※この作品はR-18です。

北郷当代記   作:KKS

78 / 95


 草原を走り抜ける、二頭の騎馬。どちらの乗り手も年若いようであったが、巧みに馬首を巡らせている。

 風になびいて流れる茶褐色の髪。目的のものを見つけたのか、姉らしきほうが右手を上げて止まれの合図を送った。

 

(そう)、あの旗がきっと探しているものなんだよね」

 

「縦長の旗に、十字の紋……。うん、絶対あれしかないって。じゃあじゃあ、早速潜入しちゃう~?」

 

 揃って馬を止めたふたりの目には、北郷十字の陣旗が映っている。

 馬休と馬鉄。馬超の実の妹でもある両名がここまで出向いてきたのには、わけがあった。

 

「出発前はあれこれ言ってたのに結局ついてきちゃうんだから、(るお)ちゃんだって気になるんだよねー?」

 

「い、いいでしょ、別に……。だいたい、姉さんが男のひとを連れて来るだなんて、それだけでも前代未聞のことじゃない。男慣れしてない姉さんが遊ばれてるんじゃないかって、わたし心配で心配で……」

 

「鶸ちゃん、さすがにそれは考えすぎなんじゃないかなー?」

 

 唸りながら額を手で抑えている馬休は、本当に姉が心配で仕方がないようだった。対して末の妹である馬鉄は、そのことをからかうようにして声を弾ませている。

 そもそも、一刀が隴西郡に足を運んできた本来の目的とは、馬騰との会談を行うためなのである。

 

「ううー、蒼は楽観的すぎるのよお。天の御遣いさまのことだって、やっぱり直接会ってみなきゃわからないし」

 

「も~、鶸ちゃんは心配性だなあ。だから、こうやって偵察にでてきたんでしょ? ほらほら、ぼさっとしてたら置いてくよ~?」

 

 慣れた手付きで馬を木に留めると、馬鉄は背をかがめて前進し始めた。

 目の前の野営地のどこかに、北郷一刀がいるはずなのである。陣地の規模からして、随行している兵は一千程度であろうか。

 

「あっ、見て見て鶸ちゃん! あの丘のところなんて、怪しいんじゃない?」

 

「ちょっと、待ちなさいってば、蒼っ!」

 

 野営地の中央部にあたる丘を指差すと、馬鉄は了解を得る前に走り出した。

 確かに見立てとしては悪くないものだったが、我が妹ながらもう少し落ち着いてはくれないものか。そのようなことを考えながら、馬休は元気印の妹の後を追いかけたのであった。

 

 

 

 

 

 

 蒼空。無心で見上げている。なぜだろうか、今日は澄みきっていることが疎ましくさえ思えた。

 背中に受けているのは、柔らかな草の感触。頭を動かす。すると、包み込んでくるような温かさが、後頭部から伝わってきた。

 熟練の職人が手掛けた枕であろうと、この絶妙な加減を超えることは不可能だろう。そっと手を伸ばし、気まぐれに足を揉んでみる。

 遅れて聞こえてきたのは、恥ずかしがるような楽進の声。それが、無性に耳を心地よくさせてくれた。

 

「これ以上の幸せって、そうはないと思うな」

 

「ふふっ……、そうなんですか? わたしの膝枕くらいで喜んでいただけるのであれば、いくらでもそうさせてください」

 

 心の底から、あなたのことが愛おしい。悪戯の仕返しとばかりに一刀の顔に触れる楽進だったが、その指使いには深い慈しみが込められている。

 

「……月と会う前にさ、少し話したことがあっただろう? ほら、俺の世界での董卓のことだ」

 

「はい、そんなこともありましたね。あの時は、董卓殿が恐ろしい人だったらどうしようかと、気を揉んだものです」

 

