、なかなかやれそうだし」

 

「それなら詠ちゃん、張遼さんにも騎兵を幾らかつけてあげて。どうでしょう、華雄と並んで都へ先行してもらえないでしょうか、張遼さん」

 

「よっしゃ、任された! そんなら、ウチのことは(しあ)でええ。やれそうやったら、どさくさ紛れに袁家の首まで獲ってきたるわ!」

 

「わかりました、霞さん。でしたら、わたしのことも月と呼んでくれますか」

 

 勇ましく気炎を上げる張遼を、董卓は真名を許してから送り出した。にわかに、陣全体が騒がしくなっていく。兵たちは慌ただしく武具をつけ、槍や戟などを持つと将に従って飛び出していった。

 ひとしきり編成の指示を出し終わると、また賈駆と董卓のふたりだけになった。洛陽に入れば、のんびりと話している余裕もなくなるはずである。だから賈駆には、出発前に聞いておきたいことがあった。

 

「いよいよなんだね、詠ちゃん」

 

「……月は、これでよかったんだよね? あいつが、一刀が側にいないまま事が起きて」

 

「そうだね。うん、きっとそうなんだと思う。一刀さまには、一刀さまにしか出来ないことがあるんじゃないかな。それは、わたしたちにだっていえることだもの」

 

「ボクたちが洛陽周辺の腐敗を一掃している間に、あいつがうまく力を蓄えることができればいいんだけどね。忙しくなってくるわよ、色々と」

 

 女としての願いを遂げた日のことを、董卓は思い返していた。温かくて、優しい感情が蘇っていく。だけれども、それはいま遠い遠いところにあるようにも思えた。

 この先、自分はおびただしい量の血を流すことになるのだろう。宦官を誅殺し、賄賂に身体を浸した役人たちを粛清しようというのだ。しかし、例え非難に晒されようと、次代の国造りのためになんとしてでもやってみせる。董卓は、そう決心していた。

 

「そうだね。必ず反発が起こるのだろうけど、これはいずれ誰かがやらなくちゃいけないことなんじゃないかな。けれども……、そんな重石を背負うのは、この董卓だけでいい。詠ちゃんたちを巻き込んでいることだって、わたしは……」

 

 自分が一度なだらかに戻した国の地盤を、別の相応しい誰かが引き継いでくれればそれでいい。それが一刀になるのか、はたまた曹操になるのかは当然董卓にもわからないことである。

 それでも、現状のまま国が緩やかに死を迎えていくよりはましなのだろう。それを考えれば、ここでやるしかないと思えた。

 

「あー、もう! ほんとに、月は優しすぎるんだよ。ボクひとりだったら、絶対そんな選択なんてできっこないと思う。……ねえ、月っ」

 

「なに、詠ちゃ……、んっ!? んむっ、ぷあ……っ、ちゅぱ、んくっ……」

 

 ほとんど、一瞬の出来事だった。

 董卓に抱きつきながら、賈駆はその柔らかな唇を奪ったのである。ほとばしりそうになる感情を相殺するには、こうするしかないという気がしていた。

 いきなり口づけをされた親友は、なにも言わずに全てを受け入れてくれている。

 

「んっ、月っ、はあっ……、ちゅむ……。もっと、んぷ、ちゅる……」

 

 瑞々しい唇を何度も啄んでいると、ふと舌に触れてしまった。いいんだよ、と言わんばかりに、董卓の舌が優しく唇に触れてくる。

 嬉しさと、恥ずかしさ。一刀としていたときとは、また別の高揚感があった。思えば、ずっとこうしてみたかったのかもしれない。

 

「あむっ、ず……っ、じゅう……、ん」

 

 壊さないように、丁寧に舌先から自身の口内へと迎え入れていく。吸うごとに感じるのは、唾液の甘さだった。

 どちらが先に求めたのだろうか。絡み合う指先が、身体をしっかりと引き寄せ合っている。それでも、決して荒々しい感じはしない。

 董卓の献身的な姿勢が、誇らしくもあったし、恐ろしくもあった。誰かがしっかりとつかまえていなくては、この子はきっとどこかで消えてしまう。賈駆には、そんな風に思えて仕方がなかったのだろう。

 つかまえることができるのは、ここでは自分しかいないはずである。だから、こうしてそのことを証明してみせている。

 

「ちゅ、ちゅっ、じゅぷっ……」

 

「はあっ、れろっ、ちゅうううう……っ。んんっ、詠……ちゃん」

 

 董卓の舌が口内で蠢き始めている。間違いなく、この動きは一刀に教えられたものなんだろうな、と賈駆は少し嫉妬に似た感情を覚えていた。とはいえ、それは自身にもいえることなのである。

 舌をもぞもぞと動かし、粘膜を必死になって擦り合わせていった。気持ちいい。これを続けてしまえば、脳内が溶けてしまうのではないか、と賈駆は背中をぞくりとさせた。

 

「これっ、やば……っ。んっ、じゅうっ、ちゅく……、月……っ」

 

 自分と董卓だけがいれば、他には誰もいらないと考えていた時期もあった。そこをこじ開けられた、と表現するべきなのだろうか。そのこじ開けた空間に、どっしりと収まってしまった男がいる。

 今度会ったときには、その男の額に、手痛い一撃を食らわせてやるつもりだった。

 

「ちゅく、んっ、ちゅぷ……、んんんっ……、はあっ」

 

 熱に染まった吐息が、互いの顔にかかっているのがよくわかった。

 ゆっくりと、繋がっていた唇が離れていく。それぞれの間にできた唾液の糸が切れていく様子を見つめながら、賈駆は董卓の頬を愛しげに触れた。

 

「……ボクと月が内緒でこんなことしてたって知ったら、一刀のやつ怒るかも?」

 

「どうなんだろう? 多分一刀さまのことだから、逆に喜んでくださるんじゃないかな? 女の子同士の仲良しなら、きっと気にはされないと思うの。それにほかでもない詠ちゃんとなら、わたしもっと色んなことしてみたっていいんだよ? なんてね、えへへ……」

 

 こんな状態でそう言われたのでは、冗談かどうなのか賈駆には判別をつけることができなかった。

 大切な親友の潤んだ瞳。こうして見ていると、一刀が惹かれるのも当然だと思えた。もう一度だけ、惜しむように口づけてみる。後味は、少しだけ寂しかった。

 董卓の微笑んだ表情を、いつまでも見ていたいと賈駆は切実に願った。しかし、すでに戦雲は辺りに拡がっているのである。

 軍馬の嘶きが聞こえる。

 董卓軍の首脳である二人には、悠長にしている時間などなかった。曳かれて来た馬に跨ると、董卓は総大将としての姿をすぐさま取り戻した。出陣の号令を下しているところなど、勇ましくさえある。

 

「行こっか、詠ちゃん。始めよう、わたしたちの闘いを」

 

「うん、行こう。風鈴さんだって、向こうで待っているだろうから」

 

 董の一字の旗が、原野にいくつも揺らめいている。ほどなくして、気合を入れるように鯨波の声が拡がっていく。

 土煙を上げながら、軍勢は洛陽を目指し進軍を開始した。

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