漢陽、隴西以北の勢力は、ほぼ韓遂らに同調しているといってもいい状況である。そこに協力してきた
事実、他国ではあるが益州はそういった立場をこのところ強めている。山深い場所である上に、その入口にあたる漢中は実質的に五斗米道の支配地となっているのだ。蓋をされた状態にある益州は、漢の命令をほとんど無視するようになっていたのである。前年のうちに益州牧である
咆哮。大地が揺れる。金城郡南西部に展開していた韓遂の軍三万が、戦闘態勢に入っている。その先にいるのは、『馬』の旗を立てた軍勢。騎馬の行軍によって、土煙がもうもうと上がっていた。
狄道に駆け戻った馬騰は、参集した二万を率いると素早く金城郡へと侵入した。小さな砦を焼き払いつつ、韓遂の居所を探った。兵力では多少劣っているが、どうとでもなる範囲の差だと馬騰は判断したのである。
開戦より、少し遡る。馬騰は、軍の中心的な将軍でもある娘たちを集め、軍議を行っていた。
「翠、お前には三千騎を任せる。いいかい、わたしに遅れずついてくるんだ。韓遂の三万に対し、こっちは二万。初っ端の打ち合いに勝って、勢いをつけるよ」
「ああ、わかったよ。へへっ……母様、あたしが韓遂殿の首を獲っても、怒らないでくれよな」
「はっ、好きにしな。わたしたちの騎馬隊が突撃したら、鶸と蒼はすかさず歩兵を前進させて敵軍を崩すんだ。いいね」
「はい、母様。蒼、あなたもしっかり働くのよ?」
「そのくらい、わかってるってば~。今回の戦って、言ってみればお義兄さまとする初めての共同作業でしょ? うう~、考えただけでもゾクゾクしちゃうよね~?」
出陣前の緊迫した空気感が、馬鉄の一言によって幾分和らいでいく。あえてそういった発言をしているのかと思わされる瞬間が、馬鉄にはあった。
馬家一門の将は、色こそ違えど揃いの鉢金を額につけている。それを巻きなおしながら、自分の配置について馬岱は尋ねた。
「おば様おば様、たんぽぽはどうすればいいの?」
「蒲公英には、騎兵二千をつける。敵軍の動きを見ながら、鶸たちの援護をしてやってくれ。頼んだよ」
「えー、それってちょっと地味じゃない? でも、わかったよ。思いっきり、相手のことを撹乱してやるんだから」
「よーし、ならばそれぞれの持ち場に移れ。涼州に馬家ありと、一刀のやつにも知らしめてやろうじゃないか。くくっ、血が騒ぐねえ」
宿敵の首を前にして、馬騰の顔は笑ってさえ見える。やはり、本質的には戦人なのだろう。愛用の槍を肩に担ぐ馬騰の姿は、なによりも様になっていた。
馬騰、韓遂両軍ともに、先鋒に立てたのは騎兵である。押し寄せてくる馬軍の六千に対し、韓遂は配下の
単純な兵力だけでいえば、勝っているのである。歩兵を左右に広がるように配置し、いわゆる鶴翼の陣を敷いて韓遂は馬騰のことを待ち構えた。
「来るがいい、馬騰め。若い頃のように血気に逸るのはよいが、お前さえ討てば馬家など恐れるに足らんわ」
幾重にも兵で囲われた本陣のなかで、韓遂は指示を飛ばしていた。歳を重ねたからには、それ相応の闘い方がある。白髪交じりの頭に兜を乗せながら、この女将軍はそう考えていた。
先陣に立って雑兵を叩き落としながら、馬騰は前進を続けている。大柄の槍を巧みに操り、一度の攻撃で三、四人は敵の数を減らしていった。前線を張れなくなったその時は、潔く娘に跡を譲ればいい。ただし、それはまだ当分先のことだと言わんばかりに、馬騰は手の甲で返り血を拭った。
西に数里離れた先では、馬超の軍勢も突撃を始めている。二手に分かれた三千の騎兵が、
「怯むなっ! いかに強力な軍であろうと、この攻勢がいつまでも続くわけではないぞ」
閻行。兵を叱咤しつつ、馬上から矛で敵兵を打ち払っていた。武勇には、自信を持っている女だった。馬超には、同じ女でありながらも惹かれるような部分がある、と閻行は感じている。直接ぶつかったことはないにせよ、その錦とも称される武を目にしたことは何度かあった。機会があれば、本気の闘いをしてみたい。主君の命を実直に守る傍ら、閻行はそのように願ってもいる。
麾下の騎兵を円形に纏め、閻行は防御のための陣形をとった。馬騰の兵の強さは、涼州人であれば誰もが知っている。だから、なるべくその出足を制止し、両翼による包囲を待つ。攻めたい気持ちを抑え込むように、閻行は手綱を引いて馬を落ち着かせていた。