 自分の知る歴史では、暴君だったとも伝承されている董卓。だが、この世界で巡り会った同名の人物からは、そのようなことになる気配を感じとることはできなかった。

 それが、どうだ。董卓はまたたく間に中枢の支配権を握ると、いまも洛陽に血の雨を降らせ続けている。ならばと思い、事情を確かめるための使者を送ってみても、ことごとく突き返されてしまっているのが現状だった。

 

「董卓は、自分の思うがままに政治を行って、多くの敵を作ることになる。それに対して反旗を翻したのが、袁紹、袁術、曹操、孫堅、それに……公孫賛も。他には、劉備だって反董卓の連合に参加していた」

 

「えっ、劉備さん……ですか? この話、稟や風には」

 

 諸侯と並んで、劉備の名前までもが挙げられたのは、楽進にとっても意外なことがったのだろう。きょとんと傾げた首が、可愛らしい。

 

「うん、まだしていない。でも、それとなく話してみたことはあるから、あの子たちならきっと理解していると思う」

 

「そう……、ですか。それで一刀さんは、いまの月さんがその状況に近づいているんじゃないか、と危惧されていると」

 

「最後、洛陽を捨てて長安まで下がった董卓は、配下にしていた呂布に殺されてしまう。これが、俺の知る董卓の結末だ。月がそうなると言いたいわけじゃないけど、俺は……」

 

 史実でのことを考えるほどに、胸の奥がキリキリと痛むようだった。

 やはり、董卓の側を離れるべきではなかったのかもしれない。目蓋を閉じると、いつも最初にそのことが頭に浮かんできてしまう。

 不意に、優しく触られていたはずの頬に痛みが走った。力の入れ間違いなどではなく、明らかに抓られている。見上げると、楽進は不機嫌そうに口をへの字に曲げている。

 

「自分に難しいことはよくわかりませんが、大切なのは一刀さんがどうされたいか、ではないのでしょうか。まさか、いまになって月さんを信じることができなくなったとでも?」

 

「……ははっ、凪の言う通りだな。なまじ別世界での歴史の動きを知っているせいで、考えが遠回りしてしまっていたのかもしれない。ありがとう、少しは目が覚めたよ、凪」

 

「はい、それはなによりです。隊長である限り、あなたは自分たちの支柱なんです。もしやめたいと仰るのであればわたしはそれでも構いませんが、そうではないのでしょう?」

 

 楽進の問には、首をしっかりと縦に振って返した。これまで、歩んできた道がある。戦のためとはいえ、奪ってきた命がある。だから、なにもかもを捨てて逃げ出すことなど、考えたくもなかった。

 暗く沈んでいた胸中が、かっと熱くなっていくようだった。未来を作るのは、自分でしかない。それは、いつの時代だろうと同じことだ。

 

「まずいな。凪に、惚れ直してしまったのかも」

 

「ご冗談を……、ふむっ……、んっ、ちゅう……っ」

 

 上半身を少し起こし、覆いかぶさるようにしてきた楽進と口づけを交わす。甘酸っぱい、というのは気のせいなのだろうか。

 あと半日も駆ければ、馬騰のいる城にも到着できることだろう。それだけに、雨降りの日のような気分を吹き飛ばしてくれた楽進には、感謝の思いしかなかった。

 

「……うわわわっ!? こんな明るい内から、しかも野営中にあんなことをするなんて、やっぱり天の御遣いさまってそういうお方なの!?」

 

「ちょっと鶸ちゃん、声が大きいって……。でもどうしよ、うへへ……もしかしたらこのまま、イケないことまでしちゃうかもよー?」

 

「い、イケないことって……!? というか蒼、なんであなたは口からよだれを垂らしているのよ!?」

 

 一刀と楽進の様子を、馬超の妹たちは草むらから観察していた。将軍が女性ばかりだということは知っていたから、自ずと目当ては付けやすかった。

 おどおどと慌てている馬休とは違って、そういったことに目がない馬鉄は興味津々といった感じである。さすがに会話の内容までは聞き取れなかったから、二人にはただ一刀と楽進が睦み合っているようにしか見えていない。

