※この作品はR-18です。

北郷当代記   作:KKS

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 隴西(ろうせい)狄道(てきどう)。城郭のなかでは、天の御遣いを示す十文字旗が、『馬』の旗と並んで風に揺らめいている。

 街に到着すると、一刀たちは休憩場所として用意されていた屋敷に通された。関羽や楽進ら、将軍たちには会談に同席させるつもりである。

 営業先を増やしたいからと着いてきた張三姉妹には、後から何曲か披露してもらうのもありだろう。馬騰が堅苦しい類の軍人でないことは聞いているから、友好を深めるきっかけになるかもしれない、と一刀は思っていた。

 いよいよ、馬超の母と対面するときがきた。男としての緊張感が多少あるものの、同じく郡を預かる者として恥ずかしい振る舞いをすることはできない。

 なにより、落ち着かないのは馬超も同じなのだろう。久しく離れていた実家に帰ってきたというのに、ずっとそわそわしっぱなしなのである。ふたりの妹と従姉妹は馬騰のところへ報告にいったのであるが、馬超はこの屋敷から動こうとはしなかった。

 

「どうだ、翠。水でも飲んでみたら、気が紛れるんじゃないか」

 

「い、いいんだって。あんまり飲んだら、その……いきたくなるし」

 

 せめて喉くらい潤しておけばどうだ、と思って気を利かせたつもりだったのだが、馬超にはそれすらも受け取って貰うことができなかった。

 こんな調子で、会談までもつのだろうか。服装を整えながら、一刀は次なる一手を考えている。扉の外から声が聞こえてきたのは、そんなときだった。

 

「一刀、ちぃだけど入ってもいい? 美味しそうな物もらってきたんだけど、ちぃたちだけで食べるには多すぎるから、一刀にもあげようと思って」

 

「地和か。ああ、いいぞ」

 

 姉に扉を開けてもらい、張宝が部屋に入ってくる。両手で抱えた駕籠には、色味の良い果物が盛られていた。

 

「えへへっ、一刀の隣……もーらった!」

 

「あっ、ちーちゃんずるいー! それなら、お姉ちゃんはこっち側に座っちゃうもんね」

 

 馬超には目もくれず、張宝と張角は争うようにして一刀の両隣に椅子をつけた。右には張宝、左には張角、という構図である。

 遅れて入ってきた張梁は予感的中といった様子で、軽く一刀に対し目配せをすると馬超の横に腰を落ち着けた。

 

「ねっ一刀、この桃いい感じでしょ? ほら、ちぃが食べさせてあげるから」

 

 意外な器用さで切り分けた桃を、張宝はにこやかな笑みと一緒に差し出してきた。なるほど、確かに熟したような甘い香りが、じわじわと食欲をくすぐってくる。

 ちょうど、小腹も空いてきたところだったのである。向かいの席から飛んでくる馬超の視線が微妙に気にはなったが、一口かぶりついてみれば瑞々しい果汁が口内に拡がっていった。

 

「うん、ほんとにいい感じだな。地和も食べてみなよ」

 

「あはっ、一刀も食べさせてくれるんだ。それじゃ、いただきまーす」

 

 口元に近づけた桃を、張宝が半分ほどかじる。掛け値なしの笑顔は、見ていて気持ちがよくなるほどである。

 それにしても、距離が近い。肩などほとんど触れ合っているようなものだし、隙きあらば寄りかかってやろう、という気配すら感じられる。

 

「いいなあ、ちーちゃん。一刀、わたしにもちょうだい?」

 

 猫なで声につられて、一刀は身体を左に向けた。その瞬間を見計らっていた張角は、手に残った桃に素早く食い付いていく。

 

「んふふー、おいひー♡」

 

「ちょっとお姉ちゃん、それはないんじゃないの!?」

 

 桃を指ごと口に入れた張角は、してやったりといった表情で唇をもごもごと動かしている。

 潰れた果実と、ねっとりとした舌の感触が伝わってくる。

 

「あむ、んっ……じゅるっ、じゅるるっ」

 

「まったく、なにを考えているの、姉さん。わたしたちだけならともかく、翠さんだっているっていうのに」

 

「人和の言う通りだってば! お姉ちゃん、一刀から離れてよー!」

 

「ええー? 聞こえなーい。んむっ、くちゅ……ちゅるう」

 

 妹ふたりからの諫言(かんげん)は、どうやら姉には少しも届かなかったようである。

 歓喜の色に染まった瞳。見上げてくる。口腔内では、相変わらずいいように指を可愛がられてしまっていた。

 指先は唇によって扱かれ、関節は舌で丁寧になぞられている。咥えられているのがもっと別のなにかであれば、さぞ至福の時間を過ごせていることだろう。

 それに、押し付けられた大きな胸が、腕を挟み込んで不規則に躍っていた。

 

「うぐっ……、天和」

 