「ちっ、なかなかやってくれるっ。おい、誰か娘たちところへ伝令に走れ。このままわたしたちを足止めしておいて、左右から歩兵で包み込む。十中八九、それが韓遂のやつの狙いだ」
「将軍、どうされるおつもりなのですか?」
軍勢の中ほどに戻り、馬騰は伝令を呼んでいた。思っていた以上に敵は冷静であり、戦術を見直す必要がありそうなのである。
「だったら、鶴の両翼を先にもいでやろうじゃないか。休と鉄の部隊には、わたしたちが抜けた中央を埋めさせる。超には、西の敵軍を攻めるように伝えな。こっちの動きを見て、向こうは攻めに転じてくるはずだ。岱には、それをよく観察させておけ」
「承知いたしました。早速、行って参ります」
ひたすら前方目掛けて突進を行っていた馬軍の騎兵が、左右に進路を変更した。攻勢が止む。韓遂軍からしてみれば、これは反撃に移る好機でもあった。
閻行は再び兵を纏め上げ、手勢を二つに分けた。幾らか数を減らされたものの、痛手と言うほどのものではない。後方からは、詰めの部隊も出てきている。閻行自身は分けた片方の二千を率い、馬超の後を追った。
「行くぞ、皆のもの。馬超の軍勢を破り、そのまま敵軍の包囲を完成させる」
練度の高さ故か、馬超に従う騎兵はかなり俊敏な動きを見せている。それでも戦場が平地であるから、姿自体を見失うことはない。なんとか速度を上げて追いすがりながら、閻行は射撃を行うよう兵たちに命じた。
「いまぞ、矢を放て!」
幼い頃から馬に親しんでいる兵たちならではの芸当である。太腿で馬体を掴んで体勢を整えつつ、弓の弦を引き絞る。放たれた矢は、背を向けている馬超の部隊へと吸い込まれていった。
閻行の配下が射った矢によって、十数人が落馬させられている。後背を突かれたことに舌打ちをしながらも、馬超は兵たちに命令を下した。
「反転するぞ。まずは、鬱陶しいやつらを蹴散らすのが先だ。お前ら、あたしについてこい!」
一糸乱れぬ動きで、馬超の騎兵が向きを変えた。直属の部隊であるだけに、それぞれが名うての乗り手とすらいえるのだ。毎日のように遠駆けをし、絆を深めあった仲間同士なのである。その連携は、他の部隊とは一味違う。
先頭にいるのは、やはり馬超本人である。槍を片手に、堂々と手勢を引き連れていた。
「来るか、錦馬超。ふふっ……そうでなくては、面白くない」
閻行が矛を構える。この間にも、両翼の軍勢は包囲のために動いているはずである。上手く闘いを引き延ばせば、その部隊との挟撃も可能なはずだった。しかし、手を伸ばせば届くようなところに馬超がいるのである。
この機だけは、なんとしてでも逃したくはない。ここで馬超を討ち取ることこそが、韓遂への最大の奉公になるのではないか。そう自らに言い聞かせると、閻行は前線へと躍り出た。
互いの率いる騎兵が交差する。駆け抜ける中で、馬超の目は閻行のことを認識していた。矛を振るう様は勇猛そのものであり、かなりの使い手のように思えた。あれを打ち倒すことで、形勢を一気に有利に傾けてみせる。敵兵をひとり突き殺しながら、馬超はそう決断していたのである。
「もう一回、突っ込むぞ! あたしが向こうの将と闘っている間、敵を近づけるな!」
「おおおおおおおおっ!」
馬家の兵が叫びを上げた。視線を一層鋭くした馬超は、馬首を上手く巡らせて糸を縫うように兵の間を抜けていく。槍を振り上げる。相手が並大抵の将であれば、それで勝負は決していただろう。
「っしゃおらあああぁああっ!」
「嬉しいぞ、錦馬超ッ! お前と闘えることを、ずっと心待ちにしていたのだからな!」
馬超が繰り出した重い一撃を矛の柄で受け止め、閻行は笑っていた。そのまま槍が引かれた隙を見て、素早く矛を突き出していく。
「はんっ、この程度であたしをやれると思うなよ! あんた、名前はなんていう」
個人の武だけが、馬超の強さではない。呼吸をするかのように乗馬を操り、身体の位置をずらして閻行の突きを避けた。周囲では、両軍の兵が入り乱れている。
「我が名は
「ああ? 面白いことを言ってくれるじゃねえか、閻行。あたしには、添い遂げるべきひとがいるんだ。一刀殿のためにも、こんなところで死ねるかよッ!」
「添い遂げるべきひとがいるだと? はっ……笑わせてくれるなよ、馬超。うおおぉおおおっ!」
闘気を爆発させながら、ふたりは得物を激しく打ち合わせていった。