 

「ねえねえ、二人はここでなにしてるのー?」

 

「ええー、それは内緒だよー。あっ、ほら見てっ……すごいね、鶸ちゃん。ううっ、もっと近くで見てみたいなあ」

 

 目の前での出来事に夢中になっている馬鉄は、背後からかけられた声を無視するようにあしらった。

 

「ちょ、ちょっと蒼、いまのって」

 

 多少冷静さを保っていた馬休は、第三者の存在に気がついたようである。ともあれ、勝手に忍び込んだことについては謝罪するしかない。馬家の者だということがわかれば乱暴なことはされないだろうし、迷惑をかけることにはなるが馬超を呼んでもらえればそれで解決する話しでもある。

 

「ここにいるぞーっ!」

 

「ひゃわっ……! え、なになにっ!?」

 

「ごめんなさいごめんなさい! って、あれ……あなたは」

 

 二人の後ろで急に名乗りを上げたのは、馬岱だった。大声に驚いた馬鉄は飛び上がり、振り返った馬休はとっさに謝ろうとしたが、相手の顔を見て戸惑っている。

 

「なんで、蒲公英がここに……?」

 

「なんでって、それはこっちの台詞だってば。でもよかったねー、見つけたのが蒲公英で。これが愛紗さんとか鈴々だったら、いきなり斬りかかられてても文句はいえないよ?」

 

「うう……、ほんとにごめんなさい。ほら蒼、あなたも謝って」

 

「はーい。ごめんなさい、蒲公英さま」

 

 悪いということは認識していたのか、馬鉄も態度を正して素直に頭をさげた。騒ぎが聞こえてしまったのだろう、一刀たちが向かってきているのも見える。

 妹たちのいきなりの来訪を受けて、近くで馬を走らせていた馬超もすぐに帰陣してきた。当然というべきか、虫の居所はよくないようである。

 

「お前たち、来るなら来るで、あたしに知らせておくべきなんじゃないのか? それに蒲公英に聞いたぞ。その、一刀殿のことを、こそこそ隠れて観察してたって」

 

「えと……、あの、それはその……」

 

「怒らないであげて、お姉ちゃん。鶸ちゃんは、お姉ちゃんのことを心配してただけなんだから」

 

「心配? なんだそりゃ」

 

「えへへー、聞きたい? あのね、鶸ちゃんはお姉ちゃんが、天の御遣いさまに遊ばれてるんじゃないかって……むぐぐっ!?」

 

 今回のことを包み隠さず説明しようとした馬鉄の口を、馬休が後ろから組み付いて全力で塞ごうとしている。

 なにも、そこまで素直に話すことはないだろう。発言を聞いて馬休は大いに焦ったが、馬鉄の考えはどうやら別の場所にあるようでもあった。

 馬鉄のくりっとした大きな瞳が、義兄となるかもしれない男に向けられている。そのことに気づいてか、一刀は拘束を解くように諭した。

 

「なるほど、翠は妹たちにもよく慕われているみたいだな。ほら、そのくらいにしてあげなよ、馬休も。俺のことを疑いたくなるって気持ちは、わからなくもないからさ」

 

「あう……、申し訳ありません」

 

「へえー、優しいんだー? うんうん、それに御遣いさまって結構かっこいいし、蒼も気になってきちゃったかもー?」

 

「ちょ、なに言ってんだよ、蒼っ!? それに一刀殿も、にやにやすんなっての!」

 

「お姉さまったら、嫉妬しちゃって可愛いんだから~。ねえねえ、お近づきの印に、鶸たちもお義兄(にい)さまに真名を預けちゃいなよ」

 

 馬超と馬岱だけでもそれなりに賑やかだったが、やはり姉妹がすべて揃うと違うらしい。

 すらりとした印象の馬休と、出る部分のしっかりと出た馬鉄。時代が時代であれば、さぞ美人姉妹がいると持て囃されたことだろう。

 

