凍てついた風。原野の表面が白く色づいている。
中原での打倒董卓の流れが、この涼州にも不穏な空気感を作り出していた。諸豪族たちのもとには、すでに調略の手が伸びているのかもしれない。郭嘉の配下に探らせてはいるが、これまで決定的な証拠はつかめていなかった。
そんな暗い気分を吹き飛ばすように、地和の明るい声が響いた。
「明日で、今年も終わりだね」
「そうだな。文字通り、あっという間に過ぎた一年だったように思うよ。……寒いだろう、地和。もっと近くに来たらどうだ」
「うん、そうしよっかな。おおっ、一刀も結構冷えてるんじゃない?」
地和とは、朝の散歩をしている途中だったのである。身体を寄せ合い、指を絡め合う。
明るくはにかむ地和。この笑顔を守ることができてよかった、と一刀は胸中で思った。
「あー! 隊長さんと地和ちゃん、こんな朝早くからイチャイチャしちゃってるのー!」
「だったら、沙和も一緒にお散歩しようよ。ちょうど、一刀も片方空いてることなんだし」
屋敷の近くに差し掛かったところで、沙和と遭遇した。地和の提案を喜んで受け入れた沙和が、左から腕をつかんでくる。
腕だけでなく、柔らかな箇所がいくつも触れ合っている。それ自体は大歓迎なことだったが、一刀は少々歩きづらさを感じていた。
「おいおい、俺の意思を確認しなくてもいいのか。これでも一応、ここの太守なんだぞ?」
「えー、そんなの隊長さんには似合わないの。それにー、こういうの好きでしょ?」
「そうそう。どう頑張ってみたって、一刀は女の子を邪険になんてできないんだから。だから、観念して付き合いなさい」
「まったく、言いたい放題なやつらだな……。今度なにかあったら、覚悟しておけよ?」
左右から、同時に笑い声がしてきた。こうしているのが、きっとなによりも自分らしいのだろう。天下を目指すといったところで、なにも変える必要などないのだ。支えてくれる皆も、そう望んでいるはずである。
「ねえねえ、かずとー。天の国だと、この時期ってどう過ごすものなの?」
「ン……、そうだなあ。その年の最終日を、大晦日っていうんだけど」
「おおみそか? それで、どんなことをするの?」
「そんな、大したことをした記憶はないんだけどさ。たとえば掃除できてない部屋があれば掃除したり、正月に食べる料理を作ったりね」
二人とも、興味深そうに耳を傾けている。無意識に押し付けられている分、胸の感触がより心地よかった。
「あう……、凪ちゃんにお部屋を掃除しろって言われてたのを思い出したの」
「ちぃたちのとこも、人和がうるさいんだよね~。お姉ちゃんも、あんまり手伝ってくれないし」
どちらにもお目付け役がいるあたり、似た者同士といえるのかもしれない。凪や人和からしてみれば、そういった部分に手を抜くなどありえないことなのだろう。
掃除といえば、香風のことが心配になってくる。幽州で、部屋を借りていたときですら、大量のゴミを溜め込んでしまっていたのだ。あのときも、愛紗と凪とで苦労して綺麗にしたものである。
「考えてみれば、テレビも長いこと見ていないんだよな。もし向こうに帰ることがあったら、浦島太郎状態になってしまいそうだ」
「てれび? 一刀、それってなになに?」
「テレビっていうのはね、こう……四角い箱みたいなものがあってだな。そこに、遠くにいるひとが映ったりするものなんだよ」
「ええっ、それって妖術みたいなものなの? ちょっと、沙和には信じられないの」
「でもでも、それって楽しそうじゃない? そんなことがほんとに出来るのなら、ちぃたちみたいな芸人だって活動しやすくなるんだし」
怪訝そうに眉をひそめる沙和とは対照的に、地和は笑顔を輝かせていた。
確かに、この時代の人間からしてみれば、お伽話のような存在なのである。刀ではなくスマートフォンと一緒に来ていれば、と思ったこともあったが、電気や電波がなければテクノロジーの塊もただの箱に過ぎないのだ。
「そうそう、大晦日になるとテレビで決まってやっていた催し物があるんだけどさ。男女に分かれて、歌を披露し合うんだよ。俺のじいちゃんの若い頃は、だいたいみんなそれを見て過ごしていたみたいなんだ」
「うわ~、なにそれ楽しそう! 一刀、この国も平和になったら、そういうことやれるようにしようよ。ちぃたち、絶対一番盛り上げてみせるからさっ!」
「ははっ、違いない。そういえば、地和たちにもなにかグループ名が必要なんじゃないか」
「隊長さん、それってなんなの?」
「ああ。いうなれば、三姉妹合わせての芸名みたいなものかな。そういう芸名があれば、張三姉妹って名乗るよりも、印象に残るだろ?」
「だったら、言い出しっぺの一刀が名前考えてよ! お姉ちゃんと人和にも、そう伝えておくからさ」
地和の瞳が、期待に満ちてしまっている。こうなってしまっては、恐らく後に引くことなどできないはずだ。
「わかったよ。時間がかかるかもしれないけど、考えておくことにするから」
「やたっ! 一刀のそういうとこ、ちぃ大好きだよ! お礼に、チューしてあげよっか?」
「おー、地和ちゃん大胆なのー。隊長さん、沙和も沙和もー!」
「……だめだっての。ほら、行くぞ」
ぶーぶーと言いながらツバを飛ばし、不満気に振る舞う地和と沙和。こうして美少女ふたりと腕を絡ませながら歩いているだけでも、相当目立ってしまうのである。
それに加えて通りで接吻までしていたとなれば、愛紗あたりからどんな小言をいわれてしまうかわかったものではない。
そうして、時が過ぎていった。一刀の提案で、年越しそばならぬ年越しラーメンをみんなで食し、来年は食材を研究して本物を味わうことを誓った。
いまはここにいない月や詠、それに星たちとも、いつか笑いながら年をまたげる日が来るのだろうか。そんなことに思いを馳せながら、一刀は朝を迎えたのである。
「あけましておめでとうございます、一刀さん。……これで、あっていますよね?」
「うん、それであってるよ。あけましておめでとう、凪」
新年。真っ先に屋敷へと挨拶にやって来たのは、やはりというか凪だった。後ろには、愛紗や稟の姿も見えている。
配下たちだけでなく、城下の豪族や商人たちも挨拶にやって来るはずである。そうこうしているだけで、今日一日は過ぎてしまうのではないだろうか。
「新年おめでとうございます、一刀さま。忙しくなりますね、今年も」
「おめでとう、稟。天下が欲しいと言い出したのは俺だからな、覚悟はできているよ」
眼鏡を指で上げつつ、稟は小さく笑った。身体はすっかり元気になったようで、政務にも軍事にも精力的に動いているようだった。
「ねえねえお兄ちゃん、朝ごはんはまだなのだ?」
「鈴々ちゃんの食欲には、誰もかないませんねえ。キリがついたら、昨日準備したものをみんなで召し上がりましょうかー」
「ははっ、そうしようか。風、鈴々、今年もよろしく頼むぞ」
「こちらこそなのですよー、ご主君さま」
新年は、確実に闘争の年となっていくのだろう。だとすれば、目の前に広がる平和な光景は、束の間のものなのかもしれない。
しかし、いまはそれを楽しもう。可愛らしく腹の音を鳴らす鈴々を抱え上げながら、一刀はそう思うのだった。