韓遂は馬騰にとって長年争ってきた相手ではあったが、一刀からしてみればこの闘いは緒戦に過ぎないのである。
覇業を支えると誓ったからには、ここでもたもたしているわけにはいかなかった。閻行の力は驚異的ではあるが、自分がそれに劣っているとは思えない。だとすれば、必ずどこかに勝機があるはずだ。馬超は槍を大きく振り回しながら、そう考えていた。
「どうした馬超、さっさとわたしを殺してみろ! それとも、色ボケしたことで槍が鈍ったか!」
「そんなわけあるかよッ! うおぉおおらあっ!」
両者の実力は、ほぼ拮抗しているといってもよい。一騎打ちの様相があまりにも見事であるせいか、殺し合いをしていた兵たちですら闘いを食い入るように見守っている。
これまで、何合打ち合ったことだろう。馬超と閻行の息が上がる前に、乗馬のほうが音を上げてしまいそうなくらいだった。ぶるるっ、と馬が息苦しそうに鳴いている。
どちらも数箇所に浅い傷を負っているが、動くにはなんら問題のない程度のものである。これでは、日が暮れても決着がつかないのではないか。見守る兵たちがそう思い始めたのも、無理はなかった。
「ちいっ、しゃらくせえな! 閻行め、いい加減くたばりやがれ!」
「なんの、まだまだ楽しもうではないか! 錦馬超、やはりお前は最高の相手だッ」
閻行の矛先が、馬超の前髪を掠めていった。はらはらと舞う、栗色の毛髪。それを吹き飛ばす勢いで、馬超は全力で槍を叩きつけた。
「なっ、馬鹿な……っ!? やってくれるな、この怪力女め……」
あまりにも強烈な一撃だったせいか、閻行の矛は中心部から真っ二つに叩き折られてしまっている。それを見ていた馬超麾下の兵たちが、ひときわ大きな喚声を上げた。
「あたしを怪力女だっていうなら、お前も同類だろうがっ。はあぁあああっ!」
いくら臍を噛もうとしても、もう手遅れである。折れた矛を呆然と見つめる閻行の胸元に向けて、馬超は神速の突きを放った。
具足を断ち割り、穂先が吸い込まれていく。鮮血。吹き出している。悔しさと満足感。綯い交ぜとなったそれらが、閻行の口から溢れ出た。
「ゴホッ……。ああ……くうっ、馬超……」
「あんたのことは忘れないぜ、閻行。これだけの勝負、なかなかできるもんじゃないからな」
「ははっ……、そうだろうな。お前のような相手に巡り会えて、よかった……」
槍が抜ける。弛緩した閻行の身体は、どさりと地上へ崩れ落ちた。
止まっていた戦場のときが、再び動き出していく。四方に充満していく殺気を、馬超は敏感に感じ取っていた。
「閻行さまの仇、俺たちで取るんだ」
我に返った兵たちは、閻行の弔いのために馬超の首を挙げようと必死になって闘い始めた。
兵数としては馬軍のほうが優位ではあったが、なにしろ死を賭して向かってくる兵たちである。斬れども斬れども、士気の落ちる気配がない。
「ああ、くそっ……! こいつら、厄介すぎるだろうが……っ。せめて、あと少しこっちにも兵があれば」
馬超の呟きを待っていたかのように、『馬』の旗を掲げる軍勢が現れた。方角的には戦場の中央からやって来たようであり、将兵ともに騎乗している。
「ここにいるぞー! やっぱり、お姉さまにはたんぽぽがついてなきゃダメだよね?」
戦場には似合わぬ笑顔を振りまきながら、馬岱は閻行の残した兵の背後を襲った。馬超麾下の兵と合わせれば、おおよそ四千五百の騎兵である。前後から突撃を受けてはさすがに為す術もなく、閻行の元手勢は敗走していった。
「えへへ~。助かったでしょ、お姉さま? たまには、ちゃんと感謝してよね」
「へっ、そんなことないっての。それより、鶸たちは平気なのか」
「もう、強がっちゃって。中央は無理に攻めてないから、大丈夫そうだよ。……あれ? お姉さまが怪我させられるなんて、そんなに強い相手だったんだ」
「おう、閻行っていってな。なんとか討ち取ることができたけど、かなりの武人だったぜ。蒲公英、お前が闘っていたら、きっと危なかったと思うぞ」
浮足立ちかけた軍勢を再編し、馬超は韓遂軍の片翼を目指して進軍している。包囲の手を潰すことができれば、韓遂にとっては相当な打撃となるはずである。
「……おば様の血を濃く受け継いでるのが、お姉さまだけでよかったよ。もし鶸たちにも突撃癖があったら、絶対たんぽぽだけじゃ面倒見きれないもん」
意気揚々と語る馬超をよそ目に、馬岱は小さく首をすくめるのであった。