「んっ、くぷっ、ちゅるっ……。一刀、こーふんひてるの?」

 

 世に言う聖人君子というやつであれば、こんな状況であろうと平静を保っていられるのであろうか。だとすれば、自分はそんなものになってたまるものか、と一刀は独りでに思った。しかし、それはそれである。

 深呼吸。とっくに血流がよくなり始めている下腹部が、少しばかり鎮まったような気がしていた。

 馬超の冷ややかな眼差しが、槍の如く突き立てられている。内包しているのは、怒り、それとも呆れなのだろうか。

 

「ちゅぽっ……、終わってもいいの? 一刀だって、すごく嬉しそうだったのにー」

 

「ン……。それは否定しないけど、とにかくいまはここまで」

 

「はーい。いまは……ってことは、続きも期待していいんだよね?」

 

 ようやく解放された指は、ぬらぬらとした唾液で怪しい光を放っている。身体を離す直前、張角の手が半勃ちとなっている股間を密かに撫でていた。

 

「馬鹿なこといってないで、少しは反省してよね、姉さん。ごめんなさい一刀さん、手……汚れたでしょう?」

 

 張梁は立ち上がって一刀の側まで行くと、手をとって布で拭き始めた。表面を水で少し濡らしてあるのが、いかにも几帳面な張梁らしい。

 そうしているところを、馬超が食い入るようにして見つめてくる。先程からどうしたのだろう、と思い声をかけようとしたが、今度はそっぽを向かれてしまった。

 

「はい、おしまい。一刀さん、これで平気?」

 

「ああ、大丈夫だ。ありがとな、人和」

 

 馬超のことは気がかりだったが、この場は放っておくしかないだろうな、と一刀は思った。ただでさえ、恥ずかしがることの多い女性なのである。三姉妹が同席しているこの室内では、まともに理由を聞き出すことすら困難かもしれなかった。

 それに会談が終われば、どこかで二人だけの時間を作ることもできるはずである。

 

「ご主人様、こちらですか? どうやらあちらも準備が整ったようですので、そろそろ……」

 

「わかった。すぐに行くよ、愛紗」

 

 関羽に返事をすると、一刀は椅子から腰を上げた。馬超も、ゆっくりとだが行く姿勢を見せている。

 

「いってらっしゃい、一刀さん」

 

「うん、また後でな」

 

 微笑む張梁に小さく手を振り返し、一刀は部屋をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 城郭内でも一際大きな建物。四方に張り出した瓦葺きの屋根が、権威を示しているようでもある。

 そこに、馬騰はいた。娘たちを彷彿とさせるような、長い栗色をした毛髪。それを少々乱雑気味に頭頂部でまとめ、背中めがけて垂らしてある。

 天の御遣いの来訪を、馬騰は内心楽しみにしていた。どうやら、つまらない男ではないらしい。董卓がいたく目にかけているようだったから、試しにそういったことと縁がない娘を焚き付けてみた。もしそこで錦馬超だから、と遠慮するような男では会う気にもならなかっただろう。ただ、事態は思っていた以上にとんとん拍子で進んでいっているようだった。

 

「おっ、あれが天の御遣いさまかい、蒲公英。見てくれは、その辺にいる男と大して変わらないようだが」

 

「ふふーん。それがいいんだって、叔母様。お義兄さまったら、優しそうに見えてるけど、すごいときはすごいらしいよ? そうじゃなきゃ、あのお姉さまがすぐに落とされちゃうわけないもん」

 

「ほう、そんなにか。ははっ、こいつは余計に楽しみになってきたねえ」

 

 戦場暮らしが長いためか、馬騰の声にはいくらかドスが効いている。それは時に敵を威圧し、味方を鼓舞することもあった。別に狙ってそうなったわけではないが、これも歴戦の軍人の証といえるのかもしれない。

 やがて、声の届く範囲にまで一刀たちが近づいてきた。天の御遣いの装束が、てらてらと日を反射している。

 

「馬騰殿、ですね。漢陽郡太守、北郷一刀です」

 

「ああ、わたしが馬騰だ。北郷、いや……一刀のほうがいいのか? とにかく、よく来たな」

 

 城外に広がる草原のように大らかそうな人だな、というのが馬騰に対する印象だった。それでも、その一挙手一投足に油断があるようには思えない。そのくらい、馬騰の佇まいには威厳があった。

 馬騰の鋭さのある目が、視線を合わせようとしない長女に向けられている。一刀の隣にいるという緊張のためか、馬超にはいつものような切れ味のよさがない。

 

「なんだ翠。そんなに落ち着きがないってことは、厠でも近いんじゃないのかい?」

 

「ばっ、そんなんじゃないってのっ!? はあっ……、ふうっ……。ただいま……、母様」

 

「ふん、それでいいんだよ、それで。で、どうなんだ、一刀とは」

 