「ええっと……、わたしの真名は鶸です、御遣いさま」

 

「蒼は蒼だよ、お義兄(にい)ちゃんっ!」

 

 馬岱の呼び方を真似して、馬鉄は一刀のことをお義兄ちゃんと呼んだ。飛びつくような動きによって、豊満なバストがぶるん、と揺れている。

 

「おっと。蒼は、蒲公英にも負けないくらいスキンシップが激しいんだな」

 

「すきんしっぷ……? えへへ、まあなんでもいっか!」

 

 直感的に心を許してもいい相手だと判断したのか、馬鉄は一刀に抱きついてしまっている。

 これは草原の香りなのだろうか、と一刀は肉付きのいい身体を抱き返しながら思っていた。

 柔らかい。大きさだけでいえば、関羽あたりと比べてみても遜色ないくらいだろう。ふにっとした膨らみを無邪気に当てつつ笑顔を振りまいてくるのだから、なかなか油断のならない子のようにも思える。

 しかし、これで心を乱されたのでは、義兄として失格であろう。本心がどこにあるのかはともかく、一応は家族としての触れ合いなのである。

 

「とても楽しそうですね、隊長。隊長にとってなにが一番の薬かというのを、自分はすっかり失念していたようです」

 

「あはは、凪……もしかして怒ってる? ごめんねー、いい雰囲気だったのに鶸たちが邪魔しちゃって」

 

「い、いやっ、そうじゃないんだ! 隊長が元気になられて嬉しいのは本当のことだし、……でもまあ、少しは残念だったかもしれない」

 

「うーん、そういうとこだよねー。凪のお淑やかさを、ウチのお姉さまがちょっとくらい見習ってくれたらなあ」

 

 触れ合っていた唇を指でなぞる楽進。ほんの少しの間ではあったが、受け取った熱はまだ胸の中で燻っている。

 

「だったら、お前も凪を見本にしてみたらどうなんだよ、蒲公英。いつもやかましいのが急に静かになれば、一刀殿の気を引けるかもしれないぞ?」

 

「うわ~、聞いた……鶸? あのお姉ちゃんが、こんなこと言えるようになるなんてびっくりだよー」

 

「う、うんっ。あの翠姉さんを、ここまで変えてしまわれるなんて……。それで、えっと……に、義兄(にい)さん、とお呼びしても?」

 

 見つめてくる馬休の表情は、薄っすらと朱に染まっている。無理して義兄(あに)と呼ばなくてもいいのにと思う反面、そう呼んでもらえて嬉しくないはずもなかった。

 

「隊長、鼻の下が伸び切っていますよ。いまはそれでもよろしいですが、兵たちの前に出る時までには直しておいてくださいね」

 

 呆れたように首を横に振ると、楽進はそのまま歩き出した。方角的に、配下たちのところへ指示を出しにいくつもりなのだろう。まだ日も高い。休憩を終えてすぐに出立すれば、距離を稼ぐことは可能だった。

 

「ほらほら、つぎは鶸ちゃんの番だよー」

 

「へっ、ひわわっ!? あう、ごめんなさい……義兄さん」

 

 静と動。姉妹のギャップには、心をくすぐられるものがあった。まだ羞恥心が勝る馬休の頭を、なだめるようにして一刀はゆっくりと撫でていた。

 妨げるものがなにもない草原に、楽しげな声がよく響いている。その中でかすかに聞こえてくるのは、張三姉妹たちの練習中の歌声だろうか。

 

「お義兄さま、ねえ……お義兄さまってば!」

 

「ん……。どうした、蒲公英」

 

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。腕の中でぐったりとしている馬休の赤くなった顔を扇いでやりつつ、一刀はきまりが悪そうに苦笑いを浮かべるのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。