 歩きながら、馬騰は母として気になっていることを単刀直入に尋ねた。

 開けた謁見の間より奥に行くと、そこには馬騰の私室がある。格下の相手と話すわけではないから、今回はそちらを使おうというのだ。

 

「ど、どうって……。そりゃあ、そのう……」

 

「なんだ、煮えきらないねえ。だったら一刀、お前から聞かせてもらおうじゃないか」

 

 馬騰はもとより、その場の全員の視線が一刀だけに集まっている。こそばゆさを感じながらも、一刀は思いを口にしていった。

 

「わかりました。だったら誤解が生まれないよう、シンプルにいいます。……俺は、娘さんのことを好いています。この先も、永くともに在ることができればいい。そう、考えています」

 

 顔を限界まで赤くしているが、馬超はしっかりと一刀による宣言に聞き耳を立てている。

 好きだと率直に言ってもらえたことが、なにより心に響いていた。同時に、帰ってきてからあれやこれやと考えてしまっていた自分が、少し恥ずかしくなってしまう。

 

「ははっ、よくぞ言い切った! ということは勿論、翠を正妻として迎えるつもりなんだろうな」

 

 部屋の前まで来たところで、馬騰が静かに足を止めた。

 後ろをついて歩いている関羽の眉が、ぴくりと跳ねる。一刀がどういった判断を下そうと、それに従うつもりではある。それでも、やはり心中がざわめき立つのだ。意味がよくわからずに表情をしかめている張飛のことが、羨ましいくらいだった。

 

「ええ、いつかはそうすることを、お約束します。ですが、俺は誰が正妻で、誰が(めかけ)だ、なんて決めるつもりは一切ありません」

 

 もしこれで、馬騰に殴りつけられるのであればそれでもいい、と一刀は決心していた。

 優柔不断だと周りから言われようと、これだけは譲ることはできない。そう思うと、自然と声も大きくなっていった。

 

「ここにいる楽進、関羽、張飛、それに残してきた他のみんなだってそう。彼女たちみんながいなければ、いまの俺が形作られることはなかったんです。そんな大切なひとたちを、甲乙つけるだなんてこと……俺にはできません」

 

 自分の考えは、これで全てぶつけたつもりである。このことを馬騰が応じなかった場合には、どれだけ時をかけても説得する腹積もりだった。

 

「くくっ……、お前の考えはよくわかったよ、一刀。この馬騰を目の前にしてそんなことをぶち上げるなんざ、いい度胸をしてるじゃないか。……でだ、お前はどう思った、翠」

 

 話を振られるとは思っていなかったのか、馬超は驚いたように顔を上げた。それでも、もう気持ちは固まっている。

 

「あたしは、一刀殿の考えに賛成するよ。だけど愛紗たちと違って、あたしはまだ付き合いだって短い。だから、だからさ……」

 

 馬騰は表情を柔らかくして、娘の告白を見守っていた。

 戦場の中では、決して得ることのできない成長。それが得られたことは、母として喜ばしかった。

 

「あたしが、みんなのようになることができたら……その時は、お……お嫁さんにしてほしい」

 

「ああ、きっとだ。翠をお嫁さんに出来る日のこと、俺も楽しみにしているよ」

 

 一言ずつ絞り出すようにしながら、馬超は自らの思いを一刀にぶつけた。

 今日という日のことを、生涯忘れることはないだろう。このような形でプロポーズをすることになるなど、元の世界にいたときには考えもしなかったのである。

 

「……とまあ、色々と勝手なことを言いましたが、よろしいですか馬騰殿」

 

「ああ、わたしに異論などないさ。ただし一刀、娘たちに悲し涙は流させるなよ。それだけは、相手が天の御遣いであろうと、この馬寿成(ばじゅせい)が許さん。ふふっ、わたしからは、それだけだ」

 

 寿成というのは、馬騰の字である。ほっとして力が抜けた馬超の身体を、一刀が支えている。

 馬騰はあえて娘たち、という表現をした。それに含まれているのは当然、馬岱のことだけではない。

 安堵していたのは、楽進たちも同じだった。一刀ならば必ずや上手くまとめてくれるだろうと信じてはいたが、やはり言葉にされると実感が違った。

 

「聞いたか、凪」

 

「はい、愛紗さん。隊長のお言葉を直接聞けなかったこと、稟たちはとても悔しがるでしょうね」

 

「うむ、そうだろうな。ふうっ……、ふふっ。やはり、ご主人様はご主人様だった。それが、これほどまでに嬉しいことだとは……」

 

「どうしたのだ、愛紗。お目々がかゆいのかー?」

 

「いやっ、なんでもない。なんでもないからあっちを向いていろ、鈴々……っ」

 

 昂ぶっていく感情を、関羽は抑えることができなかった。我慢しようと思うほどに、鼻の奥がつんと痛くなる。

 しばし双眸から溢れ出したのは、熱い奔流。肩を震わせる関羽の背中を、楽進はそっと擦るのであった